─────花柱が死んだ。
俺が階級"
とても強い人で、鬼殺隊の最高戦力である柱として鬼と戦う傍ら、負傷した隊士を治療する蝶屋敷を切り盛りしていた。
よく負傷していた俺は、何度も姉弟子である彼女───カナエさんの世話になった。とても優しい人で、いつもニコニコと微笑んでいるその様はまるで女神のような人だな、とよく思っていたものだ。
そして文字通り、鬼を殺すための組織である鬼殺隊では異端の考えを持っている人でもあった。カナエさんは鬼に同情し、哀れみ、可哀そうな生き物だと言っていた。仲良くなれたらいいのに、とも。
彼女の妹はそうは思っていないようだったが。あの子はひどく鬼を憎んでいるようだったから、そう語るカナエさんのことを不満そうな顔して見ていた。
そうだ。カナエさんの妹の、胡蝶しのぶ。表情のコロコロ変わる、笑顔がたいそう可愛らしくて勝気な性格の、俺の二つ年下の少女。
俺が何度も何度も自分の身を顧みずに鬼と戦い、そのたびに傷を負っては蝶屋敷に面倒をかけたから、よく文句を言われ、あるいは呆れられていた。もっと自分の身体を大切にしろ、と。
彼女はひどく泣いていた。それはもう体中の水分が抜けきって、干からびて死んでしまうのではないかと心配になるくらい泣いていた。無理もない。唯一残った大好きで大切な姉を鬼に殺されたのだから。
俺は彼女たち蝶屋敷の面々とはカナエさんの兄弟弟子ということもあって親しくしていたが、だというのにかける言葉を見つけられないままだった。俺は結局、
しかし鬼にはそんなことなど関係なく、人を殺し、喰らう。すぐに任務の知らせが来て、俺は蝶屋敷を後にした。
次にしのぶを見たとき、思わずゾッとした。
彼女は笑っていた。微笑んでいた。綺麗に、痛々しく。
「人も鬼も、みんな仲良くすればいいのに」
カナエさんそっくりの顔で、カナエさんそっくりの笑顔の仮面をつけて、カナエさんの言葉を口にする。
表情のコロコロ変わる、笑顔がたいそう可愛らしくて勝気な胡蝶しのぶは、いなくなっていた。
────今でも、後悔していることがある。
あの時なにか言葉をかけていられたのならば、何かできていたのならば、しのぶは今でも元気で溌剌とした笑顔をしていたのだろうかと。姉の模倣をして、思ってもいない言葉を口にすることはなかったのではないかと。
愚かで、傲慢で、見当違いで、身の程を弁えていないことなど分かっている。
だが、それでも、彼女に張り付けられた笑顔の仮面を見るたびに、そう思わずにはいられないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆
ごとり、と頸が落ちた。
月の光に反射する薄葡萄の色をした刀身に、美しく映える血飛沫の仇花。ジャラリ、と柄尻の先から伸びた鎖が軋る。青年はふう、とひとつ息を吐き出して全集中の呼吸を緩めた。
断末魔たる声には音が載せられていなかった。目を見開いて、まるで魚が必死に餌を食もうとするかのように口をパクパクとさせながら、鬼は消えていく。その様子を、冷ややかな瞳で眺めていた。
鬼が完全に消えたのを見届けると、それから周囲を見渡す。夫婦の死体が転がっているのが目に入った。近くで十二歳ほどの男の子が泣きじゃくっている。その奥には、小さな木造の家が。大方鬼が襲ってきて逃げようとしたのだろうと当たりを付ける。
ああ、間に合わなかった。また一つ、幸せが壊れた。あと少し早ければ、なんて考えは一瞬にして消える。慣れてしまった。いつもこうだ。いつもギリギリで間に合わない。
湧いてきた自己嫌悪の念を溜息と一緒くたにして吐き出して、気分を紛れさせる。
逃げるように視線を逸らして、脇腹と左肩からとろとろと流れる血を一瞥し、チッと一つ舌打ちをして呼吸で止血する。
