声を失った男
ーー数日後。
江ノ島鎮守府の前に一台の軍用車が止まり、車から一人の軍人の男が姿を表した。真っ黒の軍服に、口元を隠すかのようにマフラーを巻いているその男は、鎮守府の建物を一度ゆっくりと見上げたあと、ゆっくりとした足取りで鎮守府へと足を進める。
すると、入り口に立っていた門兵がライフル銃を片手に男を止める。
「失礼。この鎮守府への来訪理由、所属、氏名、階級を……」
門兵は男に確認する。
しかし、男が軍帽を少しあげて顔を見せると、門兵は明らかに動揺したような反応を見せた。
「あ、貴方は…ッ!? しっ、失礼しました! 波切中将がお待ちです! どうぞ、中へお進みください!」
門兵は、慌てながらも速やかに、横へと道を空けて敬礼する。それを見た男が扉に手をかけようとすると扉が開き、中から白い軍服を羽織った銀髪の少女が姿を現す。
桜吹雪所属の響だった。
「野田大佐、お待ちしていました。執務室までご案内します」
「………」
野田大佐と呼ばれた軍人の男の名は、
響とは顔見知りだ。
野田響と視線が合うと、一瞬だけ殺意に満ちた瞳を無意識に向けたが、無言のままコクリと頷き、響の後ろに続いた。
「…………」
響の後ろを歩く野田に道行く提督達は視線向ける。だがその視線は、「あれは誰だ?」などの興味の視線ではなく、「なぜ、ここにいる?」などの疑惑や怪訝そうな視線であった。
見る人から見れば、野田はそういう視線を向けられる存在だ。
誰もがそのような視線を向けられれば、決して心地の良いものではない。
しかし、野田はその視線に慣れているのか、特に気にした素振りを見せず、執務室へと案内をしてくれている響に黙って付いて行く。
共に執務室の前へとやってきた。
「司令官、野田大佐をおつれしたよ」
「入ってくれ」
中から声が聞こえたのを確認すると、二人は部屋へと入り、野田は部屋に入ると敬礼をして、聞こえるか聞こえないかの掠れたような声で挨拶をする。
「野…田的…矢……波切……中…将に……拝謁……いた……し…ます」
「野田さん……声を出せないのですから、無理をなさらずに……ここには私達三人しかおりませんから」
綾人がそう言うと、野田はゆっくりと手をおろして、綾人が座っている椅子の向かいに腰掛けた。
「………」
「………」
ある事件で視力を失った綾人とある事故で声帯が潰れてしまい、まともに話す事が出来ない野田は意思疎通ができずに、無言のまま向かい合う。
「響、頼めるかい?」
「了解」
綾人が声をかけると、響は野田がメモ帳に書いた言葉を見て綾人に耳打ちをする。
『久し振りだね。綾人』
「はい、お久しぶりです。お変わりないようで安心しました」
『お陰様でね。君からの連絡なんて珍しいじゃないか。何かあったのかい?』
「例の舞鶴の件はご存知ですか?」
『有本元帥からある程度は聞いている』
「なら話が早い。実はお願いがありまして、野田さんに……佐世保へ行っていただきたいのです」
その綾人の言葉に野田は一切表情を変えず、さっさと続きを言えとばかりに綾人を無言で見つめる。
野田は、大本営に席を置く指揮官の一人だ。
退院して間もない彼をいきなり転属させる事に躊躇うのも無理はない。
「……目的は二つ、一つは佐世保の軍備強化を図り、【奴ら】に揺さぶりをかけるためです」
『なるほど、【奴ら】に色々と目をつけられている俺が軍備強化のため、佐世保へ行ったとなれば、何らかの動きを見せるかもしれないからね』
「二つ目はとある人物を調査して頂きたいのです」
『例のイズハと言う指揮官か』
「負担を掛けることは、重々承知の上ですが…貴方にしか頼めません」
『負担だなんて思っていないさ。君のお願いだ。聞かない訳にいかないだろう』
「野田さん…」
『引き受けよう』
野田が承諾すると、再び二人の間に沈黙が流れ、暫くして綾人がゆっくりと口を開いた。
「…………やはり、私を恨んでいますか?」
『…………』
綾人の言葉に、野田は一瞬書く手を止め、綾人をじっと見つめ、ゆっくりと書き始める。
『正直……君の事は嫌いだが、別に恨んではいない。あの時…君の選択は間違っていなかったのだと、あの時の君にはああするしか無かったのだと理解はしているつもりだ。結果は誰にも分からないとは言え、他に別の選択があったのなら、結末が変わっていたのではないかと…。まぁ、何も出来なかった俺が言えた義理じゃないけどね』
「……そうですか」
『さて、用件は済んだ事だし、帰るとするよ』
「ええ…」
綾人がそう答えると、野田は無言で立ち上がり部屋の入り口へと歩いていく。そして扉に手をかけたときに野田は掠れた声で呟いた。
「おま……え…は……むか…しから……かか…こむ……く……がある…も……こし…まわ…りを……た……れ」
「それは、年長者からの忠告ですか?」
「友……として……のし……ぱい……だ」
野田はそこまで言うと、扉を開けて部屋を後にしたのだった。
江ノ島鎮守府を背に、野田は少し前の事を思い出していた。
ーー数年前。
「お前は憎くないのか!? あいつを!!」
野田は、同僚に差し迫られていた。
「憎くないと言えば、嘘になる。だが…俺は信じている。あいつなら、必ず…」
野田は湧き上がる憎しみを抑え、前へ進む事を選択した。
しかし、それを同僚は許さなかった。
「あいつはあの人を…ッ!! お前の兄まで殺したんだぞッ!! 復讐を果たすために…今一度、立ち上がるべきだ!!」
同僚は、野田の胸ぐらを掴む。
表情を変えない野田は、同僚の手を振り払う。
「俺は…復讐なんてものに興味はない。お前達には分からないのか…。復讐を果たしたところで自己満足に過ぎない事を」
野田は、共に戦って来た仲間と決別する意志をはっきりと示した。
「腰抜けめッ!」
「お前に軍人としての誇りはないのか!」
などと罵声を浴びせられる。
気に留めず、野田はかつての同僚達を横目に立ち去ろうとすると、胸ぐらを掴んだ同僚の一人が吐き捨てるようにして叫ぶ。
「野田ァ…ッ!! いずれ…後悔させてやる…! この裏切り者がッ!!!」
最早、同僚の言葉に耳を傾けるつもりはなく、そのまま立ち去った。
この二人の関係は何なのか……次回もお楽しみに