月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#07:「Dive or Die」(1/3)

 最上階から、夥しい数のガラス片が落下を続けている。

 悲鳴や怒号、絶叫が飛び交うなか、俺達は目で合図を送り合う。

 四階の、こちら一面に張られているガラスが――四枚目、五枚目、六枚目と次々に割れてゆく。

 正面入口は人で溢れていた。人ごみの合間をぬって館内に入る。

 

「早く逃げてください!」

 

 若そうな女性職員が階段に付いて避難誘導をしている。

 

「……集!」

 

 集が階段から降りて来るのが見えた。こちらに走ってくる。

 

「お前ら逃げろ。これから館内放送で避難を呼びかける」

「何が起きてるんだ?」

「四階の体育ホール……喬木議員が開会挨拶をしてたんだが……襲われた」

「襲われた? 誰に」

「わからない。今はとにかく逃げろ」

 

 またガラスが割れる音がした。ベシャアッ! という鈍い衝突音が響いてくる。悲鳴も。

 

「人手は多い方がいいだろ」

「いいから逃げろ! 人手は足りてる」

「あたし、行きます。放っておけません」

「……死ぬかもしれない。お前達の親がここに移ってきた理由を考えろよ。こんな争いから逃れるためじゃないのか」

「でも、ここで逃げたら一生後悔する」

 

 どうして、自分がこんなことを言ってるのか分からなかった。由香里にしてもそうだろう。どう考えても逃げるべきだ。

 ……そうか、わかった。腹を立てていたんだ。必死で売店を営業していたのに、せっかく人と繋がることを経験していたのに、邪魔をされてしまった。それが嫌だった……本当に?

 

「そりゃ、お前らの事情だろ。こっちにも色々と――」

「いや、でも! 戦える人間の頭数が」

「もめてる時間なんてないでしょ!」

 

 由香里の視線。その先を見る。

 正面入口の前に、先ほどの鈍い音の正体があった。

 ――血だるまになった物体が落下していた。黒色調のスーツを着ている。タイルが赤黒く染まっていた。

 さらに、十重二十重(とえはたえ)の炸裂音が上の階から響いてくる。

 

「……いいの? あんな目に遭う人が増えるんだよ。三良坂さん、公務員なんでしょ? この街の平和を守るのが仕事なんでしょ?」

「……チッ」

 

 集が舌打ちをした。

 

「お前さん、どこまでも使用者(エッセ)なんだな。普通の中学生はな、ワーワー言いながら一目散に逃げるのが精一杯なんだよ。あいつらみたいに」

 

 血相を変えて階段を降りてくる一団があった。青白縞のデザインのユニフォームを着ている。見た目からして中学生か小学生だと思う。

 俺達のすぐ横を通って外に出ようとする。

 

「ああ、早く、早く開いてくれ!」

「はやくー、はやくッ! 死にたくないっ!」

 

 自動ドアが開くまでの僅かの間ですら、恐怖を呼び起こす。

 

「あああああッ!! 死んでる!! 死んでる!! 人がッ!」

 

 外にある死体が目に入ったことで、さらにパニックになる。

 

「チッ、手間がかかる」

 

 再びの舌打ちとともに集は、開いたままの自動ドアに小走りで近づいていく。上と下にある丸鍵を回して開きっぱなしにした。

 帰り際、先ほどの死体をチラリと見たようだ。

 

「よかった、あれは一般市民じゃない。喬木議員の侍衛(プレシディオ)だ」

「なあ、集。行ってもいいか?」

 

 すると、少しの間を置いて、

 

「仕方ない。じゃあ、俺の考えを伝えておく……いいか? 俺は、地方公務員。全体の奉仕者だ。だが、お前ら使用者(エッセ)のための奉仕者じゃない。現場に行ったらそういう考えで動くからな。見捨てられて死んでも文句なしだ」

「よっしゃ行くぞッ!」

 

 俺達三人は階段を昇りだした。

 

 *  *  *

 

 瞬く間に階段を駆け昇り、体育ホールに到着する。

 

「……ここか」

 

