誰か、俺の肉体から魂を取り除いてくれないかなぁ!
そういうことを、固くて冷たい布団の中で考えていた。神様が、なにかのはずみで手違いを冒したんじゃないかと思ったから。
そんな気持ちを抱きながら眠りに落ちたところ、
「……これ。この感じ。夢の中でも意識があるってやつか?」
目の前には迷宮が広がっている。桃色の霧に包まれていた。
目を凝らしてみると、ひどく角ばった造りだ。ああ、こういうの、見たことあるぞ。行ったことはないけど。遊園地、とかいうやつにあるんだろう? こういうのが。
どんなに先でも手に取るようにわかるような、わからないような。そういう感覚が襲っている。
とにかくだ。歩みを進めてみよう。
妙な感覚だった。自分の頭で行く先を選んでいるはずなのに、そうではないような気がしてくる。まっすぐ行って、右に曲がって、次は左で、次も左で……。
「!」
歩き回っているうち、女を見つけた。
……裸で、仰向けに倒れている。数多くの傷痕がある……と思う。ふとここで、心臓に何かが詰まったような感じがして、胸を押さえる。
そのまま、ずっと眺めていたが、やがて、『触れたい』と思うようになった。
……手を触れる。
「あ……」
触れる度に、崩れ落ちていく身体。
「思い出した。お前は、お前の名前は、ゆか――」
口に出すことができない。そうしようとするほどに、その肉体は段々と消えていく。
『やめてくれ!』と願ったけど、無駄だった。すっかりと、女は迷宮に溶けて――消えた。
……ナニカに心をとらえられ、夢中へと放り込まれてしまう。
不思議なことに思えるかもしれないが、それは、大人だって子どもだっておんなじことだろう? 共通してるのは、なぜそんなに夢中になってしまったのか、理由を説明できないことだ。
俺は今、あの女に夢中になってしまったが、どうしてそうなったのか、夢中になっていた俺でさえわからない。
しいて言うなら、『俺もあの子とひとつになって消えたい』みたいな、変態的願望くらいなら願っていたかもしれない。
いろいろと考えながら歩いていると……曲がり角に入った直後だった。男に出会う。薄汚れた格好をしている? ような気がする。よくわからない。
おーい、と呼ばれた気がした。手を挙げて、こちらに挨拶をしてきたから。そいつは、段々とこっちに近付いて来る――どういうわけだろう、俺の肉体は、そいつとハイタッチを交わしていた。
血に塗れた手。思わず、のけぞった。
『逃げろ! 早く』
身体が動かない。捕らえられてしまう。
そいつは、俺の肩に手を回してくる。
「やめろ……動け、早く動け……」
ようやく動いた身体。そのまま、ずっと、ずっと前に進んでいった。
やがて、そいつは密着を諦める。すると、俺の肉体は何メートルか前方まで走り込んだ。
「どうだ……?」
諦めてなどいない。男の影は、一気にこちらへと。俺に抱きつく。
――拳を振り抜いた。すると、影は、もの悲しい泣き声とともに消えていく。
また、歩き出す。が、完全に消えてしまう前に、俺は振り返って、そいつを見た。
鉄格子にでもしがみ付いているように、こちらの方に手を延ばしていた。何者かに引き裂かれたかのように、引きつった笑顔を浮かべている。
俺には、そいつが「なぜ?」と思っているようにも見えたし、「なら、それでいい」と感じているようにも見えた。
「……」
また、前に進みはじめる。
……もう、どれぐらい歩いただろうか。五分? いや、十分? わからない。でも、ひと段落ついたことは確かだ。だって、目の前には新しい影が立っているから。
黒い背広姿の男だった。細身に見える。でも、顔は見えない。
こちらへと、ゆっくり歩いてくる。手をのばす。真っ黒な手を。ゆっくり、ゆっくりと。
「誰だ?」
と、内心思ってはいたものの、身を任せてしまう。これは、なんという気分なのだろう?
男の手が、俺の心臓へと置かれる。
「……あ」
その、真っ黒な手を眺めているうちに、この見知らぬ男への思慕が目覚めていた。
はるか彼方から、潮流が押し寄せてくる。かすかな波が、足元に触れたと思ったら――唐突に、高々と舞い上がったそれは、皮膚という皮膚を水浸しにして、俺の背丈をはるかに越えて、瞬く間、強大な波へと変化し、あらゆるものを呑み込んで、さらってしまう。
女の名前を忘れた。意識は男の手へと移りゆく。
『これは……撫でている? 俺の心臓を。どうして? いや、そんなことはどうでもいい。これから、これから俺は、』
まさか、と思った瞬間だった。その手が、俺の皮膚を突き破って、心臓を掴もうとしている!
このままじゃ、だめだ! でも、なにもできない。冷や汗が流れる。
なんだ? なんなんだ、この感じ。あ、いま、こいつの手が、俺の心臓に、触れた――