リヴァースりばーす   作:LUMINA

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drøm

 

 眠るのが怖かった。恐ろしかった。眠りたくなかった。

 

 しかし、どれだけ眠たくないと思っていても人間の身体は睡眠を求めるもので。

 ましてや成長期真っ只中の睡眠欲求に逆らえる筈もなく、抵抗虚しく睡魔に呑まれた。

 

 

 

 

 何度も何度も忘れようとした。

 

 ゲームや漫画、勉強、運動で意識を逸らそうとしたことも何度かある。

 実際逸らすことは出来た。

 

 

 だが─────

 

 

『あ、あの……。な、名前を教えてください』

 

『え…あ…! わ、私は大槻涼菜です』

 

『凄い、流石エネちゃん! よーし、私も頑張るから見ててね』

 

『え、これ私に…? 誕生日…覚えててくれたんだ。ありがとうエネちゃん! 一生大事にするね!』

 

『今日は楽しかったよ! また遊ぼうね、エネちゃん!』

 

 

 

『ねぇ、エネちゃん今日、一緒に遊ばない? そっか……ううん大丈夫だよ。また今度遊ぼうね』

 

『エネちゃん…最近元気ないけど大丈夫? 私でよかったら力になるよ!』

 

『エネちゃん……』

 

 

 

 

『私も最近のエネちゃんはあんまり好きじゃないかな』

 

 

 

 

 ────だが、結局、忘れられるのは寝るまでの僅かな間だけ。

 永続的な効果はなく、眠る度に夢を見て。そして思い出した。

 

 それはまるで現実から目を背けるなと告げられているようで。

 

 

 体育館で初めて会った時から、空き教室で目撃した時までの彼女との出来事を何度も何度も繰り返し見せつけられた。

 

 

 

 どうやっても忘れられなかった。

 

 

 

「うっ…あぁ………!」

 

 

 泣きながら飛び起きることも珍しくない。

 今日も涙が頬を伝っていく。

 

 

 

 ずっと単なる取り巻きの一人だと考えていた彼女は、存外俺にとって大切な人となっていたらしい。

 

 たった一言の悪口でトラウマと化すぐらいには。

 

 

 

「……あーあ…馬鹿だなぁ……」

 

 

 どうしてもっと早く気づかなかったんだろうか。

 気づいていれば……失うこともなかったのに…。

 

 失ってから気づくなんて…本当にバカだ。

 

 

 後悔が溢れて止まらない。

 

 静かに流れていた涙は、やがて嗚咽へと変わった。

 

 

 

 

「あー、やっぱり……赤くなってる、か」

 

 一通り泣き切った後。

 俺は姿見を覗いて苦笑した。

 

 

 今日もいつもと違わず。

 俺の目は真っ赤に充血していて、少し晴れていた。

 

 

「はぁ……」

 

 

 もはやこれも慣れた作業になった。

 なんて考えながら、枕元に置いていた目薬を手に取り、両目に一滴ずつ点眼。

 

 これもいつもと同じ。

 五分もすれば充血は治るだろう。

 

 

 それまでは部屋に待機してよう。

 

 

 俺は再びベッドの上に大の字で転がった。

 

 

 ぼんやりと天井のシーリングライトを眺め、手に持ったままの目薬を上下に振る。

 

 チャプチャプと音を立てる目薬の残量は、四分の一を切っていて僅かとなっていた。

 

 

「また買ってもらわないと…」

 

 

 目薬を所定の場所へと戻し、溜息を吐く。

 

 情けない話だが、まだ当分トラウマを乗り越えれそうにない。

 これからも同じ夢を見ては、泣いて起きることを繰り返すのだろう。

 

「いつまで続くのかなぁ。もしかして永遠とか…? あはは……」

 

 

 乾いた笑いが零れる。

 

 

「もう嫌だ、誰か助けてよ……」

 

 

 ポツリと呟いたその声は誰の耳にも届かず霧散した。

 

 

 

 

 

 

 そんなトラウマを見なくなった要因は何なのか。

 

