漆黒の契約者 〜魔法が使えない少年は『死』の運命に立ち向かう〜 作:早見 綿飴
「俺達はここに逃げ込んだイロナシを捕まえに来たんだ。」
冷酷な声でそう説明し、ルシスがユナンに向かって鋭い眼光を放つ。しかしフレアはあまり状況が飲み込めていないようであった。彼女は首を傾げながら、
「イロナシを名乗る人なんてここには来てないけど?」
とルシスに告げる。そんなフレアの言葉にルシスは心底呆れたような表情をして、
「これだから天然バカは…。自分からイロナシなんて名乗る奴はいないだろ。こいつが隠してたんだ。」
と、どんな人にでも分かるように説明をして、ユナンの方を指差す。
この世界線ではユナンとルシスは初対面のはずである。しかしルシスはユナンの顔を何故か知っているのだ。つまり、ユナンの正体を白の王国騎士団に告げ口した人物がいる。
「なんで俺がイロナシって分かるんだ?」
ユナンはルシスを睨みつけながら、その事について質問をした。ユナンの額からは汗が流れている。
ルシスはその質問に対して鼻で笑った。そして見下すような目でユナンの方を見る。
「青の王国騎士団の団員から、イロナシが現れたという連絡があっただけだ。目付きの悪い黒髪の少年。その特徴と一致する人間がこんな場所にいたら、もう疑う余地はないだろう。」
たしかにルシスの予想は論理的で、誰もが納得するものであろう。もはやユナンが言い逃れできる道理は無い。
そしてもう一つ、ユナンは確認しなければならない事があった。
「…その連絡をしたのはヘンリーか?」
「いやあいつは少し優しすぎる。どうせお前を見なかった事にでもしたのだろう。だがあの場にいた王国騎士はあいつだけじゃない。それが答えだ。」
とりあえずヘンリーに裏切られたわけでは無いことを知って、ユナンは内心で安堵の吐息をつく。
ルシスのその説明にも納得がいく。あの場には十数人もの王国騎士が居たのだ。何人かはイロナシの事を極度に嫌っている連中がいたとしてもおかしくは無い。
そして今、ユナンがやるべき事は一つだけ。自分の正体をちゃんと己の口から告げる事である。
今さら自分の正体を黙っていた事実を許してもらおうなんて思うほど、ユナンも厚顔無恥な性格ではない。
ユナンはフレア達の顔を見れずにいた。それは彼の幼く弱い心の部分の現れでもある。
イロナシだと隠していた自分を彼らはどんな顔で見ているのだろう。ユナンはそれを直視出来なかったのだ。
だからユナンはフレア達に向けて頭を下げ、彼らの顔は見ないまま、誠心誠意の謝罪をした。
「すまない。ルシスの言う通り、俺はイロナシである事を隠していた。俺は隣の少女をただ救いたかっただけなんだ。もちろんそれは言い訳にしか聞こえないと思う。だからもう俺はここから出ていく。…だけどセーナだけは守ってやってくれないか?そんな立場でないのは分かっている。だけど…頼む!」
「ユナン!?そんなのわたしが許さないわ!」
ユナンは必死に自分の思いをフレア達に伝えた。その少年の声は最後の方が枯れるほど、感情がこもっていたのだ。さすがのルシスでもその言葉まで嘲笑することはしなかった。
そのユナンの言葉に、もちろんセーナは抗議した。
しかしユナンにその考えを改める気は全く無い。
ユナンはセーナにちゃんと生きていて欲しいのだ。
――たとえこの世界に自分がいなくなったとしても。
「…下なんか向いてないでちゃんと私の顔を見て。」
ただフレアはユナンにそう告げた。顔を上げろと言われて、そのまま俯いているわけにもいかない。ユナンはおそるおそる顔を上げて、フレア達の顔を見た。
――フレアはユナンに優しげな笑顔を向けていたのだ。
その紅の目は、ユナンがイロナシだと知る前の目と何一つ変わってはいなかった。彼女の目にはユナンの事がただの少年として映っていたのだ。
周りを見ると、ジンやノノもフレアと同じような目でユナンを見つめていた。
そしてフレアが力こぶを見せつけるようなポーズをとって、キリッとした表情をしながらユナンに宣言する。
「私たちが二人を守ってあげるから安心して。私たち、これでも凄く強いのよ?」
「でも俺は…イロナシで。」
