応接室と思しき和室に案内され、目の前の座卓に鈴仙の淹れたお茶が置かれる。
喉の渇きを思い出して、俺はそれを一口飲んだ。普段はジュースばかり飲んでいるが、たまにはお茶も悪くない。今度自販機でわ〜いお茶でも買ってみるか……。
正面で俺を見つめる永琳と、一瞬視線を合わせる。近寄りがたいというか、俺があまり接したことの無い雰囲気があって、若干居心地がよろしくない。
「ウドンゲも聞いておきなさい。一応貴方にも関わるかもしれない話だから」
「へっ? はぁ、分かりました」
返事をして、鈴仙が空いているところに正座する。鈴仙にも関係するって、どういうことだ? 今からどういう話をするんだろう。
とりあえず、今の内に喉を潤しておこう。長い話には口渇が付き物だからな。
「それで、厄介な話っていうのは何ですか? 俺が帰れないとか言ってましたけど」
「無理に敬語を使わなくていいわよ。その方がこっちもやりやすいわ」
「じゃあそうさせてもらうよ、俺は少々口が悪いもんで……」
コホン、と咳をして、永琳は口を開く。
「まず、ここがどこなのかを説明しなければいけないわね。ここは幻想郷、妖怪や神々などの人外の者が棲まう土地よ」
「ストップ、理解が追いつかん」
しょっぱなから素直に受け入れられない単語が三つほど飛び出してきた。おかしい。俺の中の常識が警鐘を鳴らしている。理解出来ない。
妖怪? 神々? そんなファンタジー極まった単語を、どうやって飲み込めばいいんだろう。
「その……妖怪とか神々っていうのは、何だ? 俺が想像するのは、
「その想像通りのものだけれど」
「何だそりゃ、そんなもんの存在を信じろって言うのか?」
「信じるも何も、そこにいるウドンゲがその証明よ。頭から生えているものが見えない?」
いや見えるけど……嫌ってくらい見えるけど! ていうか、え? 妖怪? この人妖怪なの? どう見たってウサミミを付けただけの女子高生なんだけど、妖怪?
「じゃあ、それ、その耳は……付け耳とかじゃなくて……?」
「失礼ね、ちゃんと自前の耳よ」
「触って確認しても?」
「セ、セクハラ!」
「ええぇ……?」
理不尽な……触らずしてどう確認すればいいんだ……?
「……まぁ、触ったところで本物かどうかなんて分からないだろうし、良いけどさ。でも簡単に信じられるもんでもないぜ? 俺が積み上げてきた常識の中に、そういったオカルト的な生き物は存在しなかったんだから」
「頭が固いのねぇ。もっとすんなり受け入れてくれると思ったけれど」
「受け入れられるのは一部の特殊な人間だけだよ……もっと分かりやすいもので示してくれれば別だけど」
たとえば、一つ目小僧とかのっぺらぼうみたいなビジュアルに定評のある連中が登場してくれたら、こっちも受け入れざるを得ない。もっと妖怪してる妖怪はいないのか?
「分かりやすい……なら、こういうのはどうかしら?」
永琳が手のひらを上に向けて、こちらに腕を伸ばす。それのどこが分かりやすいのか、と問おうとした瞬間。
彼女の手のひらに浮かびように、光の弾がパッと出現した。
目眩がした。
言葉が出ない。
出現した光弾は、淡く光を放ちながら浮かび続けている。吊るされている訳でも、ホログラムでもない。浮かんでいるのだ。
答えが分からない。ただ、それに触れれば、確信出来るような気がして、思わず光弾に手を伸ばした。
「危ないわよ?」
「分かってる」
電球に触れるのだってちょっと危険なんだ。これが安易に触れて良いものじゃないくらい、察することが出来る。
伸ばした手の先が光弾に触れる。
「ッ!?」
痛みが走った。弾かれるような、電流が流れたような衝撃が指先から頭に伝わっていく。同時に、俺の中の常識が崩れる音がして、確信した。
――――――これは、
「…………マジかよ」
「受け入れてくれて何よりだわ」
光弾を消して、永琳は手を元の位置に戻す。出現させるのも消すのも自由自在ってか。どうなってんだ? それ。
「受け入れるしかないだろ、こんなん。ってことは、そこにいるのは妖怪兎で、俺がいるのはマジの妖怪が存在する土地で……嘘だろ、人生で一番の衝撃だ」
科学に染まった現代社会に、まさか妖怪の存在を信じることになろうとは想像だにしなかった。しかし、今し方味わったものは、紛れもなく真実である。……妖怪、妖怪かぁ……。
「……それで、ついでに聞きたいんだが、幻想郷って、どこだ? 俺の知る限り、近所や付近の市町村にそんな地名の土地は無かったはずだ」
「でしょうね。この土地は結界で物理的に隔離されているから、外の世界からは認識されていないはずよ」
妖怪、神々と来て結界と来たか。ますます常識がぶっ壊れていく。こうなったら、壊せるところまで壊した方がいっそ楽なんじゃないか?
