SIREN2(サイレン2)/小説   作:ドラ麦茶

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第六十二話 『孤影』 矢倉市子 夜見島/潮降浜 8:50:32 終了条件2

 夜見島の西部にある潮降浜の学校へ逃げ込んだ矢倉市子は、屍人が運転する軽トラックから逃れ、小運動場の隅にある体育倉庫に身を隠した。ひとまず安全を確保したものの、学校から脱出するためには、校内を暴走するあのトラックをどうにかしなければならない。何かないかと探す市子。倉庫内には、サッカーボールやライン引きなどの体育道具、綱引きの綱や玉入れのかごなどの運動会用具、車などを持ち上げるためのフロアジャッキ、釘やハンマーなどの工具類などが置いてあった。これらの道具を使って、暴走する軽トラックをなんとかできないだろうか? それとも、このままここに隠れ、誰かが助けに来てくれるのを待った方がいいのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 市子は様々な道具の中から、釘がたくさん入ったケースを取った。中には、虫ピンほどの小さなものから、ワラ人形に刺すような大きなものまで、たくさんの釘が入っている。これを使えば、軽トラックの暴走を止められるかもしれない。もちろん危険だが、何もせずにここに隠れていても、誰かが助けに来てくれるなんてことはまず無いだろう。むしろ、騒ぎを聞きつけた周辺の屍人がどんどん集まるだけだ。そうなれば、ますます脱出は困難になる。

 

 市子はケースを持って倉庫を出た。幻視で周囲を確認すると、軽トラックは相変わらず校庭を暴走していた。校内にいる屍人は、ほぼ全員軽トラックに撥ねられ、行動不能になっている。ただ一人、この体育倉庫がある小運動場の前を警戒していた屍人は撥ねられていない。小運動場は校舎裏の階段を上がった場所なので、トラックは侵入できないのだ。屍人は狩りに使うような大きな猟銃を持って警戒していたが、先ほど市子が焼却炉に火を点けたため、それをじっと見つめたまま動かない。市子は猟銃屍人の背後を静かに通り抜け、階段を下りて校舎裏へと移動した。

 

 校舎裏の南側には、潮降浜の岬へと向かう通用口があるが、フェンス製の扉は南京錠で閉ざされているため通れない。市子は校舎の南側に移動すると、通用口から少し離れた場所に、ケース内の釘を全てばら撒いた。そして、校舎の北側から回り込んで校庭へ向かう。校庭では相変わらず軽トラックが暴走している。それに向かって「おーい!」と叫んだ。びくん、と身体が震える。市子の声に屍人が気付いた。軽トラックが大きく旋回し、こちらに向かって来る。市子は通用口に向かって全力で走る。軽トラックが追いかけてくるが、校舎裏の道は狭く、あまりスピードは出せない。追いつかれる前に通用口前まで移動した市子は、校舎の角を右に曲がり、物陰に身を隠した。軽トラックがやってきて、通用口前でハンドルを切る。だが、ばら撒いた釘を踏み、タイヤがパンクした。車体が大きく揺らぎ、操縦不能になった軽トラックは、大きく蛇行しながら通用口へぶつかった。フェンス製の扉が壊れ、勢いよく開いた。やった。これで脱出できる。市子は通用口を通って学校の外へ出ようとした。

 

 ところが、トラックのドアが開き、中の屍人が出てきた。かなりの勢いでぶつかったから無事ではないと思ったのだが、まさかちゃんとシートベルトを締めていたのだろうか?

 

 屍人は拳銃を取り出すと、銃口を市子に向けた。ここは一度逃げてどこかに身を隠し、やり過ごした方がいいだろう。市子は小運動場に続く階段へ走った。だが、びくんと身体が震えると同時に、階段の上から猟銃を構える視点が見えた。焼却炉に気を取られていた屍人だ。さすがに今の事故の音を聞いて、様子を見に来たのだろう。幸い、まだ距離は離れている。市子はすぐに踵を返し、反対側の校庭へと走った。また身体が震える。今度は校庭の屍人に見つかった。軽トラックに撥ねられた屍人がよみがえったのだ。こちらにも逃げることはできない。他に逃げる場所は無い。完全に追い詰められてしまった。やはり、あのまま体育倉庫に隠れていた方が良かったのだろうか? 悔やんでも、もう遅い。

 

 通用口の方から銃声が響いた。身を竦める市子。

 

 しかし、何も起きなかった。どこも痛くない。弾は外れたのだろうか? 恐る恐る振り返ると。

 

 屍人は、銃を市子ではなく別のものに向けていた。

 

 それは、全身に黒い布を巻きつけた、巨大なイモムシのような化物だった。

 

 屍人に撃たれたイモムシの化物は、人間のような大きな口から甲高い悲鳴を上げ、消滅した。

 

 だが、通用口から新たなイモムシの化物が現れ、拳銃屍人に襲い掛かる。屍人はそれも撃退したが、イモムシの化物は次々と現れる。拳銃一丁では到底倒しきれない数だ。すぐに弾切れとなり、一匹が、その大きな口で屍人の胸に喰らいついた。屍人は地面に引き倒され、手足をばたばたさせてもがく。

 

 階段の上から銃声が響き、市子はまた身を竦めた。だがそれも、市子を狙ったものではなかった。階段の上の猟銃屍人も、イモムシの化物に向かって銃を撃っている。校庭からも数体の屍人が走ってきたが、市子のそばを素通りし、化物に襲い掛かった。

