雪と蝶々   作:Olion

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第肆話「屋梁落月満ちる涯」

 

 

 杏寿郎が死んだ。上弦の参に殺された。

 

 下弦の壱を討伐した直後、列車に同乗していた隊士と民間人全員を守って戦い、そして散った。

立派な最期だったと、その瞬間に立ち会った、人を喰わぬ鬼を連れた隊士───竈門(かまど)炭治郎(たんじろう)くんに聞いた。

 

 ……茫然とこそしたが、涙を流している暇などなかった。

すぐにお館様からの書状が届いたからだ。まるで悲しむ暇など与えないようにして。

 

 内容は柱への任命だった。きっと()が空いたからだろう。

とっくに柱の条件である『十二鬼月の討伐もしくは鬼の五十体以上討伐』を両方とも満たしていて、且つ実力も充分と判断されたのだ。

であれば、これは必定。

 

 正直に言えば、俺に柱が務まるとは思っていない。

以前しのぶに語った言葉は紛れもなく本心だ。荷が重いと、そう思うのは今でも変わらない。

 

 だが、果たさねばなるまい。

 

 杏寿郎は柱としての責務を果たしたのだから。幾百の命を守り切ったのだから。

 

 ならば。彼の跡を継ぐに相応しいとされたのならば。

彼の後釜として、友として、俺も。彼に恥じぬよう、相応しく。

そして何より、お館様の期待にも応えねばなるまい。

 

 

「俺は認めない」

 

 

 柱を拝命した際に、蛇柱である伊黒(いぐろ)小芭内(おばない)にそう言い放たれた。

 

 杏寿郎が彼を兄弟同然のようなものだ、と形容していた事があったのを覚えている。

なにか大切な繋がりが、そこにはきっとあったのだろう。

だからきっと彼は、伊黒小芭内は杏寿郎の死を認められていないのだ。あるいはきっと、心の奥底で信じているのだろう。

 

 

「そうですか」

 

 

 俺だってそうだ。

結局、約束も果たせなかった。彼の死なんて信じられないし、まだ受け止められないでいる。未だ冷たい白昼夢の中に囚われているような心地だ。

 さらにその上、柱の座を賜って、どんどんと事が進んでいって、だが心は追いついていない。

 

 無理もないだろう、と自己弁護してしまう。

彼の死から一週間ほどしか経っていないのだ。親しい者の死とは、それだけの質量をもって心にのしかかってくるものなのだから。

 

 きっとこれだけは、たとえ幾星霜を経ようと慣れることは無いのだろう。

 

 

「───ですが杏寿郎の()()()穴は俺が塞ぎます」

 

「……できると言うのかね?九条、お前に?」

 

「力不足だとは解っています。でも必ずやり遂げてみせる」

 

「そうか。ならば何も言うまい」

 

 

 彼に放った言葉は酷く矛盾していたように思える。

だがそうだ。やり遂げてみせる。やり遂げねばならぬのだ。

 

 心を燃やせ。心を燃やせ。心を燃やせ。

 

 俺の()に、惡鬼滅殺を刻み込もう。

 

 

 

 

───ああ、だが、杏寿郎。

 

お前と共に、柱として肩を並べて戦えないのは、酷く悲しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

『き、貴様……まさか柱───』

 

 

───鬼を狩る。

 

 

『ああぁぁぁあ、あと少しだったのに───』

 

 

───鬼を狩る。

 

 

『どうして儂がこのような───』

 

 

───鬼を、狩る。

 

 

 

雪の呼吸 参ノ型───」

 

 

───そしてまたひとつ、鬼を狩った。

 

 

「────厳冬の凍雲

 

 

 凍て刺すような寒々しさを錯覚させるように、しんしんと雪が降った。

一寸たりとてズレのない、驚異的なまでの精確さで振り降ろされた一閃。それは、相対する鬼に気取らせることすらもさせる暇なく滅するものだった。

 

「これで帝都の鬼は粗方狩り尽したか……」

 

 付着した血を拭き取り、薄葡萄色の日輪刀が鞘に仕舞われた。

反りの無い刀だ。柄尻に取り付けられた鎖の先端にある鈴が揺れ、しゃらしゃらカランと鳴り音を(ふる)わせる。

京紫に桜吹雪の刺繍が施された女物の羽織が風に翻った。そしてその身に纏われた黒い隊服の(ボタン)は、柱にのみ許された”金”のそれ。

 

 しゅうしゅうと、頸を斬った鬼が姿(かたち)を崩して塵となってゆく。それを一瞥とすることもせず、玲は足早に歩いてその場から去り、大通りの方へ向かう。

 

 