 ハッキリと答えることができる。

 

 心晴と再会してから、と。

 あの公園での彼女との出会いは、それほどまでに衝撃的で、忘れられない出来事だった。

 

 

 

 

 

 かつて、俺にとって心晴は前世の自分を生き写したかのような存在だった。

 

 何も出来ず、何も為せない。

 

 容姿は幾分か優れているようだが、決して絶世の美少女と言えるものではなく、クラスに一人か二人いる可愛い女の子といったレベル。凡人以上俺未満と言ったところか。

 

 それだけだった。

 

 尤も、前世の自分はイケメンどころか凡人以下の容姿だったのだが、それはさておき。

 

 

 そんな、ハッキリ言って出来損ないの少女は今、俺にとって太陽のような存在となっていた。

 

 

 

 初めは罪悪感からだった。

 しかし何度も会う内に、次第にそれは好奇心や期待へと変わっていった。

 

 今もなお逆上がりに挑み続ける心晴。

 背中から落ちた回数だけでも既に100は超えている。

 にも関わらず、心晴はとても楽しそうに挑戦していた。

 

 

 

 前世の自分の生き写しのようだと意識していた彼女。

 出来損ないだったはずの心晴が諦めずチャレンジを重ねる姿に眼を、心を奪われた。

 

 

「うぐ……!?」

「心晴、大丈夫? 今日はもうやめとく?」

「だ、大丈夫! まだ頑張れるから! 心配してくれてありがとう、エネちゃん!」

 

 

 痛いだろう。苦しいだろう。辛いだろうに健気に微笑みを返す心晴に、俺は苦笑を返した。

 

 心晴は頑固だ。

 故に、心晴が続けると言っている以上、止めても無駄になることは分かっていた。

 

 

「頑張ってね」

「うん! 任せて! 次こそはやってみせるから!」

 

 

 Vサインを作り、そう宣言する心晴の姿に口元がだらしなく緩まるのを感じた。

 

 

 心晴を見ていると、何故か身体が、心が震えた。

 心臓の音が煩いと思える程に胸が熱くなる。

 頬が熱を帯びて紅潮していく。

 

 同時に彼女を傷つける鉄棒に殺意が湧く。

 どうして成功させてくれないんだと世界に恨みを抱く。

 

 

 理不尽だとは理解していても止められなかった。

 

 こんな気持ちは生まれて初めてだった。

 

 

 

 

 この感情は一体何なのか。改めて考える。

 

 答えはすぐに出た。

 

 

「これが父性ってやつか」

 

 

 俺は呟いて、納得する。

 

 

 父親は娘の為なら世界をも敵に出来ると何かの漫画で読んだ覚えがある。

 つまり、父性ならこの感情もあり得なくもない。

 

「あ…」

 

 思案を巡らせる俺の目の前で、またポトリと心晴が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 心晴は太陽だった。

 

 事実彼女のお陰で暗かった俺の世界に明かりが灯った。

 

 

 人の視線が以前より怖くなくなった。

 毎日が楽しみになった。

 そして何より、闇のように纏わりつくトラウマから解放してくれた。

 

 心晴と再開して以来、毎晩魘されていた夢を見ることが無くなった。

 

 

 俺は彼女に救われた。

 

 

 それ故に。

 

 今度こそあの時のような失敗はしないと誓った。

 

 もう大切な人を失いたくなかった。

 失ってしまえば、今度こそ。立ち直れる気がしなかったから。

 

 

 

 大槻涼菜は、俺が大切な人と頑なに認めなかったから失ってしまった。

 

 

 同じ轍を踏むわけにはいかない。

 

 

 だから─────

 

 俺は自室の扉の鍵を閉めると、そのままベッドに飛び込んだ。

 

 

 

 枕を手繰り寄せ、右腕でギュッと強く抱きしめる。

 そして空いた左手で、最近出番の減った目薬の代わりに置き始めた額縁を手に取った。

 

 中に入っているのは、心晴と撮ったツーショットの写真。

 

「心晴…」

 

