少しの間、彼女の背中を追いかけていると(ストーカーではない)、竹と竹の隙間から、巨大な和風の屋敷が姿を現した。
でかいし、広い。いかにも金持ちの家といった感じで、本能的に萎縮してしまう。俺は平民なんだよ、こんな格の違いを見せつけられて平然としていられるほど豪胆じゃない。
その屋敷の入り口から、臆することなく中に入っていく彼女に続いて、俺も身の丈に合わない屋敷に進入する。……俺なんかが本当に入って良いのだろうか。不敬罪で斬首刑になったりしないよな? まだ現世に執着していたいんだが。
修学旅行で京都に行った時のような気分で、内部をあちこち観察してみる。敷地内にはやたら広い庭もあるようで、ますます身の丈というものを分からせられる。一般的なご家庭ではまずお目にかかれない風景だ。
「……ん?」
視界の端に白いものが映った。気になってそちらに視線をやると、白いもふもふの兎が興味津々に俺を観察している。流石は金持ちの家。兎を放し飼いにしているらしい。
……そういえば、俺の前にウサミミを付けた女子高生がいるんだけど、もしかしてそれもここの
頭に纏わりつく嫌な考えを払っていると、俺を悩ます張本人である彼女が、目の前の扉を開けた。
彼女に続いて中に入ると、鼻にツンと来る薬の匂いが漂ってきた。推理するに、ここで治療とやらをするのだろう。……おかしな注射とかされないよな?
「その辺に座って、ちょっと待ってて。道具を持ってくるから」
そう言って、彼女は奥の方に歩いていった。
ふぅ、と息を吐いて、近くにあった横長の椅子に腰掛ける。ようやく落ち着く時間が出来た。状況はちっとも落ち着けないが、こうやって座って身体を休めているだけで少し気が楽になる。
ポケットからスマホを取り出して、一応電波が飛んでいるか確認する。相変わらずの圏外表示。人が住んでそうだから使えると思ったんだが……上手くいかないな。この屋敷の主人も、もっと便利なところに建築すれば良かったのに。土地が安かったのかな。
ま、流石に外部との接触が一切断たれたおかしなお屋敷なんてことはあるまい。後で電話なり地図なり、帰る手段を確保させてもらおう。
それと……学校への言い訳も考えなくちゃいけないな。やれやれ、今日は忙しい日だ。こんなに忙しいのは、夏休みの終わりに宿題をいっぺんに終わらせた時以来じゃないか?
…………いやそれ一ヶ月くらい前の話だったわ。全然最近じゃん。俺って結構忙しいのな。
★★★
「はい、これで終わりよ」
治療を受けたところを眺める。こうやって丁寧に傷を扱ったのは、いつ以来だろうか? 昔からツバでもつけとけの精神で雑に治してきたから、新鮮に感じる。
「ん、ありがとうございます。ええと……」
彼女にお礼を言おうとして、まだ名前を訊いていなかったことに気付く。まぁ、訊いたところであれなんだが。
「手際良いんだな、ウサミミさん」
「誰がウサミミさんよ。確かにウサミミだけど……私には
吹き出しそうになった。
ここに来て、また想像の斜め上を行くことを……ますますこの屋敷の謎が深まったが、深淵は覗くもんじゃないと自分に言い聞かせておく。
「う、うどんさんか。それはまた……ご両親は良い名前を付けたようで」
「うどんじゃなくて優曇華院だし、名前を付けたのも両親じゃないわよ。全くもう、変な人間ね」
咄嗟にお前がそれを言うか? と口から言葉が飛び出しそうになったが、ギリギリのところで耐えてみせた。ここはスルーするのが大人というものだろう。というか、これ以上深淵に触れたくない。
「……一応こっちも名乗っておくよ、俺は佐倉霜夜。それで、そうだ。実は俺、あの竹林で迷子になってて出口を探してたんだけど、こっからどう帰ればいいか教えてくれないか? 時間が無いようだったら、電話だけでも貸してもらえると助かるんですけども」
俺がそう尋ねると、鈴仙はちょっと面倒そうな顔をした。面倒なのは分かってるが、こっちも色々面倒なことになってるんだから、どうしようもない。
「そんなところだろうと薄々気付いちゃいたけど……ええと、どこから話すべきかな」
「どこから、とは?」
