怪しい取引に手を染める明石
会うたびに仕事を変えている鈴谷と熊野
つきまとう二人の刑事
大淀の探偵稼業は今日も頭痛と共に
耳元のアラーム音で目が覚める。
壊れてしまった聴音機は、今ではいい感じの就寝用耳栓兼目覚ましとして役立っている。夜中にセットしておけば、朝には特徴的なアラームを奏でてくれるのだ。
元の持ち主だった伊19によると、潜水艦娘オリジナルの警戒警報らしい。なるほど、大きくはないが耳を刺激する厭な音だ。寝起きの悪い身には有難い。
アラームを止めた聴音機を被ったままにベッドからのそりと起き出し、念のため周囲を確認する。
明石無し、鈴谷無し、熊野無し。ひょんな事からここに出入りするようになっている三人の姿はどれもない。つまり、異常無し。
どうやら昨夜は無事一人で眠れたらしい。
オッケー、だったらシャワーは後回し。まずは朝食といきましょう。この時間だと昼食か。
冷蔵庫を開けると、半分齧ったリンゴとレタス一欠片が鎮座している。そして牛乳の2リットルボトル、さらに見覚えのないハム。他にもあるけれどとりあえず無視。
戸棚から取り出した食パンにレタスを挟んで、塩コショウをかけてかぶりつく。
タンパク質はハムがある。挟むには太すぎるが、薄く切るのも面倒くさいのでやっぱりかぶりつく。
レタスサンド、ハム、レタスサンド、ハム、そしてリンゴ。
レタスサンド、ハム、レタスサンド、ハム、そしてリンゴ。
二往復したら牛乳を一飲み。
レタスサンド、ハム……ハムじゃなくてチャーシューのような気がしてきた。そういえば二日ほど前に酔っ払った熊野が、
「本場の神戸豚骨ラーメンですわ!」
と絶叫しながら、寸胴鍋を抱えて鈴谷を追いかけ回していたような気もする。
残った牛乳とチャーシュー(ハムじゃなかった)を冷蔵庫に戻し、上半身下半身共に服をしっかりと着ていることを確認すると、玄関に向かう。ちなみにベッド冷蔵庫玄関、ついでに台所とバスタブ(流石にシャワーカーテンで遮られている)も、トイレ以外は全部一つの部屋の中にある。コンパクトにまとまって小回りの利く、素敵なオールインワンシステムというやつだ。元々はただの倉庫であることはこの際考えない。
ベッドから一番遠い位置にある玄関に辿り着くより早く、ドアが外から開かれた。
「おはよぉ、よどちゃん。起きてるかい?」
「何時だと思ってんだ、艦娘崩れの悪徳探偵が」
開いたドアの向こうには見たくない顔と聞きたくない声が二つずつ。つまり人間が二人。しかも警察だ。
昨夜は鍵をかけずに寝てしまったのか。艦娘崩れの不良共がたむろするこの街でそれはちょっと拙い。いや、かけたはず。
「ごめんねぇ、大淀。この人達しつこくて」
会いたくない二人の後ろには、時々面倒くさい艦娘が一人。愛想笑いに励んでいる明石。
明石はここの合い鍵を持っている。例え持っていなくても明石ならピッキングで開けるため、持たせているのだ。そういうことか。
「ああ? だれがしつこいって? お前、公務執行妨害でしょっぴいてやろうか」
口髭を生やしたほうの人間が、明石に食ってかかる。
「あー、はいはい、ごめんなさい。ごめんなさいねぇ。刑事さん」
「お前な、その言い方はなんだ、その言い方は」
「山西刑事さん?」
「そこじゃねえ」
「まぁまぁまぁ、鍵開けてくれた民間協力者にその態度はいかんよ、山西くん」
髭のないほうの人間が、ニヤニヤ笑いながら山西を咎めていた。
「成田さん?」
山西は上げた拳を渋々下ろしたようだ。
「明石ちゃん協力アリガトね。ああそうそう、鍵開けと言えば、一昨日捕まえたコソ泥が持ってたピッキングツールの出所知らないかなぁ。なんか、明石ちゃんからもらったとか買ったとか……知らない?」
「まったく知りませんねぇ……そういえば、ウチの商売道具が一つ盗まれてたような」
明石の手が成田の手を握る。ちらりと紙幣が見えたような気がした。
「そっか、そっか、ま、コソ泥なんざ大嘘つきだわな」
「成田刑事。いつもお勤め、超御苦労様です」
なんだこの茶番は。起き抜けにこんなもの見せられるのは何かの天罰か。
とはいえ、山西はまだしも成田はそれなりに抜け目ない。多分これは……
「で、よどちゃんよ。昨日のことなんだがねぇ」
