漆黒の契約者 〜魔法が使えない少年は『死』の運命に立ち向かう〜 作:早見 綿飴
マイミアの町から歩き始めて、およそ1日。ユナン達は『幸運』の男マイケルと共に、落石が頻繁に起こると噂の山の近くへとたどり着いた。
「あれがドラクロス山。昔から、古龍が眠る山と畏れられている場所ね。1度は行ってみたかったの!」
アンナが、遥か高くにそびえ立つ山を指差しながら、嬉しそうにそう言った。ユナンもこんなに高い山を見るのは、生まれて初めてだ。
山の麓は木々によって緑に覆われている。だが、上にいくにつれて、だんだん緑色が少なくなり、荒々しい岩壁が露出している。山頂は、黒い雲で隠れていて見えない。
これ、落石とか以前の問題だな。まず、自分の体力が持つかどうか…
ユナンは山を見てそんな事を思った後、アンナが言った聞き慣れない言葉に対して質問をする。
「古龍?普通の竜とはなんか違うのか?」
そんなユナンの問いかけに、アンナではなくセーナが代わりに答えた。…自信たっぷりの声で。
「全然違うわ。竜は生き物だけれど、古龍は精霊が進化した最終形態よ。つまり、自然の神様ってことね。ふふん。わたし、これでもこういう知識にはちょっと詳しいんだから。ユナンより賢いのよ。」
「流石セーナちゃん。オレ、博識な女性も好みだよ!」
胸を張ってドヤ顔で語るセーナに、キリマルが余計な合いの手を入れる。…なぜ変なマウントをとられたのかは分からないが、意気揚々と語るセーナがちょっと可愛いので放置しておくことにする。
…自然の神様か。敵には回したくない相手だな。
そんなユナンの考えを読んだかのように、ジークが補足説明をする。深青の瞳をまっすぐこちらへ向けた。
「安心しろ。ここ100年、古龍の出現は一切報告されていない。…まあやつらは、存在するだけで自然災害そのものとなるらしい。そんな簡単に出現するようでは、世界がいくつあっても足りないだろう。」
「へー。そんなやばいヤツもかつての世界にはいたのか。俺はこの時代に生まれて良かったぜ。」
ユナンはしみじみとそう呟く。魔獣に、大罪の十二宮、そしてあの黒い怪物。世界にはとんでもない化け物がゴロゴロいるのだ。そのうえ、古龍なんてものが出現したら、命を何回失うはめになってしまうのか。想像したくもない。
「へぇ。僕も少しは聞いたことがあったけど、まさか自然災害そのものになるだなんて、知らなかったよ。1度会って運試しでもしてみたいな。…僕が死んでしまうのか。」
マイケルはジークの話を聞き、珍しく薄緑色の瞳に光を宿して、興奮じみた声でそう言った。そんなマイケルの様子を、みんなは訝しげに見つめる。
…変態の考えることはよく分からない。まあ放っておこう。
山の麓までたどり着き、ユナン達は何事もなく、山道を登っていく。小鳥たちはさえずり、虫の音がどこかから聞こえてくる。平和な山の風景に、ユナン達はほっと息をつく。
老人から聞いた話よりもずっと安全そうだ。それとも、これも『幸運』の加護のおかげなのか。それはマイケルにしか分からない。
ユナン達は順調に山を登っていく。途中でキリマルが弱音を吐いたが、みんなは気にせずに進んでいく。そんなみんなを、キリマルは必死に追いかけていた。
道中、猿型の魔獣が数匹姿を現した。突然の奇襲にユナン達は驚く。猿型の魔獣達は、マイケルに向かって一斉に大きな石を投げつけた。石といえども、頭に当たれば致命傷になる。
「マイケル!危ない!」
ユナンはマイケルにそう叫ぶ。だが、叫ばれたマイケルの方はいつもと変わらず、余裕そうな笑顔だ。
マイケルに投げつけられた複数の石は全て、彼には当たらずに、彼の横を通り過ぎる。そして、その石は木々に反射して、逆に猿の魔獣達の頭を撃ち抜いた。魔獣達は金切り声をあげながら、黒い霧となって消える。
…そんなのありかよ。
常軌を逸した、有り得ない光景を目の前に、ユナン達は言葉を失う。しかし、当の本人は何事も無かったかのように笑顔でこちらへ問いかける。
「どうしたんだい?早く行こうよ。」
