鉄塔の先端に島から脱出する鍵があると確信した一樹守は、ブライトウィン号で再会した永井頼人と共に塔を登る。次々と襲い来る闇人を倒し、かなりの銃弾と体力を失ったものの、なんとか中層までたどり着いた。一樹は永井から銃弾を分けてもらおうと振り返り、そして、言葉を失った。
いつの間にか、永井の背後に巨体闇人が立っていた。
「――永井! 後ろ!!」叫ぶ一樹。
だが、永井が振り返るよりも早く、巨体闇人が拳を振るった。巨石のような拳に殴られた永井の身体が宙に浮く。ここは鉄塔内の狭い通路だ。一歩足を踏み外しただけで、奈落の底へ落ちるしかない。巨体闇人に殴り飛ばされた永井は、なすすべもなく地上へと落下していった。
「勝手に入り込みおって、馬鹿が」
階下に消えた永井を満足げに見つめた後、巨体闇人は一樹の方を向いた。眼帯代わりだろうか、左目に黒い布を巻きつけた巨大な顔が、ゆっくりと迫る。一樹が拳銃を構えても、巨体闇人は不敵に笑うだけだ。一樹が巨体闇人と遭遇するのはこれが初めてだが、恐らく四足闇人同様正面からの攻撃は効かないだろう。銃弾が少ないこの状況で無駄撃ちするわけにはいかない。倒すためには背後に回り込んで撃つ必要があるが、この狭い通路で背を取るのは無理だ。一樹は踵を返して走った。
「逃がすか!」
巨体闇人が追って来る。その巨体に似合わず意外と足は速いものの、通路が狭いこともあって追いつかれることはないだろう。走り続けると、正面に鉄塔と融合した廃ビルの一角が見えた。一樹は中に逃げ込んだ。
そこは三階まで吹き抜けになった広いフロアで、大型の油圧式リフトや小型のクレーンなどが置いてあった。トロッコや掘削機など、金鉱で使う重機をメンテナンスする建物のようだ。両側の壁沿いに二階部分のライトブリッジへ上がる階段があったので、一樹は右手側の階段を駆け上がった。直後に巨体闇人がビル内に入って来て、出入口付近で周囲を見回す。
「……薄汚いこそ泥め、どこに隠れた?」
どうやら一樹の姿を見失ったようだ。一樹は巨体闇人から見えないようライトブリッジ上に伏せて様子を伺う。巨体闇人はフロアを進み、リフトやクレーンの陰を探し始めた。一樹に背を向ける格好になることも多いが、距離が離れているため、拳銃で狙っても外す可能性が高い。残り少ない銃弾で確実に仕留めるためには、危険だが下へおり、できるだけ接近するしかないだろう。一樹は巨体闇人の注意が他に注がれている隙に階段をおり、物陰に身を隠しながら背後へ忍び寄る。そして、充分に距離を詰めたところで飛び出し、巨体闇人の背に銃口を向けた。
だが、その瞬間、巨体闇人の身体から黒い煙が吹き出し、全身を包み込んだ。
「――なに!?」
黒煙は巨体闇人の身体を完全に隠してしまう。それだけにとどまらず、さらに吹き広がって一樹さえも飲み込んでしまった。視界は遮られ、目の前に突き出した拳銃さえも見えない。
その、一樹の目の前に、突如巨大な拳が現れた。強い衝撃と共に、一樹の身体は大きく弾き飛ばされる。
「わしの目の黒いうちは騙されんぞ」
黒煙が晴れ、巨体闇人が姿を現した。下腹部の顔が不敵に笑い、ゆっくりと近づいて来る。一樹はすぐに身を起こすと、近くの小型クレーンの陰に身を隠した。
「それで隠れたつもりか?」
巨体闇人はさらに近づいて来る。正面からの銃撃は効かない。なんとかして背後に回り込むしかない。一樹はライトを取り出した。闇人は光に弱い。ライトでヤツの目をくらませ、その隙を突く。一樹はクレーンの陰から出て、ライトを向けた。だが、また巨体闇人の身体から黒煙が吹き出し、光を遮った。そして、黒煙の中から拳が飛び出してきて、一樹を弾き飛ばす。
「――――っ!」
最初の一撃よりもさらに強烈な衝撃に、一瞬意識が飛んだ。大きく弾き飛ばされた一樹は背中から地面に叩きつけられた。その衝撃で、なんとか意識を保つ。身を起こし、銃を構えようとしたが、その銃が無い。一瞬意識が飛んでいる間に手放してしまったようだ。周囲を見回し、少し離れた所に落ちているのを見つけた。駆け寄って手を伸ばすが、一樹の手が銃に触れるよりも早く、黒煙から出て来た巨体闇人が一樹の首をつかんだ。そのまま怪力で頭上に持ち上げられる。首だけで吊り上げられている状態だ。