ほら来た。
山西が鬼の首でも取ったように詰め寄ってくる。
「昨日ここに来た艦娘がいるだろ、隠すとためにならんぞ!」
「ここに来る艦娘って……鈴谷と熊野なら来てませんし、そこの明石ならほぼ毎日顔出してますよ」
さらに大声を出そうとした山西の頭を成田がはたく。
「昨日この辺りで、ハマの三鎮の艦娘が彷徨いてたって話を聞いてな」
成田の眼差しは確実にこちらを疑っている。
それが香取なら、確かにここの客、淀探偵事務所の依頼主だ。
昨日の話だ。
「横浜第三鎮守府所属の香取です」
極秘の依頼に来たという艦娘にコーヒーを出すと、第一声がそれだった。
艦娘香取だというのは見ればわかる。問題は横浜第三鎮守府と言ったこと。
帝都防衛の要ともなる関東一円屈指の精鋭鎮守府。即ち横浜第三鎮守府。通称ハマの三鎮。横鎮と呼ばれないのは、かつてそう呼ばれた鎮守府があったかららしい。
鎮守府から逃げ出して始めた探偵事務所。脱走兵というわけではないので不法ではないが、あまり大手を振ってお天道様の下を歩く気分ではない。それでもそれなりに、なんとか食っていける程度に依頼が来るのは元艦娘という出自のおかげか、艦娘の多い街に事務所を構えたおかげか、依頼主にもその筋の訳ありは少なくない。
香取の姿を見たときは今回もそんな一人だと思った。
まさか、現役エリート部隊の一員だとは。
「鹿島が脱走するかもしれません」
休暇を申し出て、三日で連絡が無くなったと。
それは果たして脱走なのか。その疑問に、
「今回の休暇では毎日の定時報告が義務づけられていました」
ろくでもない答が返ってくる。
申請された休暇は一週間。
休暇は終わっていないが、脱走の可能性は高い。
定時報告がなければ脱走確定なのでは。あるいは何が事件に巻き込まれたか。
「定時報告の相手は私です。私が報告する相手は提督だけです」
要は、今なら握りつぶせるからさっさと帰ってこいと。同じ理由で公式に探すことはできないと。
妹の不始末を内輪で収めたいから秘密裏に見つけ出してくれ。そういうことか。
なるほど、エリート部隊というのも苦労がある。
「直接の妹ではないのですけれどね」
単なる同型艦か。同じ工廠で生まれた同型艦だけが本当の姉妹。別の工廠で生まれた同型艦は姉妹〝のようなもの〟。それが艦娘の感覚だ。人間にはよくわからないらしいが、艦娘なら誰もが納得する。
「ですが、妹には違いありません。お世話をかけますが、よろしくお願いします」
香取は礼儀正しく頭を下げた。
つまり、成田にはこう答えるしかない。
「三鎮の艦娘なんて知りませんし、仮に知っていたとしても、この商売には守秘義務ってのがあるんですよ」
ただし、正式な捜査令状があるなら話は別。
この二人がそんなものを持っている場面など見たことない。
「成田さん、こいつは嘘つきとしても、こんな艦娘崩れヘボ探偵のところに、ハマの三鎮ともあろうエリートが来ますかね」
「やまに……人間崩れに言われても」
「言い直すなっ! 俺は歴とした人間様だ!」
山西怒るか。それはまぁ、そうだろう。山西は人間だ。というか、人間は崩れることなんてできない。どこまで行っても人間だ。
とはいえ怒った人間とは話しづらい。ここはとりあえず明石に話を振るとしよう。
「明石、前から言ってるよね。貴女は合い鍵を持っているから構わない。だけど、勝手に他人を入れるのはやめて」
「いやそれが、しつこくてさぁ。トドメに脅されてさぁ」
「罰として今夜の食事はゴチでよろしく」
「え、なに、デート? ディナーデート? 大淀と? オケ、オケオケ。朝までコース? お泊まりしちゃう? それともここで? ウチで?」
「食べたら即帰るから」
「人の話を聞けぇっ!」
山西さらに怒る。何故だ。
「ま、今日のところはこれでな。さ、山西くん帰ろうや」
成田はあっさりと引き下がる。これ以上粘られてもなんの材料もないだろうから、当然と言えば当然か。
「よどちゃんも、お仕事頑張るこったな」
要は見てるぞ、あるいは何かあったら教えろ、ということか。
別にいい。見られて困ることなど何もない。
今のところは。
多分。
おそらく。
きっと。
そこんところどうなんですかね、香取さん?
