月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#07:「Dive or Die」(3/3)

 ……レールから外れたドアが、俺の両サイドに、ガン、ガンという接地音を響かせる。

 ハッとなって目を開けると……七,八人だろうか? そこらに倒れている者と同じ、黒の背広を着ている。うち三人の男女が前に出てきた。

 

「ひどい有様ね。真っ赤な下痢便でもブチまけたみたいよ」

「報告によれば、敵は一人という。体たらくもいいところだねぇー」

「まさか、オレたちまで駆り出されるとは。有給休暇返しやがれ!」

 

 口々に喋りつつ、体育ホールに入ってくる。そして、迷彩柄の男の方へと――

 

「有給返せですって? それは喬木様に言いなさいよ」

「冗談! 俺の体が下痢便になっちまう……」

 

 お喋りしている二名に構わず、残りの一人が大男の前に座り込んだ。

 

「こいつかぁー。感じでわかる、こいつは覚醒系の精神魔法(スピリチア)だ。ご丁寧に、ありとあらゆる能力を強化してやがる。くだらねえ奴だねぇー……なあ、お前ら。さっさとトドメを刺そうぜ。そんで、一階の売店跡でうどんでも食って帰るというのはどう」

「うどんはもうないわよ? フランクフルトも。あたしの可愛いペットに食べさせちゃった。あんたはかき氷でも詰め込んでなさい」

 

 その女は俺たちの前へと。

 

「あなたたちが倒したの? やるじゃない!」

「……」

 

 俺たちは口を開かない。代わりに、謎の男の方に目線を向ける。

 

「!」

 

 手先が……動いている?

 

「由香里、逃げろっ! そいつ、なにか魔道具(マギアツール)を! 間に合わない……」

 

 光。瞬く間に、白色の閃光が体育ホール内に満ち満ちる……。

 真っ白いそれがスウッと晴れるとともに、気配の数が増えた。

 

「召喚しただとっ!?」

 

 そいつらは、男と同じく迷彩柄を基調とした服装だが、装備が違う。ライフル、散弾銃、ハンドナイフ、防弾盾、短機関銃。素人でもそれと分かるほどの兵器の類。まるで、映画にでも出てくるような。

 言葉は不要だった。一斉に、ふたつの勢力が争いを始める。

 ……男の仲間がその身体を引きずっていく。さらに、ひとりが盾を構えつつ散弾銃を連射すると、残り全員の重火器が一斉に火を噴いた。

 

「うおっ!」

 

 一目散に逃げてよかった。そうでなければ死んでいた。

 ……耳が歪むほどの重低音が外耳を塞ぐ。今しがた話しかけてきた女が概念力(ノーション)を発動していた。こちらに飛んできた銃弾がすべて四方八方に撥ね返ってしまう。

 間隙を縫って、二人ばかりが刀剣を振り上げる。そのまま、敵陣へと斬り込んで――

 

「渉、逃げるわよ」

「当然」

 

 言うやいなや、その手を取って全力で出入口へと。

 

「……大丈夫、罠は仕掛けられてない」

「サンキュ」

 

 無事、扉だったところをくぐり抜ける。すぐ背後では、耳がはち切れんばかりの衝撃音が鳴り響いている。

 

「……景山さん」

 

 無事を確認している余裕はなかった。けど――

 

「助けに来ます。なんとしても」

 

 何を、どうすればいいかなんて分からない。今は、この約束をするので精一杯だ。目指すは一階。さあ、階段を降りよう。

 

「急げ! 敵は四階だ!」

 

 絶望感。下の階から声が聞こえてくる。侍衛(プレシディオ)側の増援……だと思う。

 

「くそ、喬木議員の仲間だ」

 

 深呼吸。周囲を見渡す――北の壁面はガラス張りになっている。厳密にいえば、なっていた。今では全部が粉々に砕けて真下に落ちている。

 

「由香里! この大窓から飛び降りるんだ」

「……」

「どうした」

「あのね。空中浮遊は一人用なの。二人以上は飛べないの」

「チッ」

 

