石上優はもう戻れない 作:顎髭
「………………。」
「……京子?」
「ふぇっ!?」
「そんなボーッとして、どうしたの?」
「あぁ、いや……ちょっと考え事を……。」
夕食中にもかかわらず、まだあの事を考えていたのか……。
「……京子、少し無理し過ぎなんじゃないのか?」
「え?」
「確か、生徒会に入ったんだろ?勉強との両立、結構大変そうに見えるが?」
「そんな事ないよお父さん!むしろ、四宮さんや白銀会長が勉強教えてくれるから、勉強面は大丈夫だよ!」
「……そうか……。だが、無理は禁物だぞ?俺は少し心配だよ……。彼の事もそうだが……。」
「!」
あの校内放送があった日から、私はショックで学校を一週間程休んだ。当然、急に学校に行きたくないと言われたものだから、両親はびっくりしたけど、それくらいあの時の私は………。
「………今でも石上君の事で押し潰されそうなときはあるよ……。ただでさえ、まだいじめ騒動は尾を引いてるから、余計……。」
夏休みに入っても、あの騒動が収まることはなかった。やはりまだ、秀知院生というだけでマスコミの餌となる日々が続いている。
「でも、それでもだよ……。いつまでも下なんか向いてられない……。ちゃんと前を向かなきゃ……。二度とあんな事はしない様にしなきゃ……。」
「………強くなったな、京子。」
父は私に笑みを向けた。
「急に学校に行きたくないって言ってきた時はどうしたもんかと思ったよ。あのままずっと、引き籠もったままなんじゃないかって……。でもまあ、元気そうで何よりだよ。」
「でも、あんまり抱え込んじゃ駄目よ?どうにもならなくなったら、相談しなさいね?
何があっても、私達は京子の味方よ?」
「…………ありがとう……。」
あんなとんでもない過ちを犯したにも関わらず、私を受け入れてくれるなんて……。あんなに腐ってた私を………。
石上優が停学となってから、何ヶ月が経っただろうか。周りの人間はもう、存在すら忘れているのではと思うくらいだった。話によれば、課題は毎回の様に提出しているのに、頑なに反省文は出さないと……。
一体何でそこまでして謝りたくないのか。本気で自分のやった事を、悪いと思っていないのか。そういった感情が、更に私の悪意を増幅させていった。
『(……何でごめんなさいの一言も言えないのよ……!一体どこまで性根が腐ってるわけ……!)』
昔からよく、過去の事を引き摺りすぎだと、大人達から注意される事があった。いつまでもネチネチと根に持っても、何にもならないだろと親からも……。でも、それ位私にとっては許し難い事なのだ。
周りの大人達は他人事だと思って……。私がどれ程傷付いたか……。
『……………死ねばいいのに……。』
どんどん石上優に対する悪意が増えていくばかりだった。だがそれは、かえって彼に対する罪悪感を増幅させていることだということに、この頃の私は気付いていなかった……。
そしてその罪悪感は全て、2月のあの日に、洪水の様に一気に押し出てきた。
『え………何?』
突然流れた放送に、私達は一体何の事なのか分からなかった。
『なのに……なのに………!!あの男は……荻野コウは、娘を騙してあんな酷い目に……!!』
荻野君が………騙した……?一体何の事だ?
というか、この放送は一体誰が流しているんだ………?一体、何の目的で……?
とても気になった。気になって仕方が無かった。気付いたら、私は教室を出て放送室へ向かっていた。
『(それに……さっき先生が荻野君を呼び出してたけど……何か只事じゃなかったな……。凄く焦ってた気がしてた……。
まるで………何かとんでもない事が発覚した感じだった……。)』
そんな事を考えながらも、校内放送は流れ続けていたが、耳を疑う様な内容だということには、この時の私達は思ってもいなかった。
『……服はボロボロに、顔は痣だらけの状態で、泣きながら帰って来ました………。』
…………は?……どういう事……だ……?
私の脳は停止した。この人は一体……何を言ってるんだ……?
周りの人達は「荻野君がそんな事を……!?」「嘘でしょ…!?」と言っていた気がするが、私にはそれが聞こえなかった位、話の内容が理解出来なかった。
『お、おいお前!そこで何をやっている!?』
放送室に到着すると、誰かが中に入っているのが目に見えた。先生が開けようとするも、鍵が掛かっていて入れない。
周りの反応に気付いたのか、放送室にいた男が私たちの方へと顔を向けた。
『………え…………。』
その男の顔は、しっかりの頭の中にこびりついていた。いや、拭いたくても、焦げの様にこびりついて、拭えなかった。
石上優。この校内放送を流していたのは奴だった。
彼は私達に気付いたが、それを無視して、次の音源を流し始めた。その音源も前のと同様、誰かが荻野コウへの恨みや憎しみを記録したものだった。
『……ねぇ……あの時荻野君が言ってた、「石上が京子のストーカーだ」ってのって………、全部嘘なの?』
『じゃあ、さっき荻野君が職員室に呼び出されたのって……まさか……。』
周囲は段々と、荻野コウへ疑念を持ち始めてきた。もしかしたら、荻野コウは自分達をずっと騙し続けて来た悪人なのではと……。
『(……いやいやいや。だって、あの荻野君だよ?みんなの人気者で、いつも学年の中心にいた………私の……。
そうだよ。これも全部、石上が荻野君を更に陥れるために作った、偽の音源だろ……?全く……どこまで腐り切ってるんだアイツは……。そんな訳ない……そんな訳ない………は……ず……。)』
どうしてかは分からない。ただその時の私は、目の前で起きている事を、受け入れたくなかったのだろう。だからそう自分に言い聞かせる様に……。
でも、その思考も一瞬で砕かれた。
『俺ら……たまたま職員室を通ったんだけど……その時……窓から見えちまったんだよ………。荻野が………集団で女子の事を……。』
数人の男子生徒が血相を変えて、自分達が一体何を聞いたのか、何を見たのかを口にした。
とても信じ難いものだった。血の気が引く感じがした。それと同時に、私の体の奥底から、何かが迫り上がって来た感じがした。
この感情は一体何だ?何でこうも………涙が出そうなんだ……?