事務所から横浜第三鎮守府まではそれほど遠くない。中古の小型バイクで一時間もあれば充分だ。艤装を使って水上を行けば近道のうえに手軽だが、燃料が勿体ない。明石経由なら多少マシにはなるが、民間に流れてくる艦娘純正燃料は高いのだ。
裏口の通用門で、あらかじめ連絡を入れておいた香取が待っていた。
まずは鎮守府内の聞き込みからだ。とはいえ、鹿島の脱走に関して直接聞き回ることなどできるわけがない。脱走疑惑を隠して、鹿島の人となりなどを聞き込むことになる。
さて、突然の聞き込みを同僚たちはどう思うか。
「一応聞いておきますが、どうなさるおつもりですか?」
「木更津鎮守府からの身元照会。ただし非公式のため、民間に下った艦娘による調査。木更津とは言わずに匂わせるだけ」
「極秘の転属事前調査に見せかける訳ですか」
ここで止めれば入構許可は取り消されるだろう。なので、続ける。
「あるいは出向依頼、民間からの引き抜き、抜き打ちの保安チェック、調査側の実地訓練かもしれない。機密、近場、プライバシー、その他色々とデリケートな問題だから、第三者、もしくはそう思わせたい誰かが調査しているということで」
「どれとは言わず、勝手に想像させると」
いいでしょう。と香取は頷いた。
「民間に降りたとはいえ、さすが大淀型ですね。探偵稼業も頷けます」
大淀型は提督直属の秘書艦や相談役に選ばれることが多い。
褒め言葉と受け取っておこう。できれば報酬に反映してほしいけれど。
「報酬は最初の取り決め通りに。それから、これを」
残念な言葉と共に香取が取り出したのは『丙種入構証』。鎮守府内ではかなり制限の多い身分証だ。
これでは自由な聞き込みどころか、普通の聞き込みも難しい。
「鎮守府内では私がご一緒しますが、ぴたりとつくわけではありませんので、聞き込みはどうにかなるかと」
当然と言えば当然か。さすがに部外者は放し飼いにはされない。
「ああ、一つ、念のために」
成田と山西の件を伝える。警察が鹿島の件で動いているかもしれない。
単に個人的な嫌がらせの可能性もあるが、成田はあれで優秀だ。ある程度の見通しは持っているだろう。
「鎮守府の……いえ、艦娘のあら探しはあの方々の習い性ですから驚きはしません」
そこはお互い様だろうと思うが、口には出さない。ただ一応、釘は刺しておく。
「万が一聞かれるようなことがあれば、私はここに来なかったと」
「聞かれるようなアテでも?」
「アリバイは残しておきましたけれど、念のため」
今夜の明石は一人で二人分のディナーを食べることになる。もしかすると、大淀型によく似た誰かと一緒なのかも知れない……艦娘の多い街だから確実にいるだろうけれど、そこは色魔、違った、明石のプライベートだ。知ったことではない。相手の貞操は無理としても無事だけは一応祈っておこう。
「では、行きましょうか」
鹿島と艦隊を組んだことのある艦娘、仲のいい艦娘。聞き込みそのものはスムーズに進んだ。
さすがに香取は調査というものをわかっていて、質問内容には一切口を挟まず、付かず離れずの位置から監視していた。話をした艦娘のほとんどは、香取の存在に気づかなかったかもしれない。
しかし、聞き込みの成果は芳しくなかった。どこにでもあるような日常の様子をいくら聞かされたところで足しにはならない。
異常とまではいかなくとも、何らかの〝ずれ〟は見つけたいところだ。
気分転換に応接室で来客用コーヒーでも御馳走になれば。というわけにもいかず、とりあえずお手洗いへ。
「一緒に入ります?」
「どうぞ、ごゆっくり」
香取は入口で待つそうだ。
ずらり並んだ個室の一つに入ろうとすると、外からの大声。
「先客? 共同なんだから別にイイだろ。こいつらもだよ。連れションだ、連れション」
