作者同士の語らいから始まった競作企画第二弾「お好み焼き杯」参加作品!
 某県某市にて、とあるスーパー熱血教師がようやく定年を迎え、その長かった教師生活を終える日が来た
しかしちょうどその日の帰り道、ひょんなことから死んでしまい、そして転生!
今度は見目麗しい美女にTSした熱血教師、心も新たに再び教師道を極めようとひた走る!
いろいろな問題もなんのその、全ては生徒のためにこそあれ!
そしてクセ者揃いのこのクラスにはもう一つの秘密があった……
注意:本作品は通常のTS系作品とは違い、主に教育ネタによって構成されています

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第1話

 

 岡山県岡山市立第四中学校 ――――――

 

 

 

 SIDE 南野(なんの) 琴香(ことか)

 

 

 今は六月、衣替えを終えたばかりの生徒たちが登校してくる。

 生憎の曇り空だが、生徒たちは寒くないのだろうか。

 

 いや、そんな心配は要らない!

 

 生徒たちは今日も健康で、明るく楽しく学校にやってくる。

 若さというのは全てをポジティブに変え、不可能を可能にするものなのだ!

 

 今もこの二百メートルの上り坂を元気に歩き、たくさんの生徒が校門を入ってくる。

 

 カバンを意味なく潰しているやんちゃ男子も、メガネをクイクイしている秀才も、ちっこい髪留めの話だけで三十分もしゃべれる女子も、みんな朝には学校にやってくる。

 

 

 ワシは本当にこの光景が好きだ。

 

 いつまでもいつまでも生徒たちを眺めていて飽きない。

 正に教師になった喜びを感じる。

 

 

「コトカせんせー! おはようございまーす!!」 「おはようございます」 「おはよッス」

 

 ワシはついつい校門のところで立ち止まったため、生徒たちが挨拶してくる。女子は明るい声で、男子はたいてい無言で目だけで挨拶するものだが、中には積極的に挨拶してくる男子もいないことはない。

 

 これはひとえにワシが22才の新卒美人教師であるがゆえにであろう。

 美人というからにはワシは女なのだ。

 それは間違いない。

 

 

 

 ただし若干の違和感があるのは、中身が男、それもジジイだという一点にかかっている。

 

 そう、何を隠そう、ワシは転生者である!!!

 

 ワシには前世の記憶がある!

 その時の名前は飯野甲斐(いいの かい)、もちろん男だった。

 

 しかしこの際細かいことはどうでもいい!

 重要なのはワシが教師生活40年を送っていたということなのだ!

 教師こそワシの天職、ワシの生きる目的でもあった。

 

 ワシは前世において教師生活を全うし、定年退職の日を迎えたのだ。ちなみにずっと現場一筋でいたいがために教頭などの管理職へ上がらず、最後まで一教師を貫いた。

 

 祝いの花束を手にして家に帰る途中、誤ってマンホールに落ち、あっさり死んだ。

 それは仕方ないといえば仕方ない。運が悪いのではなく、ワシは定年を迎えた寂寞に目が涙で霞み、道など見えていなかったのだから。

 

 そして次の瞬間、驚いた。

 ワシはまだこの世にいるのだ。

 

 思わず大声を上げたつもりだが、それは周囲には「オギャア」と聞こえたに違いない。

 

 

 

 ワシは生まれ直した!

 

 南野琴香という名で。

 女に生まれてしまったのは別に願望でも意図でもなんでもなく、たまたまなのだろう。

 二分の一の確率でそうなった、というだけのことだ。

 

 さて、新しい人生をどうするか。

 そんなの決まっておるわ!

 ワシは教師として生き、教師として死んだ(事故で)のだ。今度も教師をするために生まれたと解釈しよう。

 

 こういうTS転生の場合、幼馴染やら先輩やらオクテの同級生やらとエッチいイベントが起きるものらしい。しかーし、ワシはそんなことに興味はない。ラッキースケベも海の家も花火大会も文化祭も事件イベも関係ない。勿体ない? んなことどうでもいいわ!

