集。俺を抱き止めたのは集だった。
一緒に花壇を造っていた時みたいなヨレヨレの作業服じゃなく、もうこちらの方が見慣れてしまったスーツ姿。
真白のシャツ、水色のネクタイ。きらりと輝くネクタイピン。スラッとした体型が、スーツに入った縦のラインのおかげでより一層、引き締まって見える。
「……さて」
喬木をチラッと見た後で、高森を見据える。
「おい、やってくれたな。人の弟子、ボコッてくれやがって」
高森も負けじと睨み返す。
「相変わらず乱暴ですこと。さっきからゴンゴンうるさいと思ってましたけど、とうとう人の召喚獣に手を出しましたね?」
「おお、出してやったとも。そうでもしないとこいつが死んでた」
「あなたはもう
「そこそこ関係があってな」
今、集に抱えられて話を聞いている。なんだか恥ずかしい。
「おい。そろそろ降ろしてくれよ」
「ああ、そうだった。よし」
地面に下ろされる。足手まといになるのは目に見えていた。後ろに下がる。
「渉。もっとだ。もっと、かなり後ろに行け!」
告げた瞬間を狙って、音速の斬撃が飛んでくる。
集の腕が真横に振られたなら、斬撃を打ち返してしまう――そこらに敷かれたタイルが割れ散った。
「逃がさない。魔術教育監として、こんなところで恥をさらすわけにはいきません」
……暗闇が晴れた後の風景が映っている。平日の夕方にもかかわらず、誰一人として通行人がいない。
「しょうがねえ……ちょっと、ちょっと! 喬木議員。もうすぐ例の会議ですけど?」
喬木は車止めに腰をかけている。口をもごもごさせていたが、何かの液体を地面に吐き出した。
ペットボトル入りの緑茶を手に持っていた。口を洗っていたのだろう。
「さて、どうするかのう……仕方がない、もう行こう。高森よ、後は頼んだぞ。それと三良坂君も。遅れんようにな」
「わかりました。俺が勝てたらね」
喬木が腰を上げた。北の方角、国府第三中学校へと歩き出す。
「食らいなさいっ!」
苛立ちを隠せない口調。高森が両手を地面に付ける。
「渉! とりあえずそこにいろ」
力強い声。集が構えをとる。目の前には、詠唱らしきものを口ずさんでいる女がいる。
……詠唱が終わったなら、しっかと敵人を見据えて、
――《グラビティ・フォール》――
「やべっ!」
集の周り、半径数メートル内の範囲が沈み込んだ。
剥き出しの大地も、アルファルトで舗装された部分も、煉瓦製のタイルも、なにもかもが沈んでゆく――
重力という名の暴圧に耐えつつ、集は深呼吸をする。
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン」
「ラッシュチューン――」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン」
「ヘイストチューン――」
「マインドディスト」
「マインドディスト」
「マインドディスト」
「マインドディスト」
「マインドディスト――これでどうだっ!」
一切、視認できなかった。瞬きの速度で女の懐に潜り込んでいる。
「うっ!」
突き上げられた拳――両手を組んで受け止める高森。防御もむなしく、紙くずのように跳ね飛ばされてしまう。
その先へと、集が常軌を逸した速度で回り込んでいる。タイミングを合わせて、放つ――回し蹴りッ!
