リヴァースりばーす 作:LUMINA
◆
私が初めて彼女に会ったのは、小学校の入学式の時だった。
新しい日常が楽しみで、その所為で前日の夜も中々眠れず、寝不足気味だった私の視界に、その人は突然現れた。
キラキラした人だった。
その人はまるで御伽話の世界から出てきたような人で。
海のような綺麗な瞳を持ち、お月様のような金色の髪の毛を腰の辺りまで伸ばしていた。
私は一目で、すっかり目を奪われていた。
先程まで気になっていた校舎も校庭ももう目に入らない。
その人のことだけを見ていた。
なんて綺麗な人なんだろうと思った。
見てるうちにこんな人と友達になれたら……、なんて憧れて。気がつけば私はその人に声をかけていた。
「あ、あの……。な、名前を教えてください」
「え、私ですか?」
その人は急に話しかけた私に少し戸惑った様子だったが、優しく笑いかけてくれた。
「Um……私は天海エネだよ。君は?」
笑った顔もまた可愛くて、つい見惚れてしまう。
その所為で質問されていると気づくのに少し時間がかかってしまった。
「え…あ…! わ、私は
「そっか、涼菜ちゃんか。うん、覚えた。これからよろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
「けどまぁ、同じクラスじゃないかもしれないけどね。その時は同じ学校の生徒として、仲良くしてほしいな」
「え……あ…そうですね…」
彼女と知り合えたことに浮き足立っていた私は、突きつけられた事実に少し落ち込んだ。
そうだ。彼女と一緒のクラスじゃないかもしれないんだ…。
彼女ともっと仲良くなりたい私にとって、それは悲報でしかなかった。
その後の説明会はまるで集中できなかった。
説明もろくに聞かず、私はひたすらに祈り続けた。
神様、お願いします。どうか彼女と一緒のクラスに…と何度も何度も祈った。
そして長い説明会を終え、直後に迎えたクラス発表の場で。私は思わず「やった」と口を漏らした。
ニヤつく口元を何とか抑えて、私は彼女の元へと向かった。
「一緒のクラスだね、エネちゃん」
「ええ。改めてよろしくね」
◆
「はじめまして。私は天海エネ。仲良くしてくれると嬉しいな。よろしくね」
場は進み自己紹介の時。
私を含め、周囲の視線はトップバッターである彼女に独占されていた。
皆思うことは一緒なのだろう。
「綺麗」だとか「お姫様みたい」だとかそんな言葉があちこちから聞こえてきていた。
ーーふふん。私はもう喋ったことあるもんね。
そんな中、私は皆より先に彼女の名前を知っていたのだと謎の優越感に浸っていた。
「…え…え? もう私!? あ、わ、私は大槻涼菜です! よ、よろしくお願いします!」
その所為で自分の自己紹介が疎かになったのは言うまでもなく失敗談だった。
◆
それから幾度も授業を繰り返すうちに、彼女のことが少しずつ分かってきた。
彼女はなんでも出来た。所謂天才というやつだ。
運動も勉強もコミュニケーションも。全て完璧にこなしていた。
私は素直に凄いと思った。
同時に一人で何でも出来るその姿から、まるで大人みたいだと思った。
他の人も皆、彼女に憧れていた。
それが、いつからだろう。
凄いが羨ましいに変わったのは。
◆
十全十美な完璧超人。
そんなエネちゃんに異変が起こったのは二年生に上がった頃からだった。
「また一位だったね! 流石エネちゃん」
「うん、そうだね。ありがとう」
「? どうしたの、あんまり嬉しそうじゃないけど…?」
「え、いや…ちゃんと嬉しいわ。ありがとう」
「ねぇーー聞いてる? エネちゃん」
「あ、ごめんなさい。少し考え事してて」
「えー、また?」
「ねえ、エネちゃん今日遊ばない?」
「私は今日はいいかな」
「そっか…」
理由は分からないが、彼女はその頃からボーッとしていることが増えた。付き合いが悪くなった。笑顔を減らしていった。
ただでさえその天才的な能力から多くの人に嫉妬をされ始めていた彼女は、少しずつだが悪口を言われるようになっていた。
「エネちゃんってうざいよね」
「見下してそう」
私は別段そう思っていなかった。
確かに彼女の才は羨ましいと思うが、それでも大切な友達だった。
付き合いこそは減ったものの、相談すれば真剣に考えてくれるし、下らない遊びにも乗ってくれる。
それだけで十分だった。
また悪口を言う子に限って、私もあまり付き合いがある子じゃなかったこともあり。
私はそう言った話には参加することはなかった。
ーー三年生の夏の日までは。
それはいつも通り。友達と話している時だった。
「そういえばさ。さっきの時間、天海さんとペアだったんだけど。凄い惨めな気持ちになったわ」
周囲には友達以外誰もいないこともあってか。
友達の一人が唐突に、そんな話題を切り出した。