 TSという言葉は中二病生徒から聞いて知っている。その定番ストーリーも。

 ワシはそれに沿うことなく、私立の女子中、女子高を選択した。もちろんキマシタワーということはない。なぜワシがユリなどせねばならぬ。

 そして大学は地元国立大学教育学部家庭科コースに入った。ここでも女ばかりなので特に問題はない。

 

 

 なぜ家庭科なのか?

 

 馬鹿者!

 ワシには一家言ある。

 

 教科というものはみんな大事なものなのだ。

 国語、社会、理科、英語、数学、音楽、技術、体育、美術、全部そうだ。

 

 絵描きにならない人間が絵を描くのも意味がある。

 ミュージシャンにならない人間がリコーダーを吹くのも意味がある。

 ワードしか使わない人間が書道に触れるのにも意味がある。

 

 だがしかし!

 その中でも一番大事なのは体育と家庭科だということにワシは気付いたのだ。

 

 人間、何より健康で長生きが基本になる。

 

 ワシの長い教師生活において、巣立った生徒の訃報を聞いてしまうことがある。

 それは悲しい。これより悲しいことなんぞあるものか。

 たいていは事故だが、病死もある。その中でもどうしようもない病気もあるが、不摂生が元でそうなる場合もあるのだ。

 生徒の生涯を守るのが教師の仕事、ならば、そんなことにはさせられん!

 

 体育と家庭科、しかしワシの新しい体は悲しいかな非力であり、体育科には行かなかった。

 体育教師は国体選手とは言わんまでもそこそこのアスリートがなるべきものだ。ただバレーボールで遊ばせたり順番に跳び箱に向かわせるのなら誰でもできる。しかし真に体育の教育をするには最低限何かの選手であった方がいい。だからワシは体育ではなく家庭科にしたのだ。

 

 

 

 大学卒業前に教員採用試験というものを受けねばならぬ。

 

 ワシは教師生活40年である!

 筆記試験などものの数ではない!

 面接試験? そんなものは現場を知らぬ教育委員会の若僧に逆面接を食らわせてやったわ。

 

 ならば試験突破は簡単なのではないか?

 そうではない! 家庭科を軽んじている教師や生徒には分かるまい。

 なめてもらっちゃ困るが、家庭科ならではの実技試験があるのだ!

 例えば体育科なら各種泳法やバスケットボールで3点シュートを決めねばならないとかいう実技試験があるものだが、それは多くの人がおぼろげながら想像できるであろう。しかし家庭科実技について知る者はほとんどいない。

 

 家庭科実技とは被服と調理の二つについてであり、それぞれ甲乙つけがたい難しさなのだが、例えば調理の試験ではこういうのが出る。

 

「今からサンマを一尾丸ごと渡すので、それを捌き、下ごしらえ、調味料の調整、味付け、串刺し、焼き、サンマの蒲焼きを完成させること。そして後片付けまで済ます。授業を想定しての演技をしながら行うこと。ただし制限時間は全て併せて10分とする」

 

 試験が肉料理なのか魚料理かですら予測がつかないところへ突然言われる。そして本当に10分でやらねばならない。

 実はその例なんかはかなり平易な方の課題なのだ。推して知るべしだろう。

 

 こんなややこしい試験を突破し、ワシは見事に地元自治体の中学校に勤務することになった。

 

 ワシの教師生活は再び始まるのだ!

 

 

 

 

 そして生徒たちを前にして調理実習の説明をする。

 題材は、そう「お好み焼き」を選んだ。

 

 ここにもワシの信念がある。

 単に台所で料理を作って、運んで、家族が食う。これではダメなのだ!