 写真を撮った当時のことを思い浮かべながら、俺は小さな声で彼女の名前を呼んだ。

 

 

「好き…大好き…」

 

 

 愛を囁いた。

 

 

 

「心晴、大好きだよ。大好き、大好き、大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き」

 

 

 

 

 何度も何度も。

 

 今度こそ間違えないように、と。呟き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不登校を止めた翌日。

 

 

 その日の目覚めは最悪だった。

 

 

 

「─────ッ!!?」

 

 声にならない悲鳴をあげ、布団を払い除ける勢いで飛び起きた俺は、ぼんやりと霞む視界で見慣れた部屋を見渡して安堵の息を漏らした。

 

 

「……ゆ、め…か。…ん? うわ…最悪」

 

 

 そこで俺は寝汗でパジャマがぐっしょりと濡れていることに気づいた。

 ベタベタと服が肌に張り付く感触が不快感を募らせる。

 

「気持ち悪い」

 

 すぐにベッドから下りて、すっかり水分を吸って重くなったパジャマと下着を脱ぎ捨てた。

 

 朝の冷たい空気が汗で濡れた身体を急速に冷やしていく。

 

 俺はタオルで身体に浮かび上がる汗を拭いながら、しかし、と呟いた。

 

 

 

「久々に見たな…あの夢」

 

 

 理由は恐らく昨日、トラウマの元凶である大槻涼菜に会ったからだと推測した。

 

 心晴が側にいる時は、何も怖くない。

 何が相手だろうと正面から立ち向かえる。例えそれがトラウマであっても。

 

 

 だけどこうして一人でいる時は話が別だった。

 

 現に膝はガクガクと震えているし、胸は締め付けられるように痛い。

 鏡に映る自分の顔を心なしか青ざめて見えた。

 

 

 

 考える。

 

 たった一つのトラウマを乗り越えられない俺が、本当に心晴を護れるだろうか。

 

 否。と、答えはすぐ頭に浮かんだ。

 

 

「……うん、やるしかないよね」

 

 いつまでも怖がってもいられない。

 

「今日、決着をつけてみせる」

 

 口に出して決意を固めた俺は、いそいそと中断していた着替えを再開した。

 母が買ってくれた上下お揃いの下着を着用し、お気に入りのパーカーコーデへと着替えていく。

 

 

 

 ーーそういや、今何時だ?

 

 ふと時間が気になり、時計に目をやった。

 

 時刻は六時半。

 昨日心晴が迎えに来たのが七時二十分くらいだったから、まだ時間的には余裕がある。

 

 

「…けど、もしかしたら昨日よりも早く来るかもしれないし………そうだったら待たせるわけにいかないし……早く会いたいし……」

 

 

 一瞬、少し部屋でのんびりしようか悩んだが、結局俺は脱いだ衣服とランドセルを持って部屋を後にした。

 

 

 

 

 

「あ、おはよう、エネちゃん! 今日は早いね。待たせちゃった?」

「おはよう、心晴。ううん、そんなことはないわよ。私も今出たところだから」

 

 

 午前七時十七分四十二秒と。

 

 昨日とほぼ変わらない時間にやってきた心晴に、玄関前で待っていた俺は軽く手を振って対応する。

 パタパタと小走りで近寄ってきた心晴は、エヘヘと笑みを浮かべた。

 

「心晴、何か良いことあったの?」

 

「え、嘘。もしかして顔に出てた? いやちょっとね……エネちゃんと一緒に学校に登校してるって思ったら嬉しくなってきちゃって。クラスが違ったことは残念だったけど。休み時間の度に会えるんだよね? 嬉しくならないわけがないよ」

 

「あっ…」

「? どうしたの?」

 

 

 首を傾げる心晴に、俺は頭を下げた。

 

「ごめん、心晴。そのことなんだけど、今日の昼休みは用事が出来たから…集まれそうにないかも」

 

 勝手な話だと自分でも思う。

 心晴が怒っても仕方ないと思った。

 

「頭を上げて」

 

