月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#5.5【特別編】大嫌いな彼の手(3/5)

「あのぬいぐるみ、いつか欲しいね?」

 

 宮本と由香里は女子トイレの手洗い場にいる。

 宮本は、ボブカットの後ろに結んだポニーテールを整えながら声をかける。

 

「あのぬいぐるみだよね。プリンが逆さになったやつ。高すぎよ、5,500円なんて。大人になっても買えやしない」

「え、そこは自信持とうよ?」

 

 由香里は洗面台の鏡とにらめっこしながら、胸襟の辺りに手を突っ込んで服の乱れを直している。

 

「佳奈子、ちょっと胸元が出すぎかな。あたし」

「そんなものじゃない?」

「ふーん、そういうもん?」

「ブフッ!」

 

 宮本は噴き出してしまう。

 

「なにかおかしかった?」

「だってさ? その口癖……そういうもんって……最初は何でもなかったけど、何度も聞いてるうちに……!」

「同意をすると同時に、同意を求めてるんだよ。すごいでしょ」

「へー。それでいつも渉君に同意してもらいたがってるんだ?」

「渉は幼馴染だから……」

 

 自らの手を脇の辺りに近づける形で、宮本が小さく挙手をする。

 

「渉君に興味がある人、挙手してね? ハーイッ!」

「……」

 

 沈黙を貫いている視線が蛇口に移った。透明な水がじゃぶじゃぶと音を立て、排水溝に吸い込まれていく。

 それを見詰めながら、鎖骨に手を当て、自分の中にある草の葉が揺れる音に耳を澄ます――天井に設置してある、まん丸な蛍光灯に目をやった。

 

「あたしさ、例えば……太陽が照ってるじゃない? 照らしてるんなら、それが中心だって思うよね。でも、あたしには……空に破けた穴に見えるんだ」

 

 宮本の顔を眺める。

 

「その穴に、大切なものが空に向かって落ちていくのを感じることがある。そんな時、ふとね――」

「詩人なんだね? いいよ。それ以上言わなくても」

「……いいの?」

「いいよ。だって、さっきの挙手、ウソだからね?」

 

 由香里の右腕が、宮本の胸ぐらを掴んだ。ゆっくりと、優しく――宮本を壁に押しやる。

 ……近づく距離。冷たい双眸(そうぼう)が小柄な女子へと降り注いでいる。

 

「佳奈子。冗談でそんなこと言っちゃだめだよ?」

「……!」

「じゃないと……」

 

 触れそうなほどに唇が接近している。心音が本人の耳まで届いて、鼓膜を刺激し、目頭を熱くし、口角を歪ませる。

 宮本が動いた。人差し指と中指で由香里の唇を塞いだ。

 

「……謝らないよ?」

「うん。自分で嘘つきだって告白したんなら、嘘つきじゃないわ」

「ブフッ!」

「え? 今なんで噴き出したの?」

「だって、それ……私、もうウソついてるし……ウソついた時点でウソつきだし……由香里、寛容すぎでしょ……?」

「そ、そう?」

 

 一瞬、困った顔になって蛍光灯を見上げた。薄ぼんやりとした光の重なりが二人を照らしている。

 

 *  *  *

 

 熱せられた鉄板の前にあるカウンターに、八席ほどが並んでいる飲食店。

 お好み焼きが焼ける香りが店内に満ちる中、安田は水の入ったグラスが空になりかけているのを認める。

 

「はい、安田君」

 

 安田が席を立とうとした時、由香里がライトグリーンの水差しを渉越しに手渡した。右隣にいる宮本のグラスもいっぱいになっている。

 

「ありがとう。由香里ちゃん」

 

 由香里が鉄板の上に視線を戻すと、ほかの三人とは一段厚さが異なったそれが鎮座している。

 

「ハイ出来上がり! 肉玉そばの、もちチーズねぎベーコン乗せ」

 

 齢にして80歳前後かと思われる老婆がお好み焼きを作っている。髪が抜け落ちて、しみだらけの黒ずんだ肌に笑顔がくっきりと刻まれている。

 二本のヘラで、由香里の鉄板の真ん前へと料理を滑り込ませた。

 

「お嬢ちゃん、皿いる?」

「あ、いえ。あたしもいいです」

 

 老婆から見て、右から肉玉そば、肉玉うどん、一段厚めの肉玉そば、肉玉辛麺の順に並んでいる。

 

「みんなの分揃ったね。じゃあ、いただきます」

「食べるの遅くなっちゃったね。あたしのせいで」

「好きなもの頼みなよ。せっかく遠くまで来たんだし」

 