 調理の過程すら楽しみ、家族がその話題で笑顔になり、明るく語らう、そのためには食卓で作る料理がやはり必要だ。

 しかし「鍋料理」ではさすがに調理実習のやりようがない。

 だがここで「お好み焼き」ではどうだ! 工夫次第では可能なのではないか。

 

「 ……その分量で溶いた小麦粉を、予め220℃程度に温めた鉄板に垂らし、直ぐにザク切りのキャベツを乗せます。ここで『ザクとは違うのだよザクとは』と言ってはいけません。最後の最後に紅ショウガを加えますが、そうすると赤くて旨さが三倍になります」

 

 ワシは説明をしながらギャグをブッこむ。

 しかし反応が無い! どうしてなのか。「坊やだからさ」

 自分で受けないギャグを引き取って言うのもなんだが、このクラスには若干白けたような雰囲気がある。

 

 本当ならこの二年四組は、ワシが担任をしているのだから授業もやりやすいはずなのだが、そうでもない。

 

 それは実は教室の後ろ側に横並びで座っている三人の女子生徒の雰囲気が蔓延しているからなのだ。

 右から順番に言えば、面戸伊那(めんど いな)詩葉百音(しよう もね)新戸荷奈留(にいとに なる)である。クラスの雰囲気を作る上で、ちょっと問題な相乗効果を生んでしまっている。これは予定外だ。

 

 

 

 学校で、クラスを学年替わりで編成し直す時、成績や騒がしさくらいは考えるかもしれないが後は適当に決めているなどと思ってはいまいか?

 

 断じて否!

 

 クラス編成こそ最重要課題!

 これを決めるために全教師は最低三回も長時間会議をしている。

 そこで出る情報は生徒らの性格や交友関係の詳細に渡る。ありとあらゆることを討議し、組み合わせた場合のクラスの雰囲気を慎重に予測しながら積み上げていく。むろん、教師の正確な予測力と想像力が試される瞬間でもある。

 つまりはクラス編成は偶然でも運でもなく、慎重に教師がコントロールしているのである。

 ただしそれでも往々にして予想外の化学反応を起こすこともあるのだ。

 

 

「先生! 家ではキャベツを後から入れたりしません! もう混ぜています」

「それはいい質問ですね。ではその理由を今から言います」

 

 今、この質問をしてきた生徒は金野為也(かねの ためや)、主要教科では目立たないらしいが、こういう実習では割と積極的に発言してくれる。

 

「ひとえに各具材に最適な焼き加減を与えるためです。小麦粉の生地は決して生焼けにならないように焼きますが焦がしてもいけません。キャベツは食感を大事にするためにもっと繊細な加減が必要です。そしてお肉は逆にしっかり焼き、焦げ目を作るのが美味しさをアップさせるコツです。つまり、各食材を焼く程度を別々に決めたいため、後から乗せるのです」

 

 まあこの話はこれくらいでいいだろう。

 各家庭のお好み焼きの作り方まで言及することはない。ワシは正統派お好み焼きを語っているつもりだが、他の流派を否定しているのではないぞ。

 

「お肉の焦げ目はとてもいい香りと、わずかな苦味で美味しくなります。これは焦げてできた炭のせいではなく、炭に味はありません。その直前、含まれる糖分が高熱でメイラード反応を起こすためです。そして肉汁の旨み成分イノシン酸はキャベツの旨み成分グルタミン酸と相乗効果を引き起こし、最大27倍にも強烈な旨みとなるのです」

 

 生徒たちはポカンとしている。ちょっとワシの説明がくどすぎたためだ。ワシは前世では理科教師であったためによくこういう暴走をしてしまう。

 

 

 

「とにかく美味しく作りましょう。突然ですが皆さんはネコさんがどれくらい味が分かるか知ってますか? ネコさんは人間の十分の一も味が分からず、特に甘い味が全然分かりません。ネコさんは嗅覚では人間の二十万倍、聴覚は人間の三倍高い音さえ聞こえるのにですよ! ちなみにイヌさんも味は人間の四分の一しか分かりません。嗅覚は人間の百万倍もあるのですが」

「せんせー! ぼっけえ話長いがーー 早よ作らんとー」

「分かりました。今回は基本を教えるので、具材はキャベツと豚肉だけです。寂しいですがモヤシや麺は入れません。では皆さん、最初に小麦粉を量りましょう」

「もう量っとるがー」

 

 話に茶々を入れてきたのは空賀咲(くうが さき)、このクラスのムードメーカーである。

 

 明るい彼女はたいがいのことを許される雰囲気を持っている。こういう得な女子はいるものだ。

 だが、確かに急がねばならないのは本当である。

 

 何しろ時間がない!