そんなフレアの温かい言葉に、ユナンはまだその事実を受け止め切れないようだった。ユナンは完全に今回の世界線を諦めていたのだ。それなのにフレアは、ユナンにこの世界でまだ生きるチャンスを与えてくれた。ユナンは彼女に命を救われたようなものである。
「そうだお前はイロナシだ。」
そんな時、突如として冷たい烈風が吹き起こった。それはルシスが動いた証。彼は面倒な事態になる事を察して、強硬手段に出たのだ。その速度は神速に達する。いくら赤の王国騎士団長と言えども、それに咄嗟に反応するのは困難であろう。
――しかしその神速についていける者がこの場に1人だけいた。
「…ジンさんか。何故俺の邪魔をする。」
「俺はいつだって中立だぜ?どっちも俺の可愛い弟子だからな。贔屓なんてしねぇよ。ただ今のお前の行動はちょっと無粋なんじゃねぇかと思っただけだ。」
ユナンはあの攻撃の瞬間、ルシスが本当に消えたかのように見えた。そんな錯覚をしてしまうほど、彼の速度は凄まじいものであったのだ。しかしジンはルシスを目で追うどころか、彼の腕を掴んでその攻撃を中断させてしまったのである。
そんなジンの恐るべき戦闘能力に、ユナンは敵でもないのに恐怖を感じてしまう。
彼がイロナシの事を敵対視していなくて本当に良かった。今の一瞬の立合いを見て、ユナンは心の底からそう思う。
「ルシス。悪いけど私はこの子達を放っておけない。そっちが力ずくで来るなら、私達も手加減しないわよ。」
フレアがムッとした表情をして、鞘から長剣を引き抜いた。その長剣の先端は薄く、反りのない真っすぐな刃を持っていた。美しい曲線状の紅の鍔は、彼女の可憐さをより引き立たせている。それは斬るよりも突くことに特化した武器、レイピアである。
「とりゃあ!」
素早い刺突。それは紅の熱風を伴ってルシスへと放たれた。ルシスはそれを横に飛んで易々と回避する。
――だがフレアは二段突きを放っていたのだ。
遅れて炎を纏った刺突が宙に舞ったルシスに襲いかかる。空中にいる者は身を捻ることでしか攻撃を避けようが無い。しかしフレアは炎で攻撃の半径を増大させており、そんな小さな動きでは逃れられないようにしていたのだ。ルシスがその刺突を回避することは不可能に思えた。
だが空こそ彼のテリトリーなのである。ルシスは壁を蹴るような動作を空中で行う。すると謎の加速が起こり、ルシスの身体は後方へ飛んだ。
もちろん彼はただ攻撃をさせてくれるほど優しい相手では無い。回避と同時に白い風刃をフレアへと放ったのだ。
今のは一瞬の出来事。だが既にその場所にフレアはいなかった。全く隙がない攻撃をいつでも放つことが出来る。それがレイピアという武器の特権である。
「チッ。こうなると思ったから強硬手段に出たんだが…」
後方へ下がったルシスは忌々しそうにそう呟いて、ジンの方を睨みつける。しかしジンはルシスに向かって笑顔で手を振った。
「団長、騎士団同士の戦闘は避けるべきかと…」
するとシノが不安そうな声でルシスにそう提言したのだ。
好戦的なシノが、それもルシスにそんな提案をするのは珍しい。しかし彼女をよく観察してみると、その理由が分かった。
シノはフレアの方を心配そうな目で見つめていたのである。
「私もシノとは戦いたくないな〜。」
シノの視線に気づいたのか、フレアが彼女に向かって微笑んだ。そんなフレアを見て、シノはより一層気まずい表情を浮かべる。
おそらく、シノとフレアは親友なのであろう。
「…ならシノにはフレア以外を任せる。どうせ規則の方はジンがなんとかするんだろ?」
そう言ってルシスは冷たい目でジンを睨みつけた。
「ご名答。」
ジンは相変わらずの笑顔でルシスに向かって軽く手を叩いた。そんな彼を見て、ルシスは深い溜息をついた。
どうやらジンは赤と白の騎士団同士の戦いを見たがっているようである。
そんなジンの様子を見て、フレアはようやく気がついた。
「えっ!?ジンさんは私達の味方なんじゃないの?」
「馬鹿野郎。そんなのすぐ終わっちまうじゃねーか。人数は一緒だろ。そこの新人を使え。」
ジンは呆れたようにそう言って、アンナの方を指差す。突然の指名にアンナは心底驚いたようである。
「えっ、アタシ!?」