「がぁっ!」
カーペットに投げられたぬいぐるみのようにバウンドをした高森、そのまま地面に転がって、引きずられて、勢いが止まる――止まったと思ったら、よろめきながら立ち上がる。
余裕はなくなり、苦し紛れの笑みを浮かべている……ような気がする。
「自分の能力を高めるだけでなく……私に
集を睨みつけている。その
「あれはっ!」
女の背中に、燦然と輝くばかりの火柱が昇っていた。それは両対の翼を為して――体を空中に舞い上げる。
瞳は、諦めていない。
「燃えよ、燃えさかって、焦げ落ちろ――ワイルドファイアッ!」
集の真下の地面から業炎が舞い昇った。飛び上がって避けたものの、衣服の一部が燃えてしまっている。
火の勢いは加速していく。燃焼材とはならないはずのレンガが真っ赤に燃え盛っていた。
「そおれっ!」
何発もの火球を一気に打ち出した。集は人間離れしたスピードで回避し、高森へと迫っている。負けじと、炎の翼をはためかせて迎え撃とうとする。
「ごめんね? 本気でいくわ。かなり痛いと思うけど」
炎の両翼から生まれ、次々と打ち出される火球。その数は、五、十、十五、二〇……あっという間に増えていく。
身体ひとつ分のステップで避けていく集――最後の火球をかわしたなら、ターンを決める。左手を高く掲げて、
――《
唱えたと思った矢先、目の前が真っ白になる。
「冷たっ!? なんだこれ……」
上空から降り注ぐ、止め処ない雨。燃えている大地と接触した雨粒が、瞬く間に水蒸気と化した――辺りが霧に包まれる。
「あ、ああ、ああああああああああっ、翼、私の翼がっ」
神々しかったはずの翼。あれよあれよという間に溶けてゆく。
「ブサイクが台無しだな!」
集の姿は見えない。俺は迷わず水蒸気の霧の中へと。
……見つけた。両者が対峙しているのを。炎の翼はだいぶ小さくなっている。
「本気でいきます」
「……お手柔らかに」
女は、小さくなった炎の翼に手を突っ込んだ。
何かをまさぐっている、と感じたその時。出てきたのは――どこまでも、どこまでも長い――槍だった。
「紅蓮の神槍、串刺しなさいッ!」
投擲の構え。槍の先端に咲き誇った青白い炎が敵の方を向いている。底知れぬ怨恨を重ね重ねたような声だった。
そして――槍を投げるッ!
「……」
対する集は、左手を真正面に突き出す。
「卑金の障壁」ガッ
「卑金の障壁」ガガガガガガガッ
「卑金の障壁」ガンッ
「卑金の障壁」ガッガッ……ガッ!
「卑金の障壁」ガッ……ガッ
「卑金の障壁」ガッ
「卑金の障壁」ガガッ
「卑金の障壁」ガッ……
「卑金の障壁」ガ……
「卑金の障壁」……
青白色に燃えている炎の槍が――集が呼び出した十枚分の壁のうち、八枚目にまで突き刺さっている。
この壁の正体は、正面入口の跡から道路に向かって続いている煉瓦造りの石畳だった。あっという間に捏ね合わされて固まり、障壁を作った。
「ぐ、ううううう……!」
「文化会館さまさまだな。レンガの質によっちゃあ、俺が焼き鳥みたいになってたところだ」
女は凄まじい形相で敵人を見据えている――やがて、呪文を唱え始めた。
次の瞬間、右手の指を左肩に乗せる仕草をする。
「
思わず、「熱い!」と叫びそうになる。凄まじい熱気だ。でも、これはおそらく攻撃手段じゃない。
「あんたも
「あれは人間ではなく、別の生き物よ」
「おやおや。
「あなたも……人間じゃないでしょっ!」
刹那。燃え滾っていた炎槍が消滅する――集も障壁魔法を解いた。ただの土くれに戻っていく、壁だったもの。
……均衡。両者、一歩も動こうとしない。が、少しずつではあるものの、立ち位置が変化している。
「……?」
今、高森が何度か瞬きをした。
「うおっ!?」
いきなりだった。集の周りの地面が沈み込んで――身動きが取れなくなる。
「……グラビティ・フォール。ふう、詠唱なしでも案外いけるものね」
「畜生。やられた」
集は足掻くも、動き切れないでいる。
「お得意の
「……違います。
自分の背と同じぐらいの炎の槍が出現する。クルリとひるがえし、逆手に持った。槍の大きさ、炎の勢いは先ほどのものより小さい。
切っ先に迷いはない――まっすぐ集を向いている。
「ねえあなた。もう十分、生きたでしょ?」
すぐ傍に近付いたなら、女がにっこりと笑った。
「高森さんほどじゃありませんよ」
炎の槍が突き立てられる。集は苦笑している。
