月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#01:誰にも届かない鼓動(2/2)

「やっぱりな」

 

 学校の敷地の端。フェンスを挟んで向こう側に道路(栞がケンドウと言っていた……)が走っている。

 校舎の壁とフェンスとの間に、等間隔にヒマラヤスギが立ち並んでいた。

 その一角だった。不良とおぼしき三人が篤を囲っている。さらにひとり、鵜飼尚吾も。

 俺は校舎の陰から見守っている。

 

「おい。黙っとらんで、今週の分を出せや」

「……」

「お~い」

 

 箱田だった。樹木の陰になって見えにくいが、目の前で手を振るという挑発行為をしている。

 少しばかりの間が空いて、

 

「断る」

「ああ? なんだって?」

「こんなのは……友達でもなんでもないだろ」

 

 離れていてもわかる。篤の武者奮いが。それ以上に、心が震えている。

 

「おいおい。お前らがよおー」

 

 別の声になった。残りふたりのうち、どちらかだろう。

 

「お前らがよお、クラスの誰とも喋れないからってよお、箱田くんが不憫に思ったんだぜ? 俺らだってよ、ほかの連中と一緒で、怖くてしょうがねえんだ。でも、お前と一緒に遊んでやっただろうが」

「それは……感謝……いや、感謝とか、おかしいじゃないか。どうして一緒に遊ぶぐらいで」

「ガタガタ抜かしてんじゃねーぞ、オイッ!!」

 

 三人目の声。篤を突き飛ばす。

 

「誰がてめえらなんかとつるんだりするもんかよ。先公どもにしてもだ、普段はジンケンとかなんとか言ってるけどよ、そいつらからもロクに相手にされてないってんだからよ、お前らは。でもな、しょうがないだろ、それは。わかってんだろ。お前、あったまいいからなあ! いい加減、認めろよ。胸糞わるい。お前らがどこで暮らして、どんな死に方をするかくらい、自分たちでもわかってんだろ。その前に、オレが、寛大なこのオレが、いい思い出を作ってやったんじゃねーか……おら、分かったんなら、とっととお前なんかに付き合ってやったオレたちへの謝礼をよこせよ」

 

「……できない」

 

 箱田が前に出てくる。

 篤の胸倉を掴んだ。殴り倒そうとする。

 

「まあ、待てえや」

 

 遠巻きに見ていた尚吾がついに参戦する。

 ――圧倒的不衛生。ボタンをほとんど留めていない学ランに、黄ばんだワイシャツが覗いている。ズボンはよれよれで、様々なモノが付着している。

 比べて、箱田は、これでもかというほどに模範的な着こなしだ。ありとあらゆる制服の部位がピシッと際立っている。口調や振る舞いは、品行方正とはかけ離れているが。

 

「鵜飼。悪いけど、お前には謝礼はやれん。俺たちみたく、こいつと遊んでやってないからな」

 

 篤の顔色。見えないけど、手に取るように伝わってくる。

 

「まあまあ、箱田よ。篤だって、もういやじゃ言うとる。これまでの分で勘弁してやったらどうじゃ。軽く万は取ったじゃろうに」

「一万と三千円じゃ。三人で割ったら五千にもならん」

「いやいや十分じゃろ。今回限りで堪えてやり」

「おい、鵜飼よ。お前をここに呼んだんは、一応の筋やぞ。こいつと同じ『聚落(じゅらく)』の出なんだろ。だから呼んだ」

「ワシは、その……違うんじゃけどな。似たようなもんですらない」

 

 それだけ告げると、尚吾は胸倉を掴まれている篤のところへと。

 

「おい、篤よ。お前とは、すぐ近所に住んどるだけで、別に友達ってわけでもないけどのお……お前の気持ちはどうなんじゃ。今払ったら、もう二度とこいつらがお前につるむことはない。ワシが保証する」

「……いやだ」

「アァッ!?」

 

 篤は毅然とした態度で要求事項を跳ね退ける。堪忍袋の尾を切ってしまった箱田。

 

「これで最後なんだとしても、今ここで、お前に金を払ったら……僕はもう、未来の自分に顔向けできそうにない。今……そうだ、今なん――」

 

