エルフは拘束されていた。
硬いベッドの上に仰向けに転がされ、手足には鉄枷が嵌められている。枷から伸びるは銀色の鎖で、ベッドの脚に固く巻きついて、エルフの身体から自由を奪っていた。
状況はまるで分からない。彼女の記憶では夕飯の準備のために森の奥地でキノコを採っていた筈だった。シチューの具材になるキノコ達。母と食べるシチューはクリーミーでコクがあって何よりも絶品で・・・
しかし気付けば現状である。
エルフは頭を持ち上げて辺りを見渡す。
薄暗い空間である。天使の模様が描かれた天井や幾らかの絵画の飾られた壁からいわゆる”人間”の、それも”貴族”の部屋であるということは理解できた。自然との一体感を大切にするエルフの住処と違って、やたら空間を閉じ込めたがるのだ、彼らは。
彼女は勿論そんな人間が気に入らない。
そして気に入らない事はもう一つ。それが今の自分が捕らわれの身であるということであった。
鉄枷の感触はひどく冷たくて、触れる肌から温度を奪っていく。
鎖はジャラジャラうるさくて、無機質に騒ぎ立てては鼓膜に響く。
不快。エルフは一刻でも早い自由を欲した。だから魔法を使って、ちゃっちゃと拘束から脱出しようと考えた。
見つめる先は手首に回っている忌まわしき手枷である。
何か曲線を交じり合わせたような模様が書いてあるが、気にすることではないだろう、まずは手枷から外す。
全くエルフも舐められたもんだ、と心中呟きながら、エルフは複雑な呪文を唄うように唱え始めた。
それは古より伝わるエルフ族の知恵。時に生活に役立ち、時に今の様な窮地を救ってくれる偉大なる森の神の力である。
エルフは森の妖精。どんな時でも森の神に守られているのだ。
エルフは目を瞑る。呪文を唱える自らの声と心臓の拍動する音が遠く遠く離れていく。意識を暗闇へと落としていく。
呪文を唱えるに必要なのは、まずは精神の統一であった。
そして次には脳裏に枷の壊れるイメージを出来るだけ詳細に繊細に思い浮かべる。想像のリアルさはそのまま魔力へと直結するのだ。
準備は完了した。
後は目を開ければその瞬間、枷は木端微塵になることだろう。彼女は疑いもなくそう思っていた。
さあ、神よ!我に力を!
祈るエルフは目を力強く見開いた。
さて枷は・・・
しかし枷は・・・
壊れてはいなかった。
そこにあった。手首に、そのまま。
呪文が発動していなかった。
「っ!?」
エルフは息を呑みこみ激しく動揺した。
呪文がうまく発動しなかったことなど、今まで一度も有りはしなかった。
しかしソレが起こっている。
神に見捨てられたのか。いや、そんなことはないはずだ。では、呪文を間違えたのだ。そうだ、間違いない。
エルフは自分に言い聞かせた。
そうして再び呪文を唱えながら目を閉じる。嘘であってほしいと祈りにも似た思いを片隅にまた念じる。そして目を開ける。
ある。
枷が。
変わらず。
どうして!
エルフは、顔を歪ませた。
心には不安が沸き起こる。
突然にエルフの象徴たる神の力が使えなくなってしまった事実は、エルフを恐れさせるには十分だった。
一族からの追放。大いにあり得る。そうしたら私は死んでしまう。いやそもそもこの鉄枷が外せない。このままじゃそのうち人間がやってきて・・・
エルフが思うのと、部屋の扉が開いて一人の男が入ってくるのは同時であった。
エルフは弾かれたように顔を上げた。
男は高級スーツを身に纏い、髭を撫でつけ、胡散臭い笑みを浮かべていた。
「やあ~エルフの王女ちゃん 調子はどう?」
男はエルフの拘束されているベッドに歩み寄りながらそう言った。
男性特有の低い声色。それにまるで友人に話しかけるような、馴れ馴れしく軽々しい口ぶりである。
当然知り合いではないし、調子など良いはずがなかった。枷のせいでまるで身動きが取れないのだから。
男も当然それを分かっていた。分かって言った。
エルフは嫌みな男の物言いに嫌悪を感じずにはいられない。肌が泡立つのを感じた。
目も嫌いだ。
エルフは見た。
男の細められた目の隙間から覗く、感情の伴わない真っ黒な瞳を。見下すように見下ろしている瞳を。
それを奴隷を見るような目。
心の穢れた下等生物と目を合わせていると眼が腐る、とエルフは視線を天井へとずらし、描かれた天使の絵を見た。
「はぁっ 嫌われてんのかぁ、悲しいなぁ」
「分かってるならその薄汚い口を閉じたらどう?」
