夜見島に怪しい女が上陸するのを見た――地元の漁師から相談を受け、単身夜見島へとやってきた藤田茂は、閉鎖された夜見島金鉱採掘所跡で、海から来る穢れ・屍霊の群れに遭遇した。ライトと警棒を振り回しなんとか採掘所跡から脱出した藤田は、島の南の瀬礼洲という地域の上空がわずかに明るくなっているのを見た。瀬礼洲は森が広がるだけの何も無い地域で、その上、島は昭和五十一年の海底ケーブル切断事件以降、電力は供給されていない。空を照らすほどの光源があるとは思えない。いったい、あそこに何があるのか? 今いる場所からでは光源が何かは判らない。もう少し高い場所に登れば見えるかもしれないが――?
周囲を見回す藤田。いま出て来たばかりの採掘所の建物の向こう側、ちょうど、坑道から金を運び出すインクラインがある辺りに切り立った崖があり、その上に木造の小さな建物があるのが見えた。あそこからなら瀬礼洲地域を一望できるだろう。だが、その建物へは採掘所跡の二階から連絡橋を通って行くしかない。つまり、屍霊が多数徘徊する採掘所跡に戻らなければならないのだ。屍霊一体一体はライトを当てたり警棒で殴ればすぐに消滅するが、あまりにも数が多く、まとめて襲われると危険だ。また、島の伝承が本当ならば、屍霊は死体に憑りつき人を襲うはずだ。万が一この島に死体があれば、屍霊は屍人となり、さらに危険な存在となる。命が惜しいならば早々に島から立ち去った方が良い。本能はそう告げているが。
藤田は苦笑いをすると、ライトと警棒を構え、建物の中に戻った。余計なことに首を突っ込むこの性格は一生治りそうにない。すまんなぁ、朝子――藤田は心の中で愛する娘に詫びた。
屍霊に背後を取られないよう、なるべく壁を背にし、周囲をライトで照らしながら慎重に進む藤田。なんとかインクラインのある一角へ戻って来た。採掘所内はこの一角だけが二階建てになっている。鉄製の階段を見つけ、二階へ上がる。そして連絡橋を渡り、崖の上の建物の前へ移動した。
だが、建物の入口には南京錠がかけられていた。鍵がどこにあるのかは判らない。採掘所内をくまなく探すのは危険を伴うし、そもそも、何年も前に閉鎖されたこの建物内に鍵があるかどうかも判らない。やれやれ。仕方ないか。藤田はポケットから針金片を取り出すと、南京錠の鍵穴に差し込んだ。
今でこそ田舎町の交番勤務をしている藤田だが、三ヶ月前までは県警本部で多くの手柄を上げた優秀な刑事だった。彼が属していたのは刑事部の捜査三課である。捜査三課は、空巣・スリ・ひったくりなど、主に窃盗事件を担当する部署だ。殺人や誘拐などの凶悪事件を担当する捜査一課と比べると、どうしても地味な印象はぬぐえない。しかし、事件の発生頻度で言えば当然ながら窃盗事件の方が圧倒的に多く、署内でもかなり忙しい部署であった。
空巣やスリなどの犯人はその大半が常習者であり、さらにその大半が毎回同じ手口で犯行に及ぶ。そのため、ベテランの刑事は犯行手口を見ただけで犯人を特定することもできた。それだけ多くの知識と技術を持っているのだ。ヘタをすると、その辺の窃盗犯などよりよほど高い技術を持っていたりする。今でこそ閑職に追われた藤田だが、かつては現場一筋のたたき上げで警部補まで上り詰めた男だ。南京錠程度ならば、針金一本で簡単に開けることができた。もちろん、令状も無く緊急事態でもないのに勝手鍵を開け侵入するのは警官にあるまじき行為だが、それはこの採掘所跡に入った時点で同じだった。いまさら後へは引き返せない。
南京錠を外した藤田は中に入る。そこは、いくつかの操作パネルが置かれた部屋だった。インクラインの制御室のようである。藤田はスイッチを入れてみたが、機械は稼働しなかった。やはり、電力の供給は止まっている。では、あの瀬礼洲方面の光はなんだ? 建物は二階建てになっているので、さらに上の階へ上がる。そこは倉庫を兼ねた休憩室だった。南側に窓があり、そこから瀬礼洲方面を一望できた。藤田は窓のそばに立ち、そして、我が目を疑った。
森の中に、大型のフェリーが停泊していたのだ。
いや、停泊という言葉は適切ではないかもしれない。そこは本当にただの森で、海はもちろん、川や池といった水辺さえ無いのだ。どうやってあんなところにフェリーを運んだのだろう? 島を飲み込むほどの大きな津波でもあれば流れてくるかもしれないが、もちろん、そのような津波など発生していない。
――そう言えば。
夕方ごろ、本部から無線連絡があったのを、藤田は思い出した。夜見島近くを航行中の大型フェリーから救助要請が入ったとのことだった。その時間、藤田はボートで夜見島へ向かっていたが、それは上司や同僚に無断であったし、そもそも海難事故は県警や交番ではなく海上保安部の担当なので、応援要請でもない限り一交番員の藤田が何かすることはない。だから、詳しいことは聞かなかったのだ。もう少し詳細を確認しておくべきだった。
藤田はフェリーを見つめる。本能は、近づいてはならないと警告している。だが、フェリーには明かりが点いている。ということは、中に乗客や乗員が取り残されている可能性が高い。救助を待っているかもしれないのだ。どのような危険があろうと、警察官として、見過ごすことなどできはしない。
――すまんなぁ、朝子。
今日、これで何度目になるか。藤田は娘に詫び。
そして、インクライン制御室を出て、再び採掘所内を通り南西側出口から外へ出ると、南の瀬礼洲方面へと向かった。