そして、気付いたら私の脳には一つの確信が残った。
石上優が私のストーカー。それは、荻野コウが自分の保身の為についた、真っ赤な "嘘" 。
その確信に気付いたと同時に、反射的に私の目から涙が出てきた。
私は一体……なんて事をしてしまったんだ……。とんでもない事を……彼にしてしまった………。
彼は…………何一つ悪くなかったのに。
『石上君!!開けて!!ねぇ!!開けてよ!!』
気付いたら私は、泣きじゃくりながら放送室のドアを開けようとしていた。
許されるなんて思ってもなかった。でも、そうだとしても……そうだとしても……。
『………あ……。』
ドアが開く音がした。
数ヶ月振りに見た彼には、あの時の面影はほとんど無かった。顔全体を覆う程に伸び切った髪。そして、前髪から微かに見える、ありとあらゆる悪意がこもった眼差し。当然そこに、光などなかった。
『………久しぶり。』
まるで、虫ケラを見る様な目だった。彼には一体、私がどんな風に見えているのだろうか。
『………これで分かった?おかしいのは荻野の方だって。お前達はずーっと、荻野に騙されてたって事が。お前達は危うく、一人の無実の人間を、潰そうとしてたって事が。』
その言葉が重くのしかかった。
私達は、一人の善人を殺すところだった。荻野コウを野放しにし、また被害者を出すところだった。
そう言った意味では、私達は荻野コウの協力者とも捉えてもいい。私達は……本当になんて事をしてしまったんだ……。
『……ごめんね……。私達…あれから石上君にあんな酷い事してきたのに………。本当にごめんね……。』
『………私達からも謝らせて。……ごめん。』
そこにいた皆が、石上君に頭を下げた。
許してくれなくてもいい。だとしても、頭の一つ位下げなければ……。
今思えば、許してくれなくてもいいは嘘になるな。だって、心のどこかで許して欲しいと僅かに思っていた部分があるから……。醜いなぁ本当に……。
『…………はぁ?』
『!!』
『いやいやいや、今更過ぎない?もうあれから5ヵ月経ってんだよ?なのに今更になって許しを請いに来た?お前ら、どこまで虫のいい奴らなんだよ?』
まあ、当然の反応か………。それ位彼の心は、もうこの頃から真っ黒に染まってしまったのだ……。
『結果的に俺がこうやって荻野の正体晒したから良かったけどさ、俺が行動しなかったら、お前ら特に何もしなかったろ?今まで通り、俺に対して罵声を浴びせてただろ?
上辺だけの情報を勝手に真実だと決め付け、真実が分かった途端、今までやってきた事全部無かったかのようにして、謝罪だと?どこまで腐ってんだお前ら。
………というか、もしあの場で俺が謝ったとしても、俺の事許す気なんて無かっただろ?…だったらこっちもそうさせてもらう。俺はお前らがやってきた事を絶対に許さない。課題の中に罵詈雑言が書かれた紙を紛れ込ませた事も、下駄箱の中にゴミを入れた事も、全部だ。絶対に許さない。許してたまるか。死んで詫びても許さない。
…………何とか言ったらどうなんだよ?大友?』
胸ぐらを掴まれた時、今まで彼に対して言ってきた事が、意図せずに浮かんできた。
『謝りもしないなんて……!絶対に許さない……!!』
『死んで償っても許す気なんかないよあんな奴……!頭の一つも下げれないなんて……!!』
死んで償わなきゃいけないのはどっちだ。私達じゃないか。
まあそれでも、彼は許す気なんか微塵も無いが……。
『………それとも何だ?土下座でもしてくれんのか?』
『………ごめんなさい…ごめんなさい……。』
ただ涙を流して「ごめんなさい」を連呼するしか出来なかった。もうこのまま……彼にボコボコにされても仕方ないかな……。それでも、彼の悪意が収まることは無いだろうが……。
ならせめて……。
『…………土下座したら………それで満足する……の……?』
地べたに頭を付ける事は……出来るかな………。
気付いたら私は、その場に正座をし、両手を前に添えて………
『………申し訳……ございませんでした……。』
頭を床につけていた。
彼は一体、どんな顔で私のこの無様な姿を見ているのだろうか……。笑ってるだろうか?それとも、更に苛立っているだろうか?
どっちにしろ………許してくれる筈もないが……。
『おい石上!!やり過ぎだろ!!ちょっと来るんだ!!』
石上優は先生に連行されたが、それでも私は頭を上げずに、ずっと床に頭を付けていた。
『すみませんでした………すみませんでした……申し訳ございません……ごめんなさい………ごめんなさい………。』
何分位私は、その状態で謝罪の言葉を連呼しただろうか。友達が顔を上げてと言われるまで気付かなかったが、床が涙と鼻水でぐちょぐちょだった。
一体私の顔はどんな風になってるのだろう。よほど醜いんだろうな。いや、もう私は………存在すら醜いんだ。
私にはもう…………息をする資格なんかない。