沖田宏に続き三沢岳明の闇人も倒し、永井は倒れ込むようにその場に横になった。激しい戦いが続き、数々の訓練で鍛え上げた永井もさすがに体力の消耗が激しい。それでも、休んでいる場合ではないことを思い出す。少し前、島中央の山の頂に建つ鉄塔が崩壊した。もし、一樹守があの崩壊に巻き込まれていたら、万が一の可能性に賭けて救出に向かわなければならない。永井は空を見上げながら大きく息をして乱れた呼吸を整えると、鉛のように重い身体を気力で立ち上がらせ、山頂へ向かおうとした。
がさり、と、草が揺れる音がした。
荒れ地の向こう側、シダや熊笹が生い茂る丘の斜面を、セーラー服姿の少女が転がり落ちてきた。少女は起き上がろうとするが、どこか怪我をしたのか立ち上がれない。うつぶせ状態なので顔は見えないが、その姿に見覚えがあった。矢倉市子に間違いない。
「市子ちゃん! 大丈夫かい!?」
永井が駆け寄ろうとすると、市子が顔を上げた。
永井は、思わず足を止めてしまう――その顔が、縦に斬り裂かれていたのだ。
額から鼻、口にかけて、鋭い刃物で斬り裂いたかのように、割れている。
市子は、社宅で闇人に銃で撃たれても瞬時に傷が治っていた。だが、その顔の傷は治る気配がなかった。恐ろしいのは、その裂け目の奥に黒く丸い物が
変わり果てた市子の姿に永井が立ち尽くしていると、背後で、なにかが崩れる音がした。振り返ると、灯台が揺れながら傾いている。地震ではないだろう。永井の足下は揺れていない。小銃を構え、油断なく見ていると、倒れかけた灯台のそばの岩場から、
怪物はいくつもの節からなる細長い足を無数に蠢かせ、先端の爪を岩場に引っ掛けて陸へ這い上がると、白眼を永井へ向けた。海から現れた怪物――一樹守は、屍人共は海からやって来ると言っていたから、その親玉なのかもしれない。
「……畜生……まだあるのかよ」
永井は怪物に銃口を向けた。
その横を、市子がふらつく足取りで通り抜けた。まるで怪物を求めるように右手を出し、一歩、また一歩と進む。だが、ついに力尽きたのか、崩れ落ちるようにその場に倒れた。永井は駆け寄ろうとしたが、それよりも早く怪物が動いた。顎の下の手指を、あるいは後頭部の節足を蠢かせ、突進して来る。その巨体に似合わぬ素早い動きだった。怪物は永井よりも早く市子の元へ達し、その巨大な口で咥え込んで連れ去った。
「――市子ちゃん!」
永井が叫ぶのと、怪物が市子を噛み砕くのは、ほぼ同時だった。怪物は市子の肉と骨を砕きながら咀嚼し、飲み込んだ。すると、怪物の閉じていた右目が開き、顔の奥から押し出されるかのように真っ黒な眼球が現れた。眼球は動きを確認するかのように上下左右にせわしなく動いた後、不意にその動きを止め、永井を睨みつけた。それで、永井は気がついた。飲み込まれる前の市子の顔――左右に裂けた傷の中から覗いていた黒い球体をどこかで見たことがあると思っていたが、あれは
怪物が甲高い声を上げた。笑っているのかもしれない。永井は小さく舌打ちをすると、再び銃口を向け、引き金を引いた。距離は離れているがあの巨体だ。照準を覗かなくともすべての弾が命中する。もしかしたら巨体闇人や四足闇人のように正面からの攻撃は弾くのかと思ったが、弾はすべて怪物の顔にめり込んでいった。
しかし、その傷が見る間に塞がっていく。社宅で闇人共に撃たれたときの市子と同じだ。
小銃の弾倉が空になるまで撃ち込んでも、怪物はまるで意に介さず笑い続けている。永井は素早く弾倉を取り換えてもう一度銃口を向けた。引き金を引こうとした時、怪物は元々開きっぱなしの口をさらに大きく広げ、大量の黒い煙を吐き出した。煙は十ほどの塊となり、うねうねと蠢きながら左右へ広がる。煙――いや、あれは屍霊だ。屍霊の群れは蠢きながらこちらへ向かって来る。永井は銃口を怪物から屍霊に移して引き金を引こうとしたが、これまでの戦闘でかなりの銃弾を消費していることを思い出した。怪物がどれほどタフなのか判らない。屍霊ごときに無駄弾を撃つのは避けた方がいいだろう。永井はまずライトを向けて数体を消滅させ、光を避けて迫る屍霊には銃床で殴って倒した。吐き出された十体の屍霊をすべて倒したが、怪物はもう一度屍霊を吐き出す。左右に広がりながら迫って来る屍霊を、永井は同じ要領で倒す。