高森は――攻撃に移るべきタイミングを見極めている。
「さよなら、三良坂くん。わたしも死んだら、あの世で吞みに付き合ってあげる」
放たれる、槍の一閃――集の口が動いたのを確かめる。
――《
俺は地面に伏せる。命を奪われかねないから。
耳をつんざくような破裂音が聞こえたかと思うと、凄まじい蒸気圧が真上を通り過ぎていく。伏せていなければ、おそらく死んでいた。
……何が起きた? そうだ、この感じ。冷気だ。一瞬だけ見えた気がする、集が氷晶の固まりを呼び出したのが。
――水蒸気爆発。見たことはないけど、多分それだ。
「……どうなった?」
爆発点まで近付いていくと、バッバッ、という、何かが転がるような音がする。
「集!」
見つけた。駆け寄ろうとする。
「あち、あちちっ」
「集、だいじょうぶかっ」
地面を転がり回っている集。体に付いた火を消そうと足掻いている。
何度も、何度も転がって、ようやく火が消える。コゲだらけになった衣服を整えながら、
「水蒸気も晴れてきたな……さて」
「……は、は、はあ、はぁ……よくも、私の魔術を……利用したわねッ!」
消耗した様子の高森。膝をついている。
スーツがぼろぼろだ。はだけたブラウスからブラジャーの肩紐が覗いていた。肩紐のラインが真っ白い肌に覆い被さっている。
それは、破れたブラウスと奇妙に合わさって、哀愁を漂わせている。ラインを追っていき、やがて塊のようなものが目に入った途端、我に返って目を逸らす。
女がゆるりと立った。立ち眩みとともに後ずさる。
「は、は、はぁ、は……三良坂くん? 私がこれから何をしようとしてるか……あなたにわかる?」
「さあ」
「召喚獣を呼びます。私とあなたの真下に。特大のやつを」
「それは、あれですか。契約召喚?」
「そんな
「へー、それで……ちーちゃん先輩、何が言いたいんです?」
高森は唾を吐いた。
「二度とその名前で呼ばないで? ……さあ、いいかしら。文字どおりよ。これから、『私とあなたの真下に特大のやつを』召喚する、と言っています」
「……チッ」
集は舌打ちをした。
「わかった、わかった! 俺の負けだ。降参!」
両手を挙げる。
「わかればいいのです……」
高森は、半ば悟ったような顔つきで、
「すいませんね。勝負に負けても、試合に負けるわけにはいきませんので……さあ、それでは」
指先を額に当てる。呟いた。
「
……彼方からの重低音が響いてくる。その方向に目をやった。
先ほど殺されたばかりの記者達の真下に――真っ黒い穴のようなものが出現している。
「ヴオオオオオオオオ……!」
黒。ただ、真っ黒だった。
どこが目で、どこが口なのかわからない。ただ、巨大な塊が暗黒の中から現われて――死体が宙にフワリフワリと漂い始める。
「あれは……?」
そいつの口が開いた。
ガバリッ。そんな擬音がぴったりと似合う。緩やかな速度で口内に吸い込まれていく、宙に浮いた死体。
「三良坂くん。別に、アレを使ってもよかったんですよ? いいえ、千の魔法を使えるあなたですから、ほかに手もあったんじゃなくて?」
「ご冗談を。アレはとっておきですよ」
「あら。けれど、あの能力なくしては、もはや貴方とは呼べなくってよ……あの……が……よく……まで」
高森の姿が、真下に現われた穴へと消えてゆく。
今、なんて言っていた? 「あの落ちこぼれが、よくここまで」と聞こえた気がする。
集が落ちこぼれ? そんな馬鹿な。今の戦闘、どれを取っても一級品だ。普通は、最初のバフを唱えた時点で
「覚えてなさい、三良坂くん。それと、そこの少年もね……右手の腱がまだ痛みます」
女を見た。厳しい視線を向けている。
「少年。そいつに関わるのはやめておきなさい。いい? 少しでも違和感があったら絶縁するのよ。仲間がどうなろうと関係なく。ああ、それと……あなたって、案外公務員に……」
姿が消えつつある。よく聞こえない。
「はいはい、高森さん。また会ったらよろしくね」
「……じゃあね、集くん。今度は地獄で」
複雑そうな表情で、暗黒に消えていく女を見送る……見送った。女が吸い込まれた後、真っ黒い塊が這い散るようにして――穴が消えた。
「おい、大丈夫だったか?」
俺はバツが悪そうな顔になっている……はず。
「……まあ、かろうじて」
「これからどうするんだ」
「帰るよ」
集の顔を見ることができない。すべてが見透かされていそうで。