暖簾を潜り店内に入ると、まずチリンと鈴の音が鳴り響いた。静謐な本屋という印象が、耳を通じて目に映る。
店内は薄暗く、インクの独特の匂いが漂っている。謂うところの本屋の匂いである。外の世界も幻想郷も、本屋は同じ匂いがするらしい。
せめぎ合うように並ぶ本棚の数々には、両手がいくつあっても足りないくらいの本が彩るように置かれている。いくつかの本の背表紙には、俺の知っているタイトルが印刷されていて、ちょっとした安心感を覚えた。
「いらっしゃいませ……あれ、魔理沙さん?」
店の奥から少女の声が聞こえてくる。店番の子だろう、と目をやると、商品の整理でもしていたのか、何冊か本を抱えたまま、市松模様の着物を着た少女が本棚と本棚の隙間から姿を現した。
外見は魔理沙よりも年下のようだが、ここの従業員らしい。店主の娘、と考えるのが妥当だろうか。
「ええと、そちらの方は?」
本をテーブルに置き、少女がこちらに駆け足で寄ってくる。
「あぁ、こいつは…………って、そういやまだ名前を聞いてなかったな。一方的に名乗ったままだった」
「……佐倉霜夜。人に頼まれて、面白い本を探しに来たんだ」
「あ、お客さんでしたか。どうぞ、好きなだけ見ていって下さいね」
少女はニコリと営業スマイルを浮かべて、そう言った。
俺よりいくつも幼いだろうに、しっかりしているな。俺は嘘でも人に笑顔を向けるなんてしたくないし、接客だって出来る気がしない。感心すると同時に、自分の欠点を浮き彫りにされたようで若干気分が落ち込む。
「お、どうした? ……まさか、この子が気に入ったとかじゃないだろうな。アプローチをかけるならタイミングを図った方がいいぜ?」
「馬鹿言うな、俺はそんな軟派じゃない。しっかりしてんなって思っただけだよ」
横から魔理沙がからかってくるが、見当違いもいいとこだ。確かに可愛い容姿をしているとは思うが、それ以上の余計な感情はこれっぽっちも催しちゃいない。……っていうか、俺ってそんな風に見えるか? 自分では落ち着いた風貌だと思ってたんだが……。
「ふーん。まぁ、私と同じくらいにはしっかりした奴だな。危なっかしいところもあるが」
「お前は俺と同レベルに大雑把そうに見えるが……って、そんな話をしに来たんじゃなかった、あいつの気に入りそうな本を探さねーと」
お使い完了前に勝手に休憩して、店番の女の子の話なんかしてるのがバレたら、鈴仙に何を言われるか分かったもんじゃない。
後ろで何やら反論している魔理沙を無視して、近くの本棚を眺めて、左上から右に、なぞるようにタイトルを読んでいく。ところどころ、英語で書かれた雑誌が混ざっているが、誰が読むんだろう、これ。俺だってあんまり読めないのに、幻想郷という閉鎖的な世界に英語を理解出来る奴がいるのだろうか。
「うーむ……分からん……」
どれもいまいちピンと来ない。俺が読むんだったらすぐ決まるんだが、輝夜が好みそうなものとなると中々選びにくい。ビジュアル的に判断するなら、詩集とか上品な本だろうが……それを渡したとて、あいつが気に入るとは限らない。そもそも、俺は上品な文学について疎いので、こういう本の面白さがさっぱり分からないのだ。
いやはや、困った。他人の気に入るものを選ぶことの難しさがよく分かるね。
「悩んでいるようだな。私が選んでやろうか?」
魔理沙が恩を売ろうとこちらに近付いてくる。
いっそ、こいつに全責任を押し付けてしまおうか……。
「じゃ、参考程度に一冊頼むよ」
「おし、任せな。……で、どんな内容の本をお探しなんだ?」
「どんな内容というか、姫みたいな高貴な奴――輝夜って名前なんだが、知ってるか? そいつの気に入りそうな本をな」
「あぁ、あいつのことか。親しくはないが、どんな雰囲気の奴かは知ってるぜ。昔、ドンパチやりあった仲だしな」
「殴り合いでもしたのか……意外だな」
「そんな品の無い争いじゃないぜ。勿論、弾幕ごっこという高潔な決闘手段でのことだ」
「決闘には変わりないじゃねえか。あいつら、いかにも上流階級みたいな顔して、案外そういうこともするんだな。人は見た目によらないというか、綺麗な薔薇には棘があるというか」