「フフ……今日は大漁だな」
巨体闇人の手に力が込められる。頸部が圧迫されるどころか首をへし折られかねないほどの力だ。一樹は薄れる意識の中で武器を探り、なんとか鉈を取り出した。力無く持ち上げ、巨体闇人へ振るう。しかし、銃弾さえ弾いてしまう巨体闇人の身体に、朦朧としている一樹が振るう鉈が通じるはずもない。巨体闇人は、まるで羽虫でも追い払うかのようにもう片方の手を振り、鉈を弾き飛ばした。
――武器……武器を……。
一樹はさらに武器を探る。拳銃を失い、鉈も失ったいま、一樹が持っているのは警官闇人から奪った木の枝だけだ。朦朧とする意識の中で、それを取り出した。
「――それは!?」
枝を見た瞬間、巨体闇人はうろたえたような声を上げた。首を締め上げていた力が弱まり、解放された一樹は床に落ちる。巨体闇人の下腹部にある顔の正面だ。
――枝を……刺せ。
それは一樹自身の意志だったのか、あるいは誰か他の者の声が聞こえたのか、一樹自身にも判らない。とにかく一樹は、床に落ちた瞬間枝を突き出していた。銃弾も鉈も弾く巨体闇人の顔に、その枝は、ほとんど何の抵抗も無く刺さった。
「――ぬおっ!」
奇声を上げる巨体闇人。枝を握り、抜こうとするが、それよりも先に枝から根のようなものが生え出し、巨体闇人の全身に絡みついた。同時に、闇人の身体が青い炎に包まれる。悲鳴を上げる闇人。炎はすぐそばにいる一樹さえ包み込む勢いだが、一樹には熱も痛みも感じない。炎はさらに燃え上がり、同時に、枝が成長していく。代わりに、巨体闇人の身体は、枝に養分を吸い取られるかのごとく、みるみるしぼんでいった。
「……穢れが……消える……」
巨体闇人の力無い言葉と共に、やがて炎が燃え尽きた。
しばらく動くことができなかった一樹だが、意識が回復するのを待ち、やがて身体を起こした。巨体闇人の身体は完全に消滅し、そこには、一メートルほどの小さな樹が生えているだけだった。
――これが、滅爻樹の力……。
一樹はごくりと喉を鳴らす。夜見島には、葬儀の際死者に神木の枝を刺して弔う風習がある。初めてこの話を聞いたときは奇妙に思ったが、今ならそれも納得できる。これでは、闇霊も屍霊も憑りつくことができない。あの巨体闇人をものの数秒で消滅させるほどの力。滅爻樹は、想像以上に強力な武器だ。
だが、枝は樹と化してしまった。もう使うことはできない。残る枝はあと一本。慎重に使わなければならない。
一樹は一度大きく息を吐きだすと、銃と鉈を拾い、ビルの入口から外を見た。永井が鉄塔から落とされて十分ほど経つ。地上ははるか遠く、永井の姿は確認できない。この高さでは助かる見込みはまず無いだろうが、奇跡的に助かる可能性もゼロではない。しかし、引き返すことはできない。このまま鉄塔を登らなければならない。登る前に二人で決めたことだ。どちらか一人だけでも塔の先端部にたどり着けばいいと。
――永井、すまん。
一樹は胸の内で詫びると、先を急いだ。
この、数分前――。
一樹守を執拗に追う着物姿の四足闇人が、廃ビル内に入って来た。
フロアでは、巨体闇人が一樹を締め上げているところだった。その様子を、着物姿の四足闇人は離れた場所で見ていた。顔に小さな笑みを浮かべている。一樹は拳銃と鉈を失い、絶望的な状態だ。これで髪飾りを取り返せる――そう思ったのかもしれない。
だが、一樹が滅爻樹を取り出すと、巨体闇人はうろたえ、手を離した。一樹が巨体闇人に滅爻樹を刺す。滅爻樹は巨体闇人に絡みつきながら燃え上がり、やがて一本の樹と化した。
その様子を見た着物姿の四足闇人は、しばらく困惑した表情だったが、やがて鋭い目つきとなり、大きく一度頷いた。迷いを断ち切り、覚悟を決めた、そんな表情。
しかし。
着物姿の四足闇人は一樹に襲い掛かることはなく、ゆっくりと後ずさりすると、静かにその場を離れた。