月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#05:視界ゼロの海に落ちて(後)(1/2)

「ぎ、い……あぁ……!」

「なに叫んでんだよ。おねーさん達に生意気な態度とってごめんなさい、だろぉ? おい、さっきなにしようとしてたんだっけ? 大人に暴力ふるおうとしたんだよなあ、クソジャリがよお。生意気に」

「……」

「なんか言うことあるだろ? ほら、負け犬みたいにワンワンって、鳴いてみなよ」

 

 痛すぎてそれどころじゃない。

 ……考えろ、道はある。でも、まずは、変数を……変数を、作り出す……。

 

「……わん、わん」

「アハハハハハハッ! こいつ、本当にワンワンって鳴きやがったっ」

 

 快哉して、この女は由香里の方を向いた……と思う。

 

「ねえ、女の子。あんたも大変だね。こんな低脳ゴミクソチビ野郎なんて友達にもってさ」

 

 由香里は、黙っている。

 

「もしかして、彼氏とかだった? こんな弱い奴やめといた方がいいよ~」

 

 由香里は、黙っている。

 

「なによ、その顔。いやいや、冗談よ。そんなに恐い顔しないでったら~!」

 

 由香里は、黙っている――多分、心のなかで笑っているんだろう。

 この女の愚かさを。

 

「景山さん、でしたっけ? 足元、ご覧になってください」

「……え?」

 

 鉄の味が口内を支配している――唇の裏側にあるもの、すべて。前歯から奥歯まで、しっかとこの女の足首に噛み付いている。

 

「! てめえぇーっ、なにしやがったっ!」

 

 大したタネはない。俺が噛み付いている部位の感覚を失くしてやった。

 絶叫とともに俺を振りほどこうとしている。死んだって離してやるもんか。

 

「このガキッ!」

 

 が、ついに肩に蹴たぐりが命中した。引き剥がされる。

 

「……!」

 

 サッと身を起こして後退した。景山の方を見やる。

 

「……チッ!」

 

 舌打ちをしたのは景山じゃない。由香里だ。俺の方に歩いてくる――追い越してしまう。

 景山と対峙した。開口一番、

 

「この度は、真に申し訳ございませんでした」

 

 が、お辞儀はしない。

 

「おそれいりますが、お引き取りください。傷が浅いうちにお退きになることをお勧めいたします」

 

 顔が笑っていない。

 

「許すわけねーだろ、ボケッ。こうなったら本気でやってやるよっ」

「……寒い?」

 

 思わず身震いをする。なんだ? 何が起こっている?

 

「霧?」

 

 凍てついた……凍てついた霧が、拡がっているッ! あっという間に、この周辺を包み込んで――

 

「由香里!」

 

 まだ、なんとか視界は生きている。

 

「なんだよ、これ……」

 

 景山が右手を振り上げるのが見えた――たちまちのうちに集まっていく冷気。やがて、それらは塊となって、

 

大気の氷精(ブルーブレイカー)ッ! どうよっ」

 

 女の右腕、その延長線上に氷柱のような剣が生える。

 

「くらいなっ」

 

 剣を振り上げて向かって来る。

 さて、どうする?

 

「待ってください!」

 

 由香里の声がする。

 が、躊躇はない。氷の剣の矛先は、前方にいる由香里へと――

 

「由香里!」

 

 すんでのところで回避する。俺が声を出す前に真後ろに跳んでいた。

 

「ちょっと、そこの雑魚。さっきからうるさいよ。あんたも斬ってやろうか?」

 

 どこだ? 霧のせいで視界が怪しい。

 ……見つけた。景山は微かにしか見えないが、角度的に由香里だけは見える。

 

「ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」

 

 再び謝罪に出る。今度はしっかりと頭を下げている。

 

「本当に、すいませんでしたっ! 今後は、このようなことがないように注意を徹底してまいります。どうか、どうかこの度の件についてご配慮くださいますようお願いします」

 

 景山は不敵な笑みを浮かべている。

 

「そこの美人さん。ちょっといい? ウチね、難しい言い方わかんないの。もっと簡単に言ってみ?」

「……彼を諦めてください」

「だめえぇ~~ッ! こいつは、これからウチが家に持って帰ってぇ~、いろんなことして遊ぶんですぅ~~!」

「どうしたらいいですか?」

使用者(エッセ)なら、わかるよね?」

 