そうか、結界か、と頷いていると、一つの疑問が生じた。
「あれ、物理的に隔離されてるんなら、何で俺はここにいるんだ?」
これは俺が目を覚ましてからずっと疑問に思っていたことだった。結界で隔絶した空間ならば、ますます不可解だ。一体誰が俺をここまで連れてきたんだろう。外から認識出来ない世界に、どうやって?
「それは……」
永琳が一瞬言い淀む。
「『神隠し』としか説明しようがないわね」
「神隠し? それってあの、人が忽然と姿を消すっていう。天狗の仕業だと聞いたが、幻想郷には天狗までいるのか」
「幻想郷で言う神隠しと、貴方の言うものは少し違うけれどね。天狗はいるけど、彼らは何もしていないし、こちらは『外の世界から幻想郷に迷い込んでしまう事件の通称』を指すわ。たまにあるのよ、外の世界から人間が入ってくることが。そういう人間は、外来人と呼ばれているわ」
「天狗自体は存在するのか……やっぱ鼻高いのかな……」
「話、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。で、その神隠しはどうして起こるんだ?」
「
なるほどね。
一通り自分の置かれている状況が分かってきた。ここまでの話を要約すると、ここは幻想郷っていう場所で、俺は恐らく八雲って奴の手によって幻想郷に迷い込んでしまった。肝心の神隠しの動機がいまいち不明だが、そこは適当に納得しておくことにしよう。
「おおよそのことは把握した。んで、さっきの……無駄足ってのはどういう意味だ? 騙すつもりが無かった辺り、外来人は二度と外の世界に戻れない……って訳じゃないんだろ?」
「そうね。普通の外来人であれば送り帰せたはず。でも、貴方は違う」
そういえばさっき、特別なケースなんて言ってたな。俺自身に特別な要素は何一つ思い当たらないのだが。
永琳は俺をジッと見つめて、暫し沈黙する。睨まれてもいないのに、身体が硬直する。人から見られるのはあまり好きじゃない。急に何なんだ?
ゆっくりと、彼女の唇が動いた。
「貴方は……普通の人間ではないわ」
頭の中を、疑問符が飛び交った。
どういう意味で言ったのか、特定出来ない。確かに俺はちょっと人とズレた人間だから、その意味では普通の人間ではないのかもしれないけども。しかし、それ以外の面で、普通でないと断ずるような要素は持ち合わせていなかったはずだ。
「……まさか」
否定するつもりで、呟いた。
妖怪だの神々だのを受け入れるのに手間取ったことこそ、俺が普通であることの証左じゃないか? それに、俺は自分自身が、永琳の指すような普通とは異なる人間であると自覚したことは一度も無い。今以前に、オカルトな現象に出会ったことすら無いのだ。
「いいえ、佐倉霜夜。貴方には、私達と同じ幻想となった力を扱う能力がある。そしてそれは、酷く危ういものだわ」
「だから、帰せないと? そんな理由で?」
「世界には秩序というものがあって、貴方の力はそれを揺るがしかねない。単純明快でしょう?」
「いや、けど……大体、何で会ったばかりのあんたにそんなことが分かるんだよ。初対面で俺の何を知ってるんだ?」
「具体的な根拠を示せ、というのは難題ね。私と貴方では視えているものが違うし、それを口にしたところで言葉は言葉でしかないでしょう?」
納得しろと言うには粗雑な説明だ。こっちは今後の人生に直結するってのに。
どのみち、受け入れがたい現実だな。自分に力が眠っているなんて言われると、厨二病の気が騒がなくもないが、だから帰れませんとなると興奮より混乱が先に出てしまう。
「そんなの……」
反論しようとするが、相手の理屈を否定出来ない。確かに、外の世界……というか俺がいた世界に、妖怪や神々、さっきみたいな光弾が、迷信などではなく実在すると知られたら、パニックは間違いないだろう。エセ超能力とは訳が違うのだ。
