漆黒の契約者 〜魔法が使えない少年は『死』の運命に立ち向かう〜 作:早見 綿飴
「ちくしょおぉぉ!」
ダイがそんな悲痛な叫び声を上げながら、その少女の胸に短剣を突き刺した。その短剣は魔獣に襲われた時の為の護身用、そして…
――ユイちゃんを守るために持ってきたものであった。
だがダイはその守るべき少女に向かって短剣を突き刺したのだ。少女は胸を刺され、真っ赤な血を口から吐いた。
「な、何やってんだよ!?ダイ!」
そんなダイに向かってユナンは怒鳴り声を上げる。ダイは気でも狂ってしまったのであろうか。ユナンはその狂人を止めるために、急いで少女の元へと駆け寄ろうとする。そんなユナンをジークが止めた。
「ユナン、待て。…少女の様子がおかしい。」
「はぁ?おかしいのはダイのほ…」
ジークに言われて少女をよく見たユナンは、そんな彼女の様子に絶句した。
――少女は胸を刺されてなお、笑っていたのだ。
「うふふふふ。あはははは。」
そして狂気的な目を浮かべた少女は、目の前にいたダイを吹き飛ばしたのだ。
「ダイ!?」
「ふごふご…お、おいらは大丈夫。」
幸い、ダイは茂みに吹き飛ばされたおかげで怪我は無さそうである。頭から突っ込んだので、そこから抜け出すのには時間がかかっているようだ。
華奢な少女の身体から振るわれたとは思えない力。さらに、
――彼女の目が赤く光っている。
さすがのユナンもこれだけ条件が揃えば、疑わなかった。しかし、驚きはある。
「こいつ…魔獣か!?」
「信じたくないが、どうやらそうらしいな。」
そう言ってユナン達は武器を構えた。こちらへゆっくりと歩いてくる少女の姿をした魔獣。こんなものと戦うのはもちろん初めてである。
「てりゃあぁ…うわっ!」
ユナンがその魔獣に向かって斬りかかっていく。だが何故か途中でユナンは体勢を崩して転んだ。もちろん落ちていた石に躓くほど、ユナンはドジではない。
ユナンは振り返って、自分が転んだ場所をじっくりと見た。すると、何やらキラリと光る細いものがあった。
「なんじゃこりゃ!…糸?」
ユナンが引っかかったのは、白い糸のようなものであった。それはパッと見ただけでは気づかないほど細いが、しっかりとした強度がある。
周りをよく見ると、そんな糸が何本もあった。
「攻撃が来る!下がれ、ユナン!」
そんなジークの声が聞こえてきた。さらに、ユナンの背筋に恐ろしい戦慄が走ったのだ。それは身の危険を本能が察知した証拠である。
ユナンは糸をカタナで切って、大きく後方へ下がった。そして次の瞬間、辺りに熱風が巻き起こる。
――紅炎がその無数の糸の上を駆け巡ったのだ。
薄暗い森の中が炎によって一瞬で明るくなった。周りの木々は燃え尽き、綺麗な夜空が少女の上に現れる。空中に無数に張り巡らされた燃えさかる糸が、その夜空を朱と金色に染める。
それは幻想的な風景であった。だが判断が遅れていれば、ユナンも一緒にその紅炎に飲み込まれていたのだ。美しく、そして残酷な炎の攻撃。それを放ったのはもちろん、目の前にいる少女の姿をした怪物である。
「炎を操るのか…厄介だな。」
「俺、今確実に死んでたよな!?あぶねぇー…」
そんな攻撃を見て、ユナン達がそれぞれ感想をこぼした。ユナンの額から冷や汗が流れる。そして自分の軽率な行動に反省した。
これからは未知の相手に突っ込むなんて真似はしないでおこう。そんな事をしていては、それこほ命がいくつあっても足りない。無駄死にはごめんである。
ユウタとダイも、木の陰からそんな光景を覗いていた。
ユウタは少女の姿をした化け物の攻撃を見て、ある名前が思い浮かんだ。
