曰く、月にはヒトを狂わせる魔力があるのだとか。
実際、西洋では月の光を浴びると精神に異常や狂気を齎すと信じられていた事があったらしい。
その証左として、月に関連した外来語にルナチックという言葉がある。意味は『精神に異常をきたしている、狂っている、愚かな、狂気の』。なかなかに酷い有様である。
兎角、月とは人間を狂わせるモノらしい。まあ眉唾物な話の気がせんでもないが、鬼を見ていればそれもあながち間違いではないようにも感じる。鬼も元をたどれば人間だ。
人間が鬼の始祖である
そう考えると鬼舞辻無惨に運命を狂わされた哀れな生き物のように思えないこともないが、結局のところ本能のままに只人を喰らう卑しい
今宵の任務で頸を落とした鬼は、夜空に燦然と輝く月にあてられてかひどく狂っていたように思える。
そして今こうして戦っている鬼も狂気的で、そして煩わしかった。
「鬼狩りぃぃぃ!よくもよくもよくも儂らの食事を邪魔しおって!」
「うるさい黙れ耳が腐る。そして増えるな」
「あまりカッカするな玲!合わせてくれ!」
暗闇と静けさに包まれた夜の街並みが月明かりに照らされ暴かれる。
そこにいたのは八体の同じ貌のみすぼらしい格好をした鬼───ひとりの鬼が八体に分裂した存在で、それら全てが同一の意識を共有していた───と、ふたりの鬼狩り。
「全集中────炎の呼吸」
「全集中────雪の呼吸」
剣士の片割れが刀を横に薙ぎ払い鬼の一体を牽制し、剣士のふたりは息を吸った。
一方は燃え盛る炎のように雄々しく、一方は舞い降る雪のようにしんしんと。肺に取り込んだ酸素が血管に乗り身体中に行き渡り、全身の筋肉が活性化する。グッと強く握られた刀の柄がギチギチと軋む。
鬼が二体、弾かれたように飛び掛かる。数の利故か、前後から挟み撃ち。血鬼術である身体を壊死させる毒を肥大化した爪に纏わせ振りかぶる。
「肆ノ型 盛炎のうねり」
「参ノ型 厳冬の
鬼狩りは互いに向けるようにして技を放った。炎熱を体現したような男───
そうして、眼前の仲間を傷付けることなくぎりぎりまで引き付けたお互いの背後の鬼を斬り捨て、頸を落とす。ぼろぼろと崩れ行く身体と首。その顔は驚愕で引き攣っていた。
それを隙と見たのか、背後から二体。そしてさらに頭上からも二体の鬼が。爪を突き出して突進をするその顔は勝利を確信していた。
だがそれも次の瞬間崩れ去る。
「ギッ!」
「ギャ!」
四体のうち二体の頸が飛ぶ。それぞれ背後からのものと上からのものが一体ずつ。
ようやく二人の姿を見つけると、すでに刀は振るわれた後だった。見えなかった。何が起こった。理解できない。頭が追い付かず鬼は一瞬惚けるが、それは命取り。
またも認識する暇なく、断たれた頸が二つ増えた。
ほかの二体の鬼はその様子を見て怖気付いたのか、即座に別れて遁走を始めた。人の領域をゆうに超えた化け物の脚力。それはまるで、かの蒸気機関車と見紛うほどのスピードだった。
「炎の呼吸──壱ノ型
だがそんなことなど関係ない。此処にいるのは鬼殺隊が誇る柱がひとり、炎柱とそれに追随する実力を持つ次期柱と目される男なのだから。
力強く踏み込み地面を蹴り駆けた。あまりに強力なそれで、地面は穿たれる。一瞬のうちに逃げる鬼との距離を詰め、そのまま袈裟斬り。その強烈かつ流麗な一刀のもと、頸が舞った。
「雪の呼吸──伍ノ型 飛雪千里・
身体を恐ろしく低く保ち、するりと足を抜くようにした独特の足運びで加速する。縮地と呼ばれる技術に近いそれで刹那の間に距離を詰め、認識できぬ速度で横一閃を入れる。怨嗟の声など上げるよりも早く、頸は刈り取られた。
血潮が飛び散る。瞬く間に放たれた炎と雪の技。
全てごく微細な時間差はあったものの殆ど同時。それはふたりがほぼ同等の思考速度と身体能力を持っているという事実を証明していた。そしてそれらはまるで互いが互いに対応しているかのようで、正に文字通り
「───さて」
「君、大丈夫か!」
戦闘が終わったころには既に辺りは白み始めていた。
二人は日輪刀に付着した鬼の血を振り払い納刀し、物陰に隠れさせていた女性隊士のもとに向かい声をかける。
助けられた隊士は腹と頭、右足から血を流しており、さらに呼吸の仕方から肋骨を数本折っているようだったが、幸運なことに血鬼術にはやられていない様子だった。
彼女は炎柱である杏寿郎の容貌を知っていたのか些か委縮していたが。
「え、ええ!ありがとうございます、炎柱様。それと…?」
「階級・
「九条さん、ありがとうございます……すみません。炎柱様たちの手を煩わせてしまって」
「なに、気に病む必要はない!襲われていた少年たちを自ら囮になって逃がしたと聞いた!凄いことだ!誇っていい!」
