月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#06:「あなたの名前はなんですか?」(2/3)

 五月五日。こどもの日、というらしい。

 俺と由香里は、ハッピーマウンテン市文化会館に来ていた。

 

「……でかい」

 

 見上げるほどの大きさの建物がある。高さにして三〇メートル以上はあるだろう。

 

「でかすぎだろ、これ。市街地の方は違うな」

「あんな山奥と比べてもしょうがないでしょ。こないだも見たじゃない」

「あれは横に広かったんだ。こんなに高くはなかった……はず」

 

 由香里が一歩、前に踏み出す。腕時計を見ている。

 

「集合時間ぎりぎり。早く中に入ろうよ」

 

 暖色系の煉瓦タイルの上を歩いていく。点字ブロックをなんとなく避けつつ、正面入口へと。

 ウイイイイイイ……自動ドアが開いた音だ。

 

「これがあの……かの有名な……!」

「ちょっと。田舎者だってばれるでしょ」

「もうばれてるぞ」

「……集!」

 

 館内を見渡すと、左斜めの方向に利用者受付があった。五,六人ほどの大人がいて談笑している。その辺りから集が歩いてくる。

 

「ふたりとも、おはよう。動員協力ありがとな」

「集。あそこにいる人たちは?」

「渉! 挨拶くらいしなさい……」

 

 しまったと思いつつ、軽く会釈をする。すると集は、

 

「おはよう! 渉。そして、ええと、ゆか……いや、汐町さん。おはようさん」

「……おはようございます」

 

 斜め下へと視線を逸らす。

 

「はは、冷たいな。あー、それで。あそこの受付にいる人たちはな、うちの職員だ。俺とは違う課で、社会教育課だ。今回のメインスタッフになる。で、渉と汐町さんが学生スタッフで、手紙のとおり風船釣りをやってもらう。ちなみに俺は教育総務課。動員要請に応えてる」

「へえ……」

 

 一階フロアを見渡す。

 目前には、階段とエレベーター。右手を向くとガラスケースがある。野球やサッカーなどの記念品が並んでいる。

 左側には広大な廊下が広がっていた。色々な部屋に繋がっているようだ。最奥にはトイレがある。

 ……利用者受付の奥にいくつもの机が置いてある。事務室だろうか?

 

「珍しいか」

「俺、山の方に住んでるから。こんな建物はぜんぜん」

「渉。ここからだいぶ離れてるけど、ハッピーマウンテン市の中心には十一階建てのお店もあるのよ」

「十一階!?」

「はは、よし。そろそろ準備に入ろうか。こっちだ」

 

 俺達は外に出た。

 すぐ脇に立ててある看板には、「親善フットサルフェスタ」という文字が入っている。さらに、「来賓 市議会議員 喬木直利 様」とある。

 自動ドアを出てすぐ、正面の奥に自動販売機が見えた。その脇には、しぼんだ丸型の家庭用プールと空気入れ、ホース。それと長机、椅子が二つ、白い手提げカゴが置いてある。「風船釣り 一回200円」と書かれたプラスチック製の縦看板も。

 近付いていくと、カゴの中が見えた。空気を入れる前の風船と、注射器みたいな形のなにか、輪ゴム、風船を釣るための針金と糸、プラスチックの極小パーツ、これまたよくわからない形状のプラ製の道具、バインダーに挟まった売上表、手提げ金庫、筆記用具……などなど。

 

「由香里、これ」

「あたしもわかんないわよ。どうすればいいのか」

「二人とも。まずはプールを膨らませよう。そのあと、このホースがあっちの蛇口と繋がってるから、プールを水で満たそうな。で、プール作りが落ち着いたら、次は風船を作る。しんどい作業だ。九時までにやってもらう」

「よおし!」

 

 プールの空気栓にエアーポンプを繋ぐ。足で踏むタイプだった。踏むと、スコスコと音を立ててプールが膨らんでいく。

 

「渉。そんな感じだ。ある程度、膨らんだら水を入れていい。さて……」

 

 由香里を見ると、白い手提げカゴから風船を取り出している。説明書らしきものを一瞥したなら、

 

「三良坂さん、教えてよ。これ、説明書があるけど、あたしだけじゃできそうにない。三良坂さん、できるんでしょ」

「いいね。積極性マル」

 