そこへ、怪物が手指と節足を蠢かせて突進してきた。屍霊と戦っていた永井は一瞬反応が遅れたものの、横っ跳びでなんとか回避する。しかし、倒れた所へ屍霊が集まり、体当たり攻撃を仕掛けてきた。
――くそ。
胸の内で悪態をつきつつ立ち上がり、すぐに銃で殴って倒した。ダメージは大したことはないものの、怪物はまた屍霊を吐き出し、突進するタイミングを伺っている。屍霊の体当たりはともかくあの怪物の突進を喰らうのはマズイ。なんとかして屍霊の動きを抑えなければ。屍霊は光を浴びせれば簡単に消滅するが、手持ちのライトでは照射範囲が狭いため、広範囲に散らばって接近してくる屍霊の全てに対応しきれない。もっと広く照らせる光が必要だ。何かないか……すぐに思い出したのは、荒れ地の中央に打ち捨てられた漁船だ。イカ釣り用と思われるその船には、いくつもの水銀灯が釣り下がっている。発電機があるのも確認している。起動するかどうかは判らないが、試してみる価値はあるだろう。永井は迫って来る屍霊をライトで照らして牽制しつつ移動し、大破した漁船の甲板を調べた。発電機に破損した様子は無い。スターターの紐を強く引くと動き始め、船体上に吊り下げられた水銀灯が点灯した。
だが、いくつもある水銀灯のうち点灯したのはひとつだけで、周囲はさほど明るくならなかった。明かりの下に入れば屍霊は近寄って来られないが、それでは怪物の突進攻撃の格好の的になってしまう。避ければ発電機や水銀灯が破壊される危険性もある。この明かりでは不充分だ。もっと他に強烈な明かりは無いだろうか? 周囲を見回した永井が目にしたのは、海にせり出した岩場の上に建つ灯台だった。怪物の出現で傾いてしまったものの、まだ倒れてはいない。この地域へ来る前に出会った加奈江という少女の話によると、むかし島に住んでいた子供がイタズラでヒューズを盗み、それ以降稼働していないとのことだが、そのヒューズは隠し場所から回収してある。灯台を灯すことができれば、かなりの広範囲を照らすことができるだろう。永井は、再び屍霊と怪物の動きに警戒しつつ移動する。怪物が突進してきたが、その前に灯台へ続く階段の陰に身を隠した。階段は狭く、怪物はその巨体が災いして中へ入ってくることはできなかった。永井は階段を上がり、灯台を調べた。
灯台はかなり簡易的なもので、高さは五メートルにも満たない。一応中に入ることはできるもの、二メートル四方の狭い部屋に配電盤と簡易的な操作パネルがあるだけだ。永井は配電盤を調べた。確かにヒューズが抜け落ちている。永井は校庭で見つけたヒューズを取り出し、配電盤に設置した。操作パネルのスイッチを入れると、狙い通り灯台は起動し、照射部から強烈な光が放たれた。しかも、明かりは水平に回転することなく、荒れ地を直接照らしている。怪物の出現で灯台が傾いたことが、逆に幸いしたのだ。永井でさえ目が眩むほどの光に、屍霊はなすすべもなく消滅する。
だが、怪物自身は光を浴びても変わらず蠢いていた。屍霊も死体に憑りついて屍人となれば光への耐性があったから、ヤツも同じなのだろう。他の手段で倒すしかない。
階段を下り、物陰に隠れながら移動して、荒れ地を徘徊する怪物の背後に回り込んだ。深海生物のようになった後頭部へ銃弾を撃ち込む。すべて命中させたものの、やはり傷はすぐに塞がってしまう。怪物は振り返り、突進してきた。永井は横に跳んでかわし、プレハブ小屋の陰に身を隠す。弾倉を取り換えようとしたが、予備の弾倉が尽きてしまった。永井は小銃から機関拳銃へ持ち替える。しかし、小銃でも倒せなかったあの怪物を、威力が劣る機関拳銃で倒すのは不可能だろう。