ユナン達は動揺しつつも、マイケルの後について行った。
…だが、山の中腹、高い木々が無くなり、岩壁が露出し始めた所で突然変化が訪れる。
暗雲が空に一気に立ち込め、大雨が降り出したのだ。
「もう、最悪!アンタの『幸運』はどこへ行ったのよ!」
「あはは。そんな風に責められても困っちゃうな。君たちがツイていなかったのかもしれない。」
アンナの責め立てる声を、マイケルは苦笑しながらはぐらかす。ユナン達は大雨でびしょ濡れだ。
ここには身を潜める場所もない。一旦戻るしかないか。
そう考えながら、ユナンはマイケルの方をちらりと見る。…流石のマイケルも、雨粒を全部避けたりはしないか。『幸運』の加護ってのはよく分からないな。
「この天気で山を登るのは危険だわ。ここは一旦、山を下りましょう。」
アンナの提案に、ユナン達は頷く。だが1人、賛成しない男がいた。
「そうか、ではここで君たちとはお別れだね。残念だよ。」
眉をひそめ、演技じみた寂しそうな声で、マイケルはユナン達に別れを告げる。
「本気か!?マイケル!いくら加護の力でも、限界があるだろ。この雨じゃ、爺さんの言う通り、土砂崩れや落石が多発するぞ!」
ユナンはマイケルを心配して、大雨の中叫ぶ。猿の魔獣の時の彼の力は凄かった。だが彼の加護はあくまでも『幸運』だ。『無敵』ではない。落石は運良く避けれても、土砂崩れなんかは避けようがないでは無いか。
「僕を心配してくれるのかい。優しいんだね、ユナンは。でも僕は行くよ。…死んだら死んだで、僕は幸福なのさ。」
そう言って、大雨の中を進んでいくマイケルの背中を、ユナンは呆然と見つめていた。
…訳が分からない。死ぬのが幸福?俺は1回、文字通り「死んだ」。あの時の「死」の喪失感は今でも身体に染み付いている。あの男はそれを望むというのか?
「おい、ユナン!そんな自殺願望者のことなんて、放っておけ!山を降りるぞ!」
ジークの怒声が聞こえてくる。…俺はマイケルとは違う。この先も生きなくてはならない。
「分かった!」
ユナンがジークにそう叫び、山を降りようとした時だった。地響きと共に、何か大きいものが地面を転がり落ちる音が聞こえてくる。
ユナン達は音のする方を向いて、目を見開いた。大量の岩石が斜面を転がり落ちてくる。その進行方向には、ユナン達がいた。その岩石は人の何倍もある大きさだ。
――当たれば即死は免れない。
ユナン達は猛スピードで転がり落ちてくる岩石を、何とか躱そうとする。
ユナン達の横を、おぞましい音を立ててながら、岩石が転がり落ちていく。
…近くで見て分かった。即死どころの話ではない。当たれば、全身が砕け散り、一瞬のうちに肉片と化すだろう。
…運良く全員、岩を躱すことができたようだ。仲間の生存に、ユナンはほっと胸を撫で下ろす。
だが、それもつかの間。アンナの頭上を大きな影が覆った。
「えっ…」
その影の正体は、どこからか降ってきた岩石のものであった。それがピンポイントに、たまたまアンナの頭上に落ちようとしている。噴火でも無いのに、そんな『不運』、人生に数回ある程度だろう。アンナはそのとんでもない『不運』を目の前に、思わず反応が遅れる。
そのまま彼女は岩石に潰され肉片に…
…ならなかった。だが、その岩石は彼女の代わりに、1人の男の命を容赦なく奪った。ユナンの想像通り、岩石に当たった男の全身は砕け散り、肉片と化す。
――その男とは、アンナを庇ったジークのことであった。
ジークはとっさにアンナに駆け寄り、彼女を突き飛ばしたのだ。――自分を犠牲にして、彼女を救うために。
ジークは岩石に押し潰される間際、アンナに何かを言ったようだった。その内容は、ジークとアンナにしか分からない。
1人の男の命を奪った血塗れの岩石は、そのまま何事も無かったかのように、斜面を転がり落ちていった。その後にはもう、ジークの原型は少しも残されてはいなかった。ただそこには、人の潰れた肉片と砕け散った骨だけが残されていた。
