石上優はもう戻れない 作:顎髭
「えっ…………?」
校長の一言を聞いて、私は一瞬頭がフリーズした。
「………………。」
「………こればかりは、もう誰にもどうすることは、出来ませんね。」
「……京子ちゃん………。」
……その通りだ。こればかりは、もうどうすることも出来ない。
「………あの………。」
「?」
「………石上くんは……まだ……。」
「……今、担任と話をしている最中カト……。」
「………そうですか………。」
小さい声でそう返すと、大友はゆっくりと生徒会室の扉を開けて、退室した。
「………………。」
「……これが、彼の下した結論ですか……。」
「……彼自身が選んだんだ。それをどうこう言う権利など、誰にも無い。」
「でも、京子ちゃん大丈夫ですかね……?下手なこと言わなければいいんですが……。」
「……流石に大丈夫だろう。大友さんも分かってるはずだ。」
「……ですがまぁ、ほとんどの人間からすれば、吉報でしょうね。」
「………まあな……。」
もしあんな事件がなければ、彼は今頃どんな生活を送っていたのだろうか……。もしあの時、誰かが救いの手を差し伸べたのなら、どんな未来になっていたのだろうか……。
今でもそう考えてしまう。けど、もう起こったことはどうしようもない。彼はもう………戻れないのだから。
「………失礼しました。」
「……最後に一つ、いいですカ?」
その後校長は、校長室に戻り石上と話をした。彼がどういう経緯で退学を申請したのか。それらを全て聞いた。
そして何十分か経ち、石上は校長と話を終え、校長室から退室しようとした。と、その前に、校長は石上を呼び止めた。
「…………何ですか……。」
「………彼らのことをどう思うかは、君の自由デス。ですが、彼らはあの時……しっかりと君のことを考えて動いていまシタ。」
「………………。」
「………それだけは、忘れないで下サイ。」
しばらく沈黙が続いた後、石上は何の表情も動作も見せずに、校長室から退室した。
校長にも分からなかった。今さっきの彼の表情に、彼の目に、一体どんな意味が込められていたのか。憎悪なのか感謝なのか。全然分からない程、彼の目は虚ろだった。
「………彼には、一体どんな言葉をかけるのが正解だったのか………。難しいですネ………。」
荷物を取りに、1年B組の教室へと入った。
誰もいなかった。非常に殺風景だった。皆、部活に行ったのだろう。
「……………はぁ………。」
今思えば、まともに教室も入らなかったな………。
気分次第で学校に行き、出席だけを取り、ごく稀に授業を受けて聞き流す。そんな毎日だった。
退学後のプランが何も無かったから、ただ惰性で通ってたものの……。
「………………チッ。」
今思えば、時間の無駄過ぎたな………。
何故もっと早くに、結論を出せなかったのか………。
「………………。」
もう、この教室の空気を吸うのも、見るのも最後だ。
荷物を整理して、石上は薄暗い教室から出ようとした。
「……………待って。」
後ろから声がした。もう、聞きたくもない声だった。
振り返ると、出入り口の前に、想像した通りの声の持ち主がいた。
「…………………。」
大友京子。
この期に及んで、何しに来た……?