「ほう、噂通り気が強い」
「魔法で命を奪ってあげようかしら」
「魔法? おやおやエルフちゃん、君は魔法が使えないんじゃないかい?」
煽るように男が言った。
エルフはそれを聞くと目を見開いて、男の顔を強く睨んだ。
「おっ、初めて顔を合わせてくれたじゃねえか 嬉しいねぇ」
「あんたの仕業なのね」
「何がぁ」
「私から魔法を奪ったのは!!」
「おいおい 怒ったら可愛い顔が台無しだぜ」
「くそ野郎!」
「はんっ 枷を見て見な」
エルフは瞳を動かし、右手首の手枷を見た。
手枷に描かれている波のような模様が青く光り輝いていた。他の手足の枷もまた同様である。どれも何か主張するように強い光を発していた。
「これは・・・」
「お前の魔力に反応したのさ」
「魔力・・・?まさか魔封のリング!?」
「ご名答」
魔封のリング。
それは古来、人間とエルフが領土を巡って争い合っていた頃に、稀代の魔法使いが対エルフに作り出したとされるアイテムである。
リングは装着した者の魔力を封じ込める特別なおまじないが込められており、人間がエルフを奴隷として捕らえる際などに重宝された代物である。しかし元々数は少なく、争いの中で失われたはずであった。
「今更なんでこんなものが」
「俺様は天才でね こんなもん作るなんざ朝飯前なんだよ」
男の家系は代々魔法使いである。それもその稀代の魔法使いの血を引いている家系である。
男はその中でも、際だって魔法の才覚を持っていた。
「ゲスが・・・」
エルフは男にぎろりと視線を向け、吐き捨てるように言った。
男はにやりと笑った。
「それでなぁエルフちゃん ちょいとお願いがあるんだ」
「くたばれ」
「おうおうおう焦んな焦んな もし俺の要求を呑むんなら枷を外してやるよ」
「・・・」
エルフは口をつぐみ男の次の言葉を待った。
「まあ単純な話だ お前の一族に伝わる究極魔法って言うの、それを俺に教えてくれよ」
「ふざけたことを抜かすな!」
「いーじゃん、どうせお前ら使わねーんだろ? 減るもんじゃねーしよ それを俺様が使ってやるってんだむしろ感謝しな」
「お前・・・どこまでっっ!!」
エルフは今にも噛みつかんとばかりに、奥歯をキリキリ噛み合わせながら顔を持ち上げる。
四肢に取り付けられた枷の鎖が甲高い音を立ててエルフの身体を抑え込んでいたが、それさえなければエルフは男に飛び掛かっていたことだろう。
究極魔法とはエルフの一族にとってはまさしく宝である。王族のみが知る魔法。それをぞんざいに扱うなど到底許される行為では無い。そこにはプライドがあるのだ。下等な人間とは比べるのも烏滸がましい高尚なプライドが。
門外不出。男に究極魔法を教えることなど論外である。
「しょーがねーなー ちと痛い目にあってもらおうかね」
「何をされても私は教えない」
「はあ、いい度胸だ その位の気概がある奴の心を折るのが一番ぞくぞくするんだ」
「下等な生き物め」
男はエルフの細い首に片腕を伸ばし力を込めて指を沈めながら、耳元に口を近づけた。
ぎょろりと目を見開いて、ねばつくような声でどろりと呟く。
「魔法の使えないエルフなんざ人間以下だよ、雑魚がよぉ」
「絶対、、殺す、、」
エルフは息が出来ない苦しみの中、確固たる意地でそう言った。
それからの拷問は凄惨を極めた。
男は何度もエルフの体に鞭を振り下ろした。
全長2m程。色は黒い。蛇の皮で創られた鞭。
男は腕を頭上まで高く上げながら足元まで一気に振り下ろす。鞭はしなりながらエルフの身体へと向かってゆく。
エルフの服はナイフで裂かれて白い肌が剥き出しになっていた。そこへ打ち付けられる鞭の数々。
エルフはぶたれる度に肌に燃えるような痛みを感じた。時間差で骨身へと染みわたり、身体全体へと広がっていく。
まるで鉛のように重い痛みが身体中をゆっくり対流する。そのうちに新たに鞭が加えられ、終わることのない激しい痛みが身体中を暴れ待った。
「言えっ 言えっ」
「い゛あ゛ぁっ あ゛ぁ゛っ」
エルフは鳥獣のような叫びをあげて身体を暴れさせた。
しかし枷が、鎖が、彼女の身体を縛り、空しく金属音を響かせるばかり。彼女が壮絶な痛みから逃れることは許されなかった。
「さあああ言ええええ!!!」
「く゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛」