話さなければいけないような内容には皆目見当もつかない。嫌な予感がしてきた。こういう状況で察したものは大抵当たる。せめて、俺が思っているよりも軽い話であってくれ。
「……まぁいいか。別に話さなくても問題無いし」
「いいのかよ。どんな重たい話されるかビクビクしてたってのに。心配して損した」
「杞憂で済んで良かったわね。ここまで連れてきちゃったんだし、一応最後まで責任は持つわ。帰り道はしっかり教えてあげる」
無駄に心臓の鼓動を早めさせられたが、帰路を教えてくれるなら充分だ。しかし、一体何を話すつもりだったんだろう。もしかして、俺が起きたら竹林にいた理由に関係してくる話とか? だとしたらちょっと聞きたかったりする。
「とりあえずお師匠様に報告だけしてくるから、先に屋敷の外で待ってなさい」
「了解。助かるよ」
部屋を出て、来た道を引き返す。確か、あっちから入ってきたんだよな。広すぎて迷ってしまいそうだ。流石に敷地内で迷子になるほど方向音痴じゃないが。
スムーズに屋敷の入り口まで戻ってくると、俺は夥しい数の竹の中から手頃なものを選んで、それに寄り掛かった。
お師匠様に報告、とか言ってたな。今の時代に師匠とか弟子とか言った関係をリアルで聞くとは思わなかった。治療の際の手際の良さから推察するに、医療に携わる師弟関係か? こんなところに屋敷を構える医者って、法外な金額で違法な手術なんかしてそうだけど。なんとかジャックみたいな。
などと妄想に耽っていると、程なくして屋敷から鈴仙が出てきた。報告とやらが済んだらしい。
それじゃあ、出発だな。竹から背中を離そうとして、あることに気付く。
鈴仙の後ろに、もう一人女性がいた。
長い銀髪を三つ編みで纏め、赤と青のツートンカラーをした変わった格好をした美人である。
「……そちらの方は?」
呆気に取られて、つい言葉が漏れてしまう。流れは多分、お師匠様登場の流れだと察したが。
その銀髪の美人は、俺を視界の中央に収めると、納得したような表情をした後、静かにこちらに近付いてきた。
「貴方が佐倉霜夜?」
「えぇ、まぁ……佐倉さんちの霜夜さんです。えーっと、あなたは?」
「
えーりんさん、と言うらしい。どういう理由で声をかけてきたんだろう。失礼を働いた覚えは無いが、性格の悪い俺のことだし、また何かやらかした可能性がある。……先に謝っておこうか?
「俺に何か?」
「無駄足を踏ませたら可哀想だから、止めに来たのよ。間に合って良かったわ」
「なるほど、無駄足を…………」
そういうことかぁ。
………………。
いや待て? オイ?
「無駄足ってどういうことだよ。外に出るだけだろ?」
「そのまんまの意味よ。このままウドンゲについていっても、貴方は元いた場所に帰ることは出来ない」
「何だよそれ、俺は騙されるところだったのか?」
「いいえ、騙すつもりは微塵も無かったはずよ。でも、今回は特別なケースなの」
そんなの、特別扱いどころかとんだ罰ゲームじゃないか。
それに意味がさっぱり分からない。
帰れない? どういう理由で? 俺の知るあらゆる常識が、現状を否定する。答えの出ない疑問に、頭がオーバーヒートしそうだ。
蚊帳の外になっている鈴仙の様子を窺う。何がどうなっているのかさっぱり、といった顔をしている。嘘をついているようには見えないし、騙すつもりが無かったのは本当のようだな。
だとすると、何だ?
「貴方の状況を正しく伝えるには、少し長くて厄介な話をする必要があるわね。中でお茶でも飲みながら、ゆっくり話しましょう。……あぁ、安心しなさい。私達は貴方に危害を加えるつもりは一切無いから」
答えが分からない。
彼女を信用するべきなのか、それさえも。
呼吸が早くなっていく。
落ち着こう。大きく息を吸って、整えるように吐いた。……大丈夫、俺は冷静だ。
「頭がこんがらがって神経がショート寸前なんだが……分かった、まずは話を聞かせてもらわないことには始まらないしな」
「賢明な判断ね」
どういう類の話かは分からんが。
ひとまず、ビックリ仰天な内容が飛び出てきて心臓が止まったりしないよう、覚悟の準備はしておいた方が良いかもしれない。
もう一度、深呼吸をした。
今度は覚悟を決めるために。