「…………邪魔だ。消え失せろ。」
「…………嫌だ。」
石上はあっけに取られた。
ビクついて退くかと思ったのだが………。
「……………時間………あるかな………?」
「…………………。」
有無を言わせない様な目だった。自分の知る大友京子は、そんな目をしていなかったはずだがな………。
「……………で、何?」
仕方なく応じることにした。
「……………何で………退学を申告したの………?」
「………………。」
何かと思えば……。まあ、大体予想はついてた。
「………だから?」
「……えっ?」
「それを知ってどうするつもりな訳?何の得にもなんないだろうが。」
「………それは……。」
「………チッ。めんど。」
あの時から、彼からは悪態しかつかれなかったが、今でも慣れないな………。
「………もう、ここに価値が見出せなくなったから。」
「……それって………。」
「………秀知院はゴミ溜めだ。ここにずっといたら、最初から腐ってた自分が、更に腐っていきそうな気がした。そしたら………アイツら以上のゴミになる。それだけは御免だ。
それに………今回の事件がきっかけで、よく分かった。」
石上は自身の机に腰を掛けた。
「…………警察に捕まったとき、本当に終わったと思った。また冤罪ふっかけられる羽目になるのかって………。別に警察に捕まるのなんか全然良かったけど、二度もあんな目に遭うのだけは嫌だった……。皆嬉しかったんだろうな……。秀知院の品を下げる様な不良が消えるって知って……。アイツらの表情が簡単に想像出来る………。てか、何よりアイツらが品を下げてんだけどな………。
………このまま獄中生活かーって思ってた矢先、小島から聞いたよ。お前らが、俺の無実を証明する為に動いてるって………。
この際だから聞くわ。お前、何で俺の退学処分を先延ばしして欲しいって、校長に直訴した?」
そんなの言ったら……間違いなくまた悪態をつかれるんだろうな……。でも、嘘ではない。
「………………信じてたから。」
「…………何を?」
「………君が、そんな人間ではないって、信じてたから………。」
すると、石上は声を出して笑った。
「…………………。」
「はははは………!!あん時は俺のことを信じてなかったくせして、今になってか……!!ここまでくると笑えてくるな……!!はは……はははは………!!」
当然だよな………。あの時、しっかりと見ていなかったから……信じていなかったから………。
「ははは………!!………けどまぁ、よく分かった。」
「えっ……な、何を………?」
「………お前らが、俺のことを考えてくれる人間だってことは。」
予想外の発言だった。更に恨み言を吐かれるかと思ってた。
「……………だけど、それだけなんだよ。」
「えっ?」
「……………自分のことをちゃんと信じてくれる人間もいるんだってことに、気付いた "だけ" 。それ以外は、何にも変わらない。
………俺は、今でもお前らのことを殺したいと思ってる。心から憎い。」
「!」
「………ロクに真実かどうかも疑わなかったくせして、真実が分かった途端、手のひら返すかの様に頭下げやがって………。出来るんだったら、あの時お前のこと本気で殴り殺したかったよ。」
「………………。」
泣きながら彼に土下座をしたあの時、彼はそんな風に思ってたのか……。
「………てか、あのまま荻野に犯されてれば良かったんじゃない?」
「!!」
「そうすりゃ荻野がおかしいってことに気付いて、自責の念に押し潰されて………。ははっ……想像しただけでも笑えるな……お前の『石上君、ごめんなさい』って後悔しているみっともない様……!」
笑いながら喋る石上君を見て、私はようやく気付いた。
私は今まで、彼を元の優しい彼に戻そうと、高等部に進学し、生徒会にまで入った。
でも、それも全て無駄な努力だった。一年前のあの事件の時点で、彼の心はもう黒く染まり切っていた。今更ながら、彼はもう戻れないんだと……ようやく気付いた……。
もう、事件前の彼の面影は、まるで無かった。
「…………あの時から、誰しもがずっと敵だった。何も知らないくせして罵声を浴びせてくるわで、本気で殺したかったよ。マジでお前らの人生を終わらせたかったよ。
…………けどまぁ、ごく一部例外がいた。」
「………それって………。」
「……俺の無実証明の為に、職務を後回しにしてまで調査をした生徒会、あくまで "正義" の為に俺に手を差し伸べた小島、犯人の情報を提供してくれた先輩、そして………。」
石上はゆっくりと、大友を指差した。
「お前や伊井野みたいな、心から反省して、しっかりと俺を信じてくれた人間。そういう奴らもいるんだと………気付かされた。」
信じられない。こんなに心が闇に覆われた彼から、そんな様なことを言われるなんて……。けど………。
「………でも、ただ気付いた "だけ" だよ。」
あくまでも、それに気付いた "だけ" 。それ以外の、私達に対する猜疑心や恨みは、ずっと残っている。
「はっきり言って、『気付いたから何なんだ?』って話だよ。それで心を開くと思ったら大間違い。まさかだと思うけど、流石のバカなお前でも、そんな事考えなかったよな?」
「………………。」