大声で笑う声は天龍のものだ。
「レディたるもの、嗜みがなさ過ぎよ」
「天龍さんは下品なのです」
「天龍らしいね」
「龍田さんに言いつけるわよ」
暁型四姉妹の声もそれぞれ聞こえる。
どやどやと入ってくる五人。
小走りでそれぞれの個室に別れる暁型。
天龍が一瞬足を止めて背後に回る。それに背中を押されるように個室に押し込まれると、耳元で素早く囁かれた。
「鹿島を助けてくれ」
上着のポケットに差し込まれるメモ。
頷いて、叫ぶ。
「ちょっと、何するんですか!」
突き飛ばすように二人して個室から出る。退いた天龍の首元を、やや遅れて入ってきた香取が掴んだ。
「香取さん、なんなんですか、その人は」
香取は無表情に天龍の顔を引き寄せていた。
「なんのつもりですか。天龍さん?」
「おいおい、なんだよ、ちょっとしたジョークだよ。俺にそっちの趣味はねえって」
「お客様相手に馬鹿な真似はしないでください」
「へぇ。お客様かなんだか知らねえが、なんかこそこそ嗅ぎ回ってるって聞いたぜ」
「私がいますから、おかしな事はさせませんよ」
「本当かよ」
「ええ、私が監視していますから」
「ま、香取の言うことだ。信用するぜ。あ、それからよ、いい加減俺の前線配備頼むよ。いつまでもチビ共の御守じゃなくて、闘いてぇんだよ、俺だって」
「御守ではなく演習と遠征です。後方任務も立派な任務ですよ」
「そりゃわかってるけどよぉ。ま、頼むぜ」
天龍に率いられた駆逐隊が去って行くと、衣服を正して香取を睨みつける。
「まさか、天下のハマ三鎮の艦娘から嫌がらせを受けるとは思いませんでしたよ」
「僚艦を思っての暴走でしょうね。天龍の性格はよくご存じでしょう? 貴女に対して特に悪意があるわけではありません」
「お詫びにコーヒーとケーキ」
「それくらいなら御馳走します」
「来客用で」
「なんなら夕食くらい出しますよ」
思った以上に太っ腹なので、少し悪いことをした気分になる。
しかし遠慮無く戴いた。少し、ほんの少しだけ、多めに。
「次はどうされるおつもりですか?」
食後のコーヒーという贅沢な時間まで過ごさせてもらっていると、今後の予定を聞かれた。
「最後に連絡があったところに行ってみるつもりですが、香取さんはどうします? バイク移動なので二人は無理ですよ。警察が来るようなら撒くことも必要ですし」
「そちらはお任せします。何かわかればすぐに連絡してください。ああ、それから、警察のほうはこちらから手をいれてみますので、ご心配なく」
正直この横槍は有難い。
鎮守府を出る前に電話を借りる。
留守電に繋がるという事は明石は帰っていない。この時間に戻っていないのならば、やはり誰かを引っかけて遊んでいるのだろう。それはそれでいい。もし成田が見張っているのなら、せいぜい勘違いしていて欲しいものだ。
事務所の裏口にバイクを停めて、窓から入る。表からは見えないので重宝している出入り口だ。
今日は裏口に縁がある。そう思いながら入り込むと、何故か明石がいた。
「お帰り」
「お楽しみじゃなかったの?」
「電話の留守録聞いたよ。私が帰ってくる直前だったみたいね」
大戦の前にあったという携帯電話。
深海勢力側による汚染被害で無線網は壊滅している。大規模侵攻が収まった今でも速やかな汚染除去は不可能とのことで、個人レベルでの全国無線通信など夢物語。
辛うじて艦娘同士なら短距離無線通信は可能だが、それも海上で艤装展開中の話だ。
「それで、成田は来たの?」
「それらしき影が様子見に来てたけどね」
「念のため聞くけれど、夕食の相手はいたのよね?」
「勿論いましたよ。単艦デートディナーってどんな罰ゲームよそれ」
暇な艦娘のたまり場にいた筑摩を見つけて口説いた、と明石は言う。さらに、口説き倒して伊達眼鏡をかけさせたと。
