呪霊を高専に持ち帰った三人は解剖の結果を待った。
藤花や七海が確信していた通り、それの元になったのは人間だった。
『映画館の三人と同じだな。呪術で体の形を無理矢理変えられている』
「それだけなら初めに気づいていますよ。私たちが戦った二人には呪霊の様に呪力が漲っていた」
電話越しに告げられる家入の言葉に七海はそれはおかしいと言う。
普通の呪術の素養がない人間には呪力はない。いや、あるにはあるがないの誤差の範囲内に収まるくらいのもので直ぐに気づくものだ。
呪霊と同じ身なりにされていたとしても呪力が全くなかったり、違和感があったはずだ。
七海はそれを仕留める寸前まで人間だと気づかなかった。それほどまで普通の呪霊と遜色がなかったのだ。
腕時計を身につけていることに気づかなかったら呪霊として止めを刺していただろう。
『そればっかりは知らん。玉蟲、お前の方でも軽く調べたんだろう?何かないか』
その言葉を受けた家入はバッサリと切り捨てる。
家入は反転術式と言う術師にとって高難易度の術式での治療術が出来る数少ない人物である。
高専卒業後に医師免許も獲得しているから人体面には明るいがそれ以外は専門外だ。
術式に関してはどちらかと言うと藤花の方が専門的だ。
彼女はどういうわけか──恐らく彼女の家が呪霊や術式に対しての研究を行っていたことが関係しているのだろう。術式の解析能力が秀でている。
流石に五条の持つ六眼には劣るがそれを抜きにしても他とは一線を画している。
そんな玉蟲が現場にいたのだ。こっちに持って帰るまでに彼女なりに調べて何か掴んでいるだろう。
そう思った家入は七海とともに報告を聞いているはずの藤花に話を振る。
壁に寄りかかって報告を黙って聞いていた藤花は話を振ってきた家入に頷いて口を開く。
「そうですね…ざっと調べた限り、あの術式は打ちこまれたモノを変質させているのではないかと」
藤花自身もそれについては隠す気はなかったので素直に自分の所感を述べた。
これから更に調べるとは言え、これについては共有した方が良いと感じていたからだ。
「つまり、人間から呪霊に変質させられたと…?」
「ええ、それなら七海さんが最初に持った疑問は解消されると思います。非術師──一般人は私たちの様にそれを扱う技量も量も持っていませんが無自覚に呪いを形成する一助となるくらいの細やかな呪力は持っています。恐らくその術式で呪力を無理やり呪霊並に増幅させられたのではないでしょうか?」
藤花の言葉に七海はなるほどと頷く。
術式による効果ならばそれはあり得るかもしれない。
七海も藤花がそれについては秀でていることを知っているので大凡は外していないのだろう。
「と言っても詳しいことは私にも分からないので術者本人に聞いた方が確かでしょう」
『そうだな。こちらも調べたところ、脳幹あたりにイジられた形跡があった。脳までイジれるなら呪力を使える様に人間を改造することは可能かもしれん』
詳細は犯人に聞いた方が良いと言う藤花に家入は同意して先ほどの報告を更に付け足す。
『脳と呪力の関係はまだまだブラックボックスだからな』
一通りの報告を終えたので四人の間に無言の間ができる。
そんな中、藤花はちらりと虎杖を見る。
別れる前まではやる気満々だった虎杖だが合流してからはそのやる気はなりを潜め、ずっと無言だ。
今回は呪霊を祓うだけの話だった。その後に呪詛師との対決はあっても殺すまではせずに生け捕りにする予定だった。
突然の一般人への被害。それも知らずのうちに仕留めようとしていたことに思うところがあるのだろう。
そうだ、虎杖はいるかと家入は近くで聞いているはずの虎杖にフォローを入れる。
『君が殺したんじゃない。その辺り、履き違えるなよ』
「はい…」
その言葉で神妙な顔をしていた虎杖は眉を下げた。
「どっちもさ、俺にとっては同じ重さの他人の死だ」
家入との通話を終えて虎杖はポツリと言葉を溢す。
「それでもこれは…趣味が悪すぎるだろ」
青筋を浮かべて本気で怒る虎杖を初めて見た。
呪術に関わった人間の末路は碌なものではない。
最初の頃は虎杖のように怒ったり、嫌悪が募るものだろう。
そんな人として当たり前な感覚が薄く、そして無くなってきている。
虎杖のように自分のことのようにも思えないし、かと言って身近なことにも思えない。
どこか遠い、画面の向こう側のような感覚なのだ。
さり気なく藤花は七海たちから視線を逸らす。
何となく、そんな自分と善人である七海たちとを見比べたくなかった。
「あの残穢自体ブラフで私たちは誘い込まれたのでしょう」
「一連の犯人は相当なやり手です。これはそこそこでは済みそうにないですね」
「そうですね。もし、最初に考えていた通り呪霊ならば人間並みに高度な知能を持っていますから」
一応、犯人が呪詛師である可能性もあるがそれは低いだろう。
被害者の他に現場にいた人物は一人だけ。
手口から相当なやり手であることが分かっているのだ。
呪詛師なら高専が動くことは当たり前で、こんな怪しんでくれと言っているような状況にはしないだろう。
呪霊は階級が高くなるほど知能が高い傾向にある。あとは人に近い姿も取っていることも多い。
まだ直接会ってはいないが恐らく、人の形をしているのだろうし階級も一級か特級に当たるだろう。
最初は虎杖に補助する形で七海がいれば終わる簡単な仕事だと思っていたのだがどうにもそうはいかないようだ。