 俺は舌打ちする。集の真似だ。

 

「じゃあ、お前だけで飛べ! 俺は死ぬ気でダイブする」

「……だめ。どっちもだめなの」

 

 うつむく由香里。

 

「だめ、じゃない」

 

 由香里の肩を掴んだ。すると顔を上げる。見るからに不安そうだ。

 喬木の侍衛(プレシディオ)は警戒のためだろうか。二階あたりに留まっている……と信じたい。

 

「わかった。アレ、やるよ」

「ほんとに?」

「そっちこそ。本当にいいのか? 自分の力だけで飛べたって証明できないのに」

「……!」

 

 由香里は深呼吸をする。

 

「どうする?」

「……うん、大丈夫。飛べるっ」

 

 甲高い足音を伴って、喬木の私兵集団が昇ってくるのが見えた。大窓の前に立っている俺たちの姿を認める。

 

「お前ら、そこで何をしてる!」

 

 返す答えは、ただひとつ。

 

「……空中浮遊」

 

 そのまま、由香里の手を引いて、

 

「せーのっ」

 

 ――落ちる。

 

 *  *  *

 

 ついに飛び降りた。

 真下の光景が目に入る――砕け散ったガラスが玄関付近に散らばっている。傍らには死体がある。 

 手を繋いだままの二人。繋がった手を通して体重を感じつつ、空気抵抗に恐怖をおぼえる。

 高まる恐怖心。声が出そうになるも、由香里の体温を感じて耐える。

 ……時間を長く感じている。

『だめだ、このままだと――』

 ……浮いた。浮いていた。

 厳密には違う。ゆっくり、ゆっくりと高度が下がっている。

 一人だけなら浮くことができるに違いない、と思って由香里を見る――真剣な面持ちで目を閉じている。片手でスカートを押さえながら。

 ふわふわと空中を漂っていたと思ったら、もう地上まで三、四メートルのところだった。

 つま先から、地面に着地する。しっかとした地面の感触があって、そして――

 歓声とともに、拍手が起こった。数十名の市民が文化会館の前に残って館内の様子を気にかけていた。見た目からして保護者と思われる。

 道路にはパトカーが停まっている。が、警察官がこちらに来る様子はない。無線で何か話している。

 

「ああぁ、やめてくれえええっ!」

「あ、いや、いやああああぁッ!!」

 

 あの階から阿鼻叫喚が響いている。けたたましく打ち震える重火器の音も。

 

「くそっ!」

 

 地団駄を踏んだ。右掌を握り締める。

 

「渉! 汐町さん!」

 

 集が走ってくる。

 

「館内の避難は終わった。だが……」

 

 四階の方を見て眉を潜める。

 

「諦めろ。いったん、こうやってドンパチが始まったらどうしようもない。どちらかが死ぬまでだ。お前らもわかってるだろ? 使用者(エッセ)はな、こういう理由で社会から隔離されてるんだ」

 

 ……戦いという名の音楽を聴いているばかりだった。

 もう何もできない。俺たちの行為に何か意味はあったんだろうか? いや、ない。

 意味のないことをしてたんだ……いや、でも。少しくらいは……。

 もういい、諦めた。せめて見ていよう。聴いていよう。感じていよう。

 

「ねえ」

 

 誰かの声がしたような気がする。残念ながら心のゆとりがない。

 

「ねえってば!」

「?」

 

 振り向くと、そこには――梔子(くちなし)ほのかがいた。

 笑んでいる。

 

「わたしが、なんとかしようか?」

「!?」

 

 ほのかに近付いた。多分、怒気をはらんでいたと思う。

 

「おい、自分が何を言ってるのか、」

「わかってるよ」

「……え?」

 

 頭が追いつかない。

 

「なら、梔子さん。お願いするわ。やってみせて」

 

 由香里が前に出る。

 

「渉。この子、使用者(エッセ)よ」

 

 そうか、そういうことか。あの時、感じた違和感は……いや、でも。なんであの時、わからなかったんだ?

