どれだけの敵を倒しただろう。両手で数えられる範囲をゆうに越えている。
一筋縄ではいかない連中ばかりだった。由香里のカバンに入っていた救急用具でやけど、切り傷、凍傷、打撲などを癒そうとしたものの、焼け石に水だった。
太陽が南中高度に達してからも、敵は次々に襲ってくる。戦ったり、逃げたりを繰り返していたら、いつの間にか午後二時を回っていた。
休む間もなく、戦いに明け暮れる。そんな日々を過ごしていた頃を思い出す。まだ、身長もロクに伸びていない頃の記憶を。
迷った。ひたすら迷った。整えられた山道だったが、ところどころ二股三股に別れた箇所があって、山頂に至る道を選んだと思ったら危うく下山しかけた。
しかも、その道の先は荒谷町ときている――栞が必死になって俺を探しているであろう地域だ。
午後三時を回ったところで、身を隠せそうな場所をようやく見つけた。ふたりで同じ切り株に腰をかけ、菓子パンを口に運んだ。ご丁寧に、缶コーヒーまで用意していた由香里に敬意が湧くばかりだった。
山頂は遠かった。遠いけれど、いつか必ず辿りつく。そんな思いで、ひたすら歩いた。歩いて、歩いて、歩いて。
白く輝いている太陽が赤色を帯び始めた頃だった。山頂が目と鼻の先に見えてきたのは。
……由香里の手を握った。握り返される。
「もう少しだ。この広くなったところを抜ければ」
その手を引いて、感慨に打ち震えながら歩みを進める。
「ねえ、渉。今まで何人倒したか覚えてる?」
「ええと、倒したのが十四人。戦う前に逃げたのが四回」
「これだけやらかして、仲間に入れてもらえるのかしら」
「どういう意味だ」
「もしかして、何人か殺してるんじゃない?」
「……
「山野辺ではそうだった。でも、ここではそうと限らないよ」
そう言って西を指さす。荒谷町の方角を。
「あっちの道から荒谷町に行けるかも……まだ間に合うよ。栞さんに謝ろう?」
「ごめん。俺、決めたんだ。ここまでありがとう。ここからは――」
林が揺れた。来た道の方だ。
「お前が……
「あんたか。昨日ぶりだな」
ちょいちょいと、由香里が俺の握っている手を引く。
「やられた人?」
と呟いた。
イエスの代わりに手を握り返したタイミングで、女が喋り始める。
「それにしても、おそれいったぞ。ご丁寧に不殺とはな」
「それはどうも」
姿を観察する。昨日と同じような出で立ちだ。
着物。黒に近い灰色の布地に、白い斑点のような花びらの刺繍。髪を後ろで一本に結っている。刀を携えていた。柄に手をかけている、今にも抜きそうだ。
「意思確認を申し出る。お前は、わたし達の仲間になりたいのだな?」
「そうだ!」
「わかった。が、認めるわけにはいかない」
「あんたを倒したらいいのか?」
「決めるのはわたしではない。が、個人的意思として、こういう形での仲間入りを認めたくない。確信があるわけではないが……お前は嘘をついている。虚偽の志望動機は、認めない」
ここで、由香里が前に出る。
「初めまして……いきなりですが、お伺いしたいことがあります。ここにいる彼は、道ノ上渉といいます。虚偽でもなんでもいいです。彼には、
言い終えて、腰を九十度に曲げる。頭を上げたなら、目の前の相手をしっかと見据えた。
俺は、その顔を覗き込んでいた。『はがゆい』という気持ちが伝わってくる。
「実力は十分だ。が、仲間にはできない」
「あなたの個人的意思ですね。ほかの方ならわかる余地がある、と」
「そういうことだ」
「では、先に進みます」
「だめだ」
「どうしてですか?」
「……どうしてもだ」
「どうして、先に進んではいけないんですか」
「本来、部外者は
「でも、入団希望者でしょう。話だけでもさせてください。せっかくここまで来たんですから」
「だめだ」
「どうしてですかっ!」
「だから、どうしてもだ」
「どうしてもばっかり、繰り返さないでください!」
「もういい」
前に進み出る。
「だったら、あんたと決着をつけるっ! それで前に進む……俺一人でやる。手を出すなよ」
後ろ手にサインを出す。
「……わかったわ。見てる」
「どうしても退かぬというなら、致し方ない」
女が、こちらに歩いてくる――ここは開けた地形だ。素早い動きにも対応できる。
「おい、男子。死ぬ用意はできているな!?」
「当然」
――刀を抜いた。夕日に煌いている。長さは1メートルもない。やや短かめだ。
敵人が構えをとった。体勢を斜めに傾け、刀身を前に突き出す。いつでも袈裟斬りができる姿勢になった。
「あれ、タイ捨流よ。覚えてる?」
こくりと頷いて、俺は走り出す。敵が構えた。
その間合いへと一気に――飛び込んでいくっ!
