「ねえねえ、三人とも、どうだった? ほかの班は」
「……俺は楽しかったよ。安田たち、いい奴だった……と思う」
「篤は?」
「あまり喋ることはできなかったな。『はんだごて貸してよ』とか『うまいね、見本みせて』とか。最低限な感じ」
「砂羽は?」
「もうわたしに話しかけないで。由香里のこと嫌い」
「ごめん。でもね、ああでもしないと、あたし達、いつまで経っても」
「いつまで経っても、ずっとこのままでいいよ」
今は昼休憩だ。周りの空気との違いに気分が暗くなる。俺は昼食の握り飯をほおばるのをやめて、
「な、なあ……ん、ぐっ!」
喉の奥で米粒が舞っている。けど、ここで割り込まなくて、いつ割り込むというんだ。
「俺、さっきさ。沖浦先生の気持ち、わかったんだ。あることに困ってて、でも、由香里の話を受けてなにか閃いて……って感じだった」
……沈黙。
押し破ったのは篤だった。
「砂羽。その考え方も正しいよ。僕たちは、ほかの人とは違うんだから。砂羽は悪くない」
「……」
砂羽はいじらしげに篤に視線をやる。
「だから、由香里と仲なおりしよう。たったこれだけの仲間なんだから」
俺は後ろの席にいる女をチラリと見る。
……机を蹴り飛ばしたいと思っている。そんな感じだ。
「なにそれ。あたしが馬鹿みたいじゃん」
「由香里! 僕はそんなこと言ってない。でもさ、いろんな考え方があるだろ」
「いつもそうやって煮え切らないよね、篤はさ。いったいどっち寄りなの? こないだの地域学習会、参加したよね? うちの学校で来てる人は少なかったけど、みんなと一緒に勉強したり、ゲームしたり、
「行ったよ。行ったさ。でも、それは国府高校の過去問が目当てだった」
「……ふーん」
由香里はさっと立ち上がって、篤のすぐ傍へと。
「やめろ! 由香里」
ブロックに成功する。篤の机を目掛けて蹴りを打とうとしていた。
「由香里。やめよう。何人かこっちを見てる」
「そうやっていっつも冷静ぶって! それじゃあさ、篤はさ、砂羽と同じ考えなんだ……いつまで経っても殻に閉じこもったまま。なんのためにこんな遠くに来たの?」
「由香里!」
小さいながらも、確かな怒気をはらんだ声だった。次の瞬間、教室全体をさっと見渡したなら、
「よかった。本当によかった。昼休みが騒がしくて。由香里がせっかく頑張ってくれたのに無駄になるところだった。ごめん」
言い争っていた相手に笑ってみせる。
かくいう俺は耳を澄ませていた。
「……大丈夫。誰にも聞かれてない。途中からは聞こえないようにしといたから」
「……」
由香里は、すっかり押し黙ってしまう。
俺は、ダメ押しとばかり、
「やめにしよう。どっちの考え方も、その……一理、あるだろ」
篤は席を立った。由香里の顔を見ている。
「由香里。言い過ぎた、ごめん」
空気が重たい。一理ない、ということだろうか?