 

 教育改訂の度ごとに家庭科の授業数は減らされているのだ!

 

 ここ四十年で家庭科の授業数は約四分の一になっている。

 男子女子共に技術も家庭科も習うようになったという変更はあれど、それにしても減りすぎだ。今では中一中二で週に1時間のみ、中三に至っては週に0.5時間しか用意されていない! これでは技術科と隔週構成にしたところで2時間連続で取れるのは中一と中二だけになってしまう。

 それでいて改訂ごとに教える内容は多くなっている。昔はエコだの何だのという単元はなかった。

 まあ、何も家庭科だけではなく、技術も音楽も美術も授業数を減らされ続けている。はっきり増えているのは英語くらいなものではないか。

 

 

 

 さあ、ともあれここからがワシの教師としての力量が試される。

 

 各生徒の動きを見て探りながら、全てをうまい方向にもっていかなくてはならないのだ。

 生徒の方では、先生は全体を見ているから細かいところまで注意が行かないと思っているだろう。

 

 さにあらず!

 教壇に立てば、40人の生徒の動きなど丸わかりだ。気を抜いてボケっとしているか、こそこそふざけているか、全部分かっている。例えばいかに教師の目を盗んでカンニングしたとしても120%バレる。そういうものなのだ。

 

 

 

 今生徒たちが準備に動き出しているが、一人のろのろした生徒がいる。

 頭川塁(あたまがわ るい)、この女子は首が長くて色白の美少女、男子生徒には密かに人気がある。

 しかし空気が読めず割と動作がスローモーであり、そのためイジメの発生には特に注意が必要な生徒なのだ。ささいなこと、例えば給食を食べるのが遅くて班の足並みを乱す、そんな数分というどうでもいいことでもきっかけになりうる。ワシはそこまで注意を払う。

 

 まだまだ注意が要る生徒がいる。

 このクラスで妙におどおどした態度をしている生徒のことだ。

 土井那珂世(どい なかよ)、この女子生徒は県北の寒村、あの横溝正史の書いた八つ墓村の舞台と言われるほどの田舎から今年転校してきた。

 こんな岡山市でも彼女からすれば大都会、そして人の気質も全然違う。

 県北部は美作と呼ばれる朴訥とした気風の土地、それに比べて県南部は備前という瀬戸内商人風の土地なのである。

 土井那珂世が会話も動作も速いペースに追い付けず気後れしてしまうのは当然だ。

 しかし絶対にからかい→イジメに発展することを阻止せねばならぬ。

 

 転校生はこのクラスにもう一人いる。

 沖縄県から今年やってきた座間寧奈(ざま ねいな)なのだが、この生徒は空気を敢えて読まず、孤高を保っている雰囲気だ。

 何というか、昔よくいた半ツッパリのような感じなのである。

 そんな昭和にいたような生徒に重ねるのもおかしな話だが、ワシはそういった生徒を前世では何人も見ていて、あまり道に外れていかないように腐心していたものである。手が掛かる子供ほど可愛いという諺通りそういう生徒ほどよく覚えている。

 ともあれこの座間寧奈はベタベタした友達を作りそうにもない変わった性格であり、この先クラスの女子グループに受け入れられるか心配である。

 

 男子の方がこの年代では比較的問題が少ないものだが、それでもいないことはない。

 注意が要る筆頭は人垣来(ひとがき らい)だろう。

 いわゆる陰キャ、ヲタの部類であり、持っている下敷きはリゼロのエミリア、悪い意味で期待を裏切らない。つまり異世界へ想像の翼を広げていくタイプらしい。

 そのこと自体は悪いことでも何でもなく、むしろシンパシーを感じる。

 しかし彼の交友関係の広がりを見ていく必要がある。

 同じようなキャラの尾田秀(おた しゅう)と仲良くすればいいようなものだが、そういう世界は微妙なところでスレ違って合わない事もありうる。

 

 

 

 とにかくワシは教師としてしっかり目を配り、みんなが楽しく過ごせるようなクラスを作る。

 それが教師の仕事、教師の本懐なのだ!

