「あれ?」
ここはどこだ?
「……あー」
間違いない。ごみステーションにいる。もちろん中に。
盛大な可燃ごみの山に埋もれてしまっている。
「くせえ……」
さて。まずは、この一帯を見渡すべきだ。
……初めは真上。太陽がすでに昇っている。一応、朝らしい。
次に地面。まん前は道路であり、両サイドに歩道が備えてある。
「通学路だ。いつもの」
頭を抱えていたが、やがて、すっくと立ち上がる。
キイィ、という音を立てて、ごみステーションの扉が開く。
グギュルウウウウウウウウウウ……お腹が鳴った。
「くそ、家には帰れないし……てゆうか、今何時だ?」
「見つけた」
「!?」
……由香里。由香里だった。
澄ました表情を保っている……涼しげな明るさを湛えたあの笑顔を思い出す。
右手を見ると、スカートの丈を握ったり離したりしていた。
「何してんの? 渉」
涙が出そうになる。ぐっとこらえ、その顔を見る。
「ちょっと、ホント何してんの? こんなところで。昨日、栞さん大変だったんだよ」
「由香里。ちょっといいか」
ごみステーションの前から離れる。由香里の前へと。
「なに?」
「金を貸して欲しい。300円。今、手持ちがな――ブジエアアアアアアアアアアアsjfぢおさふぃだえらえっテッ!!」
身体が飛んでいる――歩道から車道へ、車道からまた歩道へ。
道路を挟んで向こう側にあるごみステーションの金網にぶつかり、もんどり打って倒れてしまう。
……由香里が歩いてくる。もう、すぐ目の前にいる。
「ゆ、由香里っ!」
「なに」
「……ごめんなさい」
「わかればよろしい」
我ながら、情けない謝罪だった。
自分の家の方角を見つめる。
「ねえ。一体何があったの?」
いつもそうだ――この冷静さは。由香里は、危うい状況であればあるほど冷静になっていく。
「なあ、俺のこと、警察が捜したりしてるのかな」
「してるわけないでしょ。あたしたち、法律上は人間じゃないんだから」
「でも、栞は」
「もちろん探してるわ。今は、たぶん――」
「荒谷町を探すって。今朝言ってた」
「……聞かないのかよ」
「なにを?」
「どうして俺がこんなこと、したのかって」
「ふーん……どうしてこんなことしたの?」
考え込んだ。いったい、どう答えればよいものか。なにもかも包み隠さずに話すことはできない。できるものか。
「やっぱりいいわ。聞かない」
「なんで?」
「逆に考えてみて。問われているのが、あたしの方だったとするでしょ。それで、渉は、あたしが言いたくないことを聞き出そうとしてる。さあ……どうなると思う?」
頭を引っ掻く。知恵比べでは一生勝てないだろう。
「えーえー、どうせ俺は、人の気持ちなんてわかりませんよ……」
ふて腐れてしまう。情けない。
『やばいっ、誰か来る!』
山へと至る坂道に逃げ込んだ。由香里もついてくる。
「……ふう」
隠れおおせた。心臓がバクバクいっている。
陰から身を乗り出すと、その正体が鵜飼尚吾であるとわかる。
尚吾になら、見つかってもなんとかなったかもしれない。いや、だめだ。こっそり栞に報告するかもしれない。モノで釣られるとかして。
「あははっ! 渉、すっかりびびってる~!」
由香里が笑い出した。
ぐいっ。袖を握られてしまう。
「栞さんも
耳元で囁いて、俺の手を握ってくる。
「由香里。どうした」
……眼を閉じている。これは、
「エアリアル・プロンプト」
呟きとともに、軽やかにジャンプ――あれよあれよという間に空中に舞い上がる。
「暴れないでよ」
「二人分、支えられるようになったんだな……やっぱり、由香里はすごいよ」
「まあね」
そっけない返事だった。
……ユラユラと宙を漂っている。確実にこちらを見ている者がいるんだろうけど、見つからないという自信を持つことができる。きっと、工学迷彩的なナニカをやってるんだろう。
「もっと褒めてもいいのよ?」
山蔭に、自分の家と、由香里の家と、篤の家と、砂羽の家と……ぼんやりと眺めながら、
「ありがとう。幼馴染に生まれてくれて」
「ばかっ」
熱さを感じる。握られた手のひらに。
* * *
由香里の家。その玄関先にいる。
午前八時四〇分。とうに朝礼が始まっている。
「おい、由香里。由香里ったら」
腹を抱えて座り込んでいる。プルプルと震えて、右手で玄関前の朽ちた柱を握り締めている。
やがて、『もうダメだ』とばかり、膝をついてしまい――
「ぷ、は、はは、は、はぁ、ぁ……!」
「……」
「もーだめ。もー、いやいや、まさか、
笑いがやまない。箸が落ちてもおかしい年頃……というやつか?