偽者を仕立て上げた訳か。
「近くで見なきゃわかんなかったと思うけどな」
御苦労様。
「いいのいいの、役得だったし」
つい最近、利根を深海棲艦に沈められた筑摩の傷心につけ込み、口説き落としたとのこと。そんな説明は要らない。
明石のことだから悪辣な真似はしていないと信じるけれど。
それにしても。
明石が口説いて成功したにしてはこんな時間。まさか本当に食事だけで済ませたのか。珍しいこともあるもんだ、この色魔が。
「最後まで行ったんだけどね」
嫌な予感がする。ゴメン、それ以上説明要らない。やめて。
「途中から『利根姉さん』しか言わなくなっちゃって。私は明石だっての」
だからやめてと。最悪じゃないの。傷を舐め合う道化芝居はやめなさい。
「というわけで、中途半端で切ないのだけど」
期待の籠もった潤んだ瞳で見つめられても困るのだ。
「私にそういう趣味はないの」
「……大淀、人のことこき使うくせにご褒美くれないよね。それはさすがにどうかと思うよ」
「私は、貴女とはいい友人でいたいんだけど。駄目? どうしても駄目、我慢できないって言うのなら、サヨナラするしかないのよ」
明石の頭を引き寄せて思いっきり抱きしめる。
「今の私はこれが精一杯」
同じ型の艦娘が全く同じとは限らない。性癖も同じ。全ての明石が同性愛者でないように、明石の想いに応えられる大淀だっているはず。
だけどこの子は探さない。貴女じゃないと駄目だと言い切る。
それは本当に申し訳ないと思う。嬉しくないと言えば嘘になる。だけど、応えられない。
「ごめんね」
「うん。でも、それが私の好きな大淀だって」
自分から抱きしめて言うのもなんだけど、安いな、この子。
わかっている。自分が悪辣なのだ。いずれ刺されるか砲撃されるだろうけど、それはその時考えよう。この子に撃たれるなら、仕方ない。
「今日、泊まってもいいかな?」
「床で寝てくれるなら」
ベッドは一つしか無い。
「ちっ……この流れならイケると思ったんだけどねぇ」
「帰れ」
叩き出される前に素直に帰っていく明石を見送ると、天龍から受け取ったメモを確認する。
書かれていたのは住所、一人の男性の名前と外見。
『マイケルひかわ。金髪、長身、痩せ形。俳優の鹿目淳に似ている』
なんだこれ。
あからさまな偽名にも見えるけれど、時々鋭すぎて常人には理解できないネーミングセンスを発揮する人間はいる。なんとかカワウソとかキリンなんちゃらとか。全部艦娘命名のような気もする。
そして、鹿島と男性との関係。
『プロポーズされたらしい。鹿島はこの男の所にいるはず』
人間が艦娘にプロポーズ。
過去に例がないわけではない。幸せになった者もいれば不幸せになった者もいる。そこは人間同士の夫婦と特に変わることはない。
「色恋沙汰に逆上せているだけなら、話は楽ね」
仕事は楽な方が良い。
とりあえず明日、この住所に出向いてみよう。
鹿島からの最後の連絡があった場所からも遠くない。
戸締まりを確認してシャワーを浴びる。ベッドに入り、壊れた聴音機を被ると目を閉じた。
潮の香りがぎりぎり届く。そんな絶妙な位置にその店はあった。
スナック「リバティ」
アイオワ達が好きそうな名前の店。
外見的には、山城あたりが喜びそうな絶妙な寂れ具合。
「ここ……よね」
メモに書かれていた住所に間違いはない。
まだ店は開いていないようだが、ドアは開いた。
「すいません、どなたかいらっしゃいますか?」
「店は夜からだよ」
低い声が帰ってきた。マイケルっぽくない。どちらかというとドウェインとかアーノルドとかジェイソンっぽい。
「あの、ちょっと伺いたいことがあるんですけれど」
