月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#11:心らしきものが消えて(前)(2/4)

 日が沈みかけている。

 夕暮れ時のうろこ雲。溢れ出したわずかな光が雲そのものを伝っていた。

 夜が迫っている。今にも沈まんとする太陽の最後の足掻きのごとく、西の方角からの一隅を残すのみで、あとはほとんど暗がりだった。

 雲の縁々からは、薄もやのような赤い光が漏れ出ている。特に光量が多い部分がちょうど自分を照らしている。

 すべてを包み込むはずの、あの夜が間近に迫っている――帰る場所はない。

 

「首無地蔵菩薩……?」

 

 来たことのない場所だった。

 

「いや、違う。一回だけある。二年前だ。一年生の時、遠足でここの寺に来たことがある」

 

 高い、高い丘の頂にいる。風は冷たい。

 『足元注意』の看板に目をやる。境内に目を移すと、数人の参拝客が帰るところだった。

 お寺の入り口にグレーチングがある。そこから延びる、白いコンクリートで舗装された坂道を、参拝を終えた老人たちがゆっくりと下りていく。

 

「変わらないな」

 

 いくつものお堂がある。その中でも、特に大きな社屋の中に、頭が欠けたお地蔵――通称、首無地蔵がある。お経の書かれたタオルを買って、そいつの頭を摩ると願いが叶うという。

 

「『露の世は露の世ながらさりながら』、だっけ」

 

 首無地蔵が鎮座しているお堂。入ってすぐのところに、パソコンで印刷されたであろう俳句が貼ってある。

 ふらふらと、お寺の正面から一八〇度回転して反対側を向く。すると、この町を一望できるのだった。それくらい高い地点にいる。

 

「……あ」

 

 さっと、崖下を見下ろす。

 ガードレールはない。身を乗り出したところで止める者はいないだろう。

 

「……」

 

 目を閉じる。

 そのまま、ずっと佇んでいた。

 ずっと、ずっと。

 

「……チッ」

 

 目を逸らした。舌打ちをした理由はわからない。でも、少なくともさっきは崖の下を観続けていたかった。理由? 知るか。

 

「あ、そうだ」

 

 左手側に向き直る。これまで辿ったであろう道を引き返すべく、身体が動こうとしている。

 

「けっこう走ったんだな」

 

 漫然と歩き出す。

 これまで走ってきた道というのは、意外とキレイに舗装されていた。山岳地帯にあるというだけで、すべての道が舗装されてないわけじゃない。

 

「なんだよこの道路、立派すぎるだろ。いくら観光名所が近くにあるからって……」

 

 戻っている途中、こぢんまりとした変電所に出くわす。山の奥に続く小路があった。人ひとり通れるかも怪しい。

 通れるのだろうか? ……行ってみたい。なんだか、この小路に入ってみたい。

けど、誰かに見つかったらどうしよう。しかし……

 

「あーもう、行ってる場合か! やめやめ」

 

 かぶりを振って、また来た道へと。

 さらに、歩いて、歩いて。さっき車止めを飛び越えたばかりの、桜の名所で知られている大きな公園が見えてくる。

 

「……」

 

 葉桜の群れがある。

 すっかりと薄緑色に染まった桜の木々を見て、思う。

 なぜ、自分は今、こんなところにいるのだろう。なにもかも気にせずに生きていければいいのに、と。

 出口まで来たところで山岳の方を向いた。

 

「ここから先には行けません、か」

 

 工事用の看板がビッシリと並んでいる。行く手を阻んでいるのは……これらの看板と、カラーコーンと、バリケードと、鉄条網。以上一式。

 ……国府(こうふ)の森。その入口である。

 山の奥へと向かう、はるか先にまで続く坂道をぼんやりと見上げる。

 グギュルルルルルルル……。

 お腹が鳴った。いつもなら夕食のはず。

 

「……ははっ」

 

 カバンを投げ捨てる。

 

「ああ、そうか。初めからこうすればよかったんだ」

 

 勢いをつけて走り出す。

 靴底に響いてくるアスファルトの感触。向こう側には、人の手が加わっていない自然道が見えている――あと三歩、あと二歩、あと一歩――すうっと、息を吸い込んだ。

 

「よっとっ!」

 