「むっ! 今度は触覚か……」
構えが乱れる。その隙に双手刈りを仕掛ける。
「えげっ!」
昨日のように股下に飛び込もうとしたところ、カウンターの膝蹴りが顔面にクリーンヒットした。血の味――地面を転がる。
「同じ手が通用するとでも?」
「まだまだっ!」
懲りずに懐に飛び込もうとする。防ぐ相手――容赦なく斬りつけてくる。
そうこうしているうち、両者の向きが入れ替わった。相手の背中は由香里を向いている。
「……」
「……」
睨み合う両者。パチンッ! と、俺が鳴らした指の音とともに――
「ずる賢いな。読めておったぞ」
女の背中を目がけて、そこらに転がっていた石を、風に乗せて打ち出していた――由香里が。
「ずる賢い? 勝つためならなんでもやるぜ。なあ、由香里」
「あんたと一緒にしないで」
「それでは、おふた方。正式に二対一……ということでよろしいか?」
「おうよっ!」
再び、走り出す。
「道ノ上渉、伏せッ!」
「がはっ!」
な……なんだ、これ。
犬のように、地面に
これは……催眠術? ん、ちょっと待てよ。
「はっはっはっ、いい様だな」
女は愉快に笑っている。
「次の相手は、そこの女子か……む? なんだ、今度は目潰しか。変わり映えのない」
由香里へと、まっすぐに歩み寄っていく。目が見えないはずなのに。由香里の手は演奏指揮者のような動きで空を切っている。
「貫け、ウィンドランスッ!」
「効かぬっ!」
風の槍撃を、刀身でことごとく打ち落としながら、
「お前の風の気、もらったぞ。魔法剣っ!」
槍撃が打ち返される。複数の槍がひとつにまとまったことが、大気の流れが巻き上げた木の葉の旋動でわかる。
「……」
由香里が両の掌を前に突き出すと、打ち返された風の一撃が雲散霧消する。そこかしこに斬撃が飛び散り、周辺の岩肌へと爪痕が刻まれる。
ここで、女が一気に距離を詰めた。軽やかなジャンプとともに、お手本のような袈裟斬りが炸裂する――
「……ばかな」
止まっていた。刃が。由香里の、人差し指の第二関節あたりで。
それだけじゃない。女の身体が――浮いているッ!
「ばかじゃないわ。いい? あなたは今、あたしの力で宙に浮いてるの。そのままだと追加の力をかけられないでしょ? それでいて、あたしの回りには大気の壁がある。だから、傷ひとつつかない」
「ならば、これでっ」
宙に浮いた姿勢のまま、刀身をまっすぐ、突き出すような姿勢へと。
斬突の構え。ひと呼吸おいたなら――シュッ、と滑らかに、一直線に突き出される刀。
「……どう? 素人にしては上出来でしょ」
無刀取り。相手が握っている刀の柄を自分が掴んでしまう。それによって技の威力を殺した。
「いつまでもつかな?」
刀の切っ先がだんだんと喉元に迫っている。
防ぐ者の表情は険しい。ワーキングメモリーはパンク寸前だろう。が、それは相手も同じ。俺は、なんとか身体を起こすことに成功する。
全力で、その名を叫んだ。
「由香里!」
「え……? 何の用だ!」
違う! お前じゃねえ!