「あはは。凄いボロボロにやられてたもんね」
「本当ウザい……私あの子嫌いなんだよね…」
そこからは嫌な時間だった。
皆が皆して悪口を言い出した。
止めることが出来れば良かったのかもしれない。だけど、あまり人と話すのが得意じゃなかった私は、止めることもできず、ただ口を結んで話題が過ぎ去るのを待っていた。
ーーしかし。
先ほどから口を閉ざした私に気づいたのか、不意に私へと話題を振ってきた。
「涼菜ちゃん的にどうなの? いつも一緒にいるみたいだけど」
その言葉に、皆からの視線が突き刺さる。
「わ、私は…」
私はエネちゃんのことは嫌いではない。寧ろ好きだ。
羨ましいと思うことはあれども、それよりも憧れという感情の方が強かった。
けれども、ここで流れに反したことを言ってしまえば、今度は私が悪口の対象になってしまうかもしれない。
私がいないところで私の悪口を言われている光景を思い浮かべてしまい。
一度だけ。一度だけだから、とつい保身に走ってしまった。
たった一度だけのこと。
しかしながら、運命というのは残酷で。その一回が最悪の結果をもたらした。
「…わ、私も最近のエネちゃんはあんまり好きじゃないかな。話もあまり聞いてくれなくなったし」
直後だった。微かに物音がしたのは。
気づいたのは私だけだったらしい。
否、私だけが気づいてしまった。
「あ……」
目撃してしまった。
口元を手で押さえ、覚束ない足取りで去っていくエネちゃんの後ろ姿を。
僅かに空いた教室のドアの隙間から、私は見てしまった。
「ーーッ!?」
「どうしたの? 涼菜」
「ごめん、ちょっとトイレ!!」
気が気ではなかった。
すぐに謝ろうと思った。
即座に教室を飛び出して、私は全力で走った。
既に彼女は見当たらなかったが、ひたすらに走った。
走って走って走って。
「………」
彼女に会うことはなかった。
◆
明日、明日こそ謝ろう。
朝一番に謝って。
またいつもみたいに……。
◆
翌日、エネちゃんは授業が始まっても現れなかった。
先生に理由を聞いても苦笑いして濁すばかり。
翌々日も、その次の日も。彼女が姿を見せることはなかった。
「……あぁ……」
嫌な予感は薄々していた。
でも、私はそれを認めたくなくて、何度も自分をごまかしてきたが。
「……あ…」
それももう限界だった。
ーーいつもと変わらない教室。
ーーその中に彼女だけがいない。
ーーポツリと空いた席だけが残されて。
不意に脳裏に過ぎるは、あの日の私の言葉。
『…わ、私も最近のエネちゃんはあんまり好きじゃないかな。話もあまり聞いてくれなくなったし』
過去の自分を殺したくなった。
何で、どうして。
あの時、周りに流されずにしっかりと反論しておけば。私は好きだと伝えておけば。
「あぁぁぁ……!?」
私は取り返しのつかないことをしてしまったのだと。
ようやく実感した私は、泣きながらその場に崩れ落ちた。
◆
「天海さんの家? ごめんなさいね、個人情報は教えられないの。特に天海さん関係は…ね。両親がちょっとアレだから…」
「そうですか…」
「エネちゃんの家ってどこにあるか知ってる人いますか?」
「正確な場所は分かんねーけど。通学路一緒だったから、おおよその場所だったら分かるぜ」
「天海? あぁ、社長さんの。それならあの大通りの大きい家が確かそうだよ」
「ありがとうございます!」
「すみません。私、エネちゃんの友……クラスメイトの大槻なんですけど。エネちゃんいますか?」
「あー……ごめんね。お嬢様は誰とも会いたくないみたいで」
「それでも数分で良いんです! お願いします」
「本当にごめんね」
◆
エネちゃんが登校しなくなって半年と少しが過ぎた。
無事四年生へと進級した私は、新たな教室に入って。
あぁ、これが罰なんだと苦笑した。
会うことすら出来ないだけでなく、忘れることすら駄目だと言うのか。
教室の端には誰もいない席がポツリと置かれていた。
◆
ーーどうか彼女と一緒のクラスにしてください。
入学当初、神様に願った思いは確かに叶えられた。
五年生、六年生になっても、私の近くには必ず空席が存在していた。
◆
それは小学校最後の夏休みが明け、二学期が始まって二週目の月曜日のことだった。
今日も代わり映えのない退屈な一日が過ぎるのだろう、そんなことを考えながら。くるくるくるくるとペンを回す私の目の前に、彼女は唐突に現れた。
「え……」
私は思わず目を疑った。
何度も何度も目を擦って頬をつねった。
それでも変わらない光景に、ようやく現実なのだと実感した。
最後にあった時と比べて、髪は短くなっているし、容姿も少し大人びているけど、間違いなかった。
「エネちゃん…」
私が会いたくて、会いたくて。それでも会えなかった人、天海エネがそこにいた。
「Hmm……」
