月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#00:もう一時だけ隣に居たい

 誰か、俺の肉体から魂を取り除いてくれないかなぁ!

 そういうことを、固くて冷たい布団の中で考えていた。神様が、なにかのはずみで手違いを冒したんじゃないかと思ったから。

 そんな気持ちを抱きながら眠りに落ちたところ、

 

「……これ。この感じ。夢の中でも意識があるってやつか?」

 

 目の前には迷宮が広がっている。桃色の霧に包まれていた。

 目を凝らしてみると、ひどく角ばった造りだ。ああ、こういうの、見たことあるぞ。行ったことはないけど。遊園地、とかいうやつにあるんだろう? こういうのが。

 どんなに先でも手に取るようにわかるような、わからないような。そういう感覚が襲っている。

 とにかくだ。歩みを進めてみよう。

 妙な感覚だった。自分の頭で行く先を選んでいるはずなのに、そうではないような気がしてくる。まっすぐ行って、右に曲がって、次は左で、次も左で……。

 

「!」

 

 歩き回っているうち、女を見つけた。

 ……裸で、仰向けに倒れている。数多くの傷痕がある……と思う。ふとここで、心臓に何かが詰まったような感じがして、胸を押さえる。

 そのまま、ずっと眺めていたが、やがて、『触れたい』と思うようになった。

 ……手を触れる。

 

「あ……」

 

 触れる度に、崩れ落ちていく身体。

 

「思い出した。お前は、お前の名前は、ゆか――」

 

 口に出すことができない。そうしようとするほどに、その肉体は段々と消えていく。

 『やめてくれ!』と願ったけど、無駄だった。すっかりと、女は迷宮に溶けて――消えた。

 ……ナニカに心をとらえられ、夢中へと放り込まれてしまう。

 不思議なことに思えるかもしれないが、それは、大人だって子どもだっておんなじことだろう? 共通してるのは、なぜそんなに夢中になってしまったのか、理由を説明できないことだ。

 俺は今、あの女に夢中になってしまったが、どうしてそうなったのか、夢中になっていた俺でさえわからない。

 しいて言うなら、『俺もあの子とひとつになって消えたい』みたいな、変態的願望くらいなら願っていたかもしれない。

 いろいろと考えながら歩いていると……曲がり角に入った直後だった。男に出会う。薄汚れた格好をしている? ような気がする。よくわからない。

 おーい、と呼ばれた気がした。手を挙げて、こちらに挨拶をしてきたから。そいつは、段々とこっちに近付いて来る――どういうわけだろう、俺の肉体は、そいつとハイタッチを交わしていた。

 血に塗れた手。思わず、のけぞった。

『逃げろ! 早く』

 身体が動かない。捕らえられてしまう。

 そいつは、俺の肩に手を回してくる。

 

「やめろ……動け、早く動け……」

 

 ようやく動いた身体。そのまま、ずっと、ずっと前に進んでいった。

 やがて、そいつは密着を諦める。すると、俺の肉体は何メートルか前方まで走り込んだ。

 

「どうだ……?」

 

 諦めてなどいない。男の影は、一気にこちらへと。俺に抱きつく。

 ――拳を振り抜いた。すると、影は、もの悲しい泣き声とともに消えていく。

 また、歩き出す。が、完全に消えてしまう前に、俺は振り返って、そいつを見た。

 鉄格子にでもしがみ付いているように、こちらの方に手を延ばしていた。何者かに引き裂かれたかのように、引きつった笑顔を浮かべている。

 俺には、そいつが「なぜ?」と思っているようにも見えたし、「なら、それでいい」と感じているようにも見えた。

 

「……」

 

 また、前に進みはじめる。

 ……もう、どれぐらい歩いただろうか。五分? いや、十分? わからない。でも、ひと段落ついたことは確かだ。だって、目の前には新しい影が立っているから。

 黒い背広姿の男だった。細身に見える。でも、顔は見えない。

 こちらへと、ゆっくり歩いてくる。手をのばす。真っ黒な手を。ゆっくり、ゆっくりと。

 

「誰だ?」

 

 と、内心思ってはいたものの、身を任せてしまう。これは、なんという気分なのだろう?

 男の手が、俺の心臓へと置かれる。

 

「……あ」

 

 その、真っ黒な手を眺めているうちに、この見知らぬ男への思慕が目覚めていた。

 はるか彼方から、潮流が押し寄せてくる。かすかな波が、足元に触れたと思ったら――唐突に、高々と舞い上がったそれは、皮膚という皮膚を水浸しにして、俺の背丈をはるかに越えて、瞬く間、強大な波へと変化し、あらゆるものを呑み込んで、さらってしまう。

 女の名前を忘れた。意識は男の手へと移りゆく。

『これは……撫でている? 俺の心臓を。どうして? いや、そんなことはどうでもいい。これから、これから俺は、』

 まさか、と思った瞬間だった。その手が、俺の皮膚を突き破って、心臓を掴もうとしている!

 このままじゃ、だめだ! でも、なにもできない。冷や汗が流れる。

 なんだ? なんなんだ、この感じ。あ、いま、こいつの手が、俺の心臓に、触れた――

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