「由香里……術がたぶん解けた! 俺も加勢する」
「お前の加勢などいらん!」
だからお前じゃねえ!
「へえ、そういうこと……渉。いいから、黙って……見てなさいッ!」
「う、苦し……これ……は」
周辺のありとあらゆる原子を放り出して、ほぼ真空の空間を作る。由香里の得意技だ。
そして、自らの身体を――敵にぶつけていくっ!
「うあっ!」
地面に転がったふたり。でも、違う。それだけじゃない。
転がってるだけじゃなく――由香里の唇が相手のそれに覆い被さっている。
唇を斜め向きに合わせることで、しっかりとした密閉がなっている。逃げられないよう、両手で両手を押さえながら。
……苦しそうにもがいている。すでに一分が過ぎようとしていた……完全に、そう、完全に……相手の動きが止まった。
「ぷ、ふぅ、あぁ……!」
唇が離れると、重なり合った唾液が垂れ落ちて――由香里は立ち上がる。
「渉、ありがと。おかげで隙ができた」
「えぐい技を使うんだな」
「
「きっさまぁっ! よくもやってくれたなっ!」
――まだだった。ピンピンしている。
「初めて、だったんだぞ……」
醒めた笑いを浮かべている。もちろん目は笑っていない。
「あら、あたしもキスは初めてよ。ま、女の子が初めてでも悪くなかったけど」
「!?」
いや、それはおかしい。おかしいだろ。どう考えても。
試しに、由香里の肩端にほんの少し触って、心を感じ取ってみる――
「……」
嘘はついていない。『キスは初めて』という言葉は真実だ。
一体、どういうことだ?
「おい、お前! 女の子が初めてでも、いい、とか……人を……おちょくってるのか……」
女が指先をこちらに向ける。
……静かな怒り。それだけはわかる。それ以上はわからない。
どんな感情を抱いてるんだろうか。わかっているのは、この女がいま流している――涙。
「今度は、死んでしまうかもしれないけど……ごめんね」
あの時と同じだった。どこか寂しげな面差し。
「時間よ、止まれ」
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「ぎゃふんっ!」
「催眠術。タネがわかればこんなもんか。俺達の聴覚を封じるだけでこうもあっさりと」
「なるほど。渉は、あなたにとっての天敵というわけね」
「く、殺せ……」
由香里はカバンの中身をまさぐっている。出てきたロープで敵の身体を後ろ手に括りつけた。足も動けなくする。
「ごめんね? あんた、しぶとそうだから」
「その制服。お前たち、中学生だろう。もうちょっとなんとかならんのか、口の利き方」
「あなた、いくつ?」
「十六。高校二年生」
「俺達とそんなに変わらないじゃん」
「……
「渉でいい……ですよ」
「渉くん。
年長者を敬うことで、平和でよりよい社会に繋がっていく。そういうことが言いたいらしい。
「行こう」
「そうね」
「待って!」
サッと後ろを振り向いた。
すると女は、神妙な面持ちで、
「わたしは……国府高校に通ってるんだぞ!」
「それを早く言え……言ってくださいよ」
この女に近付いていく。
「
「お前も国府高校に進学したいのか」
「俺は違うけど……友達が……」
あれ? 俺、もしかして……この人、本当にどこかで見たことある?
奇妙な光景だった。こちらが教えを請うというのに、相手方は両手脚を縛られたままでいる。
「長い話になる。まあ、いつかは教えてやるさ。ここから先、生き残ることができたらな」
「ああ。約束だ……ですよ」
「うん。約束するとも。さて……この先には、
一瞬の間。
「早めに降参するんだ。燃え上がるとまずい」
俺は頭の後ろを掻きながら、
「ありがとう。教えてくれて」
笑顔を返した。なんだ、案外いい奴なんだな。
あ、そうだ……名前を聞いておこう。
「……」
由香里は沈みかけた西陽を見ている。
「渉、行こう」
まあいいか。また会うこともあるだろう。