「杏寿郎の言う通りです。それは本当に素晴らしいことだ。でも自分の身体も大切にしてくださいね。死んでしまっては元も子もありませんから」
玲が蝶屋敷で身に着けた応急処置は的確で、すぐさま女性隊士は痛みが引いたようだった。とはいえ応急処置は所詮応急処置。早急に蝶屋敷で診てもらう必要はあるが。
その間に杏寿郎は
彼女は足の怪我の具合からして一人で歩けそうになかったので、隠に任せ蝶屋敷に運ばれることとなった。
夜明けも近かったので、その様子をふたりは最後まで見届けていた。
─────朝陽が差した。
ひどく眩しいそれに目を顰め、ふっと息を吐く。そして玲と杏寿郎は顔を見合わせて、眦を少し下げ微笑みあった。
この日の出の瞬間にこそ、鬼殺隊士は初めて安堵することができるのだ。
◆◇◆◇◆◇◆
陽の光が降り注ぐ間であろうと夜の
その仲見世の通りは昼時ゆえかたいそう賑やかである。和装も洋装も入り混じって人がごった返しており、道の先も見えないような有様だった。
「おっと、失礼」
そこに、人々の間を縫うようにして歩く風変わりな格好をした青年がいた。
丁寧に撫でつけられ、横に流された真白な髪。黒い詰襟と、格式高い礼装用のブーツ。そして女物の、雅な京紫に染められた桜吹雪柄の羽織に腕を通していた。
近くにいた者がみな一様に目を向け振り返るくらいに、その容姿は女のように美しかった。眉目秀麗、仙姿玉質、容姿端麗、顔だけで飯が食っていけそうな程に美しいその青年は、しかし裏腹に、この廃刀令の御時世に物騒にも腰に日本刀を携えていた。
「いやあ、美味かった!次はなにがいい!玲!」
「芋けんぴはどうだろう。以前来た時、美味そうだったが食えなかった店がある」
「よし!では行ってみるか!」
青年、九条玲の隣には、さらに目を引く容姿の男が並んで歩いていた。
炎を連想させる髪と、見開かれた双眸。同じく黒い詰襟を着用し、まるで炎を象ったかのような羽織を羽織っている。明朗快活と言う言葉をそのまま人にしたような人物だった。
彼の名は煉獄杏寿郎。鬼殺隊の最高戦力である柱の一角、炎柱その人である。
人と人との間を縫いながら進んでいくふたり。目当ての店に辿り着くや否や早速芋けんぴを注文すると、席に腰掛けその味を堪能する。
「うまい!うまい!うまい!」
「芋けんぴだとそっちなのか…」
食べ終えて店を出ると、次はどこにしようかと会話を交わしながら道を歩いていく。
人目を随分と集めているが、それを気にした様子はない。両人とも普段から目を引く容姿をしているから、随分と慣れている様子だった。
両人とも割と堂々と帯刀しているにも関わらず、警察を呼ばれないことは幾許か疑問に思っているが。まあ騒ぎにならないのなら問題ないのだろう。今更隠そうとする方が目立つ。
「あら、玲くんと煉獄さん?」
「あ、しのぶさん。こんにちは」
「胡蝶!そちらこそ浅草とは珍しいな!」
「そうですか?少し用事がありまして。そちらこそ珍しいですね。ふたり隊服で浅草なんて」
かなり目立っていた2人組に話しかけた女性は、これまた大層な美人である胡蝶しのぶ。
彼女も随分視線を集めていたが、こちらも気にした様子はない。女性は視線に敏感だと聞くが、彼女の容姿だ。慣れっこなのだろう。
派手な三人組が道の途中で話していれば、人は自ずと避けるものだ。そこだけ穴が開いたように人がいないので、三人は流石に申し訳なくなり仲見世から出る方向へ足を向け言葉を交わす。
「実は任務終わりなんです。丁度近くだったもので、そのまま二人で遊んじゃいまして」
「まあ、そういうことでしたか。なかなか見ない組み合わせでしたし、それにかなり人目を集めていましたから」
「うむ、そうだ!俺達は六区で演劇を見た帰りでな!仲見世で何か甘味をと思って此方に来た!」
「杏寿郎、普段は『鍛錬鍛錬!』ですから。偶にはと思って誘ってみたんです。…でも確かに、しのぶさん珍しいですね浅草なんて」
「それに着物だ!」
杏寿郎の通り、隊服ではなく着物を着ているしのぶは珍しかった。普段のしのぶもどこか妖艶だが、着物だとまたひと味違うな、と玲は素直に思った。するとその様子に勘付いたのか、あるいは杏寿郎の言葉に反応したのかしのぶは、
「これですか。買い出しですよ。近場じゃ売ってない薬品が必要でして、隊服で行く訳にもいかないでしょう?」
「なるほど。……そちらには今から?」
「ええ、そうです」
「なら一緒に行きます。女性を1人で歩かせる訳にも行かないでしょう?」
かの大政奉還からかなりの年月が経った。
文明開化の鐘の音と共に所謂『
