上げられたばかりの報告書に目を通した
「あの男…また秘匿死刑者をウチで預かるなんて頭が可笑しいの?」
口では疑問形をとっているが件の男、五条悟の頭が可笑しいことを彼女は当の昔に知っている。
五条悟に限らず呪術師という者は皆、個性が尖りまくっており個性と個性がぶつかり合っているようなものなのでそんなことは今更なのだが。
人間の負の感情が渦巻く世界で呪術師は常に死と隣り合わせだ。
血で血を洗うような血腥い世界で生き抜くには正気ではいられない。
突出したイカれっぷりがなければこの業界で飯を食うことは出来ない。
故に、呪術師の活動歴が長い者ほど、階級が上の者ほどイカれているのだ。
「今年もまた荒れそうね…」
藤花は去年の出来事を思い出して遠い目をする。
彼女の心境としては余計な荒波を立てて欲しくないのだが、無理であると理解しているのでため息をつくしかない。
人の感情が常に穏やかであることはない。負の感情であるのなら特に。
負の感情が渦巻く術師業界では平穏なんてあって無いようなものなのだ。
玉蟲藤花は秘匿死刑者である特級呪物『両面宿儺』の器が高専に転入したことで厄介事が流星群のように落ちてくると確信していた。
確信していたのだが───
────特級呪物『両面宿儺』の器の死亡。
一月も経たないうちにされたまさかの報告に肩透かしを食らった。
「あの特級呪物が死んだ…?」
間の悪いことにい彼女はその時、他の任務に当たっていたので件の任務については流れてきた噂でしか知らない。
だからなのかどうにも信じ難い…。
そもそも特級呪物『両面宿儺』は千年以上前からある呪物だ。
元となった存在は呪いの王と呼ばれていた。誰にも消し去ることができず、封印するしかなかったと聞けばその力の強大さは理解できるだろう。
この世に三人しかいない特級の内の一人。自他ともに認める『最強』である五条悟でも『両面宿儺』を破壊できないのだ。
破壊は出来ず、かと言って封印しても力は増すばかり。
呪いの専門家が長年に渡り扱いに困るほどの呪物が器に主導権を握られていたとは言え、そんなに素直に死ぬだろうか?
あのクラスの呪物が受肉をすることなんてまず無い。
あの呪いは猛毒にも等しく、受肉する以前に肉体が死ぬのだ。
その希少性は『両面宿儺』も理解しているはずだ。
なるべくそれは避けたいと思っているはずだ。
…まあ、器が死んだということは1、2本失っても、また永い時待つことになってもさして気にすることはないということなのだろうが。
そしてそれは『両面宿儺』だけの話ではなく、こちらの話でもある。
人道的かの問題が出てくるがそれを無視すれば扱いに困っている呪物の確実な処理方法。
すぐに死刑を執行しようとしていたのを取りやめてわざわざ全部取り込むのを待ってから執行する方針に変えた上に高専に転入させたのだ。
それなのに僅か一月もしないうちに向こう千年は生まれる可能性が低い確実な処理方法を失う?
上層部はバカなのか??
