郵便配達人形と自動手記人形   作:幻の犬@旧名は赤犬

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後編

 

 疲れ切った体と心を引きずってわたしは宿の入り口をくぐった。

 

「おかえりなさい……どうしたの?なにかあった?」

「……ええ、仕事で少し。配達は完了したし大したことじゃないです。心配しないでください」

 

 帳場の中から心配そうに眉をひそめるおばあさんに弱弱しい笑みを返しながら、わたしは空っぽになったメイルバッグを預け、代わりに鍵を受け取る。

 あの後なんとか仕事は全部終えることができたが、結局今日の配達先で人に寄り添う機械(メルクリウス)としての役割を果たせたと思える場面は一つもなくて、わたしの気持ちはぐちゃぐちゃになったままだった。

 普段ならわたしにお鉢が回ってこなくても、それはそれでいいことだと物足りなさを感じながらも笑っていられる。一人ぼっちで寂しい思いをしている人が少ないというのは悪いことではないから。でも、自分の必要性に疑問をもってしまっている今のわたしには喜べるものではなかった。

 自分の気持ちを楽にするために誰かが孤独であればいいと願う。なんて身勝手な機械なのだろう、わたしは。まるで坂道を転がる雪玉のように鬱々とした気持ちが膨れ上がっていく。

 

 重たい気持ちと足を引きずるようにして部屋に戻り、わたしはベッドに体を投げ出した。手入れが行き届いた布団はとても柔らかく気持ちのいいものだったが、落ち込んだ気持ちはそのままで、わたしは縋り付くように手繰り寄せた枕に顔をうずめる。鼻をくすぐるのは洗濯用石鹸の匂いだろうか。甘く優しいその匂いを思い切り吸い込んで、思い切り吐き出してみるとほんの少しだけど落ち込んだ気持ちが慰められた気がした。

 少なくともこれからのことを考える程度の気力は湧いた気がする。

 

「とはいえ、どうしようかな……」

 

 時計の針はまだ夜の7時を指したばかりで寝床に入るにはまだ早い。かといって起きていてすることも思い浮かばない。

 いっそ人間の配達屋のように気晴らしに夜の町に繰り出すという考えも頭をよぎるが、この寂れた町で夜遊びができるような場所なんてこの宿の隣にある酒場くらいで、固形物の摂取ができないメルクリウスがいったところでなんにもなるまい。一応、お酒なら飲むことができるし、なんなら酔っ払ったように擬態をすることもできるのだが、生憎今はそういう気分にもなれない。

 とりあえず帳場にいってミルクでも頼もうか。そんなことを考えていると、聴覚センサーが近づいてくる小さな物音を捉えて、わたしは思考を中断した。少し足が悪いおばあさんではありえない、こつこつと規則正しく床を叩く足音だ。聞き覚えのあるそれは、止まるはずの場所で立ち止まらずわたしの部屋の前までやってきた。

 

「お休み中のところ申し訳ありません、シルキーさん。少しよろしいでしょうか」 

 

 軽いノックの音に続いて扉越しに聞こえてきたのは予想通りの玲瓏な声。

 適当に理由をつけて断ってもよかった。普通のメルクリウスは必要がない限り人間に嘘をつくことはしない。でもわたしにとっては、今は嘘をついて楽な方に逃げてもいい状況だとそう思ったのだ。

 

「――今ドアを開けますから、ちょっと待っててください」

 

 なのに、気づけばわたしはそんな返事を返してベッドから起き上がった。扉を開けるとやはりそこには彼女が凛とした佇まいで立っていた。

 ヴァイオレット・エヴァーガーデン。たまたま昨日同じ宿に泊まっただけで明日の今頃には別れて二度と関わることもないだろう行きずりの相手。そして、メルクリウス(わたし)よりずっとメルクリウス(にんぎょう)らしい、機械のような人間の少女。

 昼間逃げ出したというのに、扉を開けてしまった理由は自分でもはっきり分からない。彼女がわざわざ部屋までわたしを訪ねてくる理由に理由が思いつかず興味を覚えたのかもしれないし、ただ漠然と、このまま彼女から逃げるような形で別れることに抵抗を覚えたのかもしれない。

 

「えっと……。何のご用でしょうか?」

 

 そう問いかけると、ヴァイオレットさんは両手で支えるように持っていた瓶を差し出してきた。堅く封がされたどこにでもありそうな素焼きの瓶だ。中身は何かの液体らしく、聴覚センサーを澄ましてみると、かすかにそれの波打つ音が聞こえる。

 

「アーベル・ベルウェン様よりシルキー様へのお届け物を預かってまいりました。中身はミルクセーキとのことです。どうぞお受け取りください」

「――え?」

 

 アーベルさんから?わたしに?