エルフは大粒の涙を流しながらも、しかしその瞳ははっきりと男を睨みつけていた。
このような仕打ちを与える人間を許さない。
そして絶対に口を割らない、という揺るがない意思を男へと鋭い視線でぶつけていた。
「くそがよぉ」
男はエルフの態度が全く気に入らない。
自分の思い通りにならないこと程いらつくものはない。
男はエルフの顔へと思いっきり鞭を振り下ろした。
「う゛う゛く゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛っ゛っ゛」
「っはあーーー! いつまでもつかなあーー!!」
男は高笑いしながら言った。
エルフは決して諦めていない。
追う場を噛みしめながら男を睨み付けている。
それから拷問の日々が続いた。
来る日も来る日も打たれ打たれ。
しかしながら決してエルフは口を割らなかった。
己の中にあるエルフ一族の信念を貫き、耐え続けていた。エルフの体質も影響しただろう。
エルフは傷の直りが早いのだ。
それは生命力が人間とは比べ物にならないほど高いことに起因する。いくら体を傷つけられても次の日には回復した。
しぶといエルフに嫌気の差した男は自らは手を下さなくなり、部下に拷問を行わせるようになる、
拷問もさらに種類を増やして、スタンガンだとか、真っ赤に熱した鉄を押し当てたりだとか、純粋な暴力だとか。
それでもエルフはやはり口を割らなかった。
そして。
見かねた男が、ある日部屋にやってきて、提案する。
「今からお前の里を燃やしに行くわ」
「あんた何言って・・・」
「お前が喋んねーからなぁ お前のマミーを捕まえにいってついでに里を燃やしてくるわ」
エルフの母もまた王族。
究極魔法を知っている。
「でも、エルフ一族の里がどこにあるのかなんて、人間のあんたに分かるかしら」
「ああ分かるさ 俺様は天才だからな 出来ない事なんてありはしねぇのよお」
エルフの里は森の奥深くにあり、さらに魔法によって入り口が隠されている。
人間には絶対に見つけることが出来ないはずだ。
エルフは思った。
それから長い長い時が経つ。
5年だ。
しかしその年数もエルフは正確に理解はしていない。自分の拘束されてる部屋に時計などは無かった。
男が里を燃やすと言ってから、不思議と拷問は嵐が過ぎ去ったかのようにぴたりと止んだ。
何もなかった。
何も。
飯も水も何もなく。
ただ長い間放っておかれていた。
部屋にはカメラが置かれていたので、それで一応はエルフの様子を観察しているらしかったがそれだけだった。
エルフは毎日(そんな概念を忘れていたが)、天井の変わるあことのない天使の絵を見つめ、眠り、また見つめる生活を繰り返した。
エルフは大変に長寿な種族であるが、流石に飲まず食わずな状態では体がたまらずに悲鳴を上げていることをエルフ自身も感じていた。
しかしどうすることも出来はしない。
だからエルフは知らないふりをした。出来るだけ現実を忘れ去るようにして、天使の絵をぼうっと見つめていた。
天使がそのうち笑いかけてくるようになるのだから不思議である。
先に狂うのがひどく狂わないための手段であった。
悠久とも思えた時間は唐突に終わりを迎える。
部屋に置かれた大きなモニターの画面が付いた。
エルフはげっそりとやせ細った顔を横に倒して目を向ける。
画面に映っているのは燃え上がる炎である。
それはエルフの里だった。
家々が、森が、エルフが、燃えていた。悲鳴が響き渡っていて、混乱している様子がうかがえる。
エルフの住んでいる家も赤々と燃えている。知ってる景色が何もかも燃えていた。
エルフは目の前で起こっている景色に、久しぶりに感情を動かした。
衝撃であった。
大きく目を見開いて、空いるように画面を見つめた。
見れば見る程現実味が無くて、エルフは自分がとうとう幻覚を乱したのかと錯覚するほどであった。
しかしその心配は杞憂に終わる。
やがてモニターの映像が終わると、部屋の扉が開いて、あの男が入ってきた。
相も変わらず、見下すようなゲスな笑みを浮かべていた。
「やあ、久しぶりだなぁエルフちゃんよお 楽しんでもらえたかぁ?」
「・・・あれは何なの」
「何なのってはっは~~ お家に帰らな過ぎて自分の故郷すら忘れちまったのかいぃぃ!?」
「じゃ・・・じゃあ!!」
「そうぅ!!」
男はエルフに顔を近づけて、眼をかっぴらいて言った。
「エルフの里は燃えましたああああ!!」