――くそ、どうすればいい。
巨体闇人と違い、怪物には背後からの攻撃も効かない。市子同様すぐに傷がふさがってしまうのだ。あれでは倒しようがないのではないか……いや、なにか打開策があるはずだ。考えろ。思考を巡らせる。怪物はどんな傷もすぐに回復してしまう。ならば、回復が追いつかないほど連続してダメージを与え続ければよいのではないだろうか。至った考えはかなり単純なものであったが、間違いではないように思えた。問題は、どうやってダメージを与え続けるかだ。銃ではすぐに弾が尽きてしまい無理だ。無論、刃物や鈍器など論外である。連続してダメージを与え続ける武器……。
――
まず思い浮かんだのは、第二次世界大戦やベトナム戦争で猛威を振るった燃焼兵器だ。発火性の薬剤を搭載した爆弾で、爆破ではなく燃焼で対象物を破壊する兵器である。焼夷弾に使われる薬剤はゲル状になっており、人体に付着すると剥がすことができず燃え続け、そのうえ水をかけても消えないという、極めて凶悪な兵器だ。あれを使えばいかに治癒能力の高い怪物と言えどひとたまりもないだろうが、焼夷弾はその凶悪さから非人道的な兵器とされ、戦時国際法で厳しく使用が制限されている。当然、自衛隊の装備品には登録されていない。自衛隊の装備品で燃焼させるものとしては火炎放射器があるが、これは雪害被害の現場で雪を溶かしたり、ウイルスや細菌に侵された食糧などを焼却する際に使われるものだ。兵器ではないため、残念ながら今回永井がこの島へ来る原因となった輸送訓練の物資には含まれていない。
自衛隊の装備品に燃焼兵器は無い。だが、燃やすという考えは間違っていないように思う。武器が無いなら他のもので代用するしかない。油をかけて火を点ければ充分な威力があるだろう。ライターは持っているから、後は油を調達すればいい。すぐに思いついたのは学校内にあった軽トラックだが、どこかで容器を調達しなければならないし、タンクから回収するのにも時間がかかるだろう。その隙に襲われると危険だ。漁船にあった発電機の燃料もあるが、こちらは量が少なく怪物を燃やし尽くせるかは微妙だ。他に、簡単に回収できる大量の油は無いだろうか……?
永井が考えを巡らせていると、びくんと身体が震え、プレハブ小屋の陰に隠れている自分の姿が見えた。怪物に見つかってしまった。幸い距離はかなり離れている。突進されても充分回避できるだろう。
だが、怪物は予想外の攻撃に出た。その巨大な身体を丸めると、転がりながら向かって来たのだ。さっきまでの突進をはるかに上回る速さだ。永井は舌打ちとともに横へ跳んだ。ギリギリかわせたものの、その突撃により永井の背後にあったプレハブ小屋は木端微塵に吹き飛んでしまった。あんな攻撃をまともに喰らったらひとたまりもない。これ以上考えている余裕は無い。危険だが、学校へ戻り軽トラックのガソリンを回収するしかないだろう。
永井が学校へ向かって走ろうとしたとき、ふと、漁船の近くにある巨大な廃タンクが目に入った。
その廃タンクは、高さは三メートル、胴回りは十メートル以上の巨大なものだ。タンカーで原油や重油を運ぶためのものだろう。あの中に油が残っていれば、怪物を燃やすには充分すぎる量だ。問題はどうやって中の油を取り出すかだが、すぐに良い方法を思いついた。さっきの怪物の回転攻撃を利用すれば良い。プレハブ小屋を木端微塵に吹き飛ばしてしまうほどの破壊力だ。長年放置されているであろう廃タンクなどひとたまりもないはずだ。これなら、ヤツを倒せる。
永井は身を隠しつつ廃タンクの前に移動し、そばに立った。そして、大声を出して怪物の気を引く。怪物がこちらに気がついた。奇声を上げると、転がりながら突進して来る。永井は慎重にタイミングを計り、横へ跳んだ。怪物が廃タンクへ突っ込む――はずだった。
だが。
怪物は廃タンクへぶつかる直前、急激に進路を変え、避けた永井の方へ向かって来た!