 睨みあう両者。視線をカッチリと合わせている。

 

「おい! 煙草の火が消えちまっただろう」

 

 割り込んできたのは、さっきの川上という男だった。霧が薄くなっていく。概念力(ノーション)を解除したのだろう。

 

「お前たち。さっきも言ったとおりだ。こっちの意図は伝わってるよな? 戦いがしたいんだよ、戦いが。オレたちはプロだ。この道をギブアップしたお前さん達とは違う……いいか? 少しでも多くの経験と知識が欲しいんだよ。これから生き残っていくための! さて、そこの女。お前がどうしても戦いたくないなら、こいつを解放してやってもいい。ただし、その場合はお前さんに来てもらう」

「……」

「無論、オレ達に勝てば話は別だ」

 

 男は、にやついている。

 由香里は何も言わずにいる。

 

「……あー、わかった、わかったよ。ハンデ無しというのは酷だろうからな。この女、景山秋実に一撃当てられたら勝ちでいい」

「決まりですね」

「おいっ! 由香里」

 

 由香里は振り向いて、どこか悟ったようなスマイルを俺に向けた。まっすぐ、景山の方へと。

 右手の人差し指が天を向いていた。心なしか左右に揺れている。

 

「ちょっと、あんた。言っとくけど、女だからって手加減しないよ? 歯とか折られてもいいなら、好きにおいで」

「そうですか? じゃ、遠慮なく」

 

 景山に近づいていく。

 

「阿呆な子……え!?」

 

 この戦いの部外者となった俺にもわかる――景山は動けないんだ。

 由香里はどんどん近づいていく。右手の指の振れはさらに大きく。

 

「お前、なにしやがったっ」

 

 女のすぐ前へと至る。

 

「どうかしました? 年上さん」

「……」

「あたしの勝ちですね」

 

 景山に触れようとする。

 

「引っかかったね、このアホッ!」

 

 速いッ!

 回し蹴り。その右足を、地面に固着した靴から抜きながら蹴りを放っていた―― と、俺が認識したその時、すでに由香里はいない。

 読んでいたのだろう。身を屈めている。敵人の残った片足を両手で掴んだなら――押し倒すッ! 見事、尻餅をつかせることに成功する。

 

「ぐっ……ああ、もう……ウチの負けかよ……くやしい」

 

 悔しがる景山をよそに由香里は立ち上がり、こちらを振り向くのだった――満面の笑みとともに。

 

「はっはっはっ! よくやったな……認めるよ。景山の負けだ」

 

 川上だった。大げさな拍手とともに近づいてくる。

 由香里は俺の隣に走り寄って……手と手が触れる。

 

「いったいどうやったんだ? オレに教えてくれよ」

「企業秘密です」

「そうか、残念だよ」

 

 由香里の手の温もりが伝わってくる。

 

「改めて。オレは川上という。どうだ、記念に握手をしてくれないか」

 

 差し出される左手。

 由香里は、恐る恐る、左手を差し出そうとする――止まった。

 いったん止まったものの、またゆっくりとその手を川上に近付けていく。

 握手、成功――ああ、わかった。そういうことか。

 由香里は眉をひそめながら、

 

「どこまでも汚いんですね」

「……なんだと?」

 

 川上が舌打ちをする。握手は離さない。

 

「あなたのそれって、系統的に魔術じゃなくて魔導……ですよね? それ、使ってる時って、大気中を舞っている原子とか、分子とか、あと、電子や陽子の状態とか、どこまでイメージしてます? 例えば、真空状態とか……あれ、もしかしてあたしの声、聞こえてないですか?」

「……!」 

 

 男は途端に息苦しい様子になる。

 別に、由香里は騙し討ちにしたわけじゃない。今しがた、この川上という使用者(エッセ)から感じ取ったんだ――殺意を。

 でも、このままじゃまずい。距離が近すぎる。『由香里、逃げろ!』と叫ぼうとするが叫べない。かくいう俺も息が苦しい。

 

「ぐ、……え……ゲ、ゲホッ、ゲホッ!」

 