絡新婦(じょろうぐも)。日本に古くから伝わる妖怪の一種である。美しい女の姿をしていて、火を吹く子蜘蛛を操るらしい。
今回は子蜘蛛では無く、直接火を操っているので少し状況は違うが、そんな妖怪と、この化け物は酷く似ていた。
「それでこの化け物、どうやってやっつけるんだ?」
「氷の矢は届くか分からんな。…ユナン、弱点は見えるのか?」
「それが炎の糸で隠れていて、よく見えないんだ。あと、眩しい。」
「なるほど。では弱点が分かるまでは様子見だな。…さっきのようなヘマはするなよ。」
「へいへい、すんませんでした。以後気をつけまーす。」
そしてユナン達は戦闘に戻る。ユナンがすることは弱点の発見。そのためには、
「まずこの邪魔くさい糸を切らないとな!」
ユナンは慎重に、少しずつ炎の糸を切っていく。しかしそれを黙って敵が許すはずがない。炎の糸を巧みに操って、ユナンを取り囲むように攻撃を仕掛ける。
「うわぉ!!」
ユナンはそれを飛び上がって何とか回避する。
そんなユナンのすぐ横を氷の矢が通り過ぎた。下は熱い感覚、上は冷気で少し冷たい。ユナンも散々である。
そんな氷の矢は、炎の糸と共に消失してしまった。
「クソっ。やはりダメか。」
「ジークは俺の身体を掠めるように撃たないと気が済まないのか!?」
ユナンの抗議をジークは無視した。今はそれどころでは無いのだ。敵に矢を当てる技術はある。だが、途中で消えてしまう。どうすればいいのか。
本来の氷であれば、余程の熱を与えられない限り、一瞬で溶けたりなんてしない。だがこれは魔法同士の衝突。魔力量で差し引きされてしまうため、氷の矢はすぐに消えてしまう。
攻撃を通すには、無数の炎の糸をくぐり抜けられるほどの魔力量がいる。だがジークは魔法が大得意というわけではない。使い始めたのはたった2ヶ月ほど前である。
普通の矢だと、魔法の炎によって失速してしまう。
――つまりジークの攻撃では魔獣に傷一つつけることが出来ないのだ。
「…すまない、ユナン。弱点が分かったとしても、俺の攻撃は届きそうにない。」
ジークはユナンに悔しそうにそう告げた。糸による攻撃をギリギリで回避して、後ろに下がったユナンはきょとんとした目でジークを見つめた。
「ん?何言ってんだ?」
「魔力量というものがあってだな。それのせ…」
「いや炎のせいで氷の矢が届かないのは分かる。でも…」
そしてユナンはジークの方を笑顔で見つめた。それは自信が満ち溢れていて、見るもの全てを元気づけてくれるような眩しい笑顔であった。
「お前の弓の腕は世界一なんだろ?炎の糸の間を進む矢くらい、簡単に撃てるだろ。」
炎の糸は無数にある。そんな間を縫うように進む矢を撃ち、しかも魔獣に命中させろだなんて、無茶ぶりである。だがユナンはジークなら出来ると、信じて疑わない様子であった。そんなユナンの様子を見て、
――ジークは戦闘中に初めて笑った。
「ふっ。出来るに決まっている。それで、もちろん弱点は分かったんだろうな?」
「あぁ!…右太ももの部分だ。」
炎の糸の隙間、一瞬だけ魔獣を見ることが出来たのだ。その右太ももに紫色の結晶があった。
「右太ももか。なるほど、これで倒せるな。幼い少女の身体を貫くというのは少し気が引けるが。」
「ああ、だけど…」
「分かっている。あの赤く光る目、間違いなく魔獣だ。」
「まあ、そのユイっていう少女に魔獣が化けたのかもしんないしな。…とりあえず、こいつは倒さないと。」
ユナンはそう言って、炎の糸を切りに行った。
炎の糸が少ない方が、もちろん氷の矢が届く確率が高まる。いや、確率ではない。ジークには矢が届くか届かないか、それが的確に分かるのだ。