 集はそのカゴから風船をひとつ取り出した。

 

「ああ、そうか。だめなんだ。水がない。おい渉、空気入れるのやめて、向こうにある蛇口をひねってくれ。自動ドアの右手に散水栓があるから。プールの空気は俺が入れとく」

 

 サンスイセン? なんか、以前も聞いたような。とりあえず蛇口があるのだろう、と思う。

 

「はいよ」

 

 自動ドアの方に走っていく。視線は、その右手側へと。

 ええっと、サンスイセン、サンスイセン……。

 

「……ない!」

「あるって。ほら、今踏んでる!」

「踏んでる?」

 

 真下を見ると――すっかりと銅色に錆びた蓋がある。よく見ると「散水栓」と書いてある。

 ……蓋をめくる。中に蛇口がある。ひねった。

 

「そうだ、いいぞ」

 

 集が握っているホースの先から水が噴き出した。足元にあるエアーポンプを踏みながらプールを満たしていく。

 俺は走って戻る。

 

「散水栓……街中には、こんなのがそこら中にあるのか」

 

 水で満たされつつあるプール。俺と由香里は楽しげに見下ろすばかりだった。

 家庭用プールなんてものを直接見るのは、今日が初めてだったから。

 シュコ、シュコ、シュコ、シュコ……エアーポンプの音が響いている。

 集が足を休めた。その場で屈んだなら、カラの水風船をプールに投げ入れる。

 

「よし、と」

 

 ホースをプールに突っ込んだ。

 

「うおっ」

 

 中途半端に突っ込んだので、水の勢いでホースが飛び出した。

 集の足元が濡れてしまっている。慌てて元に戻す。

 

「いいか。風船釣りの核である風船を作っていくんだが……まずはこんな感じだ」

 

 その手には、さっきの注射器みたいなやつが握られている。

 注射器に水を入れて、今しがたプールに漬けたばかりの水風船を手に取った。そして、

 キュ、キュ、キュ……!

 ピストンとともに、水風船が水風船になって(?)いく。

 十分に水を入れたなら、次は長机の方へと。

 

「まずは、この水風船の口に輪ゴムを二重にはめる。緩めでいい……さて、次が難関だ。このすごく小さい、口が開いたプラスチックのパーツがあるだろう。これをこの、お手軽パッチン、いや、俺が勝手に名付けたんだが……このセロハンテープの台みたいな器具にだな、こう、置くんだよ。それで……」

 

 説明しながら集は、お手軽パッチン? の上部にプラパーツを置いた。次いで、水風船に巻いた輪ゴムをプラパーツの口に噛ませつつ、ゆっくりと力を入れて、真下へと――パチンッ!

 

「おおっ!」

「こうやって作るのね」

 

 見事、水風船の口に極小のプラパーツが嵌まり込んだ。プールに投げ込んだところ、一滴の水も漏らさない。

 

「これを……九時までに五〇個作るんだ。あと四十五分で」

「五〇個!?」

「それで、料金は一回200円。釣れなくても残念賞で一個渡す。営業中に風船が足りなくなったら、追加で生産を行ってくれ。営業時間は午後三時まで。目標売上は……一万円」

「一万円!?」

「そうだ。ちなみに、去年の売上は9,300円。俺がひとりで担当した……どうだ、できるか」

「……」

「やります」

 

 尻込みする俺をよそに、由香里がスマイルで応える。

 

「由香里、できるのか。一万円だぞ」

「ここで臆しちゃだめよ。成せばなる!」

「汐町さん、男前だね」

 

 ……わかる。由香里には計算がある。

 俺なんて比べ物にならないほどの頭の回転でもって、『一万円でも大丈夫』という結論を導いたに違いない。

 

 *  *  *

 

「ぜんぜん作れないぞ……」

「厳しいわね。あと30分で始まるのに、まだ25個しかできてない……あんた、何個作った?」

「五個」

「……」

 

 きっと呆れてるんだろう。

 俺は水を入れたばかりの風船を、お手軽パッチンに置いたプラパーツに挟んだ。真下へと力を込める。

 風船の口を縛っている輪ゴムへと、挟まっていくプラパーツ。

 ……パキッ!

