「おお、綾人よ元気そうじゃのう」
「フッ‥‥‥これで元気に見えているのなら、引退を考えられたほうが良さそうですね。先生」
江ノ島鎮守府の執務室で、元帥である
「ふむ‥‥引退か‥‥ならさっさとお前が儂のあとを継いでくれれば良いものを」
「お断りします。元帥だなんて、悪目立ちしてなんの役にも立たない肩書きは欲しくありません」
「ほぅ‥‥言ってくれるのう。まあ、冗談はこれくらいにしておこうか」
有本がそう言った瞬間、この部屋の空気が一変したのを有本と綾人のそばに控えていた響と大和は感じ取った。
「お前の手はず通り、野田を佐世保へと配属したぞ」
「ええ、ありがとうございます。まあ、これで尻尾を見せてくれればいいですか、そうも行かないでしょう。もしそう簡単に尻尾を出すなら、我々はここまで苦労してはいません」
「さて、お前は次に何をするつもりだ?」
「引き続き、関西中国を中心に餌を撒きましょう。まず岡田さんがいなくなった事で混乱している舞鶴に姉さんを視察の名目で送り、簡単には手を出せないようにします。流石に大日本帝国海軍大将、波切綾香に手を出すほど相手は愚かではないでしょうから。そして一応東北に瑠音を視察に向かわせましょう。確か前に大湊がどうとか言っていたので」
「他には?お前の事だ、まだ終わりではあるまい?」
「流石先生。これで終わりではないとよくお気づきになりましたね」
綾人はそこで一度言葉を切り、一口紅茶を口に含んだ。
「先生にお聞きしたいのですが、『奴ら』がこの世で最も欲しい物は何だと思いますか?」
「まさか‥‥‥」
「ええ、そういう事ですよ」
その瞬間、有本は綾人の濁った目が一瞬怪しく煌めいたように見えた。
波切綾人、元帥である有本を参謀として支え、中将でありながら海軍の全権を任せられている青年。彼が直接指揮した戦いでは負けたことはなく、彼の就任以降日本は領土を一度も失っていない。そんな彼を人々は帝国の守護神と呼び、有本はその一瞬で、その片鱗を見た気がした。
「チェックアウトをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
菊月はフロントの女性に鍵を渡すと、女性は一旦カウンターの奥へと消え、何かを片手に戻って来た。
「菊川様、北山様という方から菊川様宛にお荷物をお預かりしております」
女性はそう言って一通の手紙を手渡した。
「ありがとうございます。確かに受け取りました」
「はい、ではお会計ですが‥‥‥」
「北山‥‥か」
菊月は旅館を出て自分の愛車に荷物を積んだ後、先程受け取った手紙を開いてみた。
『この場所にて待つ』
手紙にはその言葉とともに、住所が書かれているのみであった。菊月は直ぐにその手紙を仕舞うと、その場所へとバイクを走らせた。
「いらっしゃいませ〜」
手紙に書かれていた住所へとやって来ると、そこは昔ながらの喫茶店であった。菊月はその店へと入り軽くあたりを見渡すと、一人見慣れた人物がいるのが見えた。
「やっほ〜」
「誰かと思えば貴様か北上」
「まあね〜」
菊月は北上の対面席に座り、小声で話し始めた。
「貴様がなぜここにいる?」
「ん〜まあ、理由は色々とあるけど、私も提督にお使い頼まれててさ。取り敢えず、何も頼まずに居座るのもあれだから、なんか頼もうよ」
北上にそう言われ、菊月は近くにいた店員を呼び、二人は飲み物を注文した。
「それで、司令官に何を頼まれたんだ?」
「まあ、簡単に言えば威力偵察ってやつ」
「威力偵察だと?」
「詳しいことはこれに書いてあるから、暇な時に読むといいよ」
そう言って北上は一枚の紙を菊月に差し出し、それを受け取ったのを確認すると突然今までの雰囲気から一変し、真剣な表情になった。
「それよりも、今日あなたを呼び出した理由は別にあるんだ」
「だろうな。これだけの為に呼び出すとは思えん。それで、内容は?」
「提督が動いたよ」
「何だと!?私は何も聞いていないぞ!!」
「落ち着きなよ。あなたは、秘密裏に動いてるんだから大っぴらに伝えるわけにも行かないでしょ。だから私が来たんだから」
北上に指摘され、菊月はコップの水を飲み干すと、一度息を深く吐いて落ち着かせた。
「う、うむ‥‥それで?」
「まず、佐世保に野田大佐が派遣されたのはわかってるとも思うけど、近い内に綾香さんが舞鶴に視察に来るらしいよ」
「ふむ、司令官不在の隙を埋める為だな」
「そしてこっからが本題。提督が、呉にお忍びで向かう事になった」
「なっ‥‥‥!?ご、護衛は‥‥‥護衛は誰がつくのだ!?まさか響だけではないだろうな!?」
「響だけだよ。提督曰く、あまり多いと目立つからだってさ」
「こうしてはおれん!私はすぐにでも呉に向かう!」
「ちょっと落ち着きなって!来るのはまだ先の話だよ!」
「だ、だが‥‥‥」
「おまたせしました。アイスコーヒーお二つでございます」
菊月が何か言おうとしたが、やって来た店員の言葉で遮られ、菊月は話が途切れたことで無理やり冷静を取り戻した。
「だが、なぜ司令官はそんな危険な真似を‥‥」
「そんなの決まってるじゃん。『奴ら』がこの世で最も欲しいものが何なのか忘れたの?」
「自らを餌にするつもりか。なるほど分かってきたぞ。司令官の考えがな」
「では、お聞かせ願おうかな。あなたがたどり着いた答えをさ」
菊月がその答えを言うと、北上は一言「ご名答」と言って笑みを浮かべた。