月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

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#12:心らしきものが消えて(後)(2/5)

 張り巡らしてある鉄条網。昨日は無理やり通ってしまった。

 いま俺は、鉄線に絡み付いているであろう血の跡――を高台から見下ろしている。

 

「まさか、こんな普通に通れるなんて……」

 

 昨日のあの道とは違う方角、およそ百平米ほどの溜め池を挟んで向かい側に、花見客向けの駐車場がある。

 家からそう離れていない其処に、コンクリート造りの階段があった。昇っていくと、薄暗い山奥へと続く道があるではないか。

 普段の往来がないためだろう。コンクリートで作ってはあるものの、隙間という隙間からツルやツタが生い茂っていた。

 そんな道を、どんどん進んでいったなら――八幡神社の前に出てしまった。けっこうなショートカットだ。

 

「どうしてこんな道を知ってるんだ」

「そりゃ、あたしだって使用者(エッセ)だもの。全国に名だたる名門の聚落(じゅらく)に興味ないはずないじゃない」

「そういうもんかね」

「そういうもんよ」

 

 5月にしては蒸し暑い。学ランのポケットからフェイスタオルを取り出して額を拭った。

 

「渉! それ、あたしがあげたやつだよね」

「え……まあ、そうだけど」

「うれしい! 使ってくれてるんだ。見たことなかったから」

 

 意識して隠していたわけじゃない。なんて返したらいいんだろう。

 

「うん。なかなかいいよ。これ」

 

 由香里の表情が曇るのを感じる。

 

「なかなか~?」

「……いいよ。これ。使いやすくて。ありがとうな」

「わかればよろしい」

 

 由香里はニッとほほ笑んで、俺の隣に走り寄った。視線は、国府(こうふ)の森の向こうにある。

 そして、十数分後――目の前には森林が広がっている。

 まだ青々とした葉をつけたもみじの樹が一面に生っていた。秋になると、上品に燃え上がった朱に目を奪われるに違いない。

 木漏れ日を見上げる。生い茂った樹木の葉を通り過ぎた日の光が白く輝いている。眩しくはない。ほんのりと暖かい。

 

「由香里、もうすぐだ。あそこの神社」

「あの子が吊り下げられてたっていう?」

「そうだ。今もいるかな」

 

 反射的に飛び出した。本殿に続く石段を駆け上がる――

 昇り切る前に、深呼吸。敵の気配を勘ぐる。よし、いない。

 

「ほのかっ!」

 

 いなかった。誰も。

 

「……」

「渉。あれ、見て。地面」

 

 血だ。血でできた水溜りの跡がある。

 

「ひどいことするわ。許してもらえたのかしら……もっとひどい目に遭ってるかも」

 

 俺はかぶりを振った。奥歯を噛み締める。ギリリ、と音がする。

 

「由香里の感覚だと、あとどれくらいで頂上だと思う?」

「……三時間くらい? 道、まっすぐってわけじゃないんでしょ。たぶん」

 

 山の頂に視線をやる。

 

「由香里。俺、決めたよ。いま。あいつを助けたい。ほのかさんにこんなことした連中に一泡吹かせてやる」

「目的が変わってる。仲間になりたいんじゃないの? ……あたしはいいけど」

 

 ――どうして、『あたしはいい』んだろう? どうして、こんなことに付き合ってくれるんだろう。てんで分からない。

 こんな危険なことに付き合わせたくない。でも、一緒に居て欲しい。矛盾している。

 

「よし! ぜったい登り切ってやる」

「あらら~! なんにも知らない人間が……」

 

 ――気配。敵か?