 川上は、握手をしていた左手を切り離すとともに足を振り上げる――ゴッ、という乾いた音――放たれた上段への前蹴りが由香里の額あたりに命中する。

 

「あ……ぶない……!」

 

 傾いた由香里の体を抱き止める。

 

「ゆ……かり……」

 

 どうしたって酸素が薄い。俺の眼が憎悪とともにこいつを睨んでいる。

 

「……て、めえっ、ぶっ……殺してやるっ!」

「ぬんッ!」

 

 ――濁った風。身体が、身体が押さえつけられているッ! 動けない……由香里を抱いたまま膝をつかされる。

 

「……」

 

 由香里を見る。

 鼻血が出ていた。悔しそうな面持ち。肩で息をしている――発動した本人にしたって苦しい空間に違いない。

 川上に目をやると、喉元を押さえていた。苦悶に満ちた顔つきで。

 

「渉。ごめ……んね」

「なんで、お前が謝るんだよ。俺が、俺が――あぐっ!」

 

 血。血が流れ出ている。

 真上の方向からの風の刃――!? 肩と膝頭が切られたみたいだ。

 

「ほんっと、馬鹿ねえ」

 

 景山の声がする。いつの間にか俺達の後ろに移動している。

 声の調子は良さそうだ。それなりに離れているのだろう。

 

「どうして握手なんてしようとしたの? 山野辺で、聚落(じゅらく)で、あんた達はいったい何を学んできたの? こうなったら詰みよ。川上が操る大気の刃で、そのまま切り裂かれてなさい……て、おーい、川上! もう、ほかの生徒がこっちに気づいてる。軽く二〇人はいそう」

 

 ――感覚を研ぎ澄ます。

 

「……」

 

 西門の側には掃除を終えた生徒らがいる。こっちの様子に気が付いている。

 一方で、東門にはほとんどいない。大丈夫だ。でも、そのうちに感付くだろう。

 

「がぁッ!」

 

 風の刃が肉体を切る。背中、首元、胸、上腕、ふくらはぎ。ロクに動けない状況でありとあらゆる箇所が切られていく。

 

「うおっ!」

 

 頭を直撃していたであろう一撃を回避する。身体の随所に血が滲んでいる。

 

「……」

 

 由香里の顔を眺める。目が合った。

 目が合っただけなのに、一瞬で自分が何をすべきかを理解する。

 顔を上げた。まずは敵の姿を捉える……すべてはそこからだ。

 

「う、ぐ、おおぉ……!」

 

 男の息苦しい姿が目に映っている。

 そうだ、どっちにしたって苦しいんだ。俺達だけじゃない。あとは……視野を広げてみよう。

 ……わかった。ようやく。

 今まさに、また別の印章(シンボル)が漂ってきている。すなわち、誰かが発動させたであろう、これとは異なる概念力(ノーション)が今この場に現出しているということ。

 篤? いや、砂羽か? とにかく、誰かがこちらを援護しようとしている。

 

「おい、由香里。おいったら!」

「は、はぁ、あ……!」

 

 呼吸が荒い。首元には風による切り傷が。流血している……庇ったつもりだったのに。クソッ!

 拳を握り締めて正面を見据える。

 誰が概念力(ノーション)を発動させようとしている? わからない。でも、この感じは……感じたことのない質料(ヒュレー)だ。

 ……誰にしろ、このまま動きがないんなら。やるしかない。

 

「決めた。アレをやる」

 

 その時だった。

 パアンッ! という、固い床に濡れた雑巾を打ち付けたような音とともに――濁った風が消えた。視界が開ける。

 

「なんだ? 何が起こった? ……ウッ!」

 

 目の前には、人間の形をした物体が――石畳に突き刺さっているような、へばりついているような。そう、まるで、車に轢かれた犬や猫がアスファルトにこびりついている。そんな物体があるだけだった。

 

「誰だ?」

 

 いったい誰だ? こんな概念力(ノーション)を放ったのは。

 

「ああ、川上、川上ぃ!!」

 

 ――絶叫。切り裂かれるような心の叫びが伝わってくる。

 

「まさか、生きてる?」

 

 その物体は折れた腕を必死に伸ばそうとしている。 

 

「渉! 渉ッ!」

 