すると、砂羽が身を乗り出すようにして、
「わたしもごめん。でも、由香里。今しか言えないと思うから、言うよ」
そして、ボソボソとした声の調子で、
「わたし、ここに来てよかったって、思ってない。あんなことしなくてよくなったけど、生活が苦しくなった。みんなの家にも、ガスとか水道とか通ってないんでしょ? ご飯は少ないし、何日かに一回しかお風呂に入れないし……もういやだよ」
か細い声。気持ちを伝えようとしている。
「それに……この近くに、あの
「砂羽。心配ないよ……ないから」
篤だった。重たい呟きとともに心に寄り添おうとする。
「もういいだろ。考え方が違ったって」
だめだ。月並みな言葉しか出ない。
「だからだよ」
由香里がささやいた。いずれか知らぬところに視線をやりながら。
「新しい出発、したんだよね。あたしたちは。だったら、ここをいい環境にしようよ。自分達の力で。待ってるだけじゃ、環境は苦しいままだよ。ねえ、みんなと仲良くなろうよ。今日、ついに最初の一歩を踏み出すことができたんじゃない!」
予鈴が鳴った。俺は食べかけのおにぎりを見下ろしていた。
その一部が床に落っこちている。椅子の下に。けっこうなサイズだ。
拾い上げて俺は、口に運ぶ。
「……」
ホコリの味がした。じゃり、という音が耳内で響く。
* * *
今週は、正面玄関の掃除当番だった。
先のちびた竹箒。ないよりはマシだが、いかんせん性能が悪い。
「なあ、由香里。さっきのことだけど。ごめん」
「なんのこと?」
「味方、できなくて」
「ほんとにそう思ってる?」
じっと俺の目を見ている。すぐに堪えきれなくなって……目を逸らしてしまう。
「ほら、やっぱり。ゴメンだなんて、そんなこと思ってないんだ」
「ああもう、そうですよ! どうせ上っ面でごまかそうとしてましたよ! すいませんね」
「でも、気遣ってくれたんだ」
あらためて、その瞳を見つめようとする。なんだかヘンだ。いつにも増してこの、どぎまぎとした感じ。
「遣われても嬉しくないくせに」
「うん! 嬉しくない」
満面の笑み。
「由香里はさ、強すぎるんだよ。なんで、どうして、そんなに平気なんだよ。こんな針のムシロみたいな環境で……ん?」
悪寒がする。
「あ~、ついに本音を出したな~! 無理しなくてもいいんだぞっ、それっ!」
悪戯っぽく笑いながら、竹箒で俺の背中を小突いてくる。
「出してねえし」
「出してたし~! なーんだ、渉も仲良くしたいんじゃん!」
「違うって、そういう意味じゃ……! あっ」
誰かの影。東の門から入ってくる。
「あれは」
その影は、先日、パンジーの種を植えたばかりの花壇で止まった。
花々に目をくれたなら、さっとひるがえって、俺たちがいる正面玄関の方へと。
「おい、由香里。あれ」
「……!」
なんだ? 由香里から漏れ出ているこの感情は。
そのまま影はこちらへと。あれは……!
「おーい、集!」
手を上げて挨拶を返す。集は、やや早歩きになった。
「先週ぶりだな、ふたりとも」
「集、よく学校に来るのか?」
「たまーにだな。届け物とか。今日は別の用事だ」
「へえ、どんな」
「ヨウジンケイゴだ」
「へえ! どんなことするのか教えてくれよ」
「渉! もういいでしょ」
ここで、由香里が割り込むのだった。
「なんでだよ。俺達の恩人じゃないか」
「恩人?」
「集が花壇づくりを手伝ってくれなかったら、今日みたいに合同班になるのだって、夢のまた夢だったんだから」
「……それは」
恨めしそうな面持ちになる。
「三良坂さん。ちょっといいですか」
ようやく、集の方を向いて話し出す。
「先日は渉がお世話になりました。でも、今は掃除中なんです」
「あ、そうだな。見てのとおりだよな。ごめんごめん! 時間とらせて。また今度な」
手を振りながら正面玄関に入っていく。俺はその歩く姿をまじまじと見ていた。
「あたし、あの人きらい」
「なんで? いい人だろ」