そう考えてたから、私は高等部に進学して、生徒会に………。救いようのないバカだな……。
「…………何というか、そんな善意溢れる奴らはいるわ、今まで通り煙たがる奴らはいるわの
やっと分かったよ。秀知院は、俺の様な人間がいるべき場所じゃないってな。何でもっと早くに気付かなかったんだろうな………。」
頭を掻いて、石上はため息をついた。
前からずっとやめようとは思ってた。けど、退学後のプランが無いことを理由に、ずっと先延ばしにしてた。口だけだったのだ。
けど、ようやく決心がついた。ここにいても、何もならない。だったら………例えどんな目に遭ってでも、広い世界で、自分のやりたいことをのんびりと探そう。
「…………例えお前らに何と言われようと……もう決めたことだ。俺は、
「………………そっか………。」
その時、石上は違和感を感じた。さっきからずっと、自責の念で押されてた大友の顔が、今は少し顔に笑みを浮かべていた。
「?」
「……そっか……。……それが、君の選択なんだね……。別に、それについてどうこう言うつもりなんて無い。そんな権利、誰にも無いしね……。」
「………………。」
「……ずっと考えてたんだ。どうしたら、君が元に戻るのかって。考えるに考えたけど、結局答えが出なかった……。でも、そんなのは時間の無駄だった。だって………最初から答えなんか、存在してなかったんだから……。」
出来るのなら、元の優しい彼に戻したかった。自分の身を犠牲にしてまで、私を守ろうとした彼が、本当の石上優なのだから。
でも、無駄だった。だって、一年前のあの時に、私達はその本当の彼を、殺してしまったのだから……。何故もっと早くに気付かなかったんだろう……。
「…………もう、戻れないんだって、ようやく気付いた……。」
「……………そうかよ。」
再び石上は大きなため息をついた。
「でも、『戻れない』は半分不正解だな……。」
「えっ?」
「………『戻らない』が、もう半分の正解かもな……。
……例えお前らに心を開いたとしても、俺ももうやっちゃいけない事を散々やってきた。犯されてる奴を見捨てたり、腹立ったからって伊井野を殴ったりで……。そんな奴がノウノウと心開いて、『自分が悪かった』って……。そんなの、例え周りが許しても、俺が許さない。
だから……例え心の闇が晴れたとしても、もうそっちには俺は『戻らない』。でもそれ以前に、心の闇がどんどん濃くなっていくから、もうあの頃には『戻れない』。」
………戻れることになったとしても、もう戻る気すらなかった……か……。
「…………もう、俺と話すのも最後だ。いいこと教えてやるよ。」
「………いい…こと……?」
「…………お前がどんなに罪滅ぼしをしても、例え世界がお前らを許したとしても………過去は絶対に消えない。」
「!!」
過去は絶対に消えない。
その言葉が、重りの様に私にのしかかった。
「……どんな事しても、お前らが無実の人間を殺そうとした過去は絶対に消えない。死ぬまでお前らに付き纏って来る。」
「………………。」
「……それで後ろ指を差されても、仕方ないことだよな。そうなって当然のことを、お前らは俺にしたんだから。」
やはり、彼は気付いた "だけ" だった。
今でも私達のことが、心から憎いんだ……。
「………はぁ〜……。けど、まぁいいや。」
「えっ………?」
「……もう、お前のことを考えるのは、やめた。」
「ど、どういう……こと……?」
石上は立って、大友の方に向かった。
「………俺はもう、お前のことを忘れる。だから、お前も俺のことを忘れろ。」
「……えっ?ど、どういうことなの……?」
「………俺はもう秀知院から出て行く。だから、もう二度とお前と関わることはない。いつまでも死んで欲しい奴のことを、頭に留めておいてもな……。お前の顔を見る度に、あの時の光景が鮮明に頭に浮かぶんだよ。これから先もこんな思いをするのかと思うと……バカみたいに思えてな………。
だから、もう俺は…………お前の存在を頭から消す。」
「………………。」
「………お前……何でまだ俺のことを気にかける様な目で見てるんだよ……。お前だってもう分かったろ?俺がもう戻らないってことを……。いつまでも無理なことばっかり考えても、時間の無駄だろ。」
「……でも………。」
「………俺のことを考えるな。それに使ってた時間を、今度は自分の為に使え。」
……今思えば、私は何時間彼の為に時間を使ったのだろう……。
全ては彼を元に戻す為に。その一心で時間を使ったけど、ただただ無駄だった……。
その時間を、今度は自分の為に使って、さらには自分のことを忘れろ、か………。
「…………ごめん。それは、出来そうにないや。」
「お前………。」
「私……結構引き摺りやすいタイプだからさ……。すぐに切り替えが出来ないんだ……。君が自分のことを忘れろって言っても、多分私は忘れられない……。
てか、さっき言ってたじゃん。『過去は絶対に消えない』って……。それなのに、君のことを忘れろって……。私は忘れないよ。」
大友は石上の方を見た。
「もし忘れちゃったら、私はまた同じ過ちをするかもしれない……。あの過去があったからこそ……君という存在がいたからこそ、今の私がいるんだよ……?