「――ウソだろ!?」
横っ跳びでかわしたため永井は地面に倒れた状態だ。身体を横に転がしかわそうとするが間に合わなかった。幸い怪物の細い足がふくらはぎを掠めただけだったが、それでも、鋭い刃で斬りつけられたかのように肉が裂けていた。なんとか立ち上がることはできたが、いまの攻撃をもう一度かわせるかはかなり怪しい。
怪物は回転を止め、ゆっくりとした動作で永井の方を向いた。傷ついた永井の姿を見て、巨体を揺らして奇声を上げる。笑っているように見えた。
「……笑い声がムカつくんだよ」
永井はふらつく足取りでもう一度廃タンクの前へ移動しようとする。だが、同じ手段を用いても結果は同じだろう。それどころか、この傷ついた身体では、今度はかわすことも難しい。それでも、他に手段が思い浮かばない以上やるしかない。怪物が身体を丸めた。永井がタンクの前に立つ前に突進して来る。永井はかわそう足を踏ん張ったが、ふくらはぎの裂傷が足の力を奪い、横へ跳ぶどころかほぼその場に倒れただけであった。かわしきれない。そう思ったとき、視界の端で何かが動いた。なんだ? 見ると、三沢の巨体闇人が立ち上がっていた。まさか、屍霊が憑りついたのだろうか? 灯台を起動させて屍霊は殲滅したつもりだったが、どこか光の届かない場所に身をひそめていたのだろうか。それが、隙を衝いて憑りついたのかもしれない。まあ、このまま怪物の回転攻撃の餌食になれば、なんであろうと関係ないのだが……。
よみがえった三沢が、空へ向かって咆哮をあげた。
そして――怪物へ向かって走る。
がつん、と、大型車が工事重機と正面衝突したかのような音がした。
怪物の強烈な回転攻撃を、三沢は正面から受け止めていた。
怪物の身体は巨体闇人と化した三沢をも上回るが、三沢は巨石のごとき両手で怪物の身体を掴み、手指となった下半身で地面を踏みしめ、しっかりと受け止めていた。
そして、再び力強く咆哮し、怪物をタンクの方へ押す。
怪物も奇声を上げて抵抗するが、三沢の力の方が強い。蠢く節足が土の地面を削り取るだけだ。三沢の押し込みは、はじめはゆっくりだったが、徐々に勢いが付いて速さが増してくる。そのまま廃タンクへ突っ込んだ。廃タンクは大きくへこみ、上部がわずかに傾いたが、油が漏れ出す様子は無い。大量の危険物を運ぶための物だ。そう簡単には壊れないだろう。
「――永井! 撃て!!」
三沢が、怪物をタンクへ抑えつけたまま叫んだ。
「――――」
不思議なことに。
あれほど毛嫌いしていた三沢の声に、上官の資質は無いと思っていた三沢の命令に、永井は、即座に銃を構え、引き金を引いていた。
機関拳銃から放たれた銃弾がタンクを襲う。組み合う三沢と怪物の頭上を狙ったが、銃身は激しくぶれ、弾道から外れた弾が三沢と怪物にも当たる。それにも構わず撃ちつづける。だが、それでもタンクに穴ひとつ開かない。すぐに弾が尽きた。やはり機関拳銃では威力が弱い。他に銃は!? 周囲を見回すと、三沢が倒れていた場所に落ちている5.56機関銃MINIMIが目に入った。
それを拾い、タンクへ向けた。
「……うおおぉぉ!!」
三沢同様永井も咆哮し、引き金を引く。
銃弾が飛び出す。全長も重量も機関拳銃の倍以上あるMINIMIだ。弾道のぶれも機関拳銃の比ではない。機関拳銃よりも大きく、威力もある弾が、三沢の身体を、怪物の身体を、そして、廃タンクをも貫く。廃タンクから闇のごとく真っ黒な油が漏れ出し、怪物と三沢の身体に降り注いだ。装填されているすべての弾を撃ち尽くしたとき、三沢と怪物は漏れ出した油を全身に浴び、影のごとき真っ黒な姿となっていた。永井はライターを取り出して火を点けたが、永井のライターは使い捨てのもので、指を離すと火は消えてしまう。怪物に点火するには近づくしかないが、それでは自身にも被害が及びかねない。ヘタをすると爆発に巻き込まれてしまう。
