100万人目で抜けるつもりだった聖剣の100万人目だった勇者   作:RAINY

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第十節 弱みを掴ませるな

「エメラ、お前は何故息子と2人だけになろうとしていた」

 

 テノールを彼の部屋まで案内した後、執務室に戻ったバリトンはエメラを鋭く睨んでいた。

 その目は侍女の失敗を諫めるようなモノではなく、悪人を叱責するような怒りを孕んでいる。

 

「はて、いつの事でございましょう。ご主人様」

「あいつの部屋へと案内しようとした時だ」

「あの時は、ただ侍女としての務めを果たそうとしただけですが。それで、お坊ちゃまと私が2人きりになる事に、いかような不都合がありましょうか」

 

 客人どころかご主人の息子、お坊ちゃまに侍女として奉仕するのは当然の務め。部屋まで案内する事など、なんら不自然な事ではない。

 しかし、バリトンはそれでも言及したのだ。

 

「お前があいつを誑かそうとしていただろう」

「そんな意図は全くございません」

 

 バリトンの詰問に、エメラは平然と否定した。

 その態度に崩さぬ美しい微笑みも合わさって多くの者が騙されかねないが、バリトンはそうならない。

 バリトンは誰よりもエメラの真実を知り、誰よりも正しく危険視しているのだ。

 

「分かっているか、エメラ。お前の命運は私が握っている」

 

 バリトンはベルトに常時備えている牛皮で包まれた板状の物を、エメラに見せつけるように掲げた。

 その板状の物は、牛皮の隙間から翠玉(すいぎょく)の輝きを漏らしている。

 

「私はいつでもお前を殺せる。如何に恩があるお前だろうと、息子や私を貶めようとするならば、即座にお前の息の根を止めよう」

 

 冗談や嘘ではない。バリトンは本気でエメラを殺す覚悟がある。

 

「ご安心を、ご主人様。私は、貴方のような面白い方にお仕えし続けたいのです」

 

 そんな殺意も意に介さず、エメラは悠然と構え、平静に侍女であり続けた。

 底冷えのする笑みを浮かべながら。

 

「ふん。せいぜい侍女を取り繕い、せいぜい使い潰されろ」

「ご随意に」

 

 お互いにこれ以上の問答が無意味であると理解し、それぞれその言葉で牽制を留めた。

 

「エメラ、今日の日程は」

「マニ様が訪問される予定です。訪問の応対が終わり次第、酒造場へ監査に向かう事となっております」

 

 先程の形相が嘘だったかのように、彼らは仕事に取りかかる。

 

「マニか。頻繁に我が屋敷へと足を運ぶとは、ご苦労な事だ」

「顔を合わせた頻度によって、人は親近感を覚えやすくなります。同時に、彼はご主人様の仕事を急かす事で、契約書の見落としを誘発させようとしているのでしょう。また、貸し出している従業員を詮索させないよう、こちらの時間を奪いに来ているのかもしれません」

 

 バリトンにはマニの下心がお見通しであり、エメラにはマニの行動が高い精度で推測されていた。

 マニがこちらに敵意があると、もうバリトンとエメラは把握しているのだ。

 

「ふむ、さっさと証拠を掴んでやりたいところだが。進捗はどうだ」

「芳しくありません。物的証拠が何一つ見つかっていないのです」

 

 ならばこそ、バリトンたちは返り討ちにする準備をしている。

 相手の違法取引、その決定的な証拠を探しているのだが、そう簡単に見つかるものでもない。

 

「どうにか推し進められんか」

「ご心配なく。策はあります」

 

 だからと言って手をこまねくようなエメラではなかった。

 証拠は見つからないまでも、情報なら出揃いつつあるのだ。

 その情報を元に、エメラは次の策を打っていくのである。

 

「良策である事を願っている」

「楽しみにしていてください」

「……」

 

 誰のお楽しみが待っているのか。バリトンは嫌な予感しかしなかった。

 予感だけなので確信はない。追及したところではぐらかされる。

 バリトンは、仕方なくその予感を頭の奥へと押し込む。

 

「おや。どうやらマニ様がお越しになられたようです」

「通せ。間違っても息子には会わせるなよ」

「承知しております」

 

 エメラはその場で指示を聞いただけで特に動かず、他の侍女へ連絡するような素振りがない。

 

「ご主人様。マニ様のお越しです」

「今鍵を開ける」

 

 だが、問題なく他の侍女たちは指示を遂行していた。

 マニはエメラ以外の侍女によって、バリトンの執務室に通されている。

 

「マニ、ご足労感謝する」

「いえいえ。こちらも度々の訪問、申し訳ありません」

 

 バリトンもマニも、心が籠ってない商売人的な会話から入った。

 

「それで、どのような用件だ」

「契約書の方、ご確認いただけたと思いますので受け取りに参りました」

 

 やはりと言うべきか、マニは契約の署名を急かしに来ていたのだ。

 彼の思惑もバリトンが見抜いている通りだろう。

 

「わざわざ取りに来ていただけるとは。丁度良い、訊きたい事もあったのだ」

「訊きたい事、と申しますと?」

「ここの文面だ」

 

 バリトンは契約書を引き出し、1つの文章を指差した。

 

「この文面、以前の契約書と変わっている」

「はぁ、そうでございましたか。でも、内容は変わっていないでしょう?」

「いや、この文面だと別の解釈ができてしまう。貴方はしないだろうが、これではこちらの権利を一部得られるように読み取れてしまうのだ」

 

 その文面は一目では以前の契約と変わらないように読める。

 しかし、読み方を変えれば、バリトンの権利をマニに与えるとも読めてしまうのだ。

 

「これは。申し訳ございません、こちらの手違いでございます」

 

 その巧妙な罠に気付かれたマニは、そんな罠を張った覚えはないかのように、ただの手違いである事を装った。

 

「すまないが、これでは署名できない」

「ええ。また後日、修正した契約書をお持ちします」

「お願いする」

 

 マニはバリトンから契約書を受け取り、見かけだけの誠意を込めて頭を下げる。

 

「では、失礼いたします」

 

 ただ契約書を突き返されただけだったマニだが、この場は潔く引き下がった。

 

「全く。面倒なものだ……」

 

 バリトンは、先程までマニの立っていた場所に、深い溜息を吹きかけるのだった。

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