阿部倉司と別れ、一人、蒼ノ久漁港にやってきた喜代田章子は、海から少し離れた場所にある『三上』の表札がかけられた家の前にいた。夜見島ガイドの能力が、二十九年前に三上脩が住んでいた家だと教えてくれる。あの夜、この家で何があったのか。それを調べなければならない。
地の底で、異形の生物の体内に取り込まれた三上脩。彼を救う決意をした章子だったが、まだ、二十九年前の三上家で何があったのか、全てを知ったわけではない。命がけで救出するのだから事情くらいは知っておきたいと思うのだが、これまで章子の質問には大抵答えてくれた夜見島ガイドさんが、どうもその辺の質問には答えてくれないのだ。幸い、章子には過去視という能力がある。これを使って三上家を調べれば、二十九年前に何があったのかは判るだろう。
門をくぐり、玄関へ向かう章子。だが、玄関の鍵はかけられており、開かなかった。田舎は外出するときでも鍵をかけない家が多いと聞くが、三上家は東京から移住して来たので、その辺の防犯意識はしっかりしていたのかもしれない。悪いことではないが、これでは中に入れない。
どうしたものかと周囲を見回すと、玄関のそばに植木鉢があるのを見つけた。地面には少しずらしたような跡がある。もしや、と思い植木鉢をどけてみると、下に鍵があった。植木鉢の下に鍵を隠すなんて不用心だな。最近の空巣には通じないぞ。などと思いつつ鍵を拾い、玄関の鍵穴に挿そうとしたが、入らなかった。玄関の鍵ではないようだ。章子が思っているほど家主も不用心ではないらしい。でも、それならこれはどこの鍵だろう? 裏口の鍵をわざわざ玄関前に隠すとも思えない。他に出入り口でもあるのだろうか? さらに見回すと、庭の隅に小さな物置があるのを見つけた。あれかな? 引き戸に取り付けられた南京錠に挿すと、抵抗なく入り、かちりと回った。
章子は物置を開けてみる。ほうきやホース、灯油のポリタンクなどの日用品が詰め込まれていた。そういえば、一人で行動しているのに武器も何も持ってなかったな。リーゼントからバットを奪ってくれば良かった。まあいい。せっかく開けたから、何か使わせてもらおう。物置を探る章子。いろいろ入っているが、武器になりそうなものはハンディタイプの熊手くらいしかなかった。頼りなさは否めないが、金属製なのでそこそこ重量があり、先が尖っているのでうまくすれば刺さるだろう。こんなものでも何も持たないよりははるかにマシだ。章子はひとまずそれを持っていくことにした。
他にも何かないだろうか。さらに探ると、奥から『夜見島B出土品54号(登録抹消予定)』というタグが付けられた
しばらくその不思議な物体をいじくりまわしていた章子は、不意に。
――骨?
と、思った。そうだ。この質感は、博物館なんかで見る恐竜の骨の化石によく似ている。タグにも出土品と書いてあるし、三上脩の父親は考古学者だったらしいし、そうに違いない。何の骨かまでは判らないが、大きさから考えると、かなり巨大な生物だろう。本当に恐竜の骨かもしれない。だとしたら、元の世界に帰って売り飛ばせばいい金になるかも、もとい、恐竜の骨なら頑丈だろうからいい武器になるだろう。章子はその骨のような物体を持っていくことにした。
武器を手に入れた章子は、さてどうやって家の中に入ろうか、と、玄関の方を振り返った。すると、目の前に、どすん! と大きな音を立て、妖怪おとろしかと思うほどの巨大な物体が落ちてきた。妖怪おとろしなんかよりよっぽど厄介な巨体闇人だ。
巨体闇人は、「他人の家の物置を漁るなんて、お前は泥棒か?」と、章子に迫る。武器を手に入れたとはいえ、こんな骨みたいな物体で巨体闇人と戦うのはムリゲーすぎる。逃げるしかないが、門への行く手は阻まれた格好だ。他に逃げ場はない。いきなり詰んでしまった。と、思っていたら。
不意に、意識が遠くなった。
と言っても、急に貧血に襲われたワケではない。地の底で三上脩が異形の生物に取り込まれそうになったときと同じ、一歩引いたところから自分を見ているような不思議な感覚。これは、章子の内に潜むもう一人の誰かさんが表に出てきている状態だ。
章子に代わったもう一人の誰かさんは、巨体闇人に向かって、「お願い、邪魔しないで」と訴えた。巨体闇人がそんなお願い聞いてくれるわけないだろ、と、章子は思ったのだが。
「……うん? あんた、
巨体闇人は、股間にある巨大な顔を傾けた。
「……そうよ。あたしの邪魔をすると、
章子に代わったもう一人の誰かさんがそう言うと、巨体闇人の股間の顔はみるみる青ざめた。そして。
「いえいえ、邪魔するなんてとんでもない。どうぞどうぞ、気がすむまでお調べください。お母さまによろしく」
急に低姿勢になり、揉み手をしながらそう言うと、巨体闇人はすごすごと去って行った。
巨体闇人が庭から出て行ったところで、操作権が章子に戻って来た。なんだかよく判らないが、面倒なことは深く考えないのが章子の主義なので、そのまま調査を進めることにした。