 柱は激務だ。夜には割り当てられた区域を周り、鬼を殲滅する。

一般隊士が任務の形式で各地に出向くのと比較すれば、段違いの仕事量。

担当する地区は杏寿郎の頃からそのまま引き継いだ。

夜闇を駆け回り、帝都に潜む鬼という鬼を屠った。殺戮。その二文字が相応しいくらいには。

 

 柱として、恥じぬよう。杏寿郎の代わりとして、恥じぬよう。

今はそれだけを考えて、夜毎鬼を狩っていた。心を燃やした。折れそうな時は、あれほどあった鬼への憎悪すら燃料として焚べて。

 

 分かっている。きっとそれは、杏寿郎の言葉を都合のいいように利用しているのだと。

心の奥底では、気付いていた。だがそうしなければ保てなかったのだ。

 

 柱となって一月。

現実味を感じたのはそれくらいの頃だった。それほど経ってようやっと、夢現(ゆめうつつ)を抜けた。煉獄杏寿郎の死。するり、と冷水を脳味噌に注ぎ込まれたかのような感覚が、未だ身体から離れない。

 

 死ぬのならば、俺が先だと思っていた。

 

 ああ何故いつも、みな俺の与り知らぬうちに死んでしまうのだ。

何故いつも、俺は肝心な時にその場にいることすら出来ないのだ。

 母も妹も、駆け付けた時には全て手遅れだった。

カナエさんの時も杏寿郎の時も、鎹鴉に伝えられて初めて知った始末。全く関与しない間に息を引き取ったでは無いか。

 

「……杏寿郎」

 

 思わず口をついて出たそれは、生涯無二の友の名で。

ほぅ、とひとつ息を吐いておもむろに、懐に手を伸ばした。そうして取り出されたのは、一枚の手紙。

思い返されたのは、これが自分の手に渡ってきた時のこと。

 

『玲、これを君に』

 

『お館様、これは?』

 

『杏寿郎の遺書だよ。君宛てのね』

 

『……』

 

『読むか読まないかは玲次第だ。どうか読んでくれ、というのが私の願いだけれどね』

 

『……頂いておきます』

 

 "雪柱"の雅号を戴いた際、一人その場に残され手渡されたそれは、煉獄杏寿郎の遺書だった。

 

 結局、今の今まで読むことはできなかった。

俺に宛てられたそれを、今の俺には読む資格が無いように思えたのだ。

分かっている。そんなこと杏寿郎は考えていなかったと。俺のこれは、読まないことで自罰を気取り、ただ自己陶酔に浸っているのだと。

ここまで来れば、もしかして罰当たりかもしれぬ。

 

 

 顔を上げ足を進める。手元に視線を落としていたからか、何時の間にか大通りに出ていたことに気付く。

日が暮れてまだ短い。瓦斯(ガス)灯も未だ明るく、辺りを見渡せば、ちらほらといかにも疲れたと言った顔の俥夫が俥を曳いているのも見えた。

そんな中を、一人歩く。

 

(……あ)

 

 ふと、浅草の外れまで歩いた頃。屋台のひとつに目に止まった。

今日はどうやら繁盛のようで、絶え間なく人が立ち寄って列をなしている。

分かるとも、と内心頷く。ここの屋台は価格の割に味が絶品なのだ。

 

(杏寿郎と食った山かけ饂飩(うどん)、美味かったな)

 

 思わず懐古する。鬼殺隊に入隊して間も無い頃、杏寿郎と共同の任務の帰り道に良く食べたのだったか。

あいつは大食らいだったので、よく丼の山を作っていたものだ。あの食べっぷりに触発されて、此方も普段の倍以上の量を食べる事もざらだったのを、憶えている。

 

(ああ、駄目だ)

 

 過ぎったそれを振り払い、足早に、その場を去る。

袋小路も良い所だ。杏寿郎との思い出など、本当に、幾つでも見付かってしまうのだから。

それは今するべきでは無いのだと、わかっている。そのようなざまでは、彼に顔向けできないであろうから。

 

 今立ち止まっては、もう一生足を進めることはできないと思った。

そんなことする暇があるのなら、只管に強くならねば。その一心で、血反吐を吐くような鍛錬を繰り返した。彼の代替となるには、まだまだ力不足だ。研鑽が足りないのだ。ああ、それに。

 

 

────力が無ければ、人は守れない。

 

 

 もう御免なのだ。近しい人が死んでしまうのは。

杏寿郎は勿論、母も、妹の環も、そしてカナエさんも。それに、同じ鬼殺隊の隊士もみな直ぐに死んでゆく。

 親交を温めたものが、次の日には物言わぬ骸と成り果てているのを見た。目の前で鬼に食われるのを見た。血鬼術にやられて、跡形も残らなかった事もある。

 

 多くのものを取りこぼしてきた。

でも、だからせめて、今あるものだけは。その一心で、柱としての責務を果たしている。

 

 だから、まだ足を止める訳にはいけない。

 