 何者かが走り寄ってくる。これは、そう――

 

「砂羽!」

「やったぁっ♪ 殺せちゃった~!」

 

 砂羽だった。

 

「見てみて、渉。アレ、骨と内臓が剥き出しになってるよ♪ 駆逐数1ポイントゲット! これで累計1,435ポイント! うち使用者(エッセ)の数、ちょうど1,000ポイント……ねえ、渉。もっと敵いないの? 今度は、手二本と、足一本もぎ取りたい! 足が一本だけ残るんだよ! 一本だけ。なんかそれって、逆ミロのヴィーナスみたいでかっこいいでしょ? あ、まだいる! 残ってる! あのメスの手足、一緒にもぎ取ろうよ。それで、もぎ取ったら死体処理屋さんに持っていって、お金もらって、帰りにまた四人でラーメン食べよう?」

 

 朗らかな笑みを浮かべている。

 ……これは、ただの笑顔だ。感動に満ち溢れた恍惚だとか、頭がおかしいんじゃないかってくらいのスマイルだとか、嬉しすぎてよだれを垂らしているとか、そういうんじゃない――あれは、いつもの笑顔の範疇に入る。

 

「さてと」

 

 俺は、拳を握りしめると、

 

「あうっ!」

 砂羽の頬をひっぱたく。鈍い音とともに体勢がのけぞった。

 そのまま両肩を掴んで、

 

「横尾砂羽っ! 目を覚ませ!」

「ハッ! あ……わたし、また……」

 

 しばしの沈黙が支配する。

 ばつの悪そうな顔をしていた砂羽も、十数秒が経つ頃には、

 

「渉。詳しい話はあと。今は逃げよう」

 

 いつもの口調に戻る。

 

「……砂羽がやったのか。今の」

「半分正解。半分はずれ」

 

 砂羽はそのまま、座り込んでいる俺と、そして由香里の手を取った。

 サッと身を翻して、三人で東門側にある駐輪場に進もうとする。

 

「渉! 大丈夫だったか」

「集!」

 

 集が駆けつけている。スリッパのまま、こちらに走り寄ってくる。

 

「集。さっき、校舎の中に入っていったんじゃ」

「これだけの印章(シンボル)が渦巻いてるってのに、公務どころじゃない。会議は中止にした」

「さっきの重力系統(グラビタス)のやつ、この人がわたしに質料(ヒュレー)を分けてくれたの。だから、あんなに早い時間で強力なやつを打てたの……ふたりとも。今のうちに」

「今のうちにって?」

「だから。逃げるの」

 

 砂羽がそう言って急かす。

 

「……渉、横尾さん。もう遅い。時間切れだ」

 

 諦めの念を漂わせて、集が告げる。

 

「どういうこと……あっ!」

 

 今しがた、集が出てきたであろう正面玄関。

 そこに喬木議員の姿があった。

 茶色い革靴を履いている。ゆっくりと、こちらに――

 

「……お前達。どうしてこうなった?」

 

 部下二名の前に聳え立つとともに、低い声で唸りを上げる。

 景山は、必死の形相で、

 

「そ、そ、それは……あの子たちが、その……山野辺という聚落(じゅらく)の出身なんですが、その界隈でも特に強い家柄の子どもたちで……」

「強かったから負けたと?」

「……いいえっ、ウチが弱かったからですっ!」

「そうか。お前さんが弱かったから負けたんじゃの」

「はい……」

 

 うつむく景山。

 

「川上。お前はどうなんじゃ?」

 

 今度は川上に視線をやる――息も絶え絶えだった。危機迫る形相で痛みを堪えている。

 

「そ、れ……は……不意打ちです!」

 

 辛うじて動いている指先が砂羽と集に向けられる。

 そんな姿を見下ろして喬木は、

 

「……二言はないの?」

「は、はい! し、神聖な勝負を、そいつらが汚したからですっ、ふ、不意打ちで……」

 

 おもむろに喬木は、右手を顎髭にあてる。

 

「ならば聞くが、景山が双手刈りを受けて転んだ時、どうして醜聞を捨てて助けてやらんかった? あの時点で敵の巧さは悟っておったろう? なあなあで収めればそれで済んだろうに」

 

 見るまでもない。川上の顔は絶望に覆われている。

 