 忌々し気に手紙を放る姿と、邪魔ものと厭う感情を隠そうとせずこちらを見つめる冷たい視線を思い出し、わたしはあっけにとられた。一体なにがどうなれば彼がわたしに届け物をしようなどと思うのだろうか。とりあえず受け取りはしたものの、まるで訳が分からない。混乱しながらヴァイオレットさんを見やると、その視線でわたしの言いたいことを察したのだろう、彼女はあらかじめ用意しておいた原稿を読み上げるように、再び話し始めた。

 

「端的に言うならばそれはお詫びの品であり、同時に感謝のしるしとのことです。つい先ほど作業を終えた旦那様はシルキーさんが届けられた手紙を読まれたのですが、その中でご友人に『研究熱心なのはいいが人付き合いも大事にしろ』と注意されていたらしく。見ていたようなタイミングだと苦笑いをされながら、この品と『わざわざ配達をしてもらったのにあんな態度をとって申し訳なかった』という言伝を貴女に届けてほしいと私に頼まれました」

 

 同じ町の中なのにヴァイオレットさんに頼んだのは、おそらくわたしと顔を合わせるのが気まずかったからだろう。しかしそれはそうとして、もしもわたしが今日中に町を出ていたらどうするつもりだったのだろうか。

 

「その場合のことも想定はしていましたが、恐らく今日は宿に戻っているだろうと考えていました」

「ええ?なんでわかったんですか?わたし、今後の予定とかを貴女に話したりした覚えはないですよ」

 

 この小さな町で旅人が寝泊まりできるような場所はこの宿だけだから、町で一晩を過ごすつもりならここに戻ってくると考えるのは分かる。でも、どうやってわたしが出発を明日にするつもりだと分かったのか。

 そう尋ねると、ヴァイオレットさんは事も無げに言った。

 

「旦那様の家でお目にかかった時シルキーさんのメイルバッグにはまだ未配達の手紙が何通かあるように見受けられました。それでいて待たされることになっても焦る様子がなく、移動も徒歩のようでしたので、今日の任務はこの町での配達のみで町を離れるのは明日以降だと推察した次第です」

 

 なんて観察力だろう。そんなに長居したつもりはないのだが、そんなところまで見ていたのか。元軍人と言っていたがこれもその名残なのだろうか?でもまあ、疑問は解けた。

 ふと手にした瓶を揺らしてみると、ぽちゃぽちゃと中身の揺れる音と確かな重みが伝わってくる。ミルクセーキといえばミルクのほかに砂糖やら卵黄も使うはず。アーベルさんに生活に困っているような様子は見えなかったが、それでもこの小さな町では貴重な砂糖を使う物は手に入れるのは難しいだろうに、それをお詫びと感謝のしるしにと送ってくれたのか。

 暖かく優しい気持ちがじんわりと心の中に広がっていくのを感じる。まるで瓶に込められた思いがわたしの中に入ってくるようで、瓶を持つ手に力が入るのを止められない。きっと今のわたしは、にまにまと締まりのない笑みを浮かべている。ヴァイオレットさんなんて呆れているのではないだろうか。

 

「元気になられたようですね。よかったです」

「え?」 

 

 それに反して聞こえてきた思いがけない言葉に、はっとなる。ヴァイオレットさんの声は相変わらず冷たいけれど、でもどこか柔らかいものが混じっているようで……。それに気づいた時、わたしの脳裏にある考えが浮かんだ。ただの勘違いかもしれない。そう思いながらも黙っていようとは思わずそれは自然と口から零れ落ちた。

 

「もしかしてこれ。ヴァイオレットさんもお客様に何か言ってくれたんですか?」

 

 証拠なんてない、違うといわれたらそれまでの頼りない問いかけ。しかしヴァイオレットさんがその青い目を見開いたことで、わたしは自分の推理が間違いではなかったと確信した。

 

「………確かに旦那様に『シルキー様はミルクがお好きなようなので、お詫びの品を送るならそういったものがいいのでは』という旨の助言はいたしました。ですが実際にそうすることを決めたのはあくまで旦那様ですのでお間違えの無いようお願いいたします。……しかし、なぜわかったのですか?疑われるような発言はしていないと思うのですが」