もう二度とこんな事はしない。もう二度と罪の無い人間を傷付けない。君はあの時………分からせてくれたんだよ……。そんな君のことを忘れるなんて………無理だよ………。」
彼にそんなつもりがなかったのは承知の上だ。けど、私からすれば君は………私を人間として成長させてくれた………。
そんな君を……忘れなんて出来ないよ………。
「…………ったく……。お前らの様な心から反省してる奴もいれば、今までみたく煙たがる奴もいる。何なんだよ秀知院は………。そんなところに長くいても、息が詰まりそうだ……。ここをやめることにして、正解だったよ……。」
バッグを持って、石上は退室しようとした。
「……………最後に一つ聞くけど……。」
「?」
「………お前に……過去と一緒に生きる覚悟が」
「あるよ。」
言い終わる前に、反射的に私は答えた。
「………今更になって、許されるなんて思ってない。それでどんな目に遭っても……仕方のないことだと思ってる。君の受けた傷に比べれば、そんなのは痛くも何ともないからね……。
………私は………過去を未来の糧として生きる。それで押し潰されそうになっても……私は耐えてみせる。」
大友は退室しようとする石上の前に立った。そして……笑みを顔に浮かばせた。
「…………全部、君のお陰だよ。こんな馬鹿な私を、人として成長させてくれた。
君が私のことを恨んでも………私は………君のことを……心から人として尊敬しているよ。」
「………………。」
こいつの笑顔を見ると、あの時の光景を思い出すな……。
けどもう、それを思い出すのも最後だ。
「…………本当に……今までありがとうね。」
少し涙を浮かばせて、大友はそう言った。
「………お前の様な人間が、本当にいるんだな………。最後にそう気付けて………良かったのかな………。もう、分からない。」
石上はただ複雑だった。
心から反省して、それをしっかりと行動で証明する様な人間などいる訳がない。僕はずっとそう思っていた。人間なんて、所詮そんなものだ。ましてや、民度の低さでお馴染みの秀知院生なんて尚更だ。
けど……物事には必ず例外がある。99%の人間がそうであっても、1%の人間は、自身の過ちを心から反省出来るのだと……気付いた "だけ" だ。たった、それだけのことだ。
「………今でもお前が憎いのに、お前が心から物事を反省する奴だって気付いたのが……何というかな………とても複雑だ。」
「………憎くてもいいよ。殺したいと思っても別にいい。けど………私は君に感謝してるよ……。さっきも言ったけど……こんな馬鹿な私を成長させてくれて………ありがとうね……。」
先程から目に浮かばせていた涙が零れた。
この涙を、彼はどう受け取るのだろう。まあ、「馬鹿だ」「意味が分からない」といった悪態じみた感じで受け取るんだとは思うが……。
石上くん。君には本当に……感謝しかないんだよ………。
「……………はぁ……。更に複雑な気持ちにさせないでくれない……?それが嫌でここを出て行くっていうのに……。」
「………………。」
「……もう言いたいことは言えたか?」
あれからずっと、彼には感謝を伝えたかった。けど、それももう言えた。言い残したことは無い。今度こそ……本当に彼と話すのは最後になる。
頭を掻きながら、石上は大友の横をすり抜けて、廊下へと出た。複雑な感情であることが表に出ていた。
「…………石上くん。」
石上はピタリと止まった。
「……………頑張ってね。」
大友は涙を流しながらそう石上に言った。
「………………。」
後ろを向いていたため、どんな表情をしているのかは分からなかった。その上、私の言ったことに何の反応も見せなかったが……。
最後に彼がついたため息には、今までの悪意満載のものとは、ほんの少し違うため息だということは分かった。
薄暗い夕日に照らされる廊下を歩いていく彼の後ろ姿。それが、私が最後に見た石上優の姿であった。