「いやぁぁぁあぁぁああぁあぁ!!」
その肉片を前に、アンナは喉が枯れるほど悲痛な叫び声をあげて崩れ去る。彼女のポニーテールはほどけ、その紅の髪には、さらに赤黒い、彼の血痕が染み付いていた。
「約束…したじゃない。アタシたちの『目的』を果たすまで、一緒にいてくれるって。…アタシは、その後もアンタと一緒に…」
アンナは絞り出すような声で、肉片に向かって何かをずっと呟いていた。
大雨の中でもわかる、彼女が大量の涙を流す姿を、ユナン達はただ呆然と見つめていた。
――ユナン達は何も出来なかった。
いや、ジークだけはあの一瞬の間に、己の持てる最大限の力を振り絞り、身を呈して愛する者の命を守ったのだ。
本当に愛していたかどうかはユナンには分からない。だが、あの人間離れした『速さ』は、それくらいの人を救うためにしか発揮できない。それだけは、確証が持てる。…それくらい、自然は残酷に、「一瞬」で軽々しく人の命なんて簡単に奪ってしまう。
それは契約者が相手でも変わらない。契約者とて、所詮は少し力を持った「人」でしかない。自然にとっては契約者であろうが無かろうが、1匹の無力な虫けらに変わりは無いのだ。歩いていて、たまたま踏んでしまっても気づかない、そんな虫けらに。
ユナン達は、そんな自然の「1歩」に踏み潰された仲間を前に、ただ打ちひしがれていた。涙も逆に流れて来なかった。…実感が湧かなかったからだ。今まで一緒に過ごしてきた仲間の命が、一瞬のうちに奪われてしまった現実に。
しかし、自然は歩むのを止めない。さらなる脅威が、ユナン達に襲いかかった。
地響きではなく、今度は地震がユナン達を襲った。そして次の瞬間、ユナン達は一気に雲と同じ高さにまで到達した。ユナン達が上空に飛ばされたのであろうか。いや、足はしっかりと地面についている。
――高くなったのは、地面の方だ。
低く、大きな唸り声が辺りに響く。その鳴き声は竜に似ているが、規模が桁違いだ。その唸り声は山全体に響き渡っている。
「こ、これって…」
「ぎゃぁぁああぁ!」
セーナの驚きの声と、キリマルの悲鳴がユナンの耳に入ってきた。ユナンは2人の目線の先を見る。
――――!
山に、とてつもなく太い岩石の「足」のようなものが生えている。そしてそれには、竜の鱗のような緑の結晶がびっしりとついていた。
その足が大地を1歩、踏みしめた。とてつもない爆音と共に、地面が大きく揺れる。ユナン達はその大きな存在の上に乗っているので、あまり揺れは感じないが、下の大地は、地震によって木々が倒れ、大災害となっている。これは…
「古龍…」
ユナンは今日、聞いたばかりの言葉を口にしていた。存在そのものが自然災害となる。この大きな生物は、それを文字通り体現していた。つまり、
「山で眠ってるんじゃなくて、山そのものが古龍ってことか!?」
ユナンは思わずそう叫んでいた。規格外の大きさに自分の目を疑う。だが、目の前には「事実」として、その山のような存在が動き、大地震を引き起こしていた。
そんな中、突如古龍が身震いをした。周りから俯瞰して見れば、一見ただの可愛い生き物の動作に見えるかもしれない。だが、それは「生き物」の話だ。こいつは「生き物」の大きさを、とうに超えてしまっている。それによって落とされる、土砂や大量の落石は人の命なんて簡単に奪ってしまう。
前のとは比にならない数の落石がユナン達へ襲いかかる。これは、「運」と「実力」が合わさっても、生き残れるか、分からない。
ユナン達は全身の神経を研ぎ澄まし、回避に専念する。だが、
「アンナ!!」
ユナンがそう呼びかける。だが、アンナはうわの空であった。薄紅の瞳からは光が消え、生きる希望を失っている。もはや、彼女には生きようとする「意志」が無かった。
そのままジークの隣でアンナは同じく落石に潰され、肉片と化した。
…ジークの決死の最期は無駄に終わった。
「運」が良かったのか、なんとかユナン、キリマル、セーナは生き残る。だが、古龍によって振り落とされたのは、岩だけではない。