 鉄線の柵をしっかと順手で掴んだなら、空中に身を乗り出す。

 滲み出る血。その感触がむしろ心地いい。両手で鉄線を掴んだまま、前方にくるりと回転し、そして――

 

「着地成功!」

 

 足取りは軽やかに。心の(おり)は重くとも。

 

国府(こうふ)の森。頼んだぜ。俺の願いを叶えてくれよな」

 

 *  *  *

 

 カバンを投げ捨てたら気分まで軽くなった。

 一歩一歩、地面を踏みしめる。獣道とまでは言わない。かといって、そこまで生活感があるわけでもない。田舎道といったところ。

 横幅およそ3メートル。草の丈はくるぶし程度。

 坂道を足早に進んでいく。廃屋に近い状態の古い家や、朽ちた神社が残っている。かつては、このあたりにも人が住んでいたんだろうか。

 

「そうだ。ここはまだ国府(こうふ)の森じゃないんだよな。手前なんだよな」 

 

 一歩、また一歩と田舎道を進んでいく。

 歩き始めてから、少なくとも十分が経っていた。額に汗が滲んでいる。フェイスタオルを取り出して、ざっくばらんに汗を拭う。

 タオルをじっと眺める。中学生になって初めての誕生日に、由香里からプレゼントされたもの。

 

「……ちょっと休むか。風情もあるし」

 

 立ったまま辺りを見渡す。

 この道と民家との境目だった。ざっくばらんに石柱が横たわっている。俺は吸い込まれるようにそこに座した。

 

「……」

 

 足元でコガネムシが死んでいる。つま先で、コロッとやって退かす。

 ……周辺には山林が広がるばかりで、開けた地形はないに等しい。

 道の先を見通すと、あるところでいよいよ森が始まっている。あれが入口だろうか。

 夜空を見上げる。満点の星々が広がっている。しみじみとした表情で、視線を前に戻すと、

 

「!」

 

 誰かが……目の前を通り過ぎようとしている。この近くに住んでいる人だろうか?

 

「……こんばんは」

 

 うっかり挨拶をしてしまう。

 

「? 人がいたのか。あんた……見ない顔だな」

 

 暗い。顔がよく見えない。

 低めの声だった、背は高い。学ランを着ているが、あれは中学校のものじゃない。高校生だろう。

 

「帰りなよ。ここは危ない」

「それが、用事があって」

「ふうん。あんたがそう思ってるなら止めないよ。でも」

「……でも?」

「気が付いたら死んでいた、なんてことがないように」

 

 言い残して、坂の下の方に歩いていく。姿が消えると、俺はまた国府(こうふ)の森の入口を眺めた。

 

「痛ッ!」

 

 足首に痛覚がある。

 ……コガネムシだった。靴下の上から俺の皮膚をガジガジと齧っている。

 

「え……なんで? こいつ、さっき確かに死んで――」

 

 ポロッ。足首を齧っていたコガネムシが地面に落ちる。

 

「……死んでる」

 

 変な気分だ。(かぶり)を振って追い払おうとする。

 すっと立ち上がった。また歩みを進めよう――

 

 *  *  *

 

 ……ずにゅっ!

 地面がぬかるんでいる。手のひらを空に向けてみた。雨は降っていない。

 もう少しだ……ああ、ようやく見えてきた。国府(こうふ)の森のスタート地点が。

 森林のど真ん中に自然道が延びている。高く成長した樹が頭上を覆っていて、雨が降っても濡れる心配はなさそうだ。

 植生は……針葉樹だろうか? 竹が多い気がする。竹って、針葉樹だっけ?