「それはそれとして。あちらの女子との戦いについてじゃ。お前さん、握手の時、不意打ちの風刃であの子らを切ろうとしておったのう。問題は、周囲の真空化によってそれが使い物にならなくなったあの時じゃ。あの子の顔を、その靴底で蹴り飛ばして優勢に立っておったのう……川上よ。なぜ、さっさとトドメを刺さんかった? 真空化の効力は半減しておった、ある程度は風の刃も通る。ならば、全力をもってあの女子の心臓に風のナイフを突き立てておれば、お前の勝ちで終わったものを。どうして嬲り殺しにする方を選んだ?」

 

 川上の震えが止まらない。

 

「お前、わしに嘘をついたな。不意打ちなどではない、お前が油断したからこのような結果になった……さてと」

 

 倒れ伏している川上のすぐ傍に寄った。

 

「待ってください! 喬木様、お願いします。ウチの唯一の同郷なんです、おねが――も、申し訳ありませんでしたっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ」

「景山よ。これが目に入らんか?」

 

 かざした手には、長さにして二〇センチはあろうかというニッパーが握られていた――刃先に無数の血がついている。

 

「ひいぃッ!」

 

 景山が腰を抜かす。川上は土下座に近い状態で頭を下げるばかり。

 

「……!」

 

 俺は今、喬木の足が振り上がろうとしている、と感じた。

 その瞬間に、靴底が川上の首を踏み潰していた――べキィッ! という、ある意味快活な骨の音が響いたなら、周りのざわめきは最高潮に達する。すでに五〇人以上は集まっている。

 ……当の本人は、今殺したばかりの男の亡骸を見つつ、澄ました面持ちを保っていた。

 

「さて。侍衛(プレシディオ)が一人いなくなった以上は、また転職エージェントに当たる必要があるのう。どこにするか……おお、大事なことを忘れておった……景山、もう一人欲しいか?」

 

 景山は震えた顔で亡骸を見ている。何も答えない。

 

「どうした。いらんのか」

 

 無言で、うんうんとうなずく。涙が滴っている。

 ――喬木が俺達の方を向く。

 

「三良坂くんよ! 今日の会合はもうナシなんじゃろ。また案内の手紙を出してくれ」

「わかりました。早い日にちをセッティングしますね」

 

 ……集の声がよく聞き取れない。周囲が騒がしいから。

 

 「人殺し」「またあいつら」「追い出せばいいのに」……様々な声が聞こえてくる。

「おお、忘れるところじゃった。そこのふたり」

 

 これで終わりじゃない。喬木は俺たちの傍へと。

 正直、凄まじい迫力だった。緊張の一瞬――

 

「よくがんばっとったの。一般人(エンス)しかおらん環境に来てみて、どうじゃ?」

「あの、まあ、元気で……」

 

 とは言いつつ、俺はこの人のことを知らない。この人は知ってるんだろうか?

 

「喬木議員、すいません」

 

 由香里だった。ティッシュで鼻を押さえながら会話に入ろうとする。

 

「おかげさまで平和に過ごしています。その切はどうもお世話になりました」

「ゆっくり休みなさい……もう三年か。早いものじゃな。少年よ、苦しいことはないか?」

「大丈夫……です。おかげさまで、その……友人に恵まれてます」

「それはよかった……うん、なら、もうええ。じゃあの」

 

 一瞬だけ。

 ただ、その一瞬だけで、喬木一行という空間要素のひとつが消えた。

 見ていた者たちは何事もなかったように校舎に吸い込まれていく。こちらを見ている者は、もういない。

 俺達は三人で固まっていた――由香里が肩に寄りかかっている。鼻血が止まっていない、ティッシュで拭いてやる。

 

「!」

 

 ふいに、また別の印章(シンボル)を感じる――!

 

「みんな伏せろ!」

 

 俺は叫ぶとともに、由香里を押し倒そうとする。

 ナニカ。燃えたぎるナニカが差し迫っている。わかるのはそれだけ。もう少し、もう少し時間があれば……! 