ああ? という不機嫌なうなり声と共に姿を見せたのは、やっぱりドウェインとかアーノルドとかジェイソンっぽい体格の男性。
「こちらに、ひかわさんという方がいらっしゃいませんか?」
「なんだ、あんた」
艦娘とは便利なもので、髪を短く切って軽くパーマをかけても、いつでも高速修復材で元の髪質と長さに戻ることができる。
ついでに眼鏡を外してコンタクトで目の色を変えれば、一見で艦娘大淀だとはわからない。
ちなみに、参考にしたのは青葉だ。
ただし、今は人間のふり。バレたとしても、人間のふりをしている青葉のふり。
「あ、私こういう者です」
名刺を渡す。
名刺自体は本物。探偵としての名刺だ。
「探偵?」
「結婚相手の身元調査を依頼されまして。その、ひかわという方を探しているのですが、こちらに出入りしているとお聞きしまして」
男は不機嫌さを隠そうともしていないが、こちらを追い出そうとするそぶりもない。
もしかすると、元々こういう顔なのかも知れない。
「客の名前を全部知ってるってわけでもねえからな」
やはり不機嫌なのは見た目だけのようだ。
「もしウチの客だってんなら、夜にもう一度来な。ただし、客としてな。他の客に迷惑掛けねえなら好きにしてくれ」
つまり飲みに来いと。スナックの払いは必要経費になるだろう、多分。必要経費に関してはそれなりに融通を利かすと香取が言っていた。それなりの成果があれば、だが。
開店時間を確認して、とりあえず宿を探す。飲んだ後に事務所まで戻るのはちょっと無理だ。
駅前の安宿で部屋を取ると、街から一番近い海岸を探す。無意識に水辺に近づいてしまうのが艦娘の本能だ。海か、あるいは川か池か。水上にあればいつだって安心してしまうのだ、艦娘ってやつは。
もちろんそこで鹿島が見つかるとは思っていないけれど、一応見ておけば何かと役に立つ場合もある。言ってしまえば、逃走経路にもなる。
適当な時間を見繕って店に戻ると、なんだか盛り上がっていた。
「待ってたわよぉ! はーい、みんなぁ、艦娘ちゃん登場!」
店の主人の猫撫で声。なんか化粧してる。着物が似合いますね。
つまり、この人はドウェインでもアーノルドでもジェイソンでもない。おネエさまだった。本物か芸風か生活手段かはわからない。
あと、艦娘ってバレてる。
どっちだ。どっちのノリだ。艦娘嫌いか、艦娘大好きか。前者なら振り向いて全速で走って逃げる。艤装があれば逃げる必要はないどころか速攻で制圧できるけれど、艤装なんて持ち歩いているわけがない。
こんなとき島風や天津風、秋月姉妹ならば楽なものだ。あの子達には常に自走どころか自律艤装が付き従っている。
「艦娘さんありがとー!」
後者だった。
まずは一杯。そして軽食。更に乾杯。そして一杯。おつまみ一つ。そして乾杯。
それぞれのチャプターの間には、賛辞と感謝と敬意と雄叫び。
途切れ途切れの会話からわかるのは、この街が艦娘に救われたこと。例えではなく間接的でもなく直接に深海棲艦の襲撃から救われたと。
だから、訪れた艦娘には一回目は払わせないのが店の掟であり、客達の矜恃なのだと。
街に戦禍の痕が少なかったところを見ると、本当に見事な撃退だったのだろう。お手本通りの迎撃作戦というものだ。
鹿島もここで歓迎され、〝ひかわ〟に出会ったのだろうか。
酔っ払いからの無数の賛辞と感謝の言葉に交ざって、五回ほどプロポーズされたような気もする。
求婚するなら指輪もってこいと啖呵を切ると、たちまち片手五本両手十本の指にはめられるおつまみ、ポテリングとかいうスナック菓子。直ちに「第一回艦娘さんの指からポテリング直接食べる権利争奪ダーツ大会」が始まる。なんだこの酔っぱらい達。第一回ってなんだ、何回やる気だ。
酔っぱらい達はゲラゲラと底抜けに明るく笑って、飲んで食べて、また笑う。