 暖かい系統の色で塗られた幅広の廊下。

 左手側は、一面がガラス張りの構造であり、彼方にある山岳を眺めることができる。今では、ほぼすべてのガラスが打ち砕かれている。

 右手側には、スライドタイプと思われるオレンジ色の扉が手前と奥にひとつずつある。扉の近くには体育用具入れが置いてあり、ラケットや柔らかい素材のボールなどが詰まっている。

 ……以上が体育ホール手前の全容だった。普段と異なる点は、そこらじゅうに死体が転がっていること。

 

「決着がついたか?」

 

 音はない。てっきり、血なまぐさい戦いが行われていると思っていた。

 ……そこら中に転がっている死体をひとつひとつ見ていった。ある一体は、円形の支柱にぶつかって無残な姿を。また別の一体は、廊下の奥にある卓球台にもたれかかっている。

 

「これは……!」

 

 この二体だけじゃない。すべての死体について、胸から腹にかけての袈裟斬りの跡がある。

 

「……」

「渉。まさか、『ひどい』なんて思ってないよね?」

「一瞬、思った」

「その年でヤキが回ったの? さ、それじゃ」

 

 俺達は――オレンジ色に塗られたスライド式の扉に視線を注いでいる。

 

「ふたりとも。ちょっといいか」

 

 背後にいる集を振り返ると、小学生と思しき体操服の女子――どこそこから血を流して気絶している――をお米さま抱っこしていた。

 

「今から、この子を下に運ぼうと思う。逃げ遅れて気絶してるのがあと二人いる……おい、なんだ? その目つきは。俺はさっき、確かに言ったよな?」

 

 俺は、『わかってる』と言わんばかりに、

 

「集。もし生き残れたら、教えてほしいことがある」

「『もし』だったら、今のうちに諦めとけ。使用者(エッセ)はすぐに死ぬんだから」

「そうだな。じゃ、絶対生き残るから」

「『絶対』という言葉をプロは使わない。嘘つきになっちゃうだろ?」

「まあ見てろって」

 

 耳を、澄ます……。

 間違いない。この体育ホールの中では、まだ戦闘が行われている。

 

「負傷者を全員降ろすまで二人で繋いでくれ。頼んだぞ」

「はいよ」

「あたしが死んだら、保険料、あなたに請求しますからね!」

「生命保険? 入ってるのか? 保険料は一般人(エンス)の二十倍にはなるだろうに」

 

 軽口を叩いて集は、足早に階段を駆け下りていった――

 

「……いい? 渉。あたしがドーンと扉を開ける。ふたりとも中に入ったら、ドーンと閉める。あとはわかるわね。思い出せる? つい三年前までやってたこと」

「当然」

「じゃ、いくよ」

 

 ……右手の人差し指を揺り動かしている。

 1,2,1,2,1,2……何度目かで、右手を――前に振り出すっ!

 ガゴンッ! と、凄まじい勢いで開扉させる。かと思うと、すでに扉の仕切りを跨いでいる。

 一瞬、後に続いた。すると、入ったが最後とばかり、開いた時と同じくらいの勢いで扉が閉じた。

 

「伏せてっ!」

 

 ナイフ。だと思った――幾筋もの光が押し迫っている。いや、これは幾筋じゃない――軽く十本は越えているっ!

 

「ぎっ!」

 

 鈍い叫び声とともに、由香里が崩れ落ちてしまう。

 ……ナイフだった。由香里の肩、みぞおち、左脚へと突き刺さっている黒い刀身。生まれたての恥じらいのような鈍い光が目に入る。

 

「……」

 

 由香里に視線をやる。うつ伏せに倒れ伏して、てんかん持ちの発作のように体を震わせている。

 枯れ絞った声――痛みを堪えている。

 俺は由香里から目を離した。周りに視線を移すと状況の一部を理解する。

 

「俺に当たるはずのやつ、叩き落としてくれたのか」

 

 変な感じだ。焦っているような、いないような。冷静であるような、ないような。

 由香里の前に進み出る。もう、後ろを見ることはないだろう。いや、ない。


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