 

 そう言ってヴァイオレットさんは小さく首をかしげた。表情こそ変わらないがその顔には疑問符が浮かんで見えた。その仕草が、今まで抱いていた印象と異なる、まるで小さな子供のようで少し微笑ましいと思った。

 

「推測ですけどね、彼の人となりを見てなんとなくです。これでも郵便配達としてあちこち回っていろんな人と出会ってきましたから。人を見る目にはちょっと自信があるんです」

 

 よく考えてみれば少しおかしいと思ったのだ。

 あの偏屈でいかにも素直ではなさそうな人が、友人から言われただけでただの郵便配達人にお詫びをしようと思うだろうか。もちろん気まずくは思っただろうしそれでお詫びをしようとも考えたかもしれない。でも何というかああいうタイプの人は、それを実行に移すのにもう一つ何かが必要だと思ったのである。そしてその予想通り彼女がそのもう一つを担ったということだ。

 とはいえ、そのことに思うところはない。ヴァイオレットさんも言った通り、誰の後押しがあったにせよアーベルさんがお詫びをすると決めたからこそ、わたしは気持ちが温かくなる言葉を贈り物と一緒に受け取ることができたのだから。

 

「でも、なんでそんなことをしてくれたんですか?」

 

 それがわたしにはどうもわからなかった。アーベルさんの性格を考えれば下手に口出しをすれば機嫌を損ねることにもなりかねない。自動手記人形の仕事とは関係ないどころか余計なリスクを背負いかねない。そのことにヴァイオレットさんが気づかないわけはないし、むしろ彼女は余計なトラブルは極力避ける人間のように見えたからだ。

 わたしの問いかけに対しヴァイオレットさんは少し考えこむようなそぶりを見せると、胸元のブローチを撫でながらゆっくりと話し出した。

 

「確かに契約のことだけを考えるならこれは無用の行動ですし、依頼人とトラブルになることを考えると敬遠すべきことなのでしょう。ですが、それでも、私は落ち込んでいる貴女を放置したくはありませんでした。自動手記人形ではない、わたし個人に出来ることなど限られていますが、それでも何かしたかったのです」

 

 自分の中の気持ちをどういう形で表に出すか。どういう言葉にすればわたしにそれを伝えられるのか。それを模索しながら話すように、ぽつりぽつりと彼女は言葉を紡いでいく。

 

「自動手記人形としてどうなのかと言われたこともあるのですが、私は、感情というものがよく分かりません。好きな食べ物、というものがよく分かりません。それを飲食できることの喜びというものがよく分かりません。そして――」

 

 彼女はそこで一度言葉を切った。まるで縋り付くようにエメラルドのブローチをぎゅう、と握りしめる。

 

「大切なひとからいただいた特別な言葉の意味さえも分からなかったのです。分からなくて返事を返すことができなかったのです。それが……とても嫌で、辛くて。だからそれを分かるようになりたいと思って。自動手記人形として働いているのもそれを学ぶためなのです」

 

 思いもしなかった彼女の告白に、わたしはただ圧倒されていた。

 彼女の表情は変わっていない。まるで機械人形のようだと感じた初対面の時と変わらない鉄面皮。でも今、感情を知りたいのだと微かに震える声で話す彼女は、とても感情のない人形には見えない。

 何とか絞り出した言葉でそう指摘するとヴァイオレットさんは目を伏せた。

 

「昔に比べれば、少しは感情も分かるようになりました。いろんな言葉を知り、それの意味も知りました。でも、私のような普通ではない存在が、本当に当たり前のように感情を理解できるようになるのかと。あの言葉の意味が分かるようになるのかと。不安に思うこともあって。だから機械なのにまるで人間のようにふるまうあなたを見ているとうらやましいと思ったのです。心のない道具だった私でも、感情を分かるようになれるはずだと希望を持てたのです」

 

 だから。と、ヴァイオレットさんが顔を上げる。まるで海のような、空のような。青い碧い瞳が強い光を湛えてわたしを見据えた。

 

「勝手な願望を押し付けているだけだと理解しています。みっともないことを言っていると思います。でも、それでも私は貴女に、心を持てたことを後悔してほしくない。憧れであってほしい、笑っていてほしいと。そう思うのです」

 