いや、ワザとだったか。
そもそも特級レベルの現場に器だけではなく他の一年生もいたという時点であり得ない。
それに加え、
偶然かもしれないがそれだけで片付けられないほどの偶然が重なっている上に耄碌ジジイどもの悪意が漂っている時点でクロでしょ。
「これだから上層部はクソって言われるんだよ」
藤花は今頃、あの五条悟を出し抜けたと喜んでいるであろう上層部に向けてさっさとくたばれ老害どもと呪詛を吐いておくことにした。
一連の出来事は上層部のせいと確信しながらも藤花は『両面宿儺』の器の死について再び考えようとしてやめた。
器が死んだのは確定されているようだし、何よりもしそれが間違いであったとしたら面倒なことになるのは確実だ。
分かり切っている面倒事に巻き込まれるのは御免なのだ。
藤花は内心、うんざりしながらも目の前にいる人物に目をやる。
机に両肘を立てて寄りかかったその姿は強面とサングラスが加わているせいもあるのかどうにも威圧的に見えるが背後にある呪骸たちがそれを台無しにしている。
目の前にいる人物の名前は夜蛾正道。この高専の学長である。
藤花は夜蛾に呼ばれ、学長室を訪れていた。
「…どうしても出てくれないのか」
長い沈黙からようやく出た言葉に藤花はまたかと内心で留めていた気持ちを隠すことをやめた。
前々から遠回しに言われていたことだったため、主語がなくても何を指しているのかは分かる。
そして、それに対する返答はすでに決まっており、夜蛾にも伝わっている。
「やる意義を感じませんから」
それでもと夜蛾は改めて頼んだが、藤花は素気無く断った。
「人数が足りないんだ」
言外にこの状況になったのはお前たちのせいだぞと言われている気がしたが藤花は気のせいということにしておいた。
同期が勝手にやらかしただけであって藤花はあの一件については一切関わっていないのだ。
関わっていないのに責任を求められても困る。
「向こうに減らしてくれと頼めばいいじゃないですか」
通常の学校と比べるとここは圧倒的に生徒数が少ない。
一人でも入ってくれれば御の字。五人いれば今年は豊作だねと言われるレベルなのだ。
人数を揃える必要があるのならば少ない方に合わせるのは当然なことでその申し出をすることに抵抗を覚えるようなものはない。
「……仮に減らしたとしてもメインは二、三年。一年は数合わせに過ぎない。参加できる上級生がいるのなら優先されるのは当然だろう」
「参加するかしないかを決めるのは当人である私でしょう?私が参加しないと決めたのですから数合わせに一年生を入れるなり、人数を減らしてほしいと頼むなりしてください」
藤花が頑なに参加を拒否する理由は正直言って無い。
強いて言うなら最初に言っていた通りに自分にとって意義がないからだろう。意義がない自分よりも意義がありそうな人物が参加すれば互いのためになるだろうと言う思いで辞退しているのだ。
学長もそれが分かっているだろうにそれでもと出ることを求めてくる。
しつこいし、そこまでいかれると逆に意地でも参加してやらないという気持ちになる。
これは堂々巡りになるなと感じた藤花は面倒臭くなって適当なところで逃げた。
夜蛾の叫びが微かに聞こえたが気にせずに歩いているとグラウンドからギャーギャーと暴れ回る音がした。
遠目から見ても上がる叫び声も覚えはない。
まだ藤花が関わったことのない一年生でも鍛えているのだろう。
あっちはすでに一、二年だけでやるつもりなのに。
さっきまでの堂々巡りな問答はなんだったのだろうと遠い目をしているとジャージに着替えた伏黒がやって来た。
「…玉蟲先輩」
「お久しぶりです、伏黒くん。……この間は災難でしたね」
無視するべきか一瞬迷ったが、あちらも気づいたのならば無視する選択はない。
どう声をかけるべきか言葉を探したが出て来たのは直近の伏黒たち一年がクソ上層部に嵌められた一件についてだった。
「………」
「…何も知らない私が言うことじゃないと思いますが、あまり長引かせない方が良いですよ」
思ったよりも落ち込んでいる様子な伏黒に藤花はフォローは私の役目じゃないと思いながらも無難な言葉をかけてその場を離れることにする。
「…玉蟲先輩は、呪術師としてどんな人たちを助けたいですか?」
伏黒の問いかけに足を止める。
「どんな人たちを助けたいか、ですか…」
そういえば昔、鍛錬に付き合っていた時に彼が呪術師になった理由を語っていたな。
「私が誰かを助けるとしたら…それは私が助けたいと思った人、ですかね」
確か彼は人を助けるために呪術師になった。
だから彼にとって呪術で人を助けるのは当たり前な話だけど私は違う。
私は多くの呪霊を祓いたいから呪術師になった。
人を助けるのはそのついで。名前も知らない赤の他人に対して私は彼ほど必死になれないのだ。
伏黒が考えている前提から違うのだ。
彼が求めている答えではないがそれが私の答えだ。
「…いや、その基準を知りたいんだけど」
残された伏黒は答えになっていない答えに思わずツッコミを入れた。