 その時だった。ガキンッ! という、金属がレンガに跳ね返ったような音とともに――灼熱に燃える槍が玄関前に落ちた。

 バウンドを経て石畳の上に横倒しになった槍。橙色の火がしっかと燃え盛っている。

 

「おーい、大丈夫か!」

「篤!」

 

 真上を見た。

 校舎屋上。落下防止用のフェンスを乗り越えたところ――篤だった。離れていてもわかる。その瞳を、獲物を捕らえるために研ぎ澄ましている。

 

「すぐ行くからな!」

 

 叫ぶやいなや、屋上から飛び降りる――

 いまだ燃え上がっている槍を見る。概念力(ノーション)を解いたことで、あっという間に消えていく炎。

 槍の正体は、長さにして1メートルほどの鉄杭だった。篤が得意とする核熱系統(ニュークリウム)だ。

 再び、上を見る。人間が落ちるにはあまりにも遅いスピードで、篤がゆらゆらと落ちてくる。地面まで残り数メートルまできたところで、概念力(ノーション)を解いてサッと着地を決める。

 

「ずっと見てたんだ。あいつらと戦ってるところから」

「さすが、元班長はレベルが違う」

「もちあげるな。それより、由香里の様子は」

 

 由香里は俺の肩から離れて歩き出す。ぎこちない足取りだが、大丈夫そうだ。

 

「篤。ありがとう、来てくれたんだ。大丈夫よ、もう少し休んだら質料(ヒュレー)も戻るから」

「ならいいんだが。もう私闘はやめた方がいい。使用者(エッセ)にとって、新たな概念力(ノーション)を知るのは大事なことだけど……僕たちは、もう違うんだから」

 

 言い終わると篤は、集の方を向く。砂羽も。俺も。

 由香里は向いていない。

 

「なあ、集。教えてくれよ。さっきの人って」

「なんだ、知らなかったのか? 高木直利。ハッピーマウンテン市議会議員七期目。広島県水平委員会委員長。ここ数十年、破竹の勢いだ。文教族で、若い頃から被差別集落問題に取り組んでいる」

「そういうことじゃなくて……」

「ガチの人だ。子どもの頃に差別を受けたこともあって、一般人(エンス)に対する憎しみは相当なもんだ。水平委員会の言うことを聞かない企業や学校への襲撃も行っている」

「いや、それよりも」

「わかってる。あの人の概念力(ノーション)についてだが……さっき見たとおりだ。喬木議員にとって人間の心というのは、まるで愛着の湧いた機械製品を操作してるようなもんだ」

「……俺、もう疲れたよ」

「よし。頑張った渉くんにご褒美だ」

 

 集はカバンから封筒を取り出す。

 

「なんだこれ」

「今日、ここに来たついでに渡そうと思ってな。渉と由香里さん宛てで」

「……すいませんけど、名前で呼ばないでもらえます? 助けていただいたことには感謝してますけど」

「ごめんよ、汐町さん。今度からそう呼ぶよ。うん」

 

 解散となった。

 俺は、由香里の手を引いて教室に戻っていく。砂羽も、由香里の手を引いている。そんな砂羽の手を篤が握っている。

 ああ、もう。なんだよこれ。

 

 *  *  *

 

「大丈夫か」

「うん、だいじょうぶ」

 

 放課後の駐輪場。ふたりきりだった。

 恐る恐る、由香里の手を取る。氷のように冷たい。

 

「無理、したんだな」

「無理も無理、大無理よ! あの空間、空気をほとんど抜いてやったの……渉も、息できなかったでしょ?」

「いいからもう帰ろう。明日は学校休むんだぞ」

「だめ。せっかく、今日はみんなと仲良くなれたのに……渉だって」

 

 そう言って俺の手を握り返す。

 

「ねえ。今日は一緒に帰ってほしいな」

「なんでだよ! とっくの昔に中学生だろ。男子と一緒に帰るなよ」

「ええ、なんで? たまにはいいじゃない」

「なんでも、だ」

「だからさ、どうしてよ? 幼馴染なんだから、一緒に帰ってもいいじゃん」

 

 俺の方に肩を寄せてくる。

 

「……わかった。一緒に帰ろう。ああ、でも。集からもらった手紙を机の中に忘れてきたんだ。ちょっと待っててな」

 

 ポツンと佇んでいるアルミベンチに由香里を座らせると、足早に校舎内へと――

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