 暗がりを歩きながら、遺書を懐に戻す。

ひゅうう、と冷たく風が横切った。結局、今日も読めないままだ。

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 月に霞がかかっていた。朧月。実に情緒的な夜だった。

 

 その曖昧な月明かりの下、玲は自らの館のバルコニイで酒を嗜んでいた。緣に腰かけ宙に足を放り出しており、お世辞にも行儀が良いとは言えない。

 

 その装いはハイカラな九条邸とは裏腹に、趣ある藤色の着流し。その整った面貌に浮かぶ感情は物憂げで、あまりに複雑の様相を呈しており読めない。

だが少なくとも喜ばしい色は浮かべていないことは確かであった。

 

「夜更かしですか?玲くん」

 

「……あぁ、しのぶさんか」

 

 蝶が舞い降りた。ふわり、と美しく優雅に。

しのぶは隊服姿で、蝶の翅のような羽織が月明かりに照らされキラキラとしていて幻想的だった。

 

 帯刀しており、柱の業務である担当地域の警備をしていたようだ。

現在の時刻からして、既に終わっているだろう頃合いなので、蝶屋敷に帰宅するついでに訪れたようだった。

かくいう玲も先程までそれを行っていたから、直ぐに当たりをつけることが出来た。

 

「哨戒の帰りですか」

 

「ええ。近くを寄ってみればまだ灯りが付いていたので、気になって来ちゃいました」

 

「来ちゃいましたって……」

 

 その言葉に、呆れた様に目を細める玲。

それから、ふと思い付いたといった風でおどける様に肩を竦め、にやりと悪戯げに笑みを形作った。

 

「どうです?月を肴に一人酒、いかにも粋って感じでしょう?」

 

「あら、昔の玲くんを診ていた身から言わせてもらうと、大人ぶる子供にしか見えませんが」

 

「おっと、これは手厳しい」

 

 しのぶの返しに玲は悪怯れる様子もなくのたまうと、もう一度濁酒(どぶろく)を口に運んだ。そしてことりと盃を脇に置くと、「はぁ」と溜息を一つ零して遥か彼方をぼう、と眺める。

 

 ふと、しのぶの方を向いて「しのぶさんもどうです?」と尋ねてみるが「いえ、やめておきます」と断られる。

それからしばらくの無言が続いたが、一向にしのぶは帰る様子を見せない。それを疑問に思い訝しげに視線を送ると、しのぶは口を開いた。

 

「煉獄さんのこと、考えていたんでしょう?」

 

「……やっぱり分かりますか」

 

 すたり、としのぶが横に座る。尋ねれば、玲は諦めたように目を伏せた。

 

「…誰かに話すだけでも変わりますよ」

 

 それは本当に、ささやくような声で。

玲は一瞬だがわずかに瞠目した。そのままなにか逡巡した様子を見せると、視線を下ろして俯く。

少しして、「まだ整理できた訳では無いんですけど」と前置き、彼は半ば独り言のように口を開いた。

 

「初任務の時の事を、思い出していたんです」と、玲は言う。

 

「同期が死んだんです。自分ではない誰かのために戦い、最期には俺と杏寿郎を助けてくれた。彼らのようになりたいと、あいつは言っていました」

 

「……」

 

「そんな杏寿郎が、俺は眩しかった。俺は只死が哀しくて、それ以上は思えなかったから」

 

「……そうですか」

 

「でも今は、少しだけ分かるような気がします。きっと、あの時杏寿郎が抱いた思いとは違うんだろうけれど。

───俺は、杏寿郎みたいになりたい」

 

「……そう、ですか」

 

 その玲の言葉を、しのぶは只管に聞いていた。

 玲にとって、煉獄杏寿郎は半身に等しき存在だったのだ。かたちこそ違えど、それはしのぶとカナエのそれに、どこか似ている部分があった。

面を上げた玲の表情を目の当たりとしたしのぶは、否応なくそれを悟ってしまえて。

 

 

「杏寿郎は太陽でした。俺にとっては、(まさ)しく」

 

「俺はたぶん、彼のように鬼を灼き、人を優しく照らしだす事はできない」

 

「けれど、雪のように誰かを暖め守り、鬼を凍てつかせることはできる」

 

「そうやって、杏寿郎の跡を継ぎます。だから───」

 

 

 そう空を見上げた玲の横顔を、涙が伝って。

 

 

「だから今は、祈るんです。彼の御霊の、どうか安らかならんことを」

 

 

 それがしのぶの見た、九条玲の最後の涙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なんとか年越し前に滑り込みです。書き納めました。
前回あんな事を言っておきながら遅れて申し訳ないです。とても難産でした。まだ納得できていない部分があるので、後で書き直すかもです。
次話は共通テストが終わってから執筆するので、次回も遅れると思います。すみません。
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