 

「どうして……」

「どうして、あの子は鬼食免を付けていないのか」

 

 集が言葉を先回りする。

 

国府(こうふ)の森の人間はな、付けなくてもいいんだよ。贔屓じゃない。ちゃんと理由がある」

 

 どういうことだ? 理由がわからない。いや、それでもいい。そこは本質的なところじゃない。そんなことより、

 

「どうやって解決するんだ? 多勢に無勢、乗り込んでも殺される」

 

 ほのかは深呼吸をした。息を吐き出しながら、

 

「……」

 

 印章(シンボル)が見えた。黄色がかったような緑? そうだ、うん。どちらかと言えば、緑の方が強い。

 大気が印章(シンボル)の色にどんどん染まっていく。強い風に吹かれたそれらは、散り散りになって彼女の周りから消え去って、現われて、消え去って、現われて……奔流が駆け巡る。

 悲鳴がまた聞こえた。あそこが地獄であることを思い知る……ほのかに視線を移した。目を閉じている――開かれた。

 

 ――《大地加速(グランドアクセラレーション)》――

 

 地面が揺れる。

 耳が潰れそうなほどの大気の奔流。ところどころに植えてある木々がごうごうと鳴っている。思わず頭を押さえた。

 だめだ、今にも――吹き飛ばされる!

 

「由香里ッ!」

 

 吹きすさぶ風のなか、由香里の手を取った。

 集の方を向く。

 

「集、どこに逃げればいい? この、超強力な概念力(ノーション)……巻き込まれるッ!」

 

 凄まじい風圧だった。声が届いている自信はない。視界すら封じられている気がする。

 集は、ひたすらに佇んでいる。

 

「おい、集!」

「渉、大丈夫だ。暢気に構えてろ……これは攻撃じゃない」

 

 あっさりとした調子で答えている。

 

「これは単なる強化魔法(バフ)だ。攻撃手段でもなんでもない。が……国府(こうふ)の森の使用者(エッセ)が使うとこうなる」

「……どういうことだよ、おい。ただの強化魔法(バフ)って」

 

 強風が吹き荒れる中、集は平然とこちらに歩いてくる。

 

「彼女が桁違いに強い。それだけだ」

 

 俺は、ほのかに視線をやっていた。由香里の肩を抱いて。その震えを感じながら。

 

「……」

 

 ほのかの指先が、文化会館へと向けられる。

 

 ――《岩流圏暴走(アセノスフェア・クラッピング)》――

 

 声は、高らかだった。

 その瞬間、由香里を飛び抱えて身を伏せる。

 ドオ……ンッ!

 

「うわあぁッ!!」

 

 大地から拒まれたかのように飛び上がった。当然のごとく着地に失敗する。

 

「……」

 

 静寂が戻っている。どれくらい、じっとしていただろう。聴覚が生きているのを確かめて立ち上がる。

 

「……?」

 

 ない。

 文化会館がなくなっている。

 ……急に、周りが暗くなった。ただ、なんとなく。本当になんとなく、空を見上げる。

 あった。文化会館が――今ちょうど、太陽の光を遮る位置にきたところだ。

 

「……ははっ」

 

 笑うしかなかった。

 上空を移動するだけの物体となった文化会館を見ている。次第に、その影が山岳の方へと移ろっていく。

 太陽の光が戻ってきたことで理解する。高度が下がり始めたのを。

 どこだ? どこにぶつかる? 大丈夫だ、市街地じゃない。山の方に落ちるコースだ。多分。多分。多分――

 考えているうち、文化会館を見失った。なんだ、いったん落ち始めると、どんどん加速するんだな。

 

「あ、もう、落ちる……」

 

 呟いたのは、ほのか。

 パカンッ。擬音で表すとしたら、こんな感じだろうか。遠く離れているからだろう、あっけない音だった。

 『こっぱみじんにならないんだ』という、率直な感想とともに――山岳の尾根に突き刺さった、建物だったものを見ながら、思う。


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