 

 しばらく化物どもが争う様子を呆然と見ていた市子だったが、我に返る。何が起こっているのかは判らないが、とにかく今がチャンスだ。市子は争う化物どもの横を走り抜け、通用口を通って外に出た。屍人も、イモムシの化物も、もう市子には見向きもしなかった。

 

 通用口の外は舗装されていない砂利道が続いている。道のそばにはまばらに草木が茂っており、見通しは良くない。市子はしばらく道を走る。屍人どもが追い掛けてくる気配はないので、走るのをやめ、大きく安堵の息をついた。なんとか学校から脱出することはできた。しかし、あのイモムシ状の化物はなんだったのだろう? 屍人や屍霊とも違う、初めて見る化物だ。屍人に襲い掛かり、屍人も迎え撃つように戦った。どちらも、市子には見向きもしなくなった。屍人と敵対する存在のようだ。だからと言って味方だとは思えなかった。巨大なイモムシの身体に人間のような大きな口だけがあるその姿は、思い出しただけで気持ちが悪い。

 

 道端の草むらが、ガサガサと揺れた。驚いてそちらを見ると、イモムシの化物が姿を現した。大きな口を開け、飛びかかってくる。とっさに走ってかわす市子。やはり、こいつらは味方なんかではない。そのまま走って逃げようとするが、前の草むらからも化物が現れ、行く手を阻まれた。さらに一体、もう一体と現れ、市子は、完全に囲まれてしまった。

 

 イモムシの化物どもはニヤニヤしながら近づき、一斉に襲い掛かって来た。

 

 そのとき、空を覆う雲が途切れ、太陽が姿を現した。

 

 眩しい光が降り注ぐ。同時に、化物どもが甲高い悲鳴を上げた。しゅうしゅうと身体中から煙を上げ、消滅していく。その様子は、黒い煙のような化物・屍霊そっくりだ。どうやら屍霊と同じく、強い光に弱いようだ。

 

 やがて、化物どもは太陽の光に焼き尽くされた。危ないところだった。まさに、危機一髪だ。

 

 だが、安心してもいられない。雲の切れ間はわずかだ。それはほんの一瞬の晴れ間にすぎず、しばらくすれば、太陽はまた雲に隠れてしまうだろう。あのイモムシの化物がまだその辺に潜んでいるかもしれない。とにかくここから離れよう。市子は急いで道を進んだ。

 

 しばらく進むと、急に視界が開けた。海を臨む切り立った崖の上に出たのだ。細く鋭く海にせり出したその崖は、鳥のくちばしを連想させるような形だ。道はそこで途切れていた。崖は十メートル以上の高さがあり、下りるような階段も無い。波が岩に当たって砕ける音が繰り返し聞こえる。かなり波が高いようだ。

 

 海から強い風が吹き付け、市子のおさげ髪を揺らした。太陽はまた雲に隠れてしまい、周囲は薄闇に包まれている。雨が、また強くなり始めた。

 

 ――――。

 

 市子は細くせり出した崖の上を進んだ。進むほどに幅は狭くなる。もし足を滑らせたら命の保証は無い。背後からあのイモムシの化物に襲われようものならさらに危険だが、それでも、市子は進む。何かに呼ばれているような気がする。

 

 崖の先端に立った市子は、海を見つめた。血のように染まった真っ赤な海が広がっている。あの時――ブライトウィン号から転落した時に見た、赤い海。

 

 不意に。

 

 

 

《――なぜ我を見捨てた?》

 

 

 

 海から、声が聞こえた。

 

 低く、暗い声だった。それも、複数の声が重なり合い、ひとつになったような奇妙な声。海の底に沈んだ亡者どもの恨みが合わさったのだろうか……そんな風に思う。

 

 

 

《――置いて行くな》

 

《寒い――ここは――寒い》

 

《――我も、共に》

 

 

 

 声は、次々と聞こえる。まるで、市子を海の底へと引きずり込もうとしているかのように、身体にまとわりつく。

 

 だが、不思議と、市子はその声を怖いとは思わなかった。

 

 なぜなら。

 

 

 

 ――なんで、あたしを見捨てたの?

 

 

 

 その声は、海から聞こえると同時に、市子の胸の内からも、湧き出していたから。

 

 

 

 ――置いて行かないで。

 

 ――独りぼっちは嫌。

 

 ――あたしも、一緒に。

 

 

 

 海から聞こえる声と、市子の胸の内から湧き出す声が重なり、ひとつになっていく。

 

 やがて。

 

 

 

《――還りたい》

 

 

 

 声は、強烈な帰郷心へと変わる。

 

 

 

《還りたい――母の元へ》

 

 還りたい、みんなのところへ。

 

《我もひとつになりたい》

 

 あたしも、ひとつになりたい。

 

《我も、()の元へ!!》

 

 あたしも、お母さんの元へ!!

 

 

 

 自分を見捨てた母を恨み、それでも母の元へ還り、ひとつになりたいと願う、歪んだ思慕の念へと変わる。

 

 しばらく崖の上に立ち尽くしていた市子は。

 

 

 

 ――そうだ。あたしは、母に会わなければならない。

 

 

 

 決意と共に振り返った。

 

 遠く、鉄塔が建つ山が見える。

 

 あの向こうに、母がいる――そう確信する。会わなければ。

 

 市子は、来た道を戻り始めた。

 

 

 

 

 

 


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