ジークはじっくりと目を凝らして、矢を撃つ機会を窺った。狩りと同じである。焦ってはいけない。だが、撃つ判断は一瞬だ。
ユナンもそのままでは魔獣に届く矢の隙間なんて、生まれないことは分かっていた。つまり、自分が道を切り拓くしかない。勝利への道を。
ユナンの肌が紅炎によって焼ける。恐らく、何ヶ所か火傷を負っているだろう。だが、まだ勝利には足りないのである。
「おりゃああぁ!」
「うふふふふふ。」
魔獣の攻撃がさらに厳しくなった。だがそれはこちらの勝利が近づいて来ている証でもある。相手が焦っているのだ。ここで引くわけにはいかない。
ユナンの身体には細長い火傷跡がいくつもあった。もちろん重症ではあるのだが、そんなもので彼は止まらない。仲間を信じて、ただ進むのだ。
次の瞬間、魔獣の直接出した糸がユナンに巻き付き、そのまま後方へと大きく飛ばされた。ユナンはダイとユウタが隠れていた木の所まで吹き飛ばされてしまったのだ。だが逆に言えば、魔獣の出した糸がユナンに巻き付く距離にまで、ユナンは近づいたということだ。
「ジーク、後は…頼んだぞ。」
ユナンはそう呟いて力尽きた。あちこち火傷だらけの重症である。気を失ってしまうのは当然であった。
「よくやった。こんな隙間を通すくらい、余裕だ。」
ジークがそう言って引き絞っていた弓を解き放つ。放たれたのは氷柱ではない。氷の矢である。しかしその分、スピードが乗っているのだ。その矢は一瞬で炎の糸の間をすり抜けていく。そして少女の右太ももを綺麗に貫いた。
「きゃあああぁあ!」
少女の姿をした化け物が悲鳴を上げる。そしてそのまま黒い霧へと…
――変わらなかった。魔獣はまだ生きていたのだ。
「何故だ!?手応えはたしかにあったはず…」
周りの炎の糸も今の攻撃を受けたショックで消えている。だがその魔獣はまだ消えない。
まさか、もう1つ弱点があるということか!?
すると、ジークの足が白い糸によって巻き付けられてしまった。
ジークは炎の糸に慣れてしまっていて、白い糸の存在に気づけなかったのだ。
「しまった!」
ジークがそう叫んだ時にはもう遅く、ジークは糸によって引っ張られ宙を巻い、勢いよく木に衝突させられた。
「油断…した。おまえら逃げ…ろ。」
ジークはユウタ達にそう言い残して気を失った。
「これヤバい状況じゃないですか!?」
ユウタが慌てふためきながら、ダイに向かってそう言った。ダイはそんな彼の言葉には一切返事はせずに、黙ってあの化け物の姿だけを見つめ続けていた。
そしてダイは何かを決心したような顔をした。
その時ユナンが何とか意識を取り戻した。立つことはもう出来ない。しかしダイの顔を見て、ユナンは何かを感じ取った。
「ダイ。これを貸すから…できるな?」
そうして、ユナンは自分の持っていたカタナを、ダイへと差し出す。ダイはゆっくり頷いて、それを受け取った。
――そしてダイは、そのまま化け物の元へと向かっていった。
「えっ!?マジですか?…あぁ、もう!」
ユウタはそんな彼の行動に驚嘆の声を上げ、仕方なくダイの後を追いかけていく。それもユナンには織り込み済みであった。ユウタは人を放ってはおけない性格なのである。
――ユナンは、ダイとユウタであの化け物倒せると思ったのだ。
「うふふふ。あははは。」
「おい、化け物。ユイちゃんはそんな風には笑わないんだ。…もっと素敵な笑顔なんだぞ!」
ダイは化け物に向かってそう怒鳴りつけた。ダイは、彼女の笑顔がとても可愛らしくて眩しい事を知っている。だからこそ、今、目の前にいる化け物の笑顔が許せない。
気持ち悪い笑顔を安売りされてしまっては、彼女が穢れてしまうからだ。