岩石を躱してほっとしていたキリマルに、低木がぶつかってきた。
「ぐぇっ。」
腹パンされたような声をあげて、キリマルは低木と一緒に落ちていく。だが、ユナン達はそんな状況に悲観している場合ではなかった。ユナンとセーナに土砂崩れが襲いかかる。
…それは、「運」でも「実力」でもどうしようもない。人には不可避の自然災害だった。飲まれれば、命はない。生存は絶望的だ。
「ユナン…」
それに気づいたセーナが、震えるような、泣きそうな声でユナンに声をかける。
その瞬間、ユナンの身体は勝手に動いていた。ユナンがどう動こうと、この可愛い少女を助けることは不可能だ。自然はそんなに甘くはない。
普通の生物なら、ここで自然の前にひれ伏し、「生」を諦めて、棒立ちになるだろう。だが、人には「心」がある。
ユナンはただ、死ぬ最後の瞬間に、この少女の隣に居たかった。そして、この泣きそうな少女を抱きしめてあげたかったのだ。そのために、ユナンは彼女の元へ駆け寄る。そして、彼女を優しく抱き締めた。
「あっ…」
ふんわりとしていて柔らかく、暖かい感触がしたのは一瞬の出来事だ。その後には、冷たい「死」の感覚が訪れる。
何の慈悲もなく、大きな土砂が小さな2人の人間を飲み込む。その後冷たい何かが頭にぶつかって、ユナンの意識はそこで途切れた。
前回とは違って、その「死」の感覚は一瞬であった。
――自然は平等に、残酷に、そして「一瞬」で生物の命を奪い去る。
――――――――――――――――――――――――――
「これが古龍か。凄いな、想像以上じゃないか!」
黒のコートを着た男が頬を赤らめて、興奮じみた声で、残酷な自然災害を見つめていた。その薄緑色の瞳には、確かな光が宿っていた。
「だけど…」
そう低く呟いた男の瞳は、いつも通りの光のない姿へと戻る。そんな男へ向けて、大量の岩石が降り注いでくる。だが、男には「決して」当たらない。まるで、岩石が生きているかのように男を勝手に避けていく。
そんな男に怒るように、自然は次なる刺客を差し向ける。大量の落石や低木を含んだ土砂が、男に降り注ぐ。その土砂の範囲は広大で、普通の人間なら避けようがない。たちまちその土砂に飲みこまれ、自然の一部となってしまうだろう。
――だが、その男は「普通」ではない。男には「避ける」必要が無いのだ。
その土砂が男の前で飛び上がり、宙を舞う。そして、男だけを避けた後、またいつもの土砂の様子へと戻り、流れていった。
「古龍といっても大したことは無いな。僕の方がツイていたみたいだ。」
そうつまらなそうに言って、男は悠々と歩き出す。天候は大雨。だが、男の全身には、一切、水滴がついていない。さっき、気分転換に雨に濡れてみたが、もう乾いてしまった。気分なんて『あの日』から、一向に変わるはずが無いと言うのに。…だが、全く無意味と言うわけでは無かった。
「ユナン。面白い子だったな。『幸運』の僕を心の底から心配してくれたのは、君が初めてだよ。」
男は不敵に笑いながら、そう言った。
だが、残念だ。あの子は今頃、土砂に飲まれ、死んでしまっているに違いない。...僕の「代わり」に。
運というのは収束するものだ。その法則を破るには、誰かに「不幸」を押し付けるしかない。その押し付ける力が強い者を、人々は「幸運の持ち主」と呼ぶのだ。
…全く馬鹿げている。
「さて、この先に僕を殺してくれる『幸運』はいるのかな?」
男は『幸運』の持ち主を探して世界を彷徨う。はたして、自分より『幸運』な者が、この世に存在するのであろうか。だが、男は長い旅の果て、既にもう、その問いの答えに気がついていた。
緑の古龍の攻撃が男に向かって襲いかかる。それは、自然の怒りそのもの。大地を割る、神の天罰。だがそれすらも、彼の元には届かない。自然の神すらも、彼の『幸運』には勝てないのだ。
――故に、彼は世界を永遠に彷徨い続ける。
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