突然赤い着物を着た女に掴み掛られ、瓜生ヶ森の中を逃げる一樹守と岸田百合は、屍人共が大勢徘徊する夜見島金鉱採掘所跡へ逃げ込んだ。幻視の能力を駆使しながら採掘所内を進むも、車庫付近は大勢の屍人が警戒しており、進むのは危険だった。脱出方法を探し地下の坑道へ下りた二人は、管理事務所内でバールを発見する。これを使って送風機管理室の壁板をはがせば脱出できるだろう。地上階へと戻ろうとした一樹だったが、天井のダクト内に赤い花の髪飾りがあるのを見つけた。それは、あの赤い着物を着た女がつけていたものだ。なぜ、あんなところにあるのだろう?
一樹は幻視を使い、ダクト内の気配を探った。格子状の排気口に置かれた髪飾りを、じっと見つめている視点があった。屍人だろうか? ダクトは、平均的な成人男性程度なら這って進める大きさだ。屍人が中に入ることは可能だろう。しかし、ダクトは接合部がところどころ腐食しており、衝撃を与えればすぐに外れそうだった。人の体重を支えられるとは思えない。では、中にいるのはなんだ? しばらく幻視で観察を続けていると、視点の主は手で顔を拭った。その手は黒く短い毛でおおわれており、爪は鋭く、手のひらには肉球がある。さらには、耳を澄ますとごろごろと喉を鳴らす音も聞こえる。
――猫か?
そう思った。その仕草から、恐らく間違いのないところだろう。ただの猫がダクト内に隠れているのなら、何の問題もない。だが、一樹の脳裏に、ひとつの考えがよぎった。
一樹は幻視をやめ、百合を振り返った。「百合ちゃん、屍霊は、人間以外の死体にも憑りつくことができるのかな? 例えば、猫とか」
突然の質問に目を丸くする百合。しばらく戸惑った表情をしていたが、やがて顎に指を当てて考えた後、言った。「……そうね、そういう例は見たことないけど、理論上は可能だと思う。屍霊が人間の死体を『殻』として選んだのは、地上でもっとも広い範囲に繁殖しているから。地上で行動するうえで、『殻』として最も適しているのが人間だと考えたのよ。だから、別に人間じゃないとダメってわけじゃないはず。猫の死体にだって、憑りつこうと思えばできると思うけど……でも、それがどうしたの?」
一樹は、頭上のダクトを指さした。「あの中に何かいる。猫みたいなヤツだ。あれは、『ヤミピカリャー』かもしれない」
「ヤ……ヤミピカリャー……?」
ますます目を丸くして戸惑う百合に、一樹は説明する。
「夜見島に出現すると言われているUMA・未確認動物だよ。巨大な猫の姿をしていて、二足歩行をするとか、光物を集める習性があるとか、鋭い爪で人を襲うとか、いろいろな噂がある。以前、俺の出版会社の別の部署で特集したことがあるんだ。ワナを使って捕獲しようとしたんだけど、突然暗闇から大きな獣が襲ってきて、その編集者は怪我をしたらしい」
「そ……そうなんだ……怖いね……」
「そのヤミピカリャーの正体は、猫の死骸に屍霊が憑りついたんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?」
「えっと……どうだろうって言われても、あたしにはわかんないけど……」
「ヤミピカリャーの噂が流れ始めたのは、二十年くらい前からなんだ。さっき百合ちゃんは、屍霊は海から来て、人の死体に憑りつく、って言ったよね? でも、二十九年前の島民失踪事件以降、この島には誰も住まなくなった。屍霊が憑りつく死体が無いんだよ。だから屍霊は、仕方なく、島で死んでいた猫に憑りついて行動するようになった。それが、好奇心から島に上陸した人に見つかり、ヤミピカリャーの都市伝説が生まれた……俺は、そう思う」
「そうかもしれないね……うん。守がそう思うのなら、あたしもそうだと思う」
「もし、屍人化した猫がダクトの中にいるとしたら危険だ。送風機管理室で作業している途中、襲われるかもしれない」
「そ……そだね……」
「だから、先手を打って倒しておこうと思う」
「どうやって?」
二人はダクトを見上げた。かなり高い位置にあり、バールや火掻き棒を使っても、届きそうにない。
一樹はしばらく考えた後、言った。「いい手がある。少し手間がかかるけど、いいかな?」