今日はずっとどこか上の空であった。それは命取りだと知っているから、普段はそんなものすぐに切り替えてしまっていたが、今日のこれはどうしようも無かったと自分で自分に言い訳をする。まあ、その結果攻撃を受けて傷を負ったのだから、笑い話にもならない。
───あの日の夢を見た。頭からあの少女の顔がこびり付いて離れない。もう今更だと言うのに、己の女々しさに辟易する。じくじくとした痛みは、傷のせいなのかは分からなかった。
青年はピイ、と口笛を吹いて上空を飛んでいた
「それでは、俺はこれで。蝶屋敷に向かうので、後の事はよろしくお願いします」
その場を任せる旨を伝えると彼らは快く応え、青年は刀───日輪刀を一度振って付着した血を落とし、鞘に納める。そのまま一礼するとくるりと後ろを向き、歩いてその場を去っていく。彼の役目は、鬼を殺すこと。それが鬼殺隊である彼の使命であった。
鬼。人を喰らう化物。それがこの国には存在する。夜な夜な人を襲い、喰らい、己が糧とし力に変えている。理性など一片たりとも無く、ただ目の前にいる人間を喰らうことしか考えられない化生。ヒトから堕ちた成れの果て。
鬼の存在はそれほど広く知られてはいない。鬼は太陽の光を浴びることができないので、行動するのは夜だけ。それもあって、知らない人間の方が多い。
鬼殺隊にしてもそうだ。基本的に行動するのは鬼が出る夜のみ。更に言えば政府非公認の組織なのだから、知られる筈もない。
「───うわあああああああああああ!!」
────すすり泣いていた男の子が喉を痛めつけるようにして絶叫した。その顔は涙でぐしゃぐしゃだったが、眼はその場を去る男を睨めつけていた。
「どうしてお父ちゃんとお母ちゃんを助けてくれなかった!」
まだ声変わりのしていない叫びに、足が止まる。表情を殺したまま振り向くと、隠が少年の方に慌てた様子で向かっていくのが見えた。
お構いなしに少年が涙を流しながら、叫ぶように言葉を紡ぐ。
「あんたがもっと早く来てたらお父ちゃんもお母ちゃんも死ななかった!あんたのせいだ!」
狂乱したような言動。無理もない。親が化け物に殺されたのだから。
少年の齢では受け止められるはずもない。その言葉が、先ほどまで考えていたことを想起させる。載せられた糾弾には正当性の欠片もない。
だがそれでも考えてしまう。救えなかった。この子はどうなるのだろうか。親を失って身寄りもない。親戚にでも引き取られるのだろうか。あるいは、藤の花の家紋の家で育てられるのだろうか。
子供の溢れるようにして流れる涙が、あの時の少女をフラッシュバックさせた。あの時は、言葉すら交わさなかった。過去には戻れないと言うのに、未だに愚昧な自分に辟易する。本当に今日は良く色々と、思い出す。
どうしようもない感情が蒸し返して、男は一瞬泣きそうな顔をした。しかしまた表情を消し、はぁ、と溜息を一つ吐き零すと、背を向けて今度こそ去っていった。
◆◇◆◇◆◇◆
「玲くん、どうしたんですか?昨日からずっとその調子ですよ」
鬼殺隊本部から少し離れた場所にある蝶屋敷。そこの女主人である
様子がおかしかったのは昨日からだった。任務終わりに蝶屋敷を訪ねてきて、鬼から受けた傷の治療を頼んできた。比較的軽傷とはいえ、今では殆ど怪我を負うことなく任務を遂行する彼に珍しいな、と思ったものだ。
確信したのはその後だ。処置を終えこれで大丈夫ですよと伝えたが、反応がなく浮かない表情のまま上の空。そのままぼうっとした様子で手を引かれるまま病床で寝入ったのが昨日の夜の事。
「いえ、大したことじゃないんです。ただ…」
「ただ?」
玲とは割と長い付き合いだ。
それこそ、姉が生きていたころから。今でこそ階級はしのぶの方が上だが、齢は玲が二つ上。以前はもっと砕けた言葉遣いだったが、しのぶが柱になったあたりから敬語で喋るようになった。別にいいと言ったのだが、周りに示しがつかないでしょう?と言われてしまえばどうしようもない。