 

「さ、行きますか」

 

 一瞬、頭をもたげる。集のことが。

 ――かぶりを振った。前方に進んでいく。

 

「お前、どこのもんじゃっ!!」

 

 今まさに、国府(こうふ)の森に足を踏み入れたところだ。

 目の前に声の主はいない。と、なると――

 

「どこのもんじゃと聞いとる!」

 

 真上を見る。

 

「!?」

 

 ――刃が降ってきた。人間ごと。

 バックステップッ! 真後ろに跳んでかわす。ズリュッという、ぬかるみの気持ちが悪い感じ。

 ……背の小さい少年が立っている。

 

国府(こうふ)の森に何の用じゃ、お前」

「入れてくれよ」

「……あ?」

「俺を、国府(こうふ)の森に入れてくれよ」

 

 門番は小刀を突き出して構える。

 

「ここから先に入りたいってか? そんなもん許さんわ!」

 

 ため息を吐く。

 

「なんじゃ? その余裕は。ほら、足元を見てみい」

 

 体勢を整えるべく、足先を上げようとする――上がらない。ぬかるんでいただけの地面がすっかりと汚泥になっている。

 門番を見た。にんまりと笑っている。

 不思議だった。憎しみが伝わってきてもいいはずなのに、どういうわけか楽しげな感情が伝わってきたから。

 

「そら、いねやっ」

 

 汚泥など無きがごとく、俊敏な動きで迫り来る。逆手に持った小刀を、まっすぐに振り下ろして――

 

「がっ!?」

「捕まえた」

 

 速い。が、単純すぎる。

 なんのことはない。俺は今、こいつの手首をしっかと左手で掴んだなら、残りの右手を上からスッと差し込んだ。そして、次の瞬間には完成していた――必殺の――腕がらみ(アームロック)がッ!

 

「がぁっ! ちくしょっ、いてぇ……!」

「……なあ、門番くん。俺、国府(こうふ)の森に入りたいんだけど」

「知るかぁ、入りたいなら、オレを殺してからにしやがれっ」

「わかった」

 

 腕がらみを解いた。

 小刀を離していなかった門番。サッと身構えようとする――よりも早く、次の寝技(?)が決まっていた。

 

「ごッ! おご……」

 

 神速、と言ったら自画自賛になる。

 ……袖車締め。片方の順手で頚動脈に沿った横襟を握り、もう片方の逆手で反対側の前襟を握る。そして、全力で――引きつける!

 

「ご、ご、お……」

 

 立ち姿勢での絞め技は不安定だが、これぐらい密着すれば支障はない。

 あとは、時間の問題……事切れた。

 

「ふう……いやいや、事切れさせちゃだめなんだよ」

 

 力が抜けて、だらりとなった敵を投げ捨てたなら、

 

「せーの、オラッ!」

「ぐ、げぼ、ほっ」

 

 そいつの元に歩み寄り、心臓にカツを入れてやる。まだ咳き込んでるが、そのうち目が覚めるだろう。

 そして、森の奥へと――足取りは軽やかに。

 

 *  *  *

 

 さっきとはうってかわって地面が乾いている。

 スニーカーで歩いているが、靴裏に土くれが付く心配すらないほどの、それぐらい乾いた地面。

 入口から約一キロの地点。ここまで来る間に農道や里道の名残りが見られた。かつては、ここいらでも農業に勤しんでいたのだろうか。

 俺は、おもむろに足を止める。

 

「……さて! そろそろいいだろ? 俺は初心者なんだ、手加減してくれよ」

 

 ガサガサと竹やぶが揺れる。

 

「ハハッ、ボクに気が付くなんて。外の連中にもまともなのがいるんだね」

 

 真上から声がする。

 

「さっき学ばせてもらったよ……変り映えのない」

 

 俺は、やや大きめの声で返事をする。ボソッと悪口を付け加えて。

 

「それはどうも。得物を使うなんて無粋な真似をしてすまなかったね。しかし、次はどうかな?」

「!?」

 

 ――真下からだ。気配を感じる。

 危険だ! と感じて、前方に走り込んだ。

  

「なんだ、今のは」

 

 何メートルか走って後ろを向くと――

 幾つもの土くれの塊が宙を舞っていた。旋盤のように。

 回転を加えながら突っ込んでくる。何発も、何発も。

 

「くそっ!」

 

 ひたすらに避け続ける。

 

「いづうっ!」

 

 肩に当たってしまう。

 ……痛い。冗談抜きで痛い。どこか折れたかもしれない。

 が、今のでわかった。これは土だけじゃない。

 

「中身は岩石ってわけか。どうりで痛いわけだ」

 

 ――笹の葉が落ちてきた。樹上にいるであろう敵人を、しっかと見つめる。暗闇でよく見えない。

 今しがた俺にぶつかり、地面に落ちた土くれを掻き分ける。ああ、やっぱりだ。手のひらサイズの石だった。おにぎりかよ。

 拾った石をしっかと握り締める。

 