 言葉が途切れた。殴り飛ばされたから。

 

「オラ、死ねやっ!」

 

 続いて、ほかの二人も、地面に倒れ伏した篤をひたすらに蹴りまくる。

 

「……」

 

 ハア、とため息をついた尚吾。

 俺はただ眺めている。

 

「……」

 

 これこそが自然! とでも言わんばかりの勢いで、篤がリンチを受けている。

 胸のボタンがまたひとつ飛んだ。

 俺はただ眺めている。

 

「……」

 

 攻撃が続く。篤は、うずくまって痛みに耐えるだけで精一杯のようだ。

 午前に降った雨のせいで地面がぬかるんでいる。制服は泥だらけだ。

 俺はただ眺めている。

 

「……」

 

 早いもので、もう二分が経っている。

 たった今、箱田が背中に肘鉄をお見舞いしたところだ。

 俺はただ眺めている。

 

「はぁ……は、は、は、ああ! あぁ……!」

 

 空気が変わる。

 篤は、寝そべった状態からひざをついた。顔を上げて不良どもを睨みつける。

 

「は、は、は、はぁ……!」

 

 これは、気のせいじゃない――燃え滾りつつある大気が周辺を漂っている。

 

「オラァッ!!」

 

 箱田の容赦ない蹴たぐりが炸裂する。もんどり打って倒れてしまう。

 

「アブねえ。警戒しておいてよかった」

「おいおい。お前らのそれをよお、俺たちが見逃すもんかよ。お前らが能力を使う時、その印章(シンボル)とやらが出るんだろうが」

「そんなことしてるから、いつまでも信用されねえんだよ。おら、なにをしようとしてたのか言ってみやがれ!」

 

 篤の左手首には、勾玉が付けられた腕飾りがある。俺の手首にも。

 鬼食免(きじきめん)。俺達、使用者(エッセ)が装着を義務付けられている。

 

「ごふっ!」

 

 篤の腹を蹴り上げる。箱田はすぐ傍に落ちていた石片を持ち上げた。そのまま、それを――

 

「死にやがれっ!」

 

 振りかぶって投げた石片が、篤のどこしれぬ箇所にブチ当たった――と、箱田は認識しているだろう。

 

「あっ!?」

 

 が、その石片は未だ自分の手に握られている。

 

「……は? おい、おい、これって」

 

 動揺している。残りのふたりは、そんな様子をいぶかしんでいた。

 尚吾がニヤついている。

 

「おい、待てよ」

 

 俺は姿を現した。粛々とした歩みで奴らの方に近付いていく。

 箱田が俺の姿を認めると、怪訝な顔つきでもって、

 

「なんだ、お前。見てたのかそこで。コソコソと」

「スギの木があったから。隠れるのにちょうどいい」

「そんなことはどうでもいい。そうだ、ちょっと教えてくれよ。さっきこいつは、どんな能力を使おうとしてたんだ?」

「それこそどうでもいいし、篤はもらっていく」

「だめだ! それとも、お前がこいつの代わりに一万払うってのか!」

 

 なぜだろう。心が涼しくなった。次の言葉が勝手に浮かんでくる。

 

「払うわけねーだろッ、ボケッ!」

 

 箱田を目がけて突っ込んでいく。その後ろでは、尚吾が変わらずにやついている。

 

「人殺し野郎! オレがぶっ殺してやるっ!」

 

 箱田が拳を振り抜いた――俺の顔面を捉えている。捉えていた。

 

「……?」

 

 拳を振り抜いたはずの箱田。が、当たっていない。ほかの不良らも呆然としている。

 今度こそとばかり、突きに、蹴りに、掴みかかりを繰り返す箱田だったが、ただの一度すらも命中することはない。

 

「ああッ! なんでだ、おい……あがぁっ!」

 

 パァンッ! という小気味のよい音がする。ローキックを命中させてやった。

 すかさず距離を取る。

 

「やりやがったな。だが次は逃がさねえ、捕まえてボコボコにする」

「……もう、お前立てないぜ」

「ああ!? ほざいて……ろ……?」

 

 心の声が手に取るようにわかる。

 足元がおぼつかない。崩れ落ちようとする膝。手に力が入らない。これはいったい、どういうことなんだ――!?

