月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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この話のみ三人称視点です。


#5.5【特別編】大嫌いな彼の手(1/5)

「気をつけ、礼!」

 

 教え子の声が響いた。教壇の前にいる女教師は、不揃いながらも一応全員が頭を下げたことを確かめる。

 

「……みんな、今日はよくできましたね。次はもっと上手くできるよ」

 

 ニッコリと笑ってから、出席簿と日誌を持ってスライド扉まで歩いていく。足取りは軽い。

 がやついた喋り声とともに、鞄やスポーツバッグを提げた生徒らが教室を出て行く。

 

「汐町さん、ちょっと待ってくれない」

「なに? どうしたの、安田君……」

 

 夕闇の訪れにはまだ早く、西日が教室の半ばまでを照らしている。

 時計は四時過ぎを指していた。皆がすっかりと3年3組の教室を出て行ったことを確かめるようにして、安田優一は汐町由香里に声を掛けた。

 

「ちょっといいかな。こっちに来て」

「ん……?」

 

 由香里は髪の毛を触りながら、安田の方へと。

 そんな様子を見守っている者が数人いる。宮本、前田、藤原である。訝しげな視線を二人に送っている。

 神部篤と横尾砂羽もそうだった。宿題に励みながらも、その耳は常に由香里の方にあった。

 

「和田先生、今日は礼のやり直しをしなかったね」

「うん。そうだね」

 

 安田の視線は、由香里の瞳を刺し貫くように――女子も、まっすぐに少年の方を見やりつつ、髪の毛をいじっている。残った左手はスカートの裾へと。

 

「安田君。あたしにこうやって話しかけるの……初めてだよね」

「そうかな? ま、いいじゃない。それで、単刀直入で何だけど……」

 

 由香里に近付いた。耳元で何かを呟いたなら、身を翻して教室を出ようとする。

 去り際に、由香里をチラリと眺めると出て行った。由香里は、そんな安田の後を追うような、追わないような素振りを見せている。

 

「なあ、俺もちょっといい?」

「え……!?」

 

 振り向くと道ノ上渉がいた。由香里の方を見ながら首元を掻いている。

 

「あ、な~んだ! 渉、居たんだぁ」

 

 少女の瞳の色が明るくなる。

 

「あ、いや……違う。由香里じゃないんだ。宮……宮……ええと」

「宮本だよ?」

「そうだ、宮本さん!」

 

 ガンッ! という物音がした。由香里が傍にあった机を蹴飛ばしていた。

 顔も向けず、早歩きでスライド扉に向かい、廊下に出てそのまま消えた。

 

「なんだ? あいつ……」

「道ノ上くんこそどうしたの?」

「宮本さん。俺達日直だろ。和田先生から言われてた例のやつ、宮本さんも待って

るんだよな?」

 

 宮本は、ボブカットを軽く振り回すようにした。

 

「受験対策プリントのホッチキス留めだっけ?」

「そう、それ」

 

 むず痒い微笑み。宮本の視線が床に落ちる。

 

「は? ナンだよ、それ……ちょ、宮本さあ……あ、いや。和田センセならしょう

がないね」

 

 藤原が声を上げる。つい言ってしまった、とばかり罰の悪そうな顔つきになる。黒めの肌。歪んだ口角が滲んでいる。

 

「そーゆーこと! 藤原、今日はオレと帰ろうぜ」

 

 前田が大きな声を響かせると、藤原は顔をブンブンと振った。

 

「いーよ、一人で帰る! 塾だし!」

 

 安田がくぐったのと同じスライド扉を開けて帰っていった。後を尾いていく前田の姿もある。

 宮本と、渉が向き合った。距離にして一メートルほど。

 ……春の終わりの陽気が教室を照らしていた。光と影との境界線を跨ぐようにして、少女は少年がいる影の方へと入り込む。

 

「道ノ上くん。行こっか、私たちも」

 

 渉の肉体が寒気に震えた。背後からの視線――篤と砂羽のものを受けて。

 

「どうしたの? 早く早く。作業場所は理科準備室でしょ」

 

 *  *  *

 

 バチ、バチッというホッチキスの音が理科準備室に響いている。

 二人は樹木の植生についての三枚綴りの資料を綴じていた。渉の視線の先には一枚目の資料がある。

 

「この写真の樹木の中で……?」

 

 ホッチキスの音が止まった。渉のものだけではない。

 

「道ノ上くん? さぼっちゃだめだよ」

「悪い」

「……理科、好きなんだ? じゃあ問題。『この写真の樹木の中で、切り株だけになっても再生するのはどれでしょう』だって」

 

 渉は作業をやめて問題用紙を眺める。四種類の樹木――モミジ、ヒノキ、カイズカイブキ、マツが並んでおり、その中から正解の樹種を当てる問題が載っていた。

 宮本は悩ましげな視線をプリントに送っている。

 

「こんな問題が受験に出るのかな? 池上先生はこんなの教えてくれなかったよね」

「わかった。これだ」

 

 渉はモミジの絵を指差した。

 

「どうしてモミジを?」

「広葉樹だから。ヒノキやイブキ、マツとかの針葉樹は一回切り倒したら死ぬ。でも、広葉樹は再生する」

「なんで?」

「ええと……確か、そう。眠ってるんだよ、広葉樹は。芽が!」

 

 渉が顔を輝かせる。

 

「大抵の針葉樹って、一年中葉が茂ってる。だから、光合成をするための葉が無くなったら終わりなんだ。またイチから立派な葉を作らないといけないから……でも、広葉樹は咲いて散ってを繰り返すだろ。散ってる間に力を貯めてるんだ。だから、切り株にされても次の年になると枝が生える。それが成長して復活するんだ」