 

 世の中には、生徒が自分でトラブルを解決し、色々な生徒と揉まれて過ごすことで成長するなどという教育論を持つ人間がいる。

 

 冗談ではないぞ!!

 それほど小器用な生徒なぞいるものか。

 

 きちんと安心できる環境で伸ばしてやるのが教育だ!

 

 

 社会の荒波など、それこそ社会に出てからでいい。

 今はしっかり基礎を作り、自分にも社会にも肯定感を持たせるべき時期なのだ。

 ワシはそのために経験と勘を駆使し、努力も惜しまない。

 

 このクラスはかなりの個性派が多く揃っているが、それでも暴力的な生徒がいないのは幸いである。むろん、ワシが新任女教師であることを考慮されている。昔はどの学校にも威圧感と腕力で生徒を抑えつける役を果たす教師がいたものだが、今ではそんなことはない。教師の発言や行動がいちいちチェックされる時代なのだ。

 体罰などもってのほか、学校教育法第11条で体罰は禁止、いかなる場合も違法であると規定されている。

 

 ちなみにだが、イジメや不登校は確実に増えている。

 横ばいに見せかけられているのはまやかしなのだ。

 今、自治体は「理由が不明の長期欠席」なるもの作り出し、不登校数からその分を抜いている。何と、不登校の生徒が自分から「不登校です」と言わなければ不登校ではないということになってしまい、別カウントだ。んなことあるか!

 

 

 

 

 さあ調理実習が始まるが、机の上にはでん、とガス台&鉄板が設置されている。

 このガスが大事だ!

 

 ここにもワシの信念がある。

 すべからく加熱は炎がいいのだ。まさに「火加減」が直感的に見て分かる。

 そして何よりも焦げが少ない。

 電磁調理器では鍋なら鍋底だけ、しかもほんの一部しか加熱されず、焦げやすい料理は大変やりにくい。しかも焦げが出れば簡単には取れないため食器洗浄機も無力なものになる。

 その点鍋全体を加熱する炎は断然有利なのである。

 もちろん高層住宅なんかで火事の危険を極力抑える必要のある所などではワシだって電磁調理器を否定しない。だが調理実習くらい炎でやりたいではないか。今回のお好み焼きならホットプレートでも良さそうなものだが、あれは火力が弱くて実習には使いにくい。

 

 しかし、この学校は立て替えたばかりの新しいもので、家庭科調理室では電磁調理器を使うのがデフォになっているのだ。机にはガス栓すら無く、旧校舎の遺品としてのガス台は幾つもあれど使いようがない。

 

 ワシは考えた。何か方法がないのかと。

 そして思いついたのだ。

 ワシは前世で理科教師だったから思い出せたのだが、理科実験室には立派な机とガス栓が必ずあるではないか。

 

 そして今日の実習の前日 ――――――

 

「ちょっとお邪魔します。ご相談、いえお願いがあるのですが」

「はいはいどういったことでしょう南野先生!」

 

 ワシは理科準備室に実験室を貸してもらえないか頼みに行った。

 

 すると弾かれたように反応してきたのが佐藤俊夫(さとう と しお)という三十五歳くらいの意識高い系に見える理科教師だ。この学校の音楽教師と近々結婚予定らしい。

 ちなみにだが中学校ではだいたい教師の男女比率は同数である。純粋な教師では男の方が多いのだが、他に学校事務や養護教諭(保健室教師)がいるため結果として同数くらいになる。

 これが小学校では圧倒的に女教師が多く、逆に高校では男の教師が多い。

 だいたいにおいて教師というものは忙しいこともあって同僚と結婚するのであるからして、比率的に中学校教師が一番結婚しやすい。今でこそ少なくなったが、昔は校長がそれとなくお似合いを斡旋したものだ。

 

 ワシはこのホイホイ食いついてきた教師を会釈で躱し、準備室の奥の方にいた教師の方へ声をかける。実はその藻部空記(もぶ くうき)という教師に用事があるのだ。

 