「お前はもう立派な赤の王国騎士だろ。それにお前の技はフレア達と相性が良いとみた。」
ジンは悪い笑顔を浮かべて、その黄色い双眸を怪しく光らせる。その顔はまさしく戦闘狂そのもの。彼の本性が浮き彫りになった瞬間である。
そして騎士団長であるにも関わらず、フレアは何故かうるうるとした目でアンナに頼み込んだ。
「アンナ、お願い。」
「も、もちろんやりますよ!だからそんな目をしないで下さい、団長。」
アンナは慌てたようにフレア達の隣に並んだ。彼女の額からは汗が流れている。いきなり白の王国騎士のトップクラスの実力者達と戦闘をしなければならないのだ。緊張するのも当たり前である。寧ろ、震えていないだけアンナは勇気がある方だと言えるだろう。
赤と白の王国騎士達が3対3で対峙する。お互いの距離は6メートルほど。だがそんな距離も神速の前では無意味である。長い沈黙が訪れ、双方の緊張感が高まる。そんな張り詰めた空気の中、ジンが口を開いた。
「始め!」
その一言で戦いの火蓋が切られた。先に相手に向かって行ったのは白の王国騎士達。彼らは風の如きスピードでフレア達との距離を詰める。だが、
――辺りに爆発が巻き起こった。
その爆心地は複数箇所あり、それによって生じた爆風がルシス達に襲いかかったのだ。爆心地の数だけ爆風が生じるため、室内では避けようが無い。無論、ルシス達は屋外へと退避した。
「やってやったのです!」
ノノが自慢げにそう言って、小さな胸を張る。しかしユナンの方は内心穏やかでは無い。
「やってやったのです、じゃねーよ!!これ普通みんな死んでるよね!?」
「だから魔法は凄いのです。ユナンはビックリしたのです?」
「ビックリどころか失神するかと思ったわ…」
ユナンのツッコミにノノはあまり気にしていないようだった。それどころか、ノノは自慢げに魔法の凄さをユナンに説いたのである。
契約者の魔法はその対象を選べるのだ。本来であれば建物ごと崩壊し、ユナン達が全員死んでしまうような爆発であっても、問題は無い。ユナン達は全員無事で、建物にも傷1つ無かった。たしかに契約者の魔法は凄いものである。
「チッ。化け物が。」
「いやぁ、あれはおっかないっすねー。」
「ノノ、普段はあんなに可愛いのに…」
そしてルシス達が苦々しい顔でここに戻ってきた。開幕の奇襲を成功させたのは、白ではなく赤の方であったのだ。それはフレアが準備をするのに十分な時間を稼いだ。
そしてフレアは珍しく真剣な声でぽつりと一言だけ呟く。
「――炎剣乱舞。」
するとフレアの周囲の空間を無数の剣が覆い尽くした。それは紅色の刀身をした炎剣。その剣の輪郭は橙に光り輝いており、灼熱を纏っている事が見て取れた。
その剣1本1本に、燃えるような思いが感じられる。
「近づいたら痛い目みるわよ。」
「近づかなきゃ斬れねぇだろうが。」
フレアの忠告を無視して、ルシスがその空間に突っ込む。しかしその無数の炎剣はただの飾りではなかった。その一つ一つがまるで意志を持っているかのように、様々な方向からルシスへと襲いかかったのだ。
彼は双剣でそれらを弾きながら、回転を行い竜巻を起こすことで、フレアの攻撃を受けきる。今のルシスの動きも超人的なものであったのだが、
――フレアには全く近づけなかった。
いくら弾かれ、吹き飛ばされようとも彼女の炎剣は一向になくならない。それどころか、新たにまた生み出し続けることでそれは徐々に増えているかのように思えた。
そんな光景を見て、ユナンは驚きの声を上げるしか無かった。
「…なんて数だよ。」
「まだまだフレアの力はこんなものじゃないぞ。有名な契約者には2つ名が存在することがある。」
そんなユナンの呟きに反応して、ジンがフレアについて説明をしてくれた。
「彼女の二つ名は『千剣の戦乙女』。全力を出せば、彼女は千を超える炎剣を自由自在に扱えるんだぜ?」
全方面から炎剣が際限なく向かってくるのだ。それは絶対不可避の攻撃といえるだろう。神速の男でさえ、それを捌き切るのに精一杯なのであった。
そんな攻撃を放っているのは、無数の炎剣の中心で美しく立っている女性。
――千剣の戦乙女に近づける者は誰もいない。