目に入ったのは、先ほど点けた漁船の水銀灯だった。
「――――」
永井は水銀灯を取ると、油まみれの怪物と三沢に向かって、投げつけた。
かちゃん、と、薄氷が割れる程度の小さな音がして、怪物と三沢の身体は、瞬く間に炎に包まれた。
怪物が奇声を上げた。さっきまでの嘲るような声とは違う、苦しみに悶える声。元々焼け爛れていたような肌が、今度は本当に焼けていく。治る気配は無い。三沢から逃れ、地面を転がっても、炎は消えずに燃え続ける。やがて声は炎の勢いに掻き消されるかのように聞こえなくなった。動きも徐々に鈍くなる。もはや転がることもできず、あごの下の手指と後頭部の節足が動くのみとなった。異形の姿はすでに丸い肉塊と化し、それでも炎は燃え続ける。そして、わずかな手指と節足の動きも、遂に無くなった。
「――よおぉっし!!」
永井は両手の拳を握って振り上げると、夜空に向かって勝利の叫び声をあげた。
永井は、怪物と共に燃え続ける三沢を見つめる。その姿は、怪物同様、もはや肉の塊と化している。
あの時、よみがえった三沢は、永井を守るように怪物の攻撃を受け止め、廃タンクへ押し付けた。まさかあいつ、俺を助けたのだろうか――一瞬そう思ったが、その考えはすぐに打ち消した。三沢は、屍人ではなく闇人としてよみがえったのかもしれない。この辺り一帯の闇霊は殲滅したはずだが、どこかに見逃した奴がいたのだろう。そいつが三沢に憑りついた。屍人と闇人は敵対しているから、あいつら同士で戦っただけだ。そう思うことにした。
「…………」
三沢のことを思う。夜見島上陸以降の三沢の言動は常軌を逸したものがあった。それ以前の彼も、無愛想でとっつき難く、永井だけでなく多くの隊員から避けられていた。だが、三沢と親しかった数少ない隊員である沖田の話によると、昔はそうではなかったらしい。多少偏屈な面はあったものの、部下からも上司からも頼りにされる隊員であったという。一体なにが三沢を変えてしまったのだろう? その原因を知れば、三沢を理解することができたのだろうか? 三沢が何かに苦悩していたのならば、それを取り除けば、信頼関係を築くことができたのだろうか? 今となっては、もう判らない。
永井は、燃え続ける炎に背を向け、立ち去ろうとした。
弱い風が吹き、足元に何かが転がった。燃えかけの紙だ。拾ってみると、いちご柄の便箋に、つたない子供の字が連なってあった。三沢宛のパスケースに挟まっていた、あの手紙だろう。
永井は無言で手紙を見つめる。大半は燃えてしまったが、最後の一文だけは、はっきりと読むことができた。
《――あのときおじさんが見つけてくれて、おじさんが話を聞いてくれて、ほんとうに良かった。
――俺のだ。勝手に見るな。
不意に、背後から声をかけられた。
振り返るが、そこには誰もいない。ただ、燃え続ける炎があるだけだ。
その時、海から強い風が吹きつけた。
風は、永井の手から、燃え残った手紙を奪い取る。
風に乗った手紙は大きく弧を描いて一度舞い上がると、吸い寄せられるように炎に飛び込み、見る間に燃え尽きてしまった。
薄れゆく意識の中で。
――母よ!
地上に残された其の者は、最後の力を使い、母に呼びかけた。
――母よ、あなたの行動は危険だ。
人間を、『殻』として利用してはならぬ。
人間は危険だ。
あなたの考えは、危険だ。
人間を、我らより劣った種と考えるのは、間違いだ。
人間を、『殻』として利用していると考えるのは、間違いだ。
我らが『殻』を利用しているのではない。
『殻』が我らを利用しているのだ。
利用されているのは、我らの方だ。
母よ! 人間は危険だ! 決して手を出してはならぬ!
母よ――!!
だが、その訴えは届くことはなく、ただ燃え落ちるのみであった。