さっきからなに言ってんのこの人? と言わんばかりの顔をしていた百合だったが、コホンと咳払いをすると、表情を引き締めた。「守の好きにしていいよ。あたしは、大丈夫だから」
一樹は百合を連れてその場を離れ、インクラインを上がって一階へと戻った。すぐ右手側に送風機管理室があるが、そこへは戻らず、まっすぐ進む。少し進んだ先に作業室がある。先ほど前を通り過ぎた際、中で屍人がサッカーボール大の石を磨いていた。
作業室の前まで移動した一樹は、幻視で中の様子を探った。さっき通った時と同じく、屍人が石を磨いていた。時折出入口の方を振り返るものの、基本的には作業に没頭している。一樹は幻視をやめ、屍人が背を向けている間に静かに近づき、背後から火掻き棒で殴った。不意打ちが効き、屍人は一撃で倒れた。
一樹は作業台に置かれた石を見た。真っ黒なその石は、表面がつやつやと光るほど磨きこまれており、一見するとボウリングの玉のようである。両手で持ってみると、予想していたより重い。見た目以上に重量があるようだ。驚くべきことに、どの方向から見ても、歪みや欠けている箇所が無い。完全な球体に見えた。
そう言えば。
一樹は、夜見島へ渡る前の事前調査で、インターネットや古い新聞・週刊誌などの記事を読み漁ったのだが、その中に、四十年ほど前、金鉱発掘中に奇妙な石が発見された、というのがあった。その石は完全な真円を描く球体で、しかも、発見されたのが五億年以上前の地層であったことから、ちょっとした騒ぎとなったのだ。真球を製造することは現在の技術をもってしても困難であり、それが、人類誕生よりもはるか以前に作られていたのだ。いわゆる、オーパーツである。当時は地質学者や考古学者の間でさんざん議論されたが、結局は誰かのイタズラということで決着した。
「それ、とても大切なものだから、気を付けてね」
石を観察していると、後ろから覗き込んだ百合が言った。
「百合ちゃん、この石のこと、知ってるの?」
百合は首を振った。「ううん。なんでもない。まあ、ちょっとやそっとの衝撃で壊れるようなものではないから大丈夫。それより、そんな物、どうするの?」
「これを使って、ヤミピカリャーを倒すんだ」
一樹は作業室内を見回し、机の上にあった工具箱を探って中からモンキーレンチを取り出すと、石球を持って作業室を出た。インクラインの前を通って送風機管理室へ入る。室内の天井には、坑道内へ空気を送るためのダクトが通っているが、ここも地下と同じく接合部が外れかかっている。一樹は一旦石球を置くと、モンキーレンチを使ってダクトを外した。そして、石球を持ち上げ、ダクトの中に放り込む。石球が転がるゴロゴロという音が遠ざかり、やがて、猫を踏んだような鳴き声が聞こえ、同時に、食器棚をひっくり返したようなけたたましい音も聞こえた。幻視で様子を伺うが、さっきまでダクト内にいたヤミピカリャーの視点は見つからなかった。
「行ってみよう」
送風機室を出て、再び地下へ向かう。ダクトは石球の重さに耐えられなかったようで、接合部が外れて天井から垂れ下がっていた。石球は地面に転がっていた。表面にべっとりと血が付いているが、ヤミピカリャーの姿はどこにもない。逃げたのだろうか?
一樹は石球に付いた血を調べようとして、そばに髪飾りが落ちていることに気がついた。さっきダクト内にあったやつだ。拾ってみる。椿の花を模した髪飾りで、花弁には、花が入った六角形が上下左右に並ぶ
「守、もういい?」
後ろで百合が言った。その声は、どこか不機嫌になっているような気がした。
「あ、うん。アイツはいなくなったから、もう襲われる心配は無いよ。ゴメンね、時間かかっちゃったね」
百合は何か言いたげな表情をしていたが、出かかった言葉を飲み込むように一度頷くと、首を振った。「ううん、守が満足したなら、それでいいの。あたしは大丈夫よ。さあ、行きましょう」
二人はその場を離れ、送風機室に戻ると、バールを使って壁板をはがし、そこから脱出した。
このとき。
一樹は、無意識のうちに、拾った髪飾りをポケットに入れてしまったのだが。
後に、それが彼を大いに苦しめることになる――。