「かなりの下っ端なんだろうけど……って、あんまり騒ぐなよ……お母さん、まだ寝てるんだろ」
喋りながら菓子パンを頬張っている。今さっき、洗面台を借りて身なりを整えたところだ。
「渉、食べながら喋らない!」
「んぐぐ……」
残りを一気に飲み込む。いつもよりだいぶ遅めの朝食だった。昨日の夕食も食べていない。
由香里を見ると、体育で使う青紫色のハーフパンツを履いているところだった。あれ、いつもそんなの履いてたっけ? まあ、履きたくなることもあるんだろう。
ただやっぱり残念なのは、ハーフパンツをガバッと履いたことでスカートが捲れ上がり、下着が一瞬丸見えになったことだ。
今日は薄めのオレンジだった。こう種類が多いと気が滅入る。お母さん、そんなにたくさん買ってくれるのか? 俺なんか4つくらいしか持ってないぞ。栞はもう少し持っている。
余計な考えごとはよそう。今、本当に考えるべきことは――
「食った食った。さて次は。よいしょっと」
汐町家の消臭スプレーを手に取った。シュッシュッと、学ランに振りかける。これで、生ごみのニオイも消えるはず。
「腹も膨れたし、消臭もOK。あとは」
あの山の方を見やる。当然、
「ありがとな、由香里。じゃあ行ってくる」
「わかった」
由香里は、カバンを肩に掛けたなら、
「実はね、裏道もあるのよ。どっちから行く?」
「……え?」
お前は何を言ってるんだ?
「だから。正面突破だとバリケードがあるでしょ。あんたはいいけど、あたしが昇ったら制服のスカートが破けるでしょ」
「いや、
「察知されたらどうするの?」
「う! いや、それは……」
「ほら~、渉! やっぱり甘いんだから!」
いや、違う。そういうことじゃなくて。なんで、お前がついてくるんだ?
負けじと、ふたつの瞳を覗き込む。
「家を出たいのは俺なんだ。なんでついてくるんだよ。おかしいだろ! 学校いけよ」
「学校なんてつまんないし」
「毎朝、元気に挨拶してるだろっ!」
「みんな、『おはよう』って返してくれないのよね。技術の授業で一緒の班になった子たちもね、ぜんぜんだめなの。和田先生にも相談できなくなっちゃったし……あたしも、
安田が? 和田先生はもう居ないんだぞ。なんのメリットがあって? ……いや、やめよう。こういう次元の低いことを考えるべきじゃない。あいつはあいつでいい奴だ。目標だって持ってる。
「もういいよ、好きにしろ。俺は正面突破するからな」
「じゃ、あたしも」
幼い頃を思い出す。
真っ暗な山林に一番最初に駆け入るのは俺で、その次が由香里だった。さらに次が砂羽で、最後は決まって篤だ。
……深呼吸をする。腹は決まった。
「由香里。俺についてきてくれるか」
「……うん。いいよ」
コクリと頷いた。急にしおらしくなる。
「あら~! 渉君じゃない。久しぶりね~」
突如、ガチャリと扉が開いたと思ったら――
「あ、
汐町水鳥。由香里のお母さんだ。
パーマのかかった髪の毛がボフッとなっている。寝ていたのだろう。夜に仕事してるんだっけ?
「どしたの? あんたたち。学校は?」
娘を見ながら言う。
「うん、その……寝坊しちゃって……えへへ」
バツが悪そうに笑んでいる。
「……それだけ?」
こわばりを見せる由香里。あくせくしながら、
「ええと、あれの……が」
最後は小声だった。
まあ、分かるんだけどな。なんて言ったのか。心が揺れる感じで。
最近目覚めた能力だ。誰にも言ってない。『ええと、あれの後始末が』かな?
二人は玄関の中でボソボソと話している。
「……そこの男前くん! 娘のことでちょっといい?」
「ハッ、ハイ!」
男前な方じゃないけど、消去法で俺になる。水鳥さんは両手を腰のあたりに当てて俺を睨んでいる。
「よく看てあげてね」
そう告げて、俺のすぐ横へと。
「でも、ヘンなことしちゃだめよ? 大事な娘なんだから」
「ははっ、これはまた、ゴジョーダンを……」
俺達の姿をチラッと見て、二階の寝室に戻っていった――
俺の方を振り返って由香里は、
「よおっし。それじゃ、行きますか」
そう言って、俺の斜め後ろへと。
「なんか、昔みたいだね」
「そうだな」
汐町家の玄関を振り返る。あの日、あの夜に垣間見た情事がよみがえった。