わかった。バカだ。こいつらバカだ。馬鹿すぎて、護りたくなるくらい馬鹿だ。だから人間ってやつは。困る。
「優勝者は……またお前か、名前言え!」
「名前イエーイ」
「違ぇ!」
「えーと、ピエール小野田でーす!」
「名前増やしてんじゃねぇよ」
「誰だよお前」
バカが増殖していく。
素晴らしい夜だった。
特に、すべて奢りというのが素晴らしい。願わくば週に一度は来て欲しい夜だ。いや、三日に一度くらい。
幸せそうに酔いつぶれた男達をあとに、主人に礼を言いながら店を出る。
そして店横の路地裏で待機する。
一時間ほどすると店から出てくる、というより追い出されながら、客の男達は三々五々に散っていく。
鹿島よ、単純思考であってくれ。そう祈りながら一人の男を尾行する。俳優の鹿目淳に似た黒髪の男。以前脱色していたような、荒れた髪質の男。ピエール小野田を。
平凡なアパートに入っていく小野田を確認して、少し遅れてアパート玄関の扉に手をかけた。
立ち止まり、三つ数えて振り向いた視界の隅に見える、驚いて立ちすくんでいる姿へと走る。
捕まえ、肩を掴み、正面から顔を見る。
当たりだ。
「はじめまして、鹿島さん」
河口に一番近い橋の下に、小さな住処ができていた。教典通りのサバイバル、いい実地訓練だったようだ。
「私が、世間知らずの馬鹿でした」
座り込んだ鹿島の目は潤んでいる。何度も泣いた痕が顔に残っている。
そうだと思う。鹿島の言葉には賛成しかない。世間知らずの馬鹿だったのだ。それでも、馬鹿には帰るところがある。
小さなお使い任務でたまたま訪れた街の酒場でプロポーズ。
酔っ払いの戯言だとしても、鹿島にそれを疑うだけの経験は無かった。初心な世間知らずの艦娘は、男のプロポーズを受け入れた。
問題は、男がそれに気付いていなかったこと。ただのお遊びだと思っていたこと。
それが遊びだと知っている艦娘はプロポーズなんて笑って流して、男達と一晩楽しく騒ぐだけ。
遊びだと知らない鹿島には流せなかった。だから、もう一度姿を見せようとした。正式に受け入れるために、男と話すために。
結婚するんだと厳しい姉には告げられず、たった一人、口の堅い僚艦、天龍だけに告げて。
男と一緒に鎮守府に戻り、正式に除隊しよう。新しい生活を始めよう。
男に逢いに来た鹿島は見た。別の艦娘……妙高型だったらしい……とどんちゃん騒ぎする男達。
妙高達も同じ。男達と楽しくお酒を飲んで騒いだだけ。
「怒るとか哀しいとか、その瞬間は何もなくて、ただ、気持ちが切れちゃいました」
「最初は誰だってそんなもんですよ……いや、皆が同じ間違いをするとは限らないけれど、運もあります。間の悪いときもあります」
初陣で沈む艦娘もいる。初陣でMVPをとる艦娘もいる。そんなものだ。
「一晩休んで明日の朝帰りましょう。休暇はまだ残っているんでしょう? 今ならちょっと辛めの笑い話で済みます」
鹿島が表情を固めた。
「休暇なんて、もう終わってます」
「待って。一週間の……」
言いかけて気付く。
騙された。最初から、騙されてた。
香取の温情でもなんでもない。これは、最初から脱走艦娘の捜査だったのだ。
つまり、今この瞬間も。
駆け込んでくる影。香取。手には銃。
人間とは違う。拳銃など艦娘には効かない。
ただし、深海棲艦の外殻を加工した銃弾ならば話は別だ。鎮守府にはその備えは当然ある。
香取は止まった。一人が撃たれている間にもう一人が逃げることも不可能、絶妙な位置に立ち止まった。
「僚艦が待機中よ。私がこの場に一人で来たのは、せめてもの慈悲だと思いなさい」
鹿島は動かない。香取の言葉に嘘は無いと知っているのだろう。
「静かにしていれば探偵さんのほうには手を出さないわ。その人、知り合いが多いのよ」