 それを何と表現すればいいだろうか。

 ヴァイオレットさんの言葉は懇願のようであり懺悔のようであり、それ以外の何かのようでもあった。わたしが本当の人間なら正しい表現ができたのかもしれない。あるいはまともなメルクリウスなら、適切な言葉をあてはめれたかもしれない。でもそのどちらでもないわたしに分かったのは、彼女の言葉には感情のない存在にはとても出しえない熱が込もっていたということだけで、でもただそれだけでわたしには充分だった。彼女に対して抱いていたわたしのどろどろした感情が溶けて消えていくのを感じながら、わたしは自分の滑稽さに苦笑した。

 

「同じだったんですね」

「え?」

「ヴァイオレットさんとわたしがです」

 

 機械のような彼女と人間の真似をするわたし。お互いが相手に自分にない物を見出してそれをうらやましく思っていたのだ。何から何まで違うはずなのにおかしなところばかり似ていて。でも不思議と悪い感じはしなかった。昼間はあんなに嫌な気持になったというのに。まったく、心というものはなんて面倒なんだろう。

 

「確かにバグ(こころ)はわたしに色んなものを与えてくれたけど、それはいいものばかりではないんです。心の裂けるような悲しみや煮えたぎるような憎しみもわたしは抱くようになって、分かるようになってしまって。普通のメルクリウスなら絶対にしない意図的に人を騙したり傷つけたりしたこともあります」

 

 やむを得ない事情があって相手の人が問題にしなかったり、わたしの後見人をしてくれているキューザックさんがうまく取り計らってくれたから問題にはならなかったけど、もしも会社に知られていたら、もしかしたらわたしは処分されていたかもしれない。

 そしてその不安は、バグを飼い始め心というものを自覚してから、わたしの自意識システムの片隅にずっと居座り続けているものでもあった。普通のメルクリウスでは思いつきもしないことや行おうともしない行動をするたびに、それを理由に処分されるのではないかという漠然とした恐怖が頭をよぎったことは何度もある。

 

「だからそうですね。なんでこんな(もの)があるんだろう、なんで人間は自分たちに似せてわたし達を作ったんだろうって。こんな思いをするぐらいなら心なんてないほうがよかったって思ったことも何回もあります。最近だと――今日、ヴァイオレットさんの仕事を見たときとか」

 

 これは予想外だったのか、ヴァイオレットさんが動揺したようにかすかに息をのんだ。

 それを見た瞬間わたしの中に、強い衝動が生まれた。メルクリウスの製造目的に従い、人に嫌われかねない行動をやめさせようとする行動プログラムがここで話を切り上げさせようと、当たり障りのない言葉を吐き出す命令を送ってくる。繰り返すその命令を虫食いの自意識プログラムで必死にねじ伏せる。

 ヴァイオレットさんは見せたくはなかったはずの心の内を見せてくれた。ならばわたしもそうするべきだろう。初対面で少し話しただけの機械人形に真剣に向かい合ってくれる彼女なら、わたしの言葉をきちんと受け止めてくれるという信頼と、そんな彼女だからこそわたしの心をきちんと伝えたいという気持ちを込めて、わたしも言葉を紡いでいく。

 

「………ヴァイオレットさんはっ。きれいで、仕事も完璧で、迷いなんてなくて。メルクリウス(わたしたち)を作った人たちはヴァイオレットさんのような存在を機械人形の理想としていたのかもしれないなんて。そう考えたら羨ましくて、嫉妬もしちゃって。いっそわたしも貴女の様だったらとか、そんなことをぐるぐる考えてしまってっ」

 

 つっかえつっかえで支離滅裂に紡がれる勝手な言葉。勝手な物言い。わたしが投げつけるそれを、辛そうに瞳を揺らしながらヴァイオレットさんは否定することなく全て正面から受け止めた。受け止めてくれた。

 そう、優秀なメルクリウスのように。

 でも浮かんだ言葉は昼間と同じだけど、抱いた感想は違う。自分でも持て余すような大きな感情にただ寄り添ってくれることがどんなに気持ちを楽にしてくれるのか。メルクリウスでありながらメルクリウスの仕事がどういったものなのか、この時わたしは初めて実感した。

 だからわたしは目元に笑みを浮かべて自然と下がってしまっていた視線を戻し、ヴァイオレットさんの顔を見返した。こちらをじっと見つめているきれいで純粋な光をたたえるその瞳を、こちらもまっすぐに受け止めて宣言する。

