単行本勢です。
序:私にとっての世界
「藤花姉さんはわたしのこと、嫌いになる?」
ある日のことだった。
突然の質問に私は歩くのをやめて数歩後ろにいる彼女を見る。
私の二つ下なのに何も映していないような瞳。
幼い子供なら誰しも持っていそうな無邪気な表情はそこには存在していない。
初めて会った時から変わらない表情。
それなのに質問してきた彼女を見た私は何故か今にも消えてしまいそうな気がした。
つい最近まで姉妹という存在とは無縁だったので彼女の姉としてどうすることが正しいのか正直、分からない。
でも、このままではダメだということだけは分かっていた。
だから思っていることを偽らずにそのまま言葉に出すことにした。
「櫻子のこと、嫌いになるはずないじゃない。私はあなたのお姉ちゃんなんだから」
大好きよ、櫻子。
消えないように手を握ってそう伝えると、彼女の表情が動いた。
嬉しそうに笑顔を咲かせたのだ。
ああ、この笑顔をずっと見ていたい。守ってあげたい。彼女が心の底から幸せだと思っている姿を見せて欲しい。
彼女に降りかかる災厄の総てから彼女を守りたい。
その姿を見た時、ようやく父が母を最期まで愛していた理由が分かったような気がした。
書類上ではお姉ちゃんなのだからではなく、大切な『家族』で愛おしいこの妹の姉として────。
この時、私は私の世界の中心に出会ったのだ。
この世界はクソだ。
私たちを遺して逝ってしまった尊敬する父。
最期まで母と娘である私を愛してくれていた。
毒婦な母。
大金に目が眩み、実の娘を売った。
きっとその金で豪遊しながら自分好みの男でも漁っているのだろう。
才能があるからと私を知らない世界に引き摺りこんだ父の実家。
父が死ぬまで…いや、死んでも興味を持たなかったくせに虫の良い奴ら。
修行という名目の屈辱の日々。
心が折れそうになっても、這いつくばりそうになっても頑張る理由がすぐ傍にいたから虚勢を張って立ち上がれた。
弄ばれても、歯を食い縛って血が滲むような努力と研鑽を重ねた。
それなのに冗談を本気にしたのかと嘲笑われ、今までの意味がなくなった瞬間。
これがクソだと言わないのなら何だというのだ。
こんな世界に期待なんてしない。
こんな世界に望みなんて何もない。
辛酸・後悔・恥辱。
負の感情が渦巻く血腥い世の中。
それでもこんな穢らわしい世の中にいるのは偏に私の世界の中心を守ためだ。
あの子を血腥くて穢れている毒牙の餌食にさせるもんか。触れさせるもんか。
その思いだけを抱えて走り続けた。
「成人式を見るまで死ねないと思っていたんだけどなぁ……」
上手く動かない手をどうにか動かしてあの子がいるであろう方角の空に手を伸ばす。
あの子は今、何をしているのだろうか。何を考えているのだろうか。
昔はあの子のことなら大体分かると自負していたのに、いつの間にか分からなくてなってしまった。
私が死んだと知った時、あの子は私のことを偲んでくれるのだろうか。
それとも嫌な存在がいなくなってせいせいしたと思うのだろうか。
言い訳になるかもしれないが仲違いするつもりはこれぽっちもなかったの。
でも、上手くいかなくて…。
嫌われても良いと思っていたけれどこれ以上、私のこと嫌いになってほしくないとも思っていて…。
「…本当にバカなお姉ちゃんでごめんね」
残された時間が少ないことは嫌になるくらい分かっていた。
あの子を守るために必要な時間はどうしようもないくらい短かった。
偽善だって分かっている。押し付けがましいと理解している。
それでも立ち止まることはしなかった。
今更、立ち止まることはできなかった。
「それでもね、私はただ貴女の幸せをずっと、ずっと…願っているわ」
────────────愛しているよ、櫻子