「……詳しいんだね? 正解。でも、理由がちょっと違うみたい」

 

 宮本はプリントの三枚目に書かれた正解を渉に見せた。それをひらひらと前後に振りながら、

 

「渉君、賢いんだね」

「まぁ……その。昔、生活するのに……」

「? 今なんて言ったの」

「なんでもないよ」

 

 むず痒そうな面持ちになった渉は、ホッチキスを再び手に取る。

 それから十数分、ひたすらに紙を綴じる音が理科準備室に鳴っていた。

 さらに時間が経って、すべてのプリントが綴じられた。

 

「よし終わった!」

「まだだよ?」

「え? 全部綴じたよな」

「今度はクラス単位で分類しないと。そしたら、次はこのゴム印『問題用紙』『解答』をプリントの右肩に押すんだよ? って私は和田先生から聞いてる」

 

 窓の外を見た。太陽は夕暮れの色を帯び始めている。

 

「じゃ、渉くん……悪いけど、私帰らないと」

「なん……だと……」

 

 クスリと笑って渉を見た。目が合うと、何秒かの間――微笑とともに顔を眺める。

 

「自転車がパンクしちゃってね? 近所の自転車屋さんがすごく安くしてくれるんだけど、もうお店が閉まっちゃうから」

 

 渉はそのまま宮本の瞳を見ていた。宮本もそうだった。が、最後に視線を斜め下へと逸らす。

 

「ならしょうがない。宮本さん帰りなよ。後はやっとくから」

「え、本当に? ありがと~」

 

 指定鞄を足早に拾い上げて宮本は、そそくさと準備室から出て行こうとする。

 

「ねえ、なんで土下座したの?」

 

 渉の面持ちが強張った。唇を尖らせて眉間に皺を寄せる。

 

「それは――」

「また明日ね?」

 

 去り際、バイバイを告げる宮本に対し、渉は小さく手を振った。

 準備室を出た途端にステップで駆け出した宮本。鞄の中からシルバーの携帯電話を取り出すと、トイレに入っていった。

 

 *  *  *

 

「土曜日、みんなで遊びに行かない? グランカワノベに」

 

 そう言って声をかけた安田。由香里を除く三人は難色を示している。

 3年3組の教室。時計の針は十三時二〇分を指していた。教壇から見て右側、窓際の列に、砂羽、篤、渉、由香里の順で座っている。鬱々とした表情の宮本が、安田のすぐ後ろに佇んでいる。

 渉が席を立った。

 

「安田。今、教室の空気がちょっと変わったぞ」

「みたいだね」

 

 暗い笑みを浮かべた。

 

「宮本ちゃんは予定ないんだって。藤原さんと前田は埋まってるみたいだ」

 

 四人は顔を見合わせる。しばしの沈黙が支配した。

 

「ちなみに、どうして僕たちなんかを?」

 

 篤が質問を投げた。安田が体の向きを変える。

 

「遊びたいだけだよ」

 

 篤は机に肘をついた。

 ……おもむろに砂羽を見る。震えた手で机を握り締めていた。

 安田の方に視線を戻す。

 

「やめた方がいい。僕はオススメしない。安田君だけじゃなく、後ろにいる宮本さんもそうだけど」

 

 一瞬の間があった。

 

「……襲われたら死んじゃうよ。二人とも。わたし達は生き残るけど」

 

 砂羽の声が響いた。低く、重く、しなるように。

 宮本の顔つきが変わった。口角を歪めている。

 

「うん! そ、そ……そうだよ!?」

 

 宮本は、安田の少し前に進み出る。

 

「そうだよね? 行くべきじゃないよね。やめと」

「行こうぜ」

 

 渉だった。軽快な調子で言ってのける。そのまま、ズイと宮本の前へと。

 

「……!」

 

 身長差からか、宮本は見上げるように渉を見ることになる。

 

「宮本さんって、優しいよな」

「……どういう意味?」

「ここに居るってことは、俺達と遊びに行くつもりがちょっとでもあったんだよな? 使用者(エッセ)に関わればどうなるか分かってて。それってさ……勇気がいるよ」

「そんなこと……ないよ? 私」

 

 視線を逸らす。

 

「大人だよ。俺なんかとは全然違う。羨ましいな、宮本さんみたいに優しい人間になりたい」

「ほ、褒めたって何にも出ないんだからね?」

「いらないよ。あ、でもノートは見せてほしいかも。成績いいし、字が綺麗なノートだから」

「えー。渉君、わざとらしいよ。そういうのやめなよ? フツーに寒いから……」

 

 渉君、という発音に残りの三人は何かを感じ取った。

 由香里は足先を椅子に絡め、篤は頬杖を深くした。砂羽の眉間に皺が寄っている。

 

「みんなはどうする? 由香里は行くよな」

「うん……行く」

「篤と砂羽は?」

「僕は勉強があるから無理だ。塾の体験講習があって」

「わたしは……家事がけっこうある」

 

 渉は片目を閉じた。顔を傾けて二人の顔を眺める。

 

「そっか。じゃあ、俺と由香里と、安田と……」

 

 宮本に視線をやった渉。

 

「その三人で行こう」

「なんでよ!?」

 

 ツッコミが入る。

 

「私も行くよ?」

「危ないから止めといた方がいいんじゃない?」

「私、安田君と一緒に学級委員してるんだから! クラスのみんなのこと、考えないといけないんだからね?」

「ははっ、じゃあ宮本ちゃんも決定ということで」

 

 渉は、由香里の顔を見た。はにかむように唇を結んでいる。足の甲をしきりと椅子にこすり付け、引っ掻いている。

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