ダイはユナンから借りたカタナを構えた。それに応えるように、カタナが温かい熱を放つ。その瞬間、ダイは化け物のもう1つの弱点に気がついた。それは、ダイが最初に刺した短剣の傷口の奥。そこに紫色の結晶があったのだ。
ダイは最初に持っていた短剣で刺した時、少女の心臓の部分までは刺さなかった。いや、刺せなかったのだ。
もしかしたらユイちゃんは戻ってくるのではないか。そんな淡い期待を抱いてしまったからである。けれど、
「今度こそ、おいらは君の心臓を貫いてみせる。」
ダイは力強い声で、そう言い放った。
ずっと化け物の様子を見ていて、ダイは気づいたのだ。彼女は、ユイちゃんの魂は泣いていると。気持ち悪い笑顔を浮かべたまま、泣いているのだ。
ダイは彼女が化け物になってしまった事を知り、深い絶望に叩き落とされた。けれど、1番辛いのは彼女自身なのである。だからこそ、ダイはそのカタナを握りしめるのだ。
そして、ダイはその心臓目掛けて、握りしめたカタナで突き刺しに行った。
「どりゃあああ!」
雄叫びを上げながら、ダイは少女に向かって突撃していく。もちろんそれを阻止しようと、少女がダイに向かって攻撃をしようとする。
「――!?」
だがそれは何者かの手によって妨げられた。それはユウタである。彼は隠れて少女の後ろへと回り込み、彼女の両腕を掴んで押さえたのだ。
「動いちゃダメですよ…ってうわ!」
しかし、その細い腕からは想像もつかないほど大きな力を振るわれてしまったせいで、ユウタは吹き飛ばされてしまった。
そして少女はその細い腕を鋭い刃へと変形させて、ダイへと切りかかったのだ。
ダイのカタナの攻撃は、もう少しで少女の心臓を貫く所であった。しかし、少しだけ、少女の攻撃の方が速い。
それでもダイは諦めない。彼女を救うために、彼女を殺すのである。今さら引くなんて選択肢は、彼には無かった。
「おいらと刺し違えてでも、ユイちゃんを救うんだ!!」
――その時、化け物の動きが一瞬だけ止まった。
その一瞬は戦いにおいては大きな違いとなる。攻撃が遅れた化け物はダイによってその心臓を貫かれたのだ。
すると、少女の赤く光る目が綺麗な薄紫色の瞳へと戻った。
「ダ…ダイ?」
「ユイちゃん!!」
彼女は完全に元通りに戻った事がダイには分かった。だがそれは意識だけである。彼女の心臓は、もう元には戻らない。
「ごめんね、ダイ。」
「謝りたいのはおいらの方だ!…新しい話を作ったんだ。ユイちゃんを散々泣かせて、悲しませてしまったお詫びだよ。だから…またいつもみたいに情けなくて、みっともないおいらの事を叱ってくれよ…。」
早口でダイはたくさんの言葉をユイへと投げかけた。そんなダイをユイは優しく見つめていた。
いつも怒ってしまうのはわたしの悪い癖。本当は、ダイを情けなくてみっともないなんて思った事、1度もないの。
わたしはダイの隣にいるだけで楽しかった。ダイが自分の作った話を意気揚々と語る、その顔が好きだった。
…けれどダイはわたしの気持ちなんかには、これっぽっちも気づいていない。ダイはどうせ、わたしが気の強い性格だから、男の子達からの告白を断ったんだと思ってるんだろうなぁ。だからこそ、
「…ダイのバカ。」
ユイは正真正銘の笑顔でダイに向かってそう言った。その笑顔はどんなものよりも綺麗で美しく、そして眩しかった。
そしてそのまま彼女は黒い霧となって消えていく。
「ユイちゃん!!なんでだよ!おいら、まだ新しい話をユイちゃんに聞かせてないじゃん!だから…戻ってきてよ、ユイちゃん!」
ダイのそんな悲痛な叫び声だけが、薄暗い森の中に響き渡った。