幻想郷にとっても、そういった事態は避けたいことなのかもしれない。或いは、これらの存在を秘匿しておきたいか……いずれにしても、理由はいくらでも想像出来る。
駄目だ、知らないことが多すぎて……。
「みんなの為に死ねと」
「死ねとまでは言ってないわよ……ただ、外に帰すことは難しいわ。私がここで頷いたとしても、私以外の誰かが必ず貴方を止めに来るでしょうし。最悪監禁だって想定出来るわ」
「冗談だろ……冗談にしてくれよ……」
要するに、お前に選択肢は無いということだ。
今日は本当に訳の分からないことが続く。果てには俺の生活まで脅かされるなんて、疫病神に憑かれたとしか思えないレベルだ。あ、幻想郷に疫病神っているのかな、ははは……。
「それを信じたとして……俺はこれからどうすりゃいいんだよ……」
真っ先に不安になったのは、衣食住の問題だった。勿論、幻想郷に頼る宛なんか無い。金だって、多少は貯めていたが、そのほとんどは銀行に入れたままだ。尤も、あったところで幻想郷で使えるのかどうかって話だが。
俺の人生設計図によると、適当に進学して、適当に就職して、適当に人生を謳歌する予定だったはずだ。それがどうしてこうなった? ホームレス一歩手前なんだが?
食の面でも心配だ。その辺の雑草とか、ムシャムシャ食うことになるのだろうか……うぅ、嫌だ嫌だ。
想像出来る事態に絶望していると、永琳は机の上に手を組んで、思案顔で俺にこう告げた。
「そこで提案なのだけれど……」
「てい、あん?」
「ここで出会ったのも何かの縁。慣れないことも多いでしょうし、しばらくはこの永遠亭で生活する、というのはどうかしら?」
永遠亭とは、この屋敷のことだろう。そりゃあ、棚からぼたもちな提案だ。住居探しに苦労しないで済むだけでも充分ありがたい。
しかし、居候するのにちょっとした負い目というか抵抗があって、返答に迷っていると、俺と同じように話を聞いていた鈴仙が先に声を発した。
「い、いいんですか? 姫様にもまだお話ししていないのに……」
「いいのよ。こういう時の為に、予め承諾は取ってあるもの」
姫様?
頭にカメの帝王に誘拐される桃の姫が浮かぶ。まさかこんな和風な屋敷に金髪ピンクがいるとは思えんが、とにかく姫までいるのか、ここは。どういう屋敷だ?
「だから、後は貴方の返答次第ね」
「…………うーん……」
断る理由は無かった。今の俺は、幻想郷なるワンダーランドに迷い込んだ子羊だ。行く宛も無ければ頼る相手もいない。そして、何とかなる気も一切しない。妖怪の棲まう土地で、俺のような弱者がどうにかやっていけるとでも?
でも、素直に「はい」と答えるのには勇気が必要だった。今まで受動的に生きてきた弊害だろうか。この先どうなるのかさっぱり分からないことに、恐怖を覚える。
「まぁ、どっちか選ぶとなったら……」
生きる為だ。
確率の高い方を、安定した方を選ぼう。
「……ここで生活させて下さい」
「決定ね。ウドンゲ、そういう訳で、色々教えてあげなさい。ここでの暮らしや、常識についてね」
「あっ、はいっ。分かりました」
……ドッと疲労が押し寄せてきた。とっくにぬるくなってしまったお茶を、胃に注ぐ。ふぅ、疲れた。危うく家なき子になるところだったが……運良く回避出来たな。結局俺の人生がどうなっちゃうのかは心配だけど……。
「……そういう訳で、よろしくお願いします」
鈴仙と永琳に頭を下げる。
極力人間関係なんて築きたくなかったが、この期に及んでそんなことは言ってられない。これから世話になる身だ。出来るだけ媚び売っとこう……。
頭を上げようとすると、不意に奥の襖が、ゆっくりと開いていくのが見えた。誰かいるのか? とそちらに目をやると、そこから現れたのは――――――――。
「……永琳? 誰か来ているの?」