七海の性格からこれからどう捜査を進めるのかを予想しながら藤花はため息を一つついた。
報告を終えてそれを飲み込むために一旦休憩となった。
この休憩は主に虎杖に向けたもので七海はこれからの詳細を詰めている。
藤花もそれに付き合うつもりだがその前に外の空気を取ろうと建物の外に向かう。
その途中にある自販機前で虎杖が佇んでいた。
それに気づいた藤花は無言ですれ違うべきなのか少し悩みながら進む。
ヒールの音で藤花が近づいてきていたのが分かったのか虎杖がこちらを振り返る。
あと1メートルと言ったところで藤花は足を止めた。
短い付き合いだがその中でも一番の情けない顔だ。
「藤花先輩……俺、出来るかな?」
眉を下げた虎杖が初めてもらした弱音に藤花は一つ瞬きをする。
藤花はてっきり虎杖が弱音を吐くことはないと思っていた。
今までだってちょっと情けない顔をしていたが弱音自体は口に出したことはなかったから。
まあ、でも彼が弱音を吐いたのならそれに何か返すのが先輩としての勤めだろう。
「虎杖くん、はっきりと言うとあなたにはそこまで期待していません」
口を開いて藤花が出したのは肯定や慰めの言葉ではなく、ナイフのように鋭利な言葉だった。
まさかそんな言葉を言われると思わなかった虎杖はうっと胸を抑える。
「散々言ったでしょう?あなたはズブの素人です」
「確かに言われたけど散々は言われてない…」
虎杖が藤花にズブの素人と言われたのは残穢を見れるようになった時くらいだ。
あの場面で褒め言葉として出たので内心そう思っていたことが多かったのではないかと薄々察していたが実際にそうだと言われると悲しくなってくる。
「そうでしたか。まぁ、この界隈は常に人材不足気味ですがズブの素人にそれを求めるほど逼迫していませんよ」
虎杖の否定に藤花は虎杖と出会ってからの日々を軽く思い出す。
…確かに言うほど言ってなかった気がする。
それはそれと藤花は置いておいて話を進めることにする。
「つまりですね…私も七海さんも今の段階で虎杖くんがそれをする必要はないと思っています」
「そもそもこれは誰だろうと出来るまでに時間がかかる問題ですから」
呪術師として生きていくのならばその覚悟は何時かはしないといけないものだ。
でもそれはその事実に直面してすぐに決めるものではない。
虎杖のように一般人で善人であるほど悩んで悩んで悩み抜いてようやく清濁併せ呑むように飲み込んでいくものだ。
いや、
例えば一刻の猶予も許されない状況だったらそんな暇はないが今回はそういう訳でもない。
藤花でもそう思うのだから呪術師である前に大人としての責務を果たそうとしている七海は尚更だろう。
それでも何か言いたそうな虎杖に藤花は敢えて虎杖を追い越して数歩進んだところで歩みを止めて大きな独り言を溢す。
「……まあ、これは独り言ですけどあのような状態になったら元に戻る術はないです」
自分だったら多少の融通は効くが他の者があの状態になってしまえばお手上げだ。
反転術式の使い手でない藤花でもそうなのだ。反転術式のスペシャリストである家入もやられた直後でなければ望みは薄いだろう。
これは下手人がいる限り、目の前に立ち塞がるどうにもならない現実だ。
その時に藤花や七海がいれば虎杖にはまだ早いそれを代わりにやることができるだろう。
ただ、現実は藤花たちが想像するほど甘くはないと藤花は知っている。
もし、その時に藤花も七海もいなかったら?
その有り得るかもしれないもしものために藤花は言葉を紡ぐ。
「これ以上、苦しませないように一撃で屠るのが彼らにとっての救いとなるでしょう」
自分とは違って他人のために本気で怒れる善人である彼が迷わないように。
「被害を出さないことも大切ですが、もし出てしまったのならばそれが私たちに出来る最大限の慈悲です」
殺してしまったと背負う必要のない咎を背負い、自分を責めないように。
後ろを向いているから表情は見えないし、言い方は素っ気ないが普段は一切見せない思いやりがこもった言葉に虎杖は思わず破顔する。
小さな先輩だがこの時ばかりはその背中が大きく見えた。
「…藤花先輩。
虎杖から有り得ない言葉を聞いた藤花は自分の耳を疑う。
思わず虎杖の方を見るがさっきまでの弱音を見せていた姿とは打って変わりニコニコとしている。
そこで漸く自分の聞いた言葉が空耳ではないと理解した。
「は?どこをどう考えてその結論に到るんですか?頭湧いているんですか?」
そう認識した瞬間、藤花から出たのは拒絶の言葉だった。
だってそうだろう。藤花が虎杖たちに付き合っているのは全て打算ありきなのだ。
藤花は虎杖のことを特級呪物の確実な処理方法として見ているのだ。
今の言葉だってそれでまた殺されるような事態を避けたかったからもらしたのだ。
それに藤花は何時だって毒を吐いている。
その割合は上層部が大部分を占めているがそれでも誰彼構わず辛辣で嫌味を言っているイヤな奴なのだ。
他にも藤花は
いろいろ並べたが藤花は自分がどう思われているか自覚しているし、高専内で一番付き合いたくない先輩が自分であると自負しているのだ。
例え虎杖がその実態を、流れている噂を知らなくても普段と同じ態度で接しているのだからそう感じているはずなのだ。
罷り間違っても良い先輩だなんて思うはずがない。
だから藤花は虎杖が何で自分を良い先輩だと言ったのか本当に分からなかった。
酷いとギャーギャー騒ぐ虎杖を藤花はまるで別の生命体でも見るかのような目をした。