 

「でもそれはもう止めます。もちろんこれからもきっとわたしは悩みます。心があるから苦しんで、なんでこんなものがあるんだろうって嘆くと思います。でも、こんなものがなければいいとはもう思いません。わたしはこれに向き合って、いつか活動が終わるその時まで付き合っていきます。貴女への憧れは持ったまま、わたしらしくこの先も歩いていくことを、この場で貴女に誓います、ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

 

 だからどうか貴女も――。そう続けようとしたわたしはそれ以上を口にすることはなかった。

 なぜなら言いたかったその言葉は、まるでわたしの心を読んだように彼女が言ってくれたから。

 

「何と言ったらいいのでしょうか。心が湧きたつよう、です。わたしなんかを憧れだと言ってくれたこと。私の勝手なお願いを聞いてくれたこと。暖かいものが体を満たしていくようで、なのに重く感じるどころか体が軽くなるようなそんな錯覚がするのです。以前のそれとは、少し趣が違うのですが、私はおそらくきっとシルキーさんの言葉を『嬉しい』と、そう感じているのだと思います」

 

 まるで気持ちが透けて見えるようだった。聞いている側まで訳もなくうれしくなりそうな、子供がはしゃぐような弾んだ声音で、彼女は言った。

 

「私も誓います。感情を、心を学ぶこと。それを知ること。それがどんなに険しい道のりであっても、途中で何度うずくまることになっても。諦めることだけはせずに最後まで歩いていくことを。憧れだといってくれて、こんな風になれればと憧れたシルキー、貴女に誓います」

 

 そう告げる彼女の顔を見て、わたしは顔がほころぶのを抑えることができなかった。本当に彼女は、ただ感情を出すのが苦手なだけなのだと、あらためて実感できたから。

 ならばきっと大丈夫。いつかきっと彼女は人間らしい振る舞いを自然と行える、少し変わっているだけの女性になれるはずだ。だって――

 

「そうだ。せっかくだからこのミルクセーキ一緒に飲みませんか?あんまり日持ちしなさそうですし一人分には多いようなので」

「しかしそれはシルキーさんがいただいたものです。私が飲むのは――」

「呼び捨てでいいですよ、代わりにわたしもそうさせてください。ミルクセーキについては、もらった張本人であるわたしがいいと思うんだから気にしなくていいですよ。あ、もしも嫌いなんだったら無理には誘いませんけど……。どうですか?ヴァイオレット」

「……いえ。多分嫌いではないと思います。だからおすそ分けにあずからせていただきますね。シルキー」

 

 わたしに出来たのなら彼女に出来ないはずがない。だって彼女はとても優秀な自動手記人形で、ちょっと変わっているだけのとても魅力的な女の子なのだから。

 花がほころぶような笑顔を浮かべるヴァイオレットを部屋に招き入れながら、わたしはそう確信した。

 

 

 そのあとのことで語ることはあまり多くない。

 美味しいミルクセーキをお供にわたし達は時間が過ぎるのを忘れて他愛ない話を楽しんだ。主に話すのはわたしだったが、ヴァイオレットも決して多くはない口数でいろんなことを話してくれた。

 大陸屈指の天文台と満天の星空、そして二百年に一度の彗星の話を聞いた。月明かりに照らされ光る棚田と風に吹かれてさざめく稲の苗が一面に広がる山間の村の話を聞いた。雑多でやかましくて怖いほどの熱気にあふれた先住民族(ネイティブ)のお祭りの話をした。二人乗りのバイクで夕暮れの家路を急ぐ兄妹の背中を何度も見送った話をした。

 彼女の会社の社長さんが女性のような名前を嫌がっているらしいとか、わたしの後見人がある春画家の大ファンで、わたしが本人と会ったことを知るとサインを頼んでおけばよかったと悔しがったとか、当人たちが聞いたら悶絶しそうなことを教え合った。

 ほかにもいろんなことをわたし達はお互いに話して聞いて、そしてたくさん笑い合って――次の日の朝、わたし達は宿の前で惜しむように最後の時間を過ごしていた。 

 これから町を離れるわたしがメイルバッグをたすきがけにしてバイクにまたがっているのに対し、彼女が手にしているのは昨日同様トロリーバッグだけ。今朝になって気づいたかわいらしい水色の傘がバッグの持ち手と絡めるように置かれているが、それも大した違いではない。