 とでも思ってるんだろう。

 ……容赦はしない。ステップの踏み出しは左足から。間合いを計りつつ、二歩目、三歩目、箱田のすぐ傍に接地する。

 今、俺の左手はこいつの右袖を、右手が同じく鎖骨のあたりを掴んだところ。両手を連動させて、真後ろへとこいつの体勢を崩してやったときには、すでに俺の右足が振り上がっている――敵のふくらはぎを目がけて振り下ろされる、一閃――

 

「だりゃあッ!!」

 

 一本、それまでッ! という、審判のコールでも聞こえてきそうな勢いとともに、箱田は首から地面に落下した――大外刈り、炸裂。

 

「が、ああぁ……!」

 

 悶絶。力なく地面を転がり、うつ伏せになった。

 

「おい、箱田! 大丈夫かっ!」

「なんでこんなに動きが鈍いんだ?」

 

 不安の声が伝播している。気に留めず、倒れている箱田に近寄っていく。

 

「お、おい! 道ノ上、お前ッ! 概念力(ノーション)を使ってるだろ、おい、おいぃ!! お前ら使用者(エッセ)は……!」

印章(シンボル)、出てないだろ。一切。だから、これはただのケンカ。なんのお咎めもない」

「う、うそを――」

 

 その顎に、スニーカーのつま先がクリーンヒットした。音もなく、その場に横倒しになる。

 

「そらっ!」

 

 もう一発ッ! 今度は、鼻っ柱にサッカーボールキックをお見舞いした。

 何度も何度も、地面を転がる羽目になる――さて、そろそろ頃合いじゃないか?

 

「おい、箱田。どうした。立てよ」

「……」

 

 ブルブルと震えている。戦意喪失といったところか。

 

「記念にその腕、叩き折ってやるよ」

 

 こいつの左腕を背後から掴んで持ち上げて、右足を肩甲骨に押し当てる。

 もう少しか? ……そう、そうだ。この角度。ここだったら、上腕骨を関節から剥がしてやれる。骨を折るよりもこっちの方がいい。

 

「そこまでじゃ! 渉」

「うおっ!」

 

 尚吾による体当たり。不意を突かれた、転びそうになる。ケンケンの後、なんとか体勢を立て直す。

 

「尚吾。なにすんだよ」

「邪魔して悪かったのう。でも、ほんとにやるつもりだったんじゃろ? 一般人(エンス)相手に概念力(ノーション)なんか使うてからに。ただのケンカにしたって、こりゃあひでえ」

「……」

 

 尚吾から視線を離した。残りの不良連中の方を見る。俺が見ていることに気が付いたようだ……。

 

「あ! あー、あー! あぁっ!」

「……」

 

 ひとりは絶叫を。もうひとりは絶望のあまり声を上げられずにいる。

 

「おい、どうした! 大丈夫か」

 

 尚吾の足元にすがる不良どもの姿があった。

 

「目が、目が見えないんだよっ!」

 

 顔面蒼白。この一言がふさわしい。ふたりとも尚吾の足先で蹲っている。

 

「渉! そろそろ……やめてやれ」

「チッ」

 

 概念力(ノーション)を解いた。ふたりとも我に返ったように肩で息をしている。

 

「尚吾。俺、なんにもしてないけど」

「……ゴジョーダンを」

 

 箱田たち三人を見下ろせるところまで歩いていく。

 

「おい、お前ら」

「あ、あぁ……うわあぁッ!」

 

 退散しようとする。が、足元がおぼつかず、ろくに立ち上がれもしない。

 

「尚吾、悪いな。お前がいなかったら」

「もうええ」

 

 尚吾は、俺の肩をフワッと抱きしめる。

 

「もうええ、もうええ」

 

 そして、耳元でささやくのだった。

 

「……でも、渉。お前、概念力(ノーション)使っとったじゃろ」

「誰にも言うなよ」

「わかっとる。それに、あいつらも面子が丸つぶれになるけえの。先公どもには言わんじゃろう」

 