「藻部先生、この中学校の理科は藻部先生が化学を担当されていると聞きまして、調理実習のために理科実習室を貸してもらえないかと。ガス栓の関係でちょっと」

 

 ガス栓を使うのだから化学の教師に頼むのが筋である。

 というのはオマケであって、この藻部という教師は四十近いのだが独身であり、そして見た目がいかにもヲタクなのはともかく引っ込み思案なのである。こういう押せば断れない人間に頼むのは悪辣ともいえようが仕方がない。

 

「り、理科実習室を…… 調理に……」

 

 おどおどして答えてきたが、結局オッケーをもらえた。

 この学校で圧倒的に美人であるワシに言われたからというわけでなく、安全管理なんかも考えた結果なのだろう。

 

 かくして生徒たちに万全の態勢でお好み焼きを実習できるのだ。

 

 長時間労働もなんのそのである。昭和のころから比べると教師の労働時間は一日二時間以上伸び、ここ10年に限っても一日平均27分間も増えている。あれほど教員の働き方改革が叫ばれながら実態は長時間労働が加速している。

 

 だがワシは生徒のためにこの程度の苦労は買ってでも行う。

 S G T S T(スーパーグレートティーエスティーチャー) に、ワシはなる!

 

 

 

 

 

 SIDE 座間(ざま) 寧奈(ねいな)

 

 

「チッ、乗せられてもうた。あんなお好み焼き…… 食うんやなかった」

 

 俺は学校の帰り、河川敷に寄って、そこのコンクリートに座りながら一人で毒づいている。

 今日は少し気温が低いので、晴れ間に温められたコンクリートが心地良い。

 

 ひたすら文句を言っているのは今日の調理実習についてだ。

 あのお好み焼き、美味かった。だからこそ思い出してしまうのだ。

 

 忘れたい昔のことを。

 

 俺は沖縄から転校してきたただの女子中学生と思われているが、それは事実ではあっても全てではない。

 

 

 

 実は、俺は転生者なのだ!

 

 生まれも育ちもここ岡山だったが、生来の性質なのか中学からグレてしまい、高校に行ったものの中退してしまった。

 世間の目もあり、ほどなくして逃げるように大阪の雑踏へ向かったのだ。

 故郷である岡山にあまりいい思い出がなく、その反発もあってあの作り方のお好み焼きを食べたことはない。

 そして大阪には大阪の全然違うお好み焼きが存在していた。

 

「アホか…… 生地は具材を挟む入れ物やない。あれはお好み焼きという世界を作り出す小宇宙や。その中にキャベツや肉の旨みが溶け出し、濃密な固形のスープを作り出す。だから美味いんや。具材を別々に焼いてどないすんねん」

 

 俺が口にするのはすっかり大阪の言葉に変わり、というか意地でも大阪に合わせた結果であるが。

 

「生地の中で具材は互いの長所を出し、結婚、つまりマリアージュをするんや。そこへかけられるオタフクソース、それは神父の祝福の言葉や。紅ショウガは誓いのリングってとこやろな」

 

 そう言って大阪のお好み焼きを褒めたたえ、その文化に馴染もうとしたものだ。

 

 

 しかし俺は実際、大阪でもそんなにお好み焼きを食いはしなかった。

 

 むしろ低蛋白高脂肪のジャンクフードばかり食い、ビタミンも何も考えず、いわゆる不摂生を続けた。

 もちろん酒もタバコも人並み以上にやり、体に思いっきり負担をかけてしまったのだ。

 そして大阪に来てわずか十年目、俺は肺炎になり、そして痛恨にもそれを甘く見てしまった。本当に高熱で意識もうろうになってから病院に担ぎ込まれたのだが、もはや遅かった。大人で重態になることなどほとんどないと言われるマイコプラズマ肺炎というやつで、見極めと抗生剤が後手に回り、結局俺は死んでしまう。

 

 要するに俺は不摂生がたたり、極度に免疫が落ちてしまったために、普通なら死なないような病気でもやられたというわけだ。

 

 今さらだが、お好み焼きを時々でも食っていたら……

 体力は全然違っていたろう。お好み焼きが別に健康食だというつもりはないが、少なくともビタミンや繊維は摂れていたはずなのに。

 

 そう思うと今日の調理実習のお好み焼きが実に沁みる。

 懐かしい地元の味が心に沁み、含まれたビタミンが体に沁みる。

 

 

 

 さて、俺は無様に死に、そして何と転生した!