「そういう問題じゃないのよ……あれ、渉?」
「……」
まただ。
また、悪寒が襲ってきた。ナニカが来ている。
「どうかしたの?」
「なんか、変な感じがする。西門からだ。あっちの方は、篤と砂羽が掃除担当だったけど……いやまさか、あのふたりがこんな不穏な
「あたしも感じた。いま」
由香里の目線の先。それは、確かに西側の校門だった。
でも、違う。この感じは、篤でも砂羽でもない。
「……あれか」
校門付近に、三名分の人影が現われた――遠くからでもわかる、これは圧倒的というやつだ。こちらの方に歩いてくる。
初老くらいの男性の両隣に、それぞれ若い男女が附いている。
「……」
考えている間に、俺達のすぐ近くにまで辿り着いてしまう。
「……」
この三人は、お客さんだ。俺と由香里は、おおげさに道を開ける。
ただ、じっと待つ。じっと……。
やり過ごしたいと願う。
「……」
わずかに顔を上げると――目が合ってしまった。女の方と。
なにやら気まずい。目線を逸らす。
「あら? あんた、どっかで見たことある」
パンク? な髪型の女だ。
額から頭頂部に至るまで、ツンツン頭のショートカット。かと思えば、もみあげのあたりからツインテール? が伸びている。
「覚えてる? 景山よ。山野辺の
「ええと、たしか……秋の奉納祭りで……太鼓、教えてくれたような」
「そうそう! でもさ、なんでこんなところにいるわけ? ここ、備後国府町でしょ? あ、確かそう、ハッピーマウンテン市と合併するあたりで引っ越したんだっけ? それならさ」
「おい。喬木様の前だ」
男の方だ。無骨な感じだった。上背がある。
「ごめんね川上。ちょっとだけ」
同僚にそう告げた後で、
「すいません、喬木様。ちょっとだけいいですか? 同郷なんです」
喬木というらしい、六十過ぎほどの男に寄っていく。
角刈り風の髪型だった。スラリとした長身、灰色調のスーツがばっちり決まっている。
――部下の要望に応えるかたちで、その手を右胸の前に掲げる。「よい」というサインだろうか?
「同郷か? わかった、好きにやれ。わしは公務を済ませてくる。校舎内では別の警護を頼んである」
「喬木様。オレと景山がいれば十分でしょう?」
「そーですよ。わたしと川上のふたりもいれば」
「……!」
やり取りの間、喬木という男の表情がわずかに歪んでいた。この二人は主人の顔を見ないのだろうか?
「どういう意味じゃ? それは」
苛立ち。この男が示した感情。空気が変わる。
「それはなんじゃ? 安心ができるということか? お前たち、訪れたこともない場所で、どういう根拠があってそんな無責任なことが言える」
「! それは」
「え、ええーと……」
口をつぐむ。
「会議に参加した人間が刺客だったらどうする? どうやって責任を取るんじゃ?」
両者、何も言わない。心の底から後悔している顔つき。
「ここは学校。わしらがイニシアチブを持った領域ではない。餅は餅屋、ということだ」
「す、すいませんでしたっ」
景山がさっと頭を下げる。
川上と呼ばれた男が主人の傍に寄った。
「喬木様、恐れ入ります。誰が、いったい誰が警護役を勤めるかだけでも教えていただけませんか」
「ふむ……」
「あ、喬木議員。お疲れ様です」
――集。集だった。
玄関口からヌッと現われた。スリッパを持っている。
「いつもお世話になっております。本日は宜しくお願いします」
俺は例の二人の方を見た。見るからに気圧されている。
「あちらが……喬木議員の
集はそう言いながら、ふたりの方へと歩いていく。
「初めまして。この度、喬木議員の警護を勤めます、ハッピーマウンテン市教育委員会、教育総務課の――」
自己紹介を終える前に手をかざしたのは、川上だった。
「いや、いいんだ! あんたほどの人がオレ達に気を遣わなくても」
景山は、川上の後ろに隠れているような、いないような。
「わかりました。では、喬木議員。こちらへ」