 四人が四人とも、慣れないヘラを使って根気よくお好み焼きを切っている間に、老婆は売上伝票をレジの近くに持って行った。総額欄に2,400円と書いてある。

 安田が手に力を込めて小突くと、なんとか蕎麦を切ることができたようで、これまた慎重に切れ端を口に運んでいく。

 渉は、肉玉うどんを優雅に切り刻んで食べている。後でまとめて生地を食するためか、鉄板の離れた位置にまとめている。

 由香里は苦戦していた。ガシガシとヘラを叩きつけるも、トッピング入りの生地を断ち切れずにいる。口を強引に近づけて大きな破片を掻き込むと、熱さと戦いながら平らげる。

 

「由香里。口に付いてるよ? タレ」

「ん~、ん、あい……がと……」

 

 宮本は、由香里の口元をおしぼりで拭いている。

 ヘラではなく割り箸を使っている宮本に隙はなく、順調なペースで真っ赤に染まった辛麺を食べ進める。

 会話はほとんどないまま、鉄板上の広島風お好み焼きが全員の腹の中に収まった。

 

「あ~、美味しかった。時間もあるし、なんか話そうよ」

「安田。ここ初めてか?」

「いや。下見した所なんだ。まぁ、その……本当は違う店に行こうと思ったんだけどね」

 

 予算のメモをこっそりと渉に示す。

 

「あー、そっか……ありがとう」

 

 宮本は、最後の一口を食べ終えたなら、水をグイと飲み干した。

 

「安田くん? 何の話題があるの。この四人に共通って……」

「ええと、それはだね。例えば……最初に『し』がついて、最後に『ろ』がつくもの。ヒントは三文字」

 

 宮本はムッと頬を膨らませた。渉が片目を閉じて安田を一瞥する。

 

「進路かぁ。安田君は国府高校だよね? 佳奈子は旭学園」

「なんで知ってるの?」

「こないだ教室で話してたよね」

「うわ、由香里。『千里眼』なんだね?」

「そうなの。『千里眼』なの」

 

 誰もが反応にあぐねる間隙を縫って、安田が声をかける。

 

「渉くんと由香里ちゃんは?」

 

 渉はヘラで鉄板をグリグリとやっている。考えあぐねている様子だったが、おもむろに口を開こうとする。

 

「俺の進路は……」

 

 唇をすぼめて眉をひそめた。

 

「……決めてない」

「うーん、あたしもかな」

 

 由香里が元気なく返事をすると、宮本がその指先を小突いた。

 

「わかんないよ? 由香里って、たぶん私より成績いいよね。こないだ、ちらっとテストの点数を覗いたの。六教科くらい見たけど、ぜんぶ80点越えてたよ?」

「卒業したら、とりあえず親の手伝いでもしようかな……」

「由香里? なんでそんなにヒクツなの。わかんないよ」

 

 渉は鉄板をヘラで突いている。

 

「例えば、五年後に生きてるかどうかもわからないから。俺達は」

 

 二人とも言葉を失った。安田は難しい顔をして水を飲み干す。

 一方、宮本は、

 

「それこそわからないよ。一般の仕事に就いたらいいんじゃない? なにも、人をこ」

 

 言いかけて留まる。店内の空気を察すると、安田と同じく水を飲んで場を濁すのだった。

 

 *  *  *

 

 四人はゲームセンターに戻っていた。

 階下に降りた時よりも足取りは重たい。由香里が肩に掛けていた鞄を反対に持ち換えると、宮本が真似をする。

 

「あれ、面白そうじゃない?」

 

 安田の視線の先にはクレーンゲームがある。二段階操作でぬいぐるみを取るタイプの機種だった。

 

「宮本ちゃん! これ、好きなやつだよね? たくさんあるよ。挑戦してみたら?」

「え~、Rebirthed-Pudding(リバースドプリン)、確かに好きだけどね? これ、ちょっと難しいよ?」

 

 ゲーム筐体のガラス面に、キャラクター紹介文が刻まれている。

『チョコの部分から、逆さに落とされたプリンの恨みが表現されたキャラクター! 俺を助けてくれ!』

 

「難しいよね。ボクもやったことあるけど、全然だめだった」

「どうしようかな。んん~!」

 

 瞼をしぱしぱと閉じて、開いて。閉じて、開いて。

 宮本は筐体に向かった。200円を投入し、一段階目の横ボタンを押そうとしている。真剣な面持ちで、逆さまになったプリンの人形を見詰めていた。うっすらと涙を浮かべている。

 ボタンが押された。宮本の瞳はクレーンの軌跡を観ている――やがて、目標物に対して垂直な位置で止まった。

 渉は様子を見守っている。

『いいコースだ。間違いない』

 今度は縦方向を見極めるため、宮本はガラスに張り付くようにしてリバースドプリンを捉えようとする。

 二段階目のボタンが押されると、クレーンは着々と目標物に近づいていく。口が開いたなら、逆さプリンを掴み上げて、取出口へと……

 

「あっ!」

 

 プリンは仲間のところに帰った。クレーンの挟み込む力が足りず、取出口の手前で落下した。

 

「もう一回……今度こそやるよ?」

 

 二回目もあえなく失敗する。さっき落としたものを再び拾おうとした結果、今度はクレーンが挟まることすらなかった。

 三回目も、四回目も。

 