先生に引き連れられ、教室に入ってきた彼女はどこか浮かない顔を浮かべて、小さく一礼。
教壇の前でゆっくりと口を開いた。
三年ぶりの彼女は、過去の記憶と違わずやはり可愛くて美しくて。
「皆さん、
しかし、その目はまるで別物で。
「じゃあ! 皆さん、天海さんによろしくの挨拶をーー」
「別によろしくしなくてもいいわ。関わる気なんてないもの」
「あ、天海さーん!?」
透き通る海のような色だった瞳は、暗く濁っていて、まるで無機物に向けるかの如く、酷く冷めた眼差しを私たちに向けていた。
◇
「はぁ…」
一時間目の授業が済み、迎えた休み時間。
俺は本日何度目かの溜息を吐いた。
まさか心晴と別クラスとは思わなかった。
勝手に同じクラスだとだと思い込んでいた分、ショックが大きい。
それこそ比喩ではなく本気で世界が色褪せて見えるくらいに。
現に今の授業もまるで身が入らなかった。
まぁ、それでも内容は一字一句見逃すことなく完璧に覚えているが。
そんなことはどうでもいい、と俺は再度溜息を吐いた。
成績なんかよりも今重要なことは心晴と同じクラスになれなかったことだ。
今は九月。卒業が三月だとして、まだあと半年もある。
ぶっちゃけ乗り越えられる気がしなかった。
既に帰りたい。そして出来ればもう二度と来たくないけど……流石に再登校してすぐ不登校になるのは迷惑すぎるよなぁ…。
両親の顔を思い浮かべ、顔を横に振る。
二人にはこれ以上迷惑かけたくないというのが俺の気持ちだった。
さて、どうしようか……。流石に毎休み時間会うのは心晴に迷惑だろうし、昼休みだけでも毎回会えないか聞いてみようかな。
「はぁ…」
なんて考えつつ、大きく溜息。
横目で周囲を見渡した。
予め関わらないでと告げていたおかげで、話しかけてくる人はいないが、俺のことが気になるのか視線を向けてくる人は多く、中には話しかける機会を窺っている人もいた。
本気で鬱陶しいし、気に障る。
そんな機会一生来ないし、来させるつもりもない。
ーーって、は?
その中の一人と目が合った俺は、即座に視線を外した。
自己紹介の時には気づかなかったが、確かに彼女はそこにいた。
最悪だ、心晴とは違うクラスなのに、あいつとは一緒なのかよ。
かつて俺にトラウマを埋めつけた張本人だけあって、見ていると克服したはずのトラウマが蘇ってくるのを感じた。
思わず舌打ち。
視線から逃げるように机の上にうつ伏せたーー
ーー直後だった。耳に小さな声が聞こえてきたのは。
「あの、エネちゃんいますか?」
「!!」
誰かに尋ねるような小声だったが、聞き間違えるはずがない。心晴の声だ。
俺はうつ伏せていた体を起こして、即座に立ち上がった。
突然の俺の行動に周囲から驚いたような声が聞こえるが、どうでもいい。
声がした方向に視線を向けると、教室の入り口に心晴が立っていた。
「心晴!」
「えへへ、来ちゃった」
心晴も俺を見つけたのか、笑みを浮かべて小さく手を振ってくる。
はい可愛い。疲れが全リセットされていくのを感じる。今ならなんでもできる気がする。
「あ…え、エネちゃ…」
「邪魔、通して」
進路を塞ぐように立っていた女子を退かし、急いで彼女の元へと駆け寄った。
◇
あぁ……。幸せだ。
ガラスに薄っすらと反射する自分の顔は、少し口元がにやけていた。
それも無理もない、と俺は先程の心晴との会話を思い出す。
「ーー心晴、お願いがあるんだけど」
「何? エネちゃん」
「心晴の昼休みの時間、私にくれないかな? 心晴がいないと寂しくて……あ、無理なら無理で断ってもいいの」
「それって……うん、いいよ。むしろ昼休みだけじゃなくて他の休み時間も全部あげちゃう! 貰って!」
「え、それは悪くない?」
「ううん、平気! 私もエネちゃんに会いたいし、エネちゃんのこと大好きだから」
回想終了。心晴は毎時間休みに会ってくれると約束してくれた。
それどころか…
「大好きって…」
慌てて口元を押さえる。一人の時ならまだしも、有象無象がいる中で無様な姿は見せられない。
口元を隠した俺は、そのまま授業に戻ることなく考え事に没頭する。
大好き。
以前から何度も心晴に言われている言葉だが、やはり嬉しいものは嬉しい。聞くたびに信頼されているだなと実感できる。
娘のように思っている子からの言葉なら特にそれが顕著に効果として現れる。
娘を持った人なら理解できるだろうこの感情。きっと両親もーー
「あ…」
小さく声を漏らす。
そう言えば、両親に「好き」って言ったことなかった。
つまり両親は今の俺の気持ちを知らないわけで。
うん、今夜にでも両親に言ってみようかな。なんて思ったりもした。
◇
「パパ、ママ」
「ん、どうしたんだい?」
「どうかした?」
「いつもありがとう。大好きよ」
「ウッッッ……!?」
「エッッッ……!?」
その日、俺は初めて膝から崩れ落ちる人を見た。