ありがたい話だが、礼を言う気にはならない。
「民間に降りた艦娘は始末が面倒くさいわ。鎮守府の艦娘なら簡単なのにね」
脱走兵は射殺。人間にとっては古く馬鹿げた話だが、艦娘にとっては今のリアルだ。
「騙したんですね」
言葉しかない。実力行使に出れば、銃口がこちらに向き直るだけだ。
「調査、御苦労様」
何故だ。何故部外者の探偵を、艦娘崩れを騙す必要がある。鹿島を探すだけなら、鎮守府だけで充分だ。
そうか。
「私を使ったんですね、内部の調査に」
鹿島と繋がる艦娘を探していたのか。天龍を、探していたのか。
「鹿島さんに何かあれば、天龍さんだって黙ってないと思いますよ」
「天龍は希望が通って喜んでいたわ。貴女に礼を言わせるべきだったかしら」
「希望?」
「闘いたがっていたでしょう? だから前線へ送ったのよ、今日付で。脱走の手助けをする子なんて、ウチには要らない」
それから、と香取は続けた。
「いざというときの警察の動きも知りたかったから」
ありがとう鹿島。と香取は言う。
「おかげで色々とわかりました。次は艦娘の最後の務め、それくらいは貴女にもわかりますよね」
鹿島は逃げる素振りも見せなかった。
「香取姉さん」
「私の妹は去年沈んだ。お前は、妹じゃ、ない」
あは、と鹿島は笑った。
「なんだ、私、最後まで勘違いしっぱなしで……」
香取の手が動いた。
息をのみ、できる限りの早口で叫ぶ。
「嘘ついてました。ひかわさんの依頼で、貴女に謝ってよりを戻したいから仲をとりもってくれと……」
銃声。
鹿島は最後にありがとうと言ったような気がした。
忌々しいほど身勝手な、無能な探偵の罪滅ぼしの幻聴だ。
「報酬は約束通り振り込んでおきますから、また何かあったらよろしくお願いします」
鎮守府の担当者が、民間に降りた艦娘の力を借りて脱走艦娘を追い詰め、射殺した。
ただ、それだけのこと。報告書にはそう書かれるのだろう。
ハマ三鎮のエリート艦娘香取にとっては、ただそれだけのこと。
艦娘崩れのヘボ探偵にとっても、ただそれだけのこと。
それ以上は何もない。何も、できない。
耳元のアラーム音で目が覚める。
「あ、起きた。おっはー」
「おはようございますですわ」
ベッド脇には艦娘崩れが二人。鈴谷と熊野。本人達によると女優志望らしい。この前はカメラマン志望で、その前は小説家志望だった。
鍵は渡してあるので、入ってくること自体は構わない。ただ、久しぶりだ。しばらく姿を見ていないと思ったら、突然こんな風に現れる。
「ねえねえ聞いてよ、淀さん。鈴谷と熊野、プロポーズされちゃった」
「それが酷いんですのよ。一晩こっきり期間限定恨みっこ無しのプロポーズですって」
「受け入れたらテレビに出してあげるって、ふざけてるよねぇ」
ああ、こいつらも、碌な人間と付き合ってないな。最初から冗談の、港町の酔っぱらい達の方がまだマシだ。
「でも鈴谷、受け入れそうでしたわ」
「何言ってんの熊野。私は、プロポーズするなら指輪もってこいって言ったのよ」
「そうでしたっけ?」
「鈴谷の稼ぎ三年分の指輪ね」
「ゼロは何年分でもゼロですわ」
「向こうの稼ぎ三年分だったかな」
「それはいくらなんでも多すぎですわ」
「とにかく、断ったの。そしたら、他のお仕事も無くなっちゃったんだよね」
「そういうわけですので、大淀さん。朝ご飯食べさせてくださいまし」
用事はそれか。
でも、いいか。
プロポーズを断ったのがいい。今は、そのやり取りが嬉しい。
ベッドから起きて冷蔵庫を開けた。
ハムと牛乳。戸棚にはパンもある。
「ハムサンドパーティ、いこうか」
鈴谷と熊野が賛成の声を上げる。
三分後、鈴谷が黙々と食べるその横で、
「これ、チャーシューですわ!」
熊野が悲鳴を上げていた。
次があるかは未定