 *  *  *

 

「……」

「道ノ上くん、どうしてこんなことをしたの? 人として間違ってるって、わかるよね? 誰だって、殴られたり蹴られたりしたら痛いよね?」

 

 職員室。俺は今、担任である和田先生による詰問を受けている。

 あの直後だった。ごく普通に現場を押さえられてしまった。

 

「別に」

「別に、では済まないのよ? あなたは暴力をふるったの」

「あいつらだって」

「道ノ上くん。今はあの子たちは関係ないの」

「和田先生。あいつら、篤から金を取ろうとしてた。いじめ、いや違う、いじめなんて言葉でごまかしていいものじゃない。犯罪じゃないかよ。俺はそれを止めようとした……だけなんだ……それに」

「……いいのよ? 道ノ上くん。なにかあるなら言ってみて?」

「あいつら、普段は先生たちのことを馬鹿にしてるくせに、いざとなったら被害者面して、助けを求めて……恥ずかしくないのかよ」

「……道ノ上くん。どんな理由があっても、悪いことは悪いことなの。必ず見つかるのよ。空の上からお天道さまが見ているから。そういうものなの。だから、どれだけ隠そうとしても見つかるし、罰が当たる」

「……」

 

 歯軋りを隠せない。ギリ、ギリリッ、という音が漏れている。

 

「伝え方が悪かったわ。あなたのことを責めてるんじゃない。あの子たちが神部くんからお金を取ってること、先生、気が付いてたよ。だから、さっきだって君たちがあそこから居なくなる前に、先生たち辿り着いたよね。間に合ったよね。『なにしてるの』って、怒鳴っちゃったよね」

「……すいません、でした」

「もうしない?」

「それは……」

 

 ガタ、ガタ……ガー、ガタンッ! と、不機嫌な音を立てて職員室のスライド扉が開く。

 ――凄まじい剣幕とともに由香里が入ってきた。近づいてくる。

 

「馬鹿ッ!!」

 

 俺の頬面を張り飛ばした手のひら。

 ……頬に血の感覚が滲んでいる。

 

「ねえ、どうして……?」

 

 力なく、俺の両肩を掴んで吐息を漏らす。

 

「どうして、いつもそんなんなの? だから、わたしたち、いつまで経っても溶け込めないんじゃない! もう……三年目なんだよ? ここにきてから」

「悪い」

「悪い、じゃないわよ……あやうく本気で殴るところだった」

 

『お前の本気で殴られたら、あの山の向こうまで飛んでいってる』

 言いかけて、思い留まる。

 職員室は、静かなようで、騒がしいようで――教育委員会という言葉が聞こえた。

 

「……」

 

 由香里の拳が肩口をトンと叩く。視線が交わった。

 

「いい? 合わせて。何も言わなくていいから」

「……」

 

 由香里はこの光景を眺めている教職員の方を向いた。

 

「この度は、ご迷惑をおかけしました。謝罪します」

 

 九十度の立礼。静まる、職員室。

 

「ごまかしません。こちらの道ノ上渉は、特殊概念能力、いわゆる概念力(ノーション)を使いました。神部篤も使おうとしました。みなさまに不安と不信を与えてしまったことを反省し、二度とこのようなことをしないと誓います」

 

 職員室は、静かだ。

 

「だから、だから、もう一度だけ、もう……一度……だけ」

 

 泣き出してしまう。和田先生が止めに入った。

 由香里の肩を両手で掴んで、自分の方に向き直らせる。

 

「もういいのよ、汐町さん。あなたは……もう、十分だから」

 

 抱きすくめると、和田先生は、職員室全体をぐるりと見渡して、

 

「聞いてください。ご承知のとおり、この子たちは保護者の懸命な判断により……」

 

 それからも話は続いたが、てんで聞き取れなかった。

 目覚めたまま、意識は、ひたすらに落ちてゆく。ひたすらに、闇へと。

 ああ、いやだ。こんな感情、もういやだ。こんな気持ちにならないためだったら、なんだって、どんなことだってやってやる。やってやるよ――この気持ちは、確信だ。

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