「ハハッ、しっかりと罠にかかってくれたね。どうだ、ボクの輝石投射陣(ダイヤモンド・クラスター)の威力は」

 

 ハハッ、じゃねえよ。どっかの遊園地にいるっていうネズミかよ。公民館の視聴覚ルームの中でしか見たことないけど。

 

「その、ダイヤモンドなんとかっていうの。けっこうきついかも。肩が痛てえ。なあ、手加減してくれねーの?」

「ハハッ、この世からいなくなったら、痛い思いをしなくていいんじゃないかな?」

 

 今のこいつの台詞を、あのネズミと重ねてみる。

 

「ブフッ……そりゃあ、名案だと思う」

「一体、なにが面白いんだい?」

 

 敵の影が揺れるのを確かめる。身を乗り出したのだろう。

 なるほど。あそこか。

 

「ところであんた。概念力(ノーション)を使うときって、技の名前、叫ばないといけないタイプか?」

「さあね。人によるんじゃない」

 

 地面が盛り上がる際の、わずかな音を聞き分ける。

 ――今だ。今この瞬間、地面からダイヤモンドなんとかが噴き出した。高速回転が加わった石ころが、土くれを伴って飛んでこようとしている――飛んできたっ!

 前転、横っ飛び、地面を転がる、伏せ、ありとあらゆる動きでもって、石をかわしていく。

 

「しつこいね、きみっ!」

 

 ゴ、ゴゴ……! 幾つもの土の塊が地面からせり上がって――宙を舞っている。

 

「トドメだっ!」

 

 物体が四方八方から迫ってくる――その軌道は、暗闇の中でも俺を器用に捉えているんだろう。

 

「……あ?」

 

 すべて不発に終わる。

 真砂土という衣を身にまとった岩石は――何の抵抗もなく地面に落ちた。

 

「ど、どういうことだ……? 目が、目が見えない! おごっ!」

 

 鈍い音が聞こえる。人が落ちてきたから。受身すら取れず、地面にバウンドして跳ね返った、あわれな肉の塊。

 何をどうしたかといえば、①攻撃を避けながら敵の位置を把握する、②敵が本気の攻撃に出るのを待つ、③視界を遮断して混乱させる、④最初に拾っておいた石をぶつける、⑤樹から落ちてくる。以上。

 落ちた敵のところまで歩いていく。胸ぐらを掴んで持ち上げた。様子を確かめる。

 

「おい、どうせ生きてんだろ。目、覚ませ!」

 

 頬をバシバシ叩いていると、

 

「ぐ……お前、どこの聚落(じゅらく)の者だ」

「その辺の田園地帯に住んでる」

「嘘をつくなよ……お前も使用者(エッセ)だろう」

「そうだ。山野辺から越してきた」

 

 こいつの感情が動いた。瞳孔の動きでわかる。

 

「山野辺……そうか。復讐に来たんだな」

「なんのことだ」

「とぼける……なっ、う……!」

「まぁ、あの高さから落ちたらな」

 

 血塗れの頭部にフェイスタオルを当ててやる。

 

「なにをする……? おい、やめてくれ、侮辱だ!」

 

 構うものか。血を拭う。

 

「……なあ。俺さ、国府(こうふ)の森に入りたいんだけど。何か方法とかあったら、教えてくれない?」

「プライドがないのか! ボクらが燃やし尽くしたんだぞ、お前の故郷……を……」

「滅んだとは聞いてる。まあ、今の俺達には大した話題じゃない」

「気絶してる。出血がひどいな。カバンがあれば枕にできたんだが……おっ」

 

 先ほどまで戦いに使われていた石を持ち上げる。

 

「このくらいの石でちょうどいい。枕代わりになるな」

 

 『でも、こいつはやれないんだ』とタオルを取りながら呟いた。

 頭を石枕に乗せてやった後、さらに奥へと歩みを進めていく。

 残りは、ええと……直線距離だと3,4キロか? でも、山道だからな。もっとあるんだろうな。道がグネグネしてるだろうから。

 足取りは軽やかに。ここまで来ると心の澱も消えつつある。

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