よく見ると、その手にはスリッパのほか、靴ベラも持っている。
集に導かれて、喬木が玄関に足を踏み入れようとする――振り向いた。
「川上。景山。恥になることはするなよ」
「かしこまりましたっ!」
恭しく敬礼をする。主人が校内に入ってしまうと、敬礼を解いて、
「さて、それでは」
川上が俺たちを見た。何歩分かこちらへと。
無意識だった――俺は由香里を守るように立ち塞がる。
「思い出したよ、お前たちのことを……景山よ。そいつらは故郷を捨てた連中だ。三年前に、道ノ上覚という者を中心にして、いくつかの世帯が山野辺を離れた」
『逃げたんじゃない』と叫びたかった。背後に、由香里の激情を感じる。
「あ、そういうことだったんだ! ウチ、知らなかった」
「構ってやるな。こいつらは負け犬だ。
……まずい。これ以上は由香里が俺の前に出てしまう。
「あんたら、どうしたの? 弁解したっていいのよ? 別に負け犬でもいいじゃない。逃亡には成功したんだから。でも、あんたたち、あんまり楽しそうじゃないわ。ねえ、知ってる? 逃げ出した先に楽園なんてないのよ?」
「……掃除に戻ります」
俺は踵を返そうとする。
「どうした! 悔しいのなら力を示してみろ……オレ達のルールは覚えてるだろう?」
俺は呟いた――すぐ後ろにいる由香里に対して。
「由香里。頼むから何もするなよ。この連中の意図はわかるだろ」
言った直後、景山がにじり寄ってくる。
「ねーねー、とにかくさ、あんたらはこんなところで消耗してるってわけね? 最後に忠告しといてあげる……そうね、よく考えたら、あんたって悪くないわ。あんたじゃなくて、親の方が低能チキンだったって話よね。ええと、なんだっけ、そうよ……『児童虐待を受けた子どもに責任はありません』てやつね。新聞折込に挟まってた広報誌に書いてあった」
背中に圧を感じた。由香里の手が触れている。
……涙。悔しさの感情だ。ああ、皮膚を握るなよ。痛い痛い!
「はあ~あ」
ワザとらしく、ため息を吐きながら前に出てみる。
「あ、そ~だ!」
アホみたいな声だな。我ながら。
「どうしたの? 道ノ上渉くん……えっ? なに……これ……」
景山は硬直している。俺の能力で視界を盗ってやった。
――すぐさま走り出す。その脇を抜けようとして。
思い知らせてやる。
「どうだ、見えないだろ――!?」
抜けた! と思った。思っていた。その矢先、景山のつま先が俺の足首を捉えていて――
「うがっ!」
すっ転んでしまう。
「痛、くっそ……あ、ぎ、ぎああああぁッ!!」
「キャハハッ! こいつ、煽り耐性なさすぎじゃない?」
ヒールの踵。それが右手の指の付け根を踏んづけている。
「うわ、だっさ、こいつ! ねえねえ、大人に手を出しちゃだめだよね。あんた、いまウチらの目、見えなくしてたでしょ~? なんて珍しい
「あぁ、ぐ……う……」
痛みが引いた。ヒールが浮いたから――
「がっ! い、いぎああああああああああぁぁッ……!」
直後。ヒールの踵で踏み抜かれる。
「いい? 目が見えなくても、ひよっこを転がすなんてわけないの。あ! そうだ……ねえ、ほかの生徒にも見てもらおうよ。ほらほら、何人かもう集まってきてる!」
俺は目を閉じている。痛みを紛らわすために。
でも、わかる。こいつは嬉々として俺を見下ろしている。
「基本的人権ってやつの適用除外でよかったわ。ほんと、さまさまね」
「景山よ。待て。これ以上、生徒連中が駆けつけることはない……わからないか? 微かではあるが、こいつからまた別の
「へー、
ジャララ、という勾玉同士が擦れる音。
「こんなクソみたいな石で
……痛い。とにかく痛い。
「う……う、あぁ……クソッ!」
「『クソ』じゃねーだろうが、年上に向かってよぉーッ!!」
「うぎぃ……!」
骨が軋んだ。真っ赤な激流が駆け巡る。
畜生、畜生、畜生――
「おい、景山よ」
呆れたような声色だった。
「俺はそこで煙草を吸ってる。早めにしろよ」