「最近はあいつらも大人しいからなぁ。むしろ人里に貢献しようと暗躍してるくらいだ」
そういえば以前、鈴仙が里で鼠除けを売っていたという話をしていたことを思い出す。暗躍というと悪事を働いているように聞こえるが、少なくとも俺の知っている最近の彼女達は、むしろ人々の味方になっている印象しか無い。
にしても、決闘ね。どっちが吹っ掛けた喧嘩なのか、知りたくなくもない。第一印象だけで邪推するなら魔理沙の方から仕掛けてそうだが……一体過去に何があったんだろうな。
「ま、その辺は本人らが一番知ってると思うぜ。とりあえず私は注文通りの本を探してくるよ」
店の奥に移動する魔理沙を見送って、視線を本棚に戻す。試しに文庫本を一冊手に取ってみて、冒頭部分を黙読してみるものの、やはりピンと来ない。何かこう、人に薦めるだけの熱情が湧き出てこないというか。
こりゃ、魔理沙のセンスに頼るしかないな。諦めて本を元の位置に戻すと、タイミングを見計らっていたように、店番の少女がおずおずと俺に声をかけてきた。
「あのー……霜夜さん、でしたよね? ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが……」
「はぁ……?」
彼女の胸には、比較的最近発行されたと見られる情報雑誌が抱かれており、自然とそちらに目が行った。雑誌名に見覚えは無く、書かれている文字は全て外国のもの。本棚に置いてあったような類の本だろう。
少女はその本をパラパラと捲り、あるページを開くと、長ったらしい英文を指差して訊ねる。
「ここに外の世界の地名が書いてあるんですけど、いまいちどういうところなのか想像出来なくて……外来人の方なら知っているかなぁ、と」
「……どこに?」
……訊かれるまでもなく外来人認定されてることはともかく。
彼女の指し示したところには、俺が読むには馴染みの無い単語がずらりと並んでいた。部分的には読めなくもないが、あまり読む気にはならない程度には意味が分からない。
ていうか、え? この子、これ読めるの? 今さっき社会性で負けた気になったばかりなのに語学力でも負けてんの、俺?
「この部分ですね。えーと、『フランスにおいて〜』と続いています」
見ると、確かにそのような単語があった。尤も、その前後の文章はさっぱりなので、フランスで何が起こったのかは不明なのだが。
「よく読めるな。俺だって一応、四年以上英語を勉強してきた身のはずなんだが、全然だ。幻想郷に外国語の分かる奴がいるとは思わなかったよ」
「私にかかれば、どんな文字だって読めますよ。妖怪の書いた文字でもお茶の子さいさいよ」
「妖怪文字って……語学に堪能というか……どういう勉強をしたらそんなもん読めるようになるんだ?」
「ちょっと前に、そういう力に目覚めたんですよ。貸本屋の娘だからですかね」
「あ、そう……」
そんな気軽に『力に目覚めた』なんて言っちゃって良いのだろうか。楽器が弾けるようになったとか、逆上がりが出来るようになったとか、その次元のような軽さで口にする言葉ではない気がする。
幻想郷のこういうところには、未だ慣れないな。自分がある種の異世界に来たってことを実感してしまう。
「まぁ、それは置いといて……フランスの話だっけ? 俺もそんなに外国に詳しい訳じゃないが、位置と名所くらいなら教えられるよ。紙か何か、書くものがあると良いんだが……」
「あっ、では持ってきますね。少々お待ち下さい」
と、駆け足で道具を取りに行く少女。すると、入れ替わりで魔理沙が戻ってきて、俺に本を差し出してきた。本選びが終わったらしい。
「これでどうだ? 意外とこういうのが良いんじゃないかと天啓に打たれてな、我ながら良いチョイスだと自画自賛しそうになるぜ」
「そこまで自信が持てるのは羨ましいところだよ……で、どれどれ?」
魔理沙の、その自画自賛に値するチョイスを確かめるべく、本を受け取った。
…………漫画本だ。それも、少年が好みそうな冒険系の。
俺の知らない作品だが、内容は何となく想像出来る。きっと、主人公とその仲間達で悪事を働く敵キャラを倒すとか、ハンターになって父親を探すとか、そういう系統だろう。
いや、これは流石に……いやでも案外……?