 

 その場所が沖縄というのも驚いたが、女で生まれたのにはそれ以上に驚いた。

 おまけに何の因果か中一の終わりにまたこの岡山に引っ越すことになったのだ。

 

 正直、また中学生活などちゃんちゃらおかしい!

 

 あれ、中学生はこんなにガキだったっけ、と思うばかりである。

 クラスのリーダー格の空賀咲は周囲から大人びて見えるらしいが、俺からすればガキはガキにしか見えない。

 どうせ俺は周りの皆とは会話も合わず、だから友達も欲しいとは思わない。今さら前世のようにツッパリをやるほど反抗する気もないが、目立たないポジションにいてだらだら時が過ぎればそれでいい。

 

 

 そう思っていたのだが……

 

 あの担任教師は何だ?

 普通の生徒には分からないかもしれないが、あれは熱いものを秘めた人間だ。

 

 南野琴香、見かけは初々しい新任教師。背は中くらい、サラサラのロングヘアーをなびかせ、いつも生き生きと歩いていく。

 

 瞳は大きく少し茶色味がかかってる。

 そして全ての造形がピタリとはまり、その場の雰囲気を変えるほどの美人である。もちろん男子生徒の注目を集め、家庭科教師なのになぜか軟式テニスの顧問に就任するやいなや入部が殺到したほどだ。

 

 しかし俺はそういう見かけがどうこう言うのではない。

 南野琴香には何かこう、教育というものの重さを自覚しているというか、覚悟の程を感じるのだ。

 

 

 ああ、俺はかつてそういった教師に一度出会ったことがある!!

 

 それは定年間近のジジイ教師だった。

 ウザイくらい本気で生徒のことを考え、情熱をぶつけ、教え諭してくれた。俺のようなツッパリ連中がギリギリで悪の道に転落しなかったのは全てそのジジイのおかげだ。

 

 ずっと俺の担任でいてくれ、俺はずっと生徒でいたい、そう思えた唯一の教師なのだ!

 それが自分でもおかしいと思うのだが、なぜか南野琴香とダブって見える。

 

 まあそれは思い過ごし…… しかし客観的に見ても南野琴香には変なところがあり過ぎる。

 今日の実習でもどうしてファーストガンダムネタなんだ? 明らかに昭和のはずだろ。

 

 

 そしてもっと驚くことがあった。

 家庭科の時間が始まるとき、黒板の消し方が雑で、前の授業で書かれたことが残っていた。

 それは数学であり、図形の合同かなんかだった。

 いくつかの三角やら四角やらと数字やアルファベットが書かれていたようだが、まあ俺は真面目に数学など聞いていないからそれはどうでもいい。

 

 南野琴香はその数学の跡が残る黒板を見て言ったのだ。思わず口に出てしまった言葉を。

 俺はそれをしっかり聞いてしまった。

 

「 平面が、L ……   ぷふっ 」

 

 昭和か!

 

 そのネタは、ピョン吉とかひろしとか梅さんとか京子ちゃんが出てくるあの名作アニメだよな!

 俺はもうわけが分からない。

 

 しかし分かっていることがある。

 俺はどうせ退屈で仕方ないだろうと思っていた中学生活が、案外とそうでもなくなるんじゃないか、という予感がある。

 南野琴香によって。

 

 

 だから、俺は明日もあさっても学校へ向かう。

 

 そして家庭科くらいは話を聞くつもりなのだ。今度の人生は不摂生をしない。

 

 

 

 




 
 
* ぼっけえ    : 岡山県一円で使われる。とても、凄い、などの意味である
* サンマの蒲焼~ : 令和二年宮城県公立学校教員採用試験家庭科実技より一部抜粋
 
 


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