 由香里の左手首を握った。本殿の傍に寄っていく。

 

「そこなら攻撃を受けないって? まったく浅知恵だね」

「てゆーか、きみ。朝令暮改にもほどがあるよ? 昨日、入口でさ。彦一にさ、俺らの仲間になりたいって言ってなかった?」

 

 三人。いつの間にやら三人に囲まれている。

 彼らは飄々とした調子で歩いてくる。なぜだろう、歩行の音がほとんど聞こえてこない。

 

「どうして、ほのかにあんなひどいことをした」

「口の利き方に気をつけろ。なにもわかっておらん小僧がっ!」

 

 四人になった。

 こいつは、ほかの三人と比べてガタイがある。成人のようだ、髭を蓄えている。

 みな、似たような服装だった。紺色の、作務衣(さむえ)のようなものに身を包んでいた。下袴が膝までのズボンになっている。

 

「お前、うちに入団したいそうだな」

「……」

「嘘、だな。ついでに言っておこうか。ほのか様を助けたいというのも嘘だ。わかるのは、ただひとつ。お前は、とある自分勝手な理由でここに来た」

「違う!」

「違わない。そういうことで、我らは戦わねばならん……次は、ごみ捨て場ではない。あの世に送ってやる」

 

 バサッ、という音がする。由香里がカバンを投げ捨てた。

 お互いの背をつけるようにして敵集団と対峙する。俺の方には大柄の男が。由香里の方には残り三人が。

 背中越しに、触れ合った指先を押し合う。この場を離れる瞬間の合図を送りあう――今だッ! 戦いの火ぶたが切って落とされる。

 

「いくぞっ!」

 

 俺が走り出すと、男はファイティングポーズを取った。

 

「なんだ? 目が見えんっ!」

 

 いつもどおりの手。

 男の胸襟を掴んだなら、大外刈りで、投げ飛ばそうとする――

 

「うおっ!?」

 

 叫んだのは俺の方だった。たやすくかわされる。次いで差し出された男の足に躓きそうになる。

 

「くそッ!」

「お前の能力は把握している。強力だが、あまりに単純だ。ほかの者からも、こうやって避けられたことがあるんじゃないか」

 

 図星。

 

「わかるのだ、印章(シンボル)の感じで。おおよその位置が。彦一も、史朗も、いったいどうしてこいつに負けた? 塩飽(しわく)も苦戦したという。わからん」

 

 言い終えるやいなや、男が突進してくる。

 

「速いッ!」

 

 『走り始めた』と思ったら、もう目の前にいる。

 

「フンッ!」

 

 中段からのアッパーカット。大振り過ぎる。後ろに跳んでかわせ――なかった。

 

「がぁ!」

 

 人間の速度じゃない。背後に回られて拳骨を打たれた。直撃のようだ、背骨に痛みが走る。

 

「……!」

 

 もんどり打って倒れるとともに、勢いを味方につけて地面をゴロゴロと転がってゆく――体勢を整えた。

 

「遅いっ!」

 

 背後を取られた。一体なんなんだ? このスピードは。

 

「そらよっ!」

「! 卑怯者が……」

 

 拳が振り下ろされる直前――乾いた地面を蹴り上げて、敵人の眼に砂利をぶつけた。

 ……走り込むようにして後退する。今度は大丈夫だ、追ってこない。

 

「おい、あんた! こっそり強化魔法(バフ)を唱えてるだろ! それでも大人かよ」

「卑怯なことではない。が、これならば……少しは卑怯かもしれぬ」

 

 ヌラリと人差し指を出してくる。

 

「私は人刺し指と呼ばれている。どうしてか、わかるか」

 

 腰を落として俺は、防御の構えをとる。

 

「……来る」

 

 指がこちらを向くのと同時、俺は横っ飛びに走り出して一番大きな杉の木に身を隠した。

 

「ラッシュディスト」

「クリティカルディスト」

「ヘイストディスト」

 

 詠唱が聞こえる――いま俺は、たぶん冷や汗をかいている。大事な力が失われていく感じがする。そうか、これは。

 

「くそ、弱化魔法(デバフ)か……あがっ」

 

 痺れがくる。動けない。

 刻一刻と、近付いてくる敵人。心臓が早鐘を打っている。

 

「出て行ってやるよっ!」

 

 大声で叫んだ。

 

「どうした、はったりか。出てきてみろ」

 