「……まぁ、これでいいか!」
趣味に合わないとキレられたら魔理沙の所為にしよう。恩着せがましく押し付けてきたとか言い訳すれば良いだろ、多分。
★★★
「――――で、ここがそのフランスってところで、首都はここ、パリ。エッフェル塔で有名なところだな」
少女の持ってきた紙に、筆で大雑把な世界地図を描いて、大まかな位置を示す。ヨーロッパ近辺の各国の位置も、正確ではないが一応描いておいたので、割と見やすい地図になったのではないかなと自らに及第点を与えておく。
しかし、日頃授業は程々にしか聞いていなかったが、案外覚えてるもんだな。一度覚えたものは妙に頭に残るというか、こびり付いて離れなくなるらしい。今後知識を活かした芸を覚える予定は無いが、つくづく人間の脳みそとは便利なものだと感心する。
「エッフェル塔って何だ?」
魔理沙の問いに、筆を動かしながら答える。
「百何十年か前に建設された……まぁ、でっかい塔だな。高さは確か三百メートル程度で、魔理沙を縦に二百人並べたくらいだ」
確かこんな形だった、と世界地図の隣にイラストを添えた。うん、俺にしては上手く描けている。
「へぇー、外の世界にはそんな巨大な塔があるんですね。一度見てみたいなぁ」
「見上げるくらい巨大なものと言うと、幻想郷だと妖怪の山がそうか。あそこも結構な迫力があるが、天狗なんかが縄張りを張ってるから気軽に行けないんだよな」
「天狗か。俺は大迫力の景勝地よりかは、そっちの連中に興味あるな」
「何だ、まだ会ったことないのか? お前さんみたいなのは、真っ先に天狗に狙われそうなもんだが……あいつもまだまだ嗅覚が足りないな」
天狗に攫われやすそうって意味か、それ? 幻想郷の天狗がどういう生態をしているのか知らんが、
「そういうお前は、口振りからして会ったことがあるらしいな」
「まぁな。交友関係は人並み以上に広いつもりだ」
そして、その知り合いリストの中に、今日俺が追加された、と。侮れんコミュ力してるな、こいつ。
「それはさておき……他にはエトワール凱旋門っていう、これまたでかい建物だったり、ルーヴル美術館なる世界で有名な博物館があったりするんだが、その辺は観光的な知識だし、あまり参考にならないか……」
改めてフランスとは何ぞやと訊かれると、結構答えられないもんだな。国としては最低限知っているが、逆に言えば国である以上のことは然程知識が無い。こういう時、手元のスマホで調べられないのが何ともむず痒い。俺は文明の利器に支配された現代っ子なのだ。やっぱり、スマホが無いと不便だよなぁ。
「うーん……やっぱ知識不足が露呈しちゃうな。花の都なんて呼ばれてるから、華やかな印象が強いんだけど……あとは、かたつむり食べてることくらいか……?」
「か、かたつむりですか?」
「ちゃんと調理した奴ね。エスカルゴって言って、一応美味いそうだ。尤も俺は食べたことないんだけど」
デンデンムシが頭に浮かんで、どうもね。俺は元々、肉とか魚とか、ポピュラーなものしか食べないし。
なんて、話の種になるかならないか程度のちょっとした雑談をしばらく続けていると、その内に情報のストックが尽きてきた。
まだ何かあるような気がして、記憶の引き出しを開け閉めしつつ、一分程ウンウン唸りながら頭を抱えてみるが。
「あー……まぁ、こんなもんか。大した授業も出来なくて悪いな」
諦めて、筆を置いた。
打ち止めだ。これ以上絞り出せそうにない。
「いえいえ、外の世界の面白い話が聞けて楽しかったです。ありがとうございました」
「それなら良いんだが……っと、ここに来た目的を忘れるところだった」
店内のテーブルの上に置いていた、魔理沙のチョイスした漫画本を手に取る。そう、ここには本を借りに来たんだった。頼まれたことだし、その役目は果たさねばなるまい。
少女に貸本屋のシステムを訊ねて、本を借りる手続きを済ませる。
返却期限は、俺が幻想郷に来てからの時間と比べれば、まだずっと先のことだった。次に鈴奈庵を訪れるのは、俺が今よりもこの世界に順応してからになるだろう。
「これでよし、と。それじゃ、俺はもう行くよ。道案内助かったぜ、魔理沙。それと、ええっと……店番の人」
少女の名前を呼ぼうとして、まだ名乗られていなかったことに気付く。これ、店に入った時もやったような…………もしかして、上手くコミュニケーションが取れていない証拠か? ちょっと自分が嫌になってきた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私は
「あぁ、よろしく。小鈴」
微笑む小鈴に、若干の敗北感を覚えながらそう返事をする。
まぁ、何はともあれ、当初の本を借りるという使命は達成出来た訳だし……どうでもいいか。
「じゃ、また」
「おう、またな。鈴仙によろしく言っといてくれ」
籠に本を仕舞い、店を出る。外はまだ明るく、里は活気付いている。
本は借りたから、あと頼まれていたものは……と。
確か、用が済んだら、予め決めておいた合流場所で待っていればいいんだったな。鈴仙の仕事がいつ終わるのかは分からないが、早いに越したことは無いだろう。ちゃっちゃとお使いイベントをこなすとするか。
市場を目指しながら、ついさっき知り合ったばかりの少女達のことを考える。
妖怪退治の専門家に、どんな文字でも読める能力に目覚めたという店番の少女。こうしてちょっとお使いに出ただけで、ああいう種類の人間と出会うんだから、この世界は俺の常識に
……またもう少し経てば、別のおかしな奴が俺の前に現れたりするのだろうか。次は天狗が草むらから飛び出してくるかもしれないな。魔理沙曰く、俺は狙われそうな人間らしいし、あり得る。
鈴仙のように、会話の通じる妖怪なら良いんだが、さて、次は何が出るかね?