 だが、心晴から発されたのは、怒声ではなく、優しい声だった。

 

「ううん、気にしないでいいよ。昼休み以外の休み時間は会えるんでしょ?」

「えぇ、勿論そのつもりだけど」

「じゃあ昼休みの分、他の休み時間でチャージするから大丈夫だよ!」

「チャージ?」

「うん、チャージ! ほら、こうやって」

 

 

 そう言って心晴はギュッと首元に手を回してきた。

 大好きな匂いと共に、女の子の柔らかな感触が伝わってくる。

 

 ドクンと大きく自分の心臓が跳ねる音が聞こえた気がした。

 

「ちょ、心晴!?」

 

 

 突然の事態に狼狽える俺とは対称的に、心晴は落ち着いた様子でほにゃりと表情を崩した。

 

 

「えへへ、エネニウムフルチャージだよ!」

 

 え、エネニウムって何?

 そんな物質あったっけ………。

 

「ほらエネちゃんも」

 

 耳元で囁かれた声に、俺の頭脳は停止した。

 

「わ、私も? え、あっ……じ、じゃあふ、フルチャージ…」

 

 自分でも何を言っているのか理解出来なくなる。しかし、心晴が笑顔で頷いてくれたから間違ったことは言ってないのだろう。

 

「うん! フルチャージ、だよ」

「ふ、フルチャージ…」

 

 

 再度囁かれる声に、ゾクゾクゾクと肌が沸き立つ。

 停止した頭の中が熱で蕩けていく。

 

 思考がうまく回らない。何も考えられない。

 

 

 ただただ「幸せ」という感情に埋め尽くされていくのを感じていた。

 

 

「じゃあそろそろ行こっか! って、あれ? 顔真っ赤だよ、エネちゃん。どうしたの?」

「ふ、フルチャージ…」

「エネちゃん?」

「ふ、フルチャージ…」

「え、エネちゃんが壊れた!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあまたね!」

「ええ。また!」

 

 

 学校に着いて心晴と別れた俺は、にへーとだらしなく緩む口元を隠しながら自分の席へと着いた。

 

 

 ーー彼女は…まだ来てないのか。まあ、こんな顔で会うわけにもいかないから好都合って言ったら好都合なんだけど。

 

 

 目的の人物がいないことを確認した俺は、今のうちにと、軽く咳払いをして気分を整える。

 

 

 

 本当心晴可愛い……じゃなくて、幸せ…じゃなくてぇ…!!

 大好き。じゃなくて……うぅ…

 

 

 何度も頭を振っては煩悩をかき消す行為を繰り返していた所為か、隣の席の人に心配される始末だった。

 

「ーーあ、天海さん? 大丈夫?」

「だ、大丈夫よ」

 

 こんな状態ではいけない。いけないいけない。

 

 気を取り直すべく、二度目の咳払い。

 ここは教室。落ち着け、落ち着くんだ俺。

 

 すーはー、大きくゆっくりと深呼吸…

 

 あ、けど。いい匂いだった…

 

 

「あぁぁあ……!!!?」

「あ、天海さーん!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的の人物がやってきたのは、登校時間ギリギリになってからだった。

 数分の格闘の末に何とか平常心を取り戻すことが出来た俺は、彼女が教室に入ってくる姿を認めるや否や立ち上がり歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 一歩一歩が重たく感じる。

 

 行きたくない、離れたくないと足が悲鳴をあげているのが分かる。

 

 

 

 心臓の音が煩い。

 心晴といる時とは違う、嫌な感じの煩さだった。

 

 

 

 

 それでも何とか足を進めた俺は、今まさに席に座ろうとしていた少女に向かって声をかけた。

 

 

 

 

「ねぇ、大槻さん。昼休み、少し会えないかな。話したいことがあるんだけど」

「え…私? …うん、勿論いいよ!」

 

 

 

 

 彼女ーー大槻涼菜は一瞬酷く驚いたような表情を浮かべていたが、大きく頷いて申し出を了承した。

 

 

 

 

 

 

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