 

「渉、どう?」

「だめだ。とうとうプラパーツが折れてしまった」

 

 風船の口がなかなか挟み込めない。たまには成功するのだが。

 

「なんでだろうな。由香里、やってみせてくれ」

「はいはい」

 

 軽くかぶりを振ってから俺の前に出る。

 真後ろにいることで、髪の香りが漂ってきた。思わず身じろぎをする。

 

「いい? 水風船の口に輪ゴムを巻いたら、このプラスチックのやつに挟むんだけど」

 

 風船と向き合う。真剣な顔つき。

 

「この時、輪ゴムに噛ませるのは、ほんのちょっと。ガッツリ噛ませると、さっきみたいになっちゃう。一度失敗すると使い物にならなくなるみたいよ、このプラパーツ」

 

 由香里は屈み込んだ。手元に視線をやる。

 

「さて、それでは――」

 

 力を入れる。輪ゴムを噛みつつあるプラパーツ。

 お手軽パッチンが、プラパーツを水風船の口に嵌め込んでいく――パキンッ!

 

「できたかしら?」

 

 水風船をプールに漬けてみる。

 ……ブクブク。風船の口から気泡が出ている。

 

「だめね。これ、いつかはしぼんじゃう。ごめんね。参考にならなくて」

「十分だ。よーし、やるぞっ」

 

 *  *  *

 

 時刻は、午前八時五十五分。

 

「できた!」

 

 最後に巻き返してなんとかなった。ちょうど、集が玄関から出てくる。

 

「お、できたか」

 

 プールの水面に浮かんだ、色とりどりの水風船。

 赤と白、黒と青、橙と緑など、原色の組み合わせが多い。

『……あっ!』

 そうだ。公務員になりたいこと、相談したいんだった。

 

「よしよし、ふたりともよくやった。これやるよ」

 

 ビニール袋が差し出された。缶入りのジュースがたくさん入っている。

 

「これ、どこで買ったんだ」

「この館内だ。うどんとかフランクフルト、ジュースの販売をするんだ。先に買ってきたってわけ」

「サンキュー! やっぱ炭酸だよな!」

 

 炭酸飲料に目がない。ロクに小遣いもないのに、新しい商品を見るとついつい買ってしまう程度には。コーラを手に取る。

 

「そーだよな、渉。男だったら炭酸一択だよな! ええと、汐町さんはスポーツドリンクでいい?」

「いらないです」

「なんで? タダなのに」

「三良坂さん、公務員なんでしょ。これも一応、贈収賄に……」

「由香里。本当は好きなんだろ」

 

 俺はビニール袋からスポーツドリンクを取り出した。

 

「……渉がそういうなら」

 

 由香里が缶を開けた。パキリ、という開缶音とともに、グイッと勢いよく飲み始める。

 ……横目で、ちらちらと由香里を見ていた。水分を流し込んでいる喉の様子がわかる。喉仏が膨らんで、しぼんで。膨らんで、しぼんで。

 ただ、なんとなく。本当になんとなくだった。見ていたくて。ずっと。

 

「いよっ、飲みっぷりが男前! 女なのに」

 

 集だった。

 

「ブフッ!」

 

 由香里は煉瓦タイルの上にジュースを吹き出してしまう。

 

「おい! だ、だいじょう――ぶしえええええええええええええええぇッ!!」

 

 刹那。右ストレートが集の胸部に直撃していた。その一撃は圧縮された空気の炸裂をそのまま体現するかのように、大人の肉体を撥ね飛ばした。

 

「集、大丈夫か!?」

 

 立ち上がるも、腰を押さえている。

 

「あ~、痛って……」

 

 集がこっちに戻ってくる。仁王立ちの由香里。

 ――対峙。

 

「汐町さん、冗談きついって。俺も悪かったけどさ」

「あなたも使用者(エッセ)なんですから、このぐらい大丈夫でしょう!? もう話しかけないでください」

 

 憮然とした様子でこちらを振り向く。

 

「由香里。そこのベンチで休もう」

 

 俺の手を取った由香里。ベンチまで歩いていく。

 途中で振り向いて、口の動きで集に「すまない」を伝えた。

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