しかも西洋の考えが誤解と歪曲を繰り返した結果、一部ではあるがいいように解釈し、さらに酷くなった者もあるだろう。
そんな情勢のなか、彼女のような美女が一人で歩いていればどうなるか、どのような難癖をつけられるか、分かりきったことである。
無論彼女とて鬼殺隊の柱であるから、仮にそのような事態に見舞われても何ら問題ないのだろうが、しかしこの玲という男は上流の出なのか『
しのぶは一瞬目を丸くして驚いた様子だったが、すぐにいつもの微笑みを携えた顔に戻り、「ありがとうございます」と口にした。玲はにこりと笑みを作り浮かべると、杏寿郎の方へ視線を向けた。
「杏寿郎、きみはどうする?」
「いや、止しておこう!千寿郎にも会いたいしな!」
「そうか。すまなかったな、急に」
「気にするな!俺も楽しかった!また誘ってくれ!」
「ありがとう。また誘うよ。千寿郎くんにもよろしく伝えてくれ」
「ああ!必ず!」
雷門の前まで来たところでしのぶと玲は杏寿郎と別れた。
少し離れたところで杏寿郎は足を止め、目を見開いたまま笑顔を浮かべて大きく手を振ってきたので、ふたりは手を振り返した。しのぶは微笑を浮かべ、玲は少し目尻を下げて。
杏寿郎の姿が見えなくなると玲はしのぶの方を向き、それじゃあ行きましょうと言うと二人は少し距離を詰め、同じ方向に向かって足を進める。
少しして、しのぶが口を開いた。
「玲くん、煉獄さんとお知り合いだったんですか?仲が良さそうでしたけれど。それに───」
「それに?」
「いえ、何でもないです」
呼び捨てですし、と続けようとしたところで止めた。まるで子供の駄々ではないか。
それに、思わず口から零れかけたとはいえ、流石にこれを口走ってはいけない気がしたから。それは彼との関係に亀裂を入れかねないものだ。
玲はしのぶに対して彼女が柱になったことを理由にして敬語と敬称を使い始めた。だが杏寿郎に対しては呼び捨てだし、口調も砕けた物だった。
杏寿郎もしのぶと同じ鬼殺隊の柱。更に言うならば玲と杏寿郎は同い年だがしのぶは二つ下。だと言うのに違うそれらが、漠然と感じていた壁を明確に認識させられる。その事実が、酷く空虚感を刺激した。
「ええ、杏寿郎は同期ですから。それに歳も同じなので、打ち解けたのは入隊してすぐでしたね。一時期は一緒に任務を受けていましたし」
「…知りませんでした。思えば昔の貴方については、蝶屋敷に運ばれて来た時のことしか知りませんね、私」
「まあ、一人で任務受けるようになった頃からですしね。蝶屋敷のお世話になるようになったのは。今思い返せばお恥ずかしい限りです」
「全くです。あの頃貴方のこと大嫌いでした。何度も何度も面倒な人だなって」
「本当に申し訳なかったです。でも俺はしのぶさんのこと、とても可愛らしい人だなって思ってましたよ」
「冗談でしょう?あんなだったのに?」
「あんなだったからこそ、ですよ。本当です」
本当に冗談かと思った。
まさか玲がそんな風に思っていたなんて初めて知った。意外だった。男というのは、大抵が姉のようなお淑やかなのを好くのだとばかり思っていた。
当時のしのぶは正に正反対。勝気で男勝りも良いとこだったから、まさか可愛らしいとは。もしかして彼は、ゲテモノ好きかなにかの類なのだろうか。
それに、話の流れでさらりと触れる程度だったが、思えば彼と姉が死ぬ前の話をしたのは今が初めてだった。こんな些細なことですら話題にしようとしていなかったなんて、とひとり驚愕する。
「……それにしても、杏寿郎には差をつけられてしまったなあ。柱、か」
「でも玲くん、そう言いつつ下弦の肆を既に討伐しているでしょう?今柱が九人全員揃っているから柱になっていないだけで、本当は柱になっていてもおかしくないですよ」
「まあ、そうかもしれませんけど。でも俺には柱なんて務まりませんよ。荷が重すぎる」
「あら、そうでしょうか」
「ええ、きっとそうです。…それでもやっぱり、同じ柱として肩を並べて戦ってみたいなあ、なんて焦がれてしまうんです。我儘だ。笑えるでしょう?」
まさか、笑いませんよ、と返せば彼は目をパチリと瞬きさせ口許を緩めた。そうですか、と少し柔らかくなった声音で発し、口を閉じた。
そのまま言葉を発することなく目的の薬屋に到着し、目当ての薬品を買い付けたふたりは、そのまま帰路についた。
まさかしのぶは、玲の邸宅が近いとはいえ蝶屋敷まで送られるとは思っていなかった訳だが。
ちなみに帯刀しているにも関わらず騒がれなかったのは、二人が特徴的すぎて演劇の役者が空いた時間に衣装そのままに出てきたと勘違いされたためです。
また、主人公の白髪には鬼滅らしくちょっとした訳があります。