「ああ、私のお小遣い……横方向は一回も失敗してないのに……こんなのおかしいよ?」

 

 筐体の中を見渡すことで、最適な角度にあるリバースドプリンを探そうとする宮本。鬼気迫った顔つきで、とある一体を睨んだ。

 

「最後の……200円……!」

 

 ボタンを押した。横移動が終わると、ぴたりと正面につけていた。

 宮本の吐息がガラスに吹きかかる。上下の歯を食いしばった。

 

「……」

 

 そのまま、宮本佳奈子は動かなかった。微動だにしない間にも、クレーンの残り時間表示はゼロに近づいている。

 宮本の瞳は、ますます高まるような強さを秘めて、そして――

 

「……やめた」

 

 その場で筐体に手をついた。

 

「こんなの手に入れてもしょうがないよ? 多分。あ、でも欲しかったかも……」

 

 その時だった。宮本が、渉の存在に気が付いたのは。

 

「渉君。恥ずかしいとこ見せちゃったね? あれ、あの二人はどこに行ったの? ま、いいや。私、ちょっと休んで――えぇっ!?」

 

 宮本は驚きの声を上げる。

 渉が斜め後ろに立って、うなじの後ろから両手を差し込んでいた。右腕に男のそれが乗ったのを認めた時、乳房の端が男の腕に触れる。

 恥じらい。ただでさえ小さな身体を縮こめる宮本を、渉が見下ろしている。

 

「渉君、なにしてるの。セクハラやめてよ……?」

 

 涙声で訴える。

 

「いいんだよ」

「え?」

「失敗してもいい。本気でやれたならそれでいいじゃん……宮本さん、頑張ったんだから」

「あ……!」

 

 渉が残り時間のタイマーに目をやる。

 

「二十四秒か。ま、なんとかなるだろ。うーん……ん!?」

 

 右手は変わらず宮本のそれに乗っている。はらりと揺れた髪の匂いを感じて鼻息が荒くなる。

 

「ひぅっ!」

 

 男の吐息が頭頂部にかかると、女は身体をもじもじさせる。熱さ。鼓動。頬に滲んだ汗。クレーンが動き出す。

 女の口角が歪んだ。みぞおちの辺りを左手で押さえて目を閉じるも、おそるおそる見開いて、またクレーンを見始める。

 

「……」

 

 クレーンが、とあるリバースドプリンに辿り着いた、渉の掌がスイッチから離れて、二秒にも満たない時間。

 小刻みに、揺れながら開いたアームが真下へと降りていく――掴んだ。目標物を。

 逆三角錐の、かなり下の方にアームが引っ掛かり、その体を持ち上げている。危なげな動きでリバースドプリンは宙を舞っている。

 取出口まであと二〇センチというところで、クレーンに挟まれた物体がカタカタと振動する。挟み込んだ箇所がずり落ちている。歪みは少しずつ大きくなる。

 そして、ぬいぐるみは、ズルリという触感を伴って、クレーンから――ずり落ちなかった。

 

「よっしゃっ!!」

 

 右手を取出口に突っ込んで獲物を取り上げる。プリンが逆さまになった不思議な形状のぬいぐるみを。

 

「やったぁ! 渉君すごい」

「ほ、ほら……やるよ。別に宮本さんのためじゃない。俺がやりたかっただけ」

 

 宮本は、渉を見上げるようにして両手を延ばす。俯くようにしてぬいぐるみを手に取った。互いの指の付け根が接触する。

 渉が、目をすぼめるようにして宮本に視線をやると、いつもとはうって変わって自信なさげな瞳と、パクパクと動く口元があった。

 

「ありがとうございます……!」

「可愛くない笑顔」

 

 渉が笑う。

 

「なんでよ? ひどい」

「だって、嘘ついて帰ったでしょ。和田先生の仕事を手伝ってる時」

 

 宮本は口をあんぐりと開ける。

 

「え、なんでわかったの……?」

 

 女の両手を取って持ち上げる。恥ずかしげに視線を逸らすのを尻目に、掌を観察している。

 

「やっぱり。自転車ダコがない。毎日なにかしら棒を握ってると、指の付け根にタコができるのに」

「……うぅ~! 騙されたフリするのもマナーなんだよ?」

 

 膨れ面になる宮本。

 

「ほら、やっぱり可愛くない」

 

 宮本がその右腕にパンチを打った。

 

「痛っ!」

 

 男の顔を見詰める。

 

「渉君のこと、嫌い」

 

 言われてすぐ、渉は少女の手首を握った。

 

「……嫌いって言ったよね?」

「そうは言っても、二人を探しに行かないと。さあ」

 

 二人はゆっくりと歩き出した。体を引かれ、緊張した面持ちで付き従う宮本を気遣うように、渉は歩幅を小さくする。

 宮本は渉の背中を見ていた。

 

「嫌い……」

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