「っ!?」
エルフは言葉を失う。口をパクパクと動かすばかりでなかなか言葉が出てこない。
「良い顔だぁ」
「ふ・・・ふんっ 嘘よ 嘘に決まってるわ 人間のお前なんかに私たちの里を見付けられるはずがないもの!」
「ところがどっこぉい」
男はぱちんと指を鳴らした。
すると部屋の扉が再び開き、中に部下と、部下に連れられた一人のエルフが入ってきた。
そのエルフもまた手足に城を嵌められている。部下が彼女の枷から伸びる鎖を手に持って、引っ張る形で、連れてきていた。
「ほらあ仲間の登場だろ~ エルフだろ~? 違うか?」
「・・・そんな」
「んはあ!」
新しく連れてこられたエルフは捕らわれた王女のエルフの姿を見ると、瞳を見開いた。
「王女様! 王女様ですね! お会いしとうございましたぁぁ」
「あ・・・ああ」
「我々の里はもう壊滅いたしました この蛮族共によって燃やされてしまったのです!!」
状況を報告しながらまるで助けを求めるように訴えてくる姿に、王女であるエルフはただ吐息のような返事をする事しか出来なかった。
「おおっと おしゃべりはここまでだぁ」
男はそう言うと、部下から大きな鉈を受け取った。
それはチキンなどの肉を骨ごと真っ二つにするような、良く研がれた鉈であった。
それをそのエルフの首元に当て、そして思いっきり振り下ろした。
首が跳ねた。
「ひゃっはああああ!!」
「貴様ああああなんてことを!!!」
「お前が究極魔法について喋らない限り、こうやって仲間の首を飛ばしちうぜえおいっ」
鉈についた血をぺろりと舐めあげながら、きゃはははははと狂気的な笑みを浮かべる男。
エルフは返り血を浴びた顔を真っ青にした。
「次い!!」
「お・・・おい、やめろ!」
またエルフが連れてこられた。
部屋に散らばる仲間の肢体と首と血しぶきを見て悲鳴を上げる。
「ほら言えよ!!!王女さんよ~仲間が死んじゃうぜぇ!」
鉈を振り上げる。
「やめろお゛お゛お゛お゛」
落とされる。
首が飛ぶ。
「はい次い!!!」
彼女の目の前でいくつもの死体が積み上がっていく。
いくつもの殺戮を見せつけられていく。
それでも言うことが出来なかった。
なぜならそれは・・・
「はい次い!」
エルフは目を丸くした。
連れてこられたのは母親であった。
「ったくよお~ 娘も娘なら母親も母親だなぁ 頑固なもんだぜ全く 二人そろってまるで口を割りやしねえ」
母親のエルフは瞳を閉じて、神に祈りを捧げていた、
男は母親に近づく。
「だからよお~ 殺すしかねえな?」
鉈を振り上げた。
「い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛め゛ろ゛お゛お゛お゛お゛」
首が飛んだ。
母親が死んだ。
「ああ~~~死んじゃった どうするよ?王女さん 今から言うなら残りの仲間は助けてやろうか?え?」
男の問いかけに、エルフは反応しなかった。
ただ虚ろな瞳で、天井の天使を見つめている。ぶつぶつと何かを唱えている。
「神よ どうぞ我をお恨み下さい 私を地獄へと送ってください 私はすべての業を背負うものです」
「何言ってんだかわかんねーよ~」
「究極魔法・・・教えてやろう」
「おお??良い心が前じゃねえか!待ってたぜ~~」
「よく見とけ」
エルフは素早く呪文を唱えると、瞳を閉じた。
そうして次に瞳を開いたとき、エルフの身体には、縦に真っ直ぐ亀裂が入った。
そこから何かが起き上がる。
背中に大きな翼の生えたもの。頭に二つの角を生やしたもの。
真っ黒な体。獣のような手足。
最上級悪魔、デーモンであった。
かつてエルフの一族はデーモンによって滅ぼされかけたことがあった。その時に王は彼らと契約することで許された。
王族の身体を依り代にする、と。
「く゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「はあああーーー!! いいねぇさいっこうじゃねえか!! なあ、俺様と手を組もう!そうすれば俺たちは何でもt」
男は話の途中で言葉を失った。
デーモンが頭を噛み砕いたからだ。
やがて体が地面に落ちた。
天井の天使が笑いながら見下ろしていた。
やがて一匹のデーモンによって人間は壊滅寸前まで追い込まれるが、何故かギリギリで持ちこたえて、再び安寧を取り戻す。
そんなおとぎ話が後世に伝わるとか・・・。