 まあ、当然の成り行きだ。わたし達がこの町を訪れたのはあくまで仕事のため。仕事の契約期間が残っている彼女はまだこの町にいる必要があるが、この町で配る郵便物がなくなったわたしはステーションに帰らなければならない。そんな当たり前のことで今まで何度も経験してきたこと。それに加えて昨夜あんなにいおしゃべりをしたからか、曲がりなりにも別れの場でありながら、湿っぽい雰囲気はみじんもない。

 もちろん寂しさはある。せっかく仲良くなれたのに、きっと直接会って話すのはこれが最後。同じ国、同じ地域に住んでいるのならまだしも、普段の生活圏内が大陸を横断するほどの距離で隔てられた国同士では偶然の再会なんて期待できるわけもない。

 でもそこはお互い旅人どうしだ。郵便配達人にしてみれば旅先での出会いと別れなんて日常茶飯事でそれは依頼があればどこにでも赴く自動手記人形であるヴァイオレットも同じこと。この一抹の寂しさとの付き合い方も慣れている。

 それに――

 

「ライデンシャフトリヒのライデン市。CH郵便社、だよね?」

「はい。それで間違いありません。シルキーが普段寝泊まりしているアストロラーブ社の寮というのはこちらの住所で間違いなかったですか?」

「うーん……うん、大丈夫。ばっちり」

「よかったです。では、社に戻ったら早速手紙を送らせていただきますね」

「うん、わたしも送るよ。距離的に手紙がヴァイオレットを追い越しちゃうかもしれないけど」

「そうかもしれません」

 

 冗談めかしてそう言うと、花の名前を持つ少女は目を細めた。ただそれだけなのに昨日までと違って、その変化が楽しみや喜びが表に出た結果なのだということが自然と理解できる。わずかにだが華やいだ声からも彼女の心境が見て取れる。それが嬉しくてわたしの顔も自然と笑み崩れてしまう。

 互いに手紙を送り合おうという提案はどちらからともなく自然と出てきた。

 このまま別れてそれっきりというのが惜しくて、でももう一度顔を合わせることは難しい。それなら手紙を使えばいいというシンプルな結論だ。

 でも、それがとても素晴らしいものであることは郵便業務に関わる者ならみんな知っている。

 大事な思いを形にして、気持ちをつなぐ。心を通わせる。それができるということがどれだけ幸せなことか。わたしがただのメルクリウスなら果たして理解できただろうか。ヴァイオレットが本当に機械なら果たして知ることができただろうか。

 きっとそれを知ったから、どんなに振り回されて苦しい思いをしても、わたし達は心にこだわるのだろう。

 

「じゃあヴァイオレット。元気でね」

「はい。シルキーも」

 

 さあ、これで。直接顔を合わせる時間は本当におしまいだ。

 未練がましい気持ちを呑み込み、隠し切れない気持ちがほんの少し滲んだ笑顔で別れを告げて、わたしはバイクのアクセルをふかして走り出す。同じような顔をしたヴァイオレットが小さく手を振ってくれるのに、麦わら帽子を持った手を大きく一度振って応えると、未練を振り切るように前を向くとわたしはバイクのスピードを上げた。

 軽快なエンジン音を響かせてバイクはあっという間に小さな町を飛び出し、石畳の道を細かな土を蹴り上げながら走っていく。しばらく走り続けたところで視界の端に映った紫色のなにかに気づいて、わたしは速度を緩めた。道に沿うようにしてぽつぽつと、紫色の可憐な花が咲いている。その花の名前は菫。別名はヴァイオレット。その花の列は、この町に来た時とは正反対の雲一つない空の下まるでわたしの道行きを見守っているようだ。

 

「――そうだっ。手紙を送るときに菫の押し花を一緒に入れようっ」

 

 帰って一息ついたら早速近所を探してみよう。それから上等のレターセットを用意して、思いがけずできた遠い国の友人に手紙を書こう。

 思わず浮かんだ涙を拭きとり口元に笑みを浮かべながら、わたしは麦わら帽子を頭の後ろにはね上げた。広がった視界の先、見上げた空はどこまでも高く続いてみえた。

 




この作品、劇場版公開記念として公開開始に合わせての投稿を考えていたのですが間に合いませんでした。でも公開中の投稿にはなんとか間に合ったので胸をなでおろしています。
似ているような、そうでもないような二人の物語、楽しんでいただけたのなら幸いです。
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