 万事休す。

 ……自ら大樹の蔭から出ていった。敵人は、すかさず走り込んで距離を詰めようとする。

 今できるのは、敵を見据えること。そして――

 

「なんだこれはっ!?」

「どうだ、気持ち悪いだろ」

 

 敵が立ち止まる。

 

「なるほど。感覚であれば、何でも無くせるのだな。見事だ。空気の流れすら感じることができん」

「そういうことだ!」

 

 逡巡している男を尻目に身構える。

 睨み合いが続いたが、やがて男が動き出した。不慣れな感覚のせいだろう、はっきりいって遅い。

 俺も走り出そうとする。走り出せない。

 

「くそ、動けっ!」

 

 まだ、さっきの弱化魔法(デバフ)が効いている――フラフラと身構える。

 

「頼む、頼む、頼む……!」

 

 距離が詰まりつつある。さて、相手の動きは?

 ……上段からの右ストレート。勝ったっ!

 

「ッ!」

 

 脱力することで上段からの一撃を回避する。が、尻もちをついてしまう。

 

「フンッ!」

 

 続いて繰り出された前蹴りに合わせ、なけなしの力を振り絞って、その足へとパンチを食らわせる――拳骨と布とが擦れ合う音。力負けして跳ね飛ばされる。

 

「ははは。まだまだだった……な……?」

 

 男の顔つきは、余裕から一転、

 

「ぎゃああああッ!!」

「どうだ、痛くってしょうがないだろ……ああ、その顔だよ、その顔。今さら気が付きましたっていう」

「あ、が、あああああぁ……!」

 

 コムシのように細くなっていく声。しゃがれも加わっている――やがて、泡を吹いて気を失った。

 

「一万倍以上の痛覚強化はやりすぎかな。質料(ヒュレー)が勿体なさすぎる……さて。自称人刺し指さんを片付けたところで」

 

 後ろを振り向いた。

 

「!」

 

 由香里、と声をかけそうになる。

 ……防戦一方だ。三人組から一方的な攻撃を受け続けている。

 一人は、地面から植物のツタを吹き出して足を止めようとしている。

 もう一人は、炎熱を帯びた刀剣のようなものを振り回している。飛び散った炎が制服につきそうになったのを由香里が払い除けたところだ。

 最後の一人は、水の蛇を作り出して上空から狙いをつける。水は、すぐ近くにある手洗い場の蛇口から噴き出している。時を経るごとに、水の蛇は大きくなっていく。

 炎熱の刃が前方からの攻めなら、水蛇は背後からの攻めにあたる。

 危うい状況に違いない。

 

「……おかしい」

 

 なにか。なにかおかしい。

 血が滾ってこない。これはいったい?

 ――殺気。そうだ、殺気があまりに少ない。

 

「いや、確かに三対一で戦ってる」

「……くっ!」

 

 ツタが由香里を捕縛した。

 地面の穴という穴から薄緑色のツタが生え伸びている。そのうちの一本が太股に絡み付いている。

 

「捕まえた!」

「さて、逃がさないよ」

「あとで残りの男も片付けてやる」

 

 三人がそれぞれ近付いてくる。

 俺は、おもむろに目をこすった。まだ上天に昇り切っていない太陽に目をやった――八幡神社の境内をじりじりと照らしている。

 再び、目の前にいる男たちへと。

 

「……」

 

 ほっ、と胸を撫でおろす。

 視線を戻した。植物を操っている者以外の二人の攻撃が迫っている。

 由香里は動かない。動こうとすらしない。

 そして、ついに――

 

「ばかな……!」

 

 敵の攻撃は当たっていない。当たりようがない。すべて、すり抜けてしまっている。

 

「……タービュランスッ!」

 

 一瞬だった。絡み付いたツタを引きちぎった由香里という名の物理的存在が、瞬きの速度で敵人との解をもった。

 

「なんで……僕の幻影が……!」

 