それくらい長い付き合いのある彼だが、これほど目に見えて落ち込んでいるというのは割と珍しい。故に心配するのは道理である。
「……ただ、しのぶさんって化粧濃いなって痛っ!」
「殴りますよ?」
「もう殴ってるじゃないですか」
「玲くんが悪いんです」
全くこの凶暴め、などとボヤく玲ににっこりと笑みを深くして、拳を軽く握ってみれば、何でもないです今日もお綺麗ですね、と表情筋を痙攣させながら返事が返ってくる。
誤魔化されたのは分かっていた。何かあったのは一目瞭然だ。露骨にあからさまだったのだから。だがしのぶは、そこに踏み込めなかった。いつからか彼が自分に対して心に壁を作っているのを漠然と感じていたから。だから必要以上に踏み込めなくなった。綻びが生じて、関係が壊れるのを恐れた。
だから今回も尋ねては見たが、誤魔化されてはどうしようもなかった。助けは求めて救難信号は発するのに、その助けを拒んでいる。全く勝手で面倒くさい男だ、としのぶは思う。
そんな風に考えられているとは露知らず、玲は緩慢に立ち上がり口を開く。
「心配して下さったんですよね。ありがとうございます」
「いえ、どうやら力にはなれないみたいですし」
「いやいや、そう気にかけて貰えるだけで救われてますから」
「あら、そうですか」
「ええそうですとも」
そのまま流れるように「なにか手伝いますよ」と言われたので溜まっていた医学書の整理と備品の運搬を頼む。
いつもの事なので既に罪悪感はあまりない。一応彼は怪我人ではあるが、無理そうであればそんなこと言い出さない人だ。仮に言い出したとしてもしのぶは丁重にお断りする所存でいる。
玲は仕事のできる方だ。長いことこうしているからという慣れもあるのだろうが、少なくともただ刀を振るい鬼を狩るしか能がない男という訳ではなかった。それに所作もどこか優雅で品がある。過去の事など聞いたことは無いが、どこか良い家柄の育ちなのだろうという事が分かるくらいには。
話が逸れたが、つまり彼に手伝ってもらうと大変に助かるのだ。それに蝶屋敷は女世帯。力仕事を任せることのできる男がいるのは正直とてもありがたい。故に遠慮なく手を借りるのだ。無論親しき仲にも礼儀あり、を忘れるしのぶではなかったが。
「それじゃ、俺は帰りますね。治療、あんな時間にありがとうございます」
「いえいえ、此方もいろいろと手伝ってもらいましたし。お互い様です」
「ああそうだ。しのぶさん、体調気を付けてくださいね?最近、ちょっと顔色悪めみたいですし」
「…っ」
平時の様子を幾分か取り戻した彼のその言葉に、不意を突かれたしのぶは息をのむ。
どきり、とした。化粧を濃くして隠していた顔色に、まさか気付かれるとは思わなかった。蝶屋敷の皆は欺けたから、油断していた。
姉の仇を討つことが今のしのぶの全てだ。そのために藤の毒を食みはじめたことがこの男に知られたら、どんな顔をされるだろうか。烈火のごとく激怒して、涙を流すのだろうか。それとも、愚かだと軽蔑の目を寄越してくるのだろうか。
それがしのぶには、分からなかった。
「よく分かりましたね。実は最近、藤の毒の研究であまり寝てなくて」
「なるほど。だから化粧も濃いんですか。あ、いや、いつも───嘘ですごめんなさい許して」
「全く…」
いかにも呆れた、といった風体を装いながら内心でふう、と一息つく。嘘は言っていない。これもある意味では研究なのだ。なんて、言い訳がましいのだろうか。
それに気付いた様子なく、帰り支度を終えた彼は背を向けた。
「ともかく、身体には気を付けてくださいね。鬼狩りは身体が資本なんですから。それでは」
そう言って、日輪刀を引っ提げて去ってゆく後ろ姿。その背を見て罪悪感と形容しがたい感情に襲われる。何とも言えぬ苦い思いに、胸が痛い。
鬼狩りは身体が資本。まさにその通りだ。思わず薄ら寒い笑みがこぼれそうになった。
───何せ私はこの身をもって、姉を殺した悪鬼を地獄に墜とそうとしているのだから。