どこか鍵がかかってないところはないかと、近くの窓を調べてみる。窓枠に触れると、強い残留思念を感じた。ここに何かありそうだ。章子は意識を集中し、過去視をしてみる。すぐに映像が浮かび上がった。雨が降る夜、ロボットのおもちゃを持った幼い三上脩が、パジャマ姿で窓から庭に飛び降りるところだ。脩はそのまま庭を走り、門をくぐって外に出た。
過去視をやめる章子。ふむ。二十九年前のあの夜、脩君はこの窓から外に逃げ出した。おそらく、穢れを排除しようとした太田常雄と漁師から逃げたのだろう。そのとき家の中で何があったのかは判らないままだが、とりあえず脩の後を追ってみよう。
章子は三上家を後にし、門から外に出た。家の前で過去視をすると、坂道を駆け上がる脩の姿が見えた。後を追って章子も坂を上がる。しばらくすると道は右へ折れ曲がり、さらに進むともう一度右に折れ曲がって下り坂となっている。坂を下って行けば海岸沿いの道に出るが、その途中、三上家の裏口の前で強い残留思念を感じた。裏向かいの浅野という家からだ。三上家の半分くらいの広さしかない平屋の家で、ブロック塀に囲まれている。章子は塀に触れ、過去視をしてみた。
雨の中、傘も差さず、靴も履かず、一人立ち尽くす少女の姿が見えた。柳子と同じ顔をしている。脩が姉と慕っていた少女・加奈江だ。加奈江は左手に火掻き棒、右手には血まみれの包丁を持っていた。血は刃から柄へ伝い、加奈江の右手をべっとりと濡らしている。
「お姉ちゃん! 加奈江お姉ちゃん!」
脩の叫び声が聞こえた。加奈江ははっとした表情になると、周囲を見回し、持っていた包丁を浅野家の庭に投げ入れた。そして、「脩! どこにいるの!?」と、声が聞こえた方へ走った。
過去視をやめる章子。加奈江が包丁を投げ入れた家を見る。いかにも怪しげなあの包丁を過去視してみたいが、ブロック塀は二メートルほどで、乗り越えるのは難しい。そばに木製の小さな開き戸があるものの、押しても引いても開かなかった。鍵穴は無いので、恐らく向こう側から閂が掛けられてあるのだろう。他に出入口は無く、今は中に入れそうにない。とりあえず後回しにして、章子は脩と加奈江の後を追うことにした。
その後も脩と加奈江の行動に合わせ過去視をする章子。三上家の近くで合流した二人は、浅野家とその隣の民家の間に空いたわずかな隙間を通り抜け、九十九階段を登って丘の上にある社へ向かったようだ。章子は二人の行動をなぞり、丘の上の社へ向かう。途中、何度か闇人に見つかったが、襲って来ることはなく、みんな、「これはこれは鳩様。お母さまによろしくお伝えください」と、やたら低姿勢で去っていった。戦わないで済むのは結構だが、大丈夫なのだろうか? このまま教会まで行って「お母さん開けて!」ってなって苦情が殺到してCMが打ち切りになったりしないだろうな? などと自分でもワケが判らないことを考えながら調査を進める章子。社の過去視を終え、さらに進むと、集落で最も高い場所にあるロープウェイの広場に着いた。蒼ノ久集落と夜見島港を結ぶ、資材運搬用のロープウェイだ。過去視をすると、加奈江はゴンドラに脩を乗せて夜見島港まで逃がし、その後、自分も夜見島港へ向かったようだ。
過去視をやめる章子。これで、この地域での三上脩と加奈江の行動はおおむね判った。あとは、肝心の三上家で何が起こったかだ。今の段階では三上家には入れない。加奈江が浅野家の裏庭に投げ入れた血まみれの包丁が最後のピースだろう。出入口の開き戸には閂がかかっている。あれをどうにかしなければ包丁を調べることはできない。なんとかして、外から閂を外せないだろうか? 例えば、時代劇なんかで忍者が使っている、鉤爪にロープを結びつけたものを投げ入れ、閂に引っ掛けて引っ張るとか。……悪くないアイデアだな。ちょうど、引っ掛けるのに良さそうなハンディタイプの熊手を持っている。あとは、どこかでロープを調達しなければならない。都合よくロープが見つかるかが問題だ。
…………。
ふと、ロープウェイのゴンドラを見ると、中にボロボロのロープが入っていた。おお。なんという幸運。きっと日ごろの行いが良いからだな。章子はロープをこの場に運んだのが阿部の功績であることなどすっかり忘れ、ロープを取った。古くてボロボロだが、閂を外すくらいなら充分だろう。ロープを熊手に結びつけた章子は、急いで坂を下り、浅野家の裏口まで戻った。ぶんぶんと回して勢いをつけ、開き戸の上から熊手を投げ入れる。引っ張ると、がちり、と、熊手が引っ掛かった。さらに引っ張ると、からん、と、木の棒が落ちる音がして、開き戸は見事に開いた。よし、作戦成功だ。中に入る章子。庭に、血まみれの包丁が落ちている。
章子は包丁を拾う。今までに感じたことがないほどの、強い残留思念を感じる。
――さて。
この包丁は、恐らく最後のピースだ。これを過去視すれば、二十九年前の夜、三上家で何があったのか、全て明らかになるだろう。そして、全てを知った後、恐らくあたしはあたしでなくなる。胸の内に潜む誰かさんが、あたしと入れ替わるはずだ。元のあたしに戻れるかは判らない。それ以前に、命さえ危ういだろう。あたしと入れ替わった誰かさんは、脩を助けるため、あの異形の生物の元へ向かうだろうから。
それでも、章子は少しもためらうことはなく。
意識を集中し、包丁の残留思念を探った。