 ――鉄拳。その一撃がぶつかった刹那に何十メートルも弾き飛ばされ、山の斜面に転がり落ちていく。見えなくなった。残りの二人は霧のように消えた。

 俺は、手を振りながら由香里に駆け寄っていく。

 

「やるじゃん」

「本気でやったら、あの山の向こうまで吹っ飛んでるところよ」

 

 手洗い場の蛇口を止めに行く。地面から伸びているツタが萎れていくのを眺めつつ。あいつが本物だったんだな。

 由香里はカバンを拾い上げて、山頂へと至る道に行こうとしていた。追いかける。

 

「由香里。いつ気が付いたんだ?」

「幻覚なのは最初からわかってた。だって影がないもの」

 

 俺は鼻を掻く。

 

「敵の狙いは、なんだったんだろう」

精神魔法(スピリチア)が得意だったんでしょ? 相手を完全にビビらせて、それから色々とやるつもりだったんじゃない……例えば、震えて動けない相手に神経毒を打つとか」

 

 *  *  *

 

 それから俺達は、山頂を目指してひたすらに登っていった。

 ただただ、続いていく山道。人が常に歩いているのだろう、歩道は綺麗だった。麗らかな陽気とともに呼吸をする草花を眺めつつ、昔いた山野辺という聚落(じゅらく)のことを思い出そうとする。

 でも、やめた。はっきりいってロクな思い出がないから。そんなこと、思い出す前からわかっている。

 ……いつからか会話が途切れている。話しかけてもよさそうな雰囲気であることを確かめたなら、

 

「なあ、由香里はさ。どうして一緒についてくれるんだ。言っただろ。俺、国府(こうふ)の森で暮らしたいんだ。できるなら、あっちの偉い人と話をして了承をもらいたい、って思ってる」

「ほのかちゃんはどうするの? ほのかちゃんと入団、どちらか一方しか取れなかったらどうするの? てゆうか、どっちも取れない可能性だってあるよ? ま、その時はあたしたち、死んでるんだろうけど」

「ほのかさんだって、なにも命まで取られることはないだろ。ただ、罪……を減刑してもらえればそれでいい。それで、実力があるところを見せつけて、仲間に加えてもらうんだ」

「……ハア」

 

 由香里がため息を吐く。

 

「どうして、ここで暮らしたいの?」

 

 口を開こうとして思い留まる。あんなこと言えるはずがない。

 

「由香里には言えない」

「なんで?」

「……どうしてもだ」

「だから、なんで?」

「どうしても」

「だ、か、ら~! なんで? なんでなの? あたしたち、ずっと一緒だったじゃん!」

「由香里にだから言えないんだ。篤や砂羽にだったら……言え……ない。やっぱり」

「なんなの!? バカッ!」

 

 落ちている石を蹴っ飛ばした。

 由香里の癖だ。気に入らないことがあると、すぐに何かを蹴っ飛ばす。いつも見ている素振りのはずなのに、久しぶりの印象を受けた。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。山頂を目指しての歩みが続いている。

 

「逃げたいんだ。俺」

「へえ、そうなの」

「そうだ。逃げたい。それが理由じゃだめか」

「だめじゃないよ。否定しない」

「逃げてもいいのか?」

「いいよ。だって、あの渉がだよ? 逃げたい、なんて。あたしがそんな目に遭ったら、たぶん死んじゃう。弱いから」

「お前は強い」

「ううん。たぶん、渉の方が強いよ。あ……ちょっと待って」

 

 森の奥を見据えている。俺もいま気が付いた。

 ……いる。ひとり、ふたり。もっといる? ……いや、ふたりだけだ。

 

「……」

「……」

 

 言葉は不要。

 ――黒ずくめの被り物に身を包んだ二人組が走り込んでくる。手元が光った。刃物を握っている。

 一人がわざとらしく白銀に光るナイフを振り上げると、こちら側に陽の光が反射してくる。すると、もう一人が手に持ったナイフを振りかぶって、そして――

 

「渉、いくわよっ」

「おうっ!」

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