道なりに歩いていったところ、かなり開けた場所に出た。円状に樹木が伐採されていて、向こう側にまた道が見える。
四隅に提灯が点いていた。夕暮れ時のほの暗い空間に互いの姿を確かめる。
……制服がボロボロだ。汚れや痛みどころか、パックリと穴が開いて下の布地が見えている箇所もある。
「ねえ、渉。今更なんだけど」
「どうした」
「あんたの目的が叶ったとして、あたしは無事に帰してもらえるのかしら?」
「……わからない」
ドン、と俺の背中を叩く。
「ほんっと、考えなしね」
「ありがとう」
「なにが?」
「ここまでついてきてくれて。俺だけじゃ途中で死んでた」
……由香里が髪を掻き上げる。俺は空を見た。天気が怪しい。小雨が降ってきそうだ。
さあ、前に進もう。
「渉。決定権をもってる人と話さなきゃ、なんにも始まらないよ」
「おう!」
小走り気味に飛び出そうとして、止まる。
道の奥から誰か歩いてくる。
「お前達か。十数年ぶりの侵入者というのは」
長い髪をした男だった。ワックスの臭いが漂ってきそうなくらい棘々しい髪型をしている。
ワイシャツの下には黒のTシャツ、下はジーンズ。鋭く光る眼が、しっかとこちらを見据えている。
俺たちは、ゆっくりと動き出した。男の方に距離を詰めようとする。俺は左から、由香里は右から。じわり、じわりと、にじり寄りを続ける。
「わかってるみたいだな。オレの強さが……覚えとけ、
ここで、俺は深呼吸をして――駆け出すッ!
あと、十五メートル……一〇メートル……5メートル……。
「……今だ」
相手の視力を封じた。この技はけっこう時間が要る。使いどころが難しい。
「おお! これか。例の珍しい
手を伸ばせば届く距離にいる。大外刈りを仕掛けるべく、敵の襟と袖口とを――
「そら、来てみやがれっ!」
「……!」
寒気がした。いったん退くことにする。
頭の上で何かが斬られた感触がある。
「……髪?」
髪の毛だった。後ろの方で樹が倒れる音がする。
「そら、もう一発……うっ! なんだこりゃ」
敵は動けないでいる。
由香里が援護していた。風圧で敵の体を抑えている。
頬に、小雨の粒が当たるのを感じた。一気に距離を詰める。
敵人の背後に回り込むことに成功した――俺は今、真後ろから攻撃を仕掛けようとしている。チャンスは、一瞬ッ!
シャツの襟ぐりに右手を差し入れたなら、左手でその斜め下を掴み取る。両の手で九十度を描くようにしながら――
「落ちろっ!」
送り襟締めッ! 入った。これなら……!
「ごぷっ」
――違和感。一点だけじゃない。無数のそれが体中を襲っている。力が抜けてしまい、地面に落ちる。
「……あ?」
穴だらけになっている? 全身が――
頬も、胸も、肩も、腹も、膝も、あらゆる箇所が抉られて血が噴き出ている。
「あ、あ、あああああぁ……!」
「渉っ!」
吉利という男は、襟元を直しながら、
「どうしてくれんだ。気に入ってたんだぞ、この服」
直後、穴だらけになった胴体を――踏んづける。
「アアアアアッ!」
我ながら情けない叫び声だ。死が迫っている? 信じたくない。でも迫っている。
「ウィンドランスッ!」
「ん? なにそれ」
援護射撃も、敵に当たる前に掻き消えてしまう。
「残念だったな。オレの身体にはな、生まれつき風が宿ってるんだ。どんな時でも守ってくれる」
「これならっ!」
由香里が……弓を構えるような動き……をしたような気がする。敵人は余裕ぶって構えている。
意識が危うい。視界が半分暗闇に覆われる中、状況を知ろうとして腹ばいになる。
「グロリアス……ウィンドッ!」
なにもできない身体。ごうごうとした気流が吹きつける。
「なかなかだ。でも、効かないんだよ」
「タービュランスッ!!」
今度は拳同士がぶつかる音。
……視界が消えそうだ。それでも顔を上げる。
「おら、これでどうだ?」
ゆ、か、り……首が絞められている。
二本の腕で、由香里の体が持ち上げられていた。嗚咽の音が漏れている。
負けじと蹴たぐりを繰り返すも、男には通用しない。
「あ……あ……由香里」
見ている。眼下に横たわる俺を。穏やかな目で見ている――笑った。
「……」
俺は、グッと眼を見開く。
呟いた。
――《
「手に入れるのは……雨!」
「……なんだこりゃあっ!」
血。血の雨が降っている。
純粋な雨の代わりに、真っ赤な液体が次から次へと天から降り注いでいる。
最初の方こそ真っ赤だったが――すぐに通常の雨に戻った。
「由香里、これで……あいつのタネがわかったか?」
「ゲ、ゲホッ……十分よ」
敵の胸元を蹴り飛ばした。危機を脱することに成功する。
血の雨が降ったことで、明らかになっていた――敵がまとう風の正体が。
数え切れないほどの、円盤の形を成した空気が集まって高速回転している――それが大気の壁の正体だった。
「よく見たら、隙間があるじゃない……ウィンドランスッ! 一点突破ッ!」
一点に集められた槍状の空気が、敵を貫く――かに見えた。
「へー。やるじゃん」
手のひらで魔法を受け止めた。
「……地力が違うんだよ」
「きゃあっ!」
風圧。抜かるんだ地面に、由香里が叩き伏せられてしまう。
「あぁっ!」
仰向けに倒れた由香里へと馬乗りになった。両手はその首へと。これ以上は見えない。
「ゆ……かり……」
心臓が軋む。
朦朧とする意識の中、
「あれ? どうして、雨なんて降らせたんだっけ……?」
なんで記憶が? え? てゆうか、どうして俺、こんなところにいるんだ? え? あれ……?
思いに耽る――目前にあるのは、女の上に乗った男の姿。
思いに耽る――由香里は、
思いに耽る――曇天の空。雨が降っている。雨が降っている時は……そうか、そうだったんだ。
「あーあ。なんか痛みも引いてきた。いや、痛みが引いたとかいう次元じゃない……むしろ楽になった。まさか俺、死ぬんじゃないだろうな?」
思いに――耽っていた。
「由香里」
飛び起きることができた。なぜだ? 痛みは完全に引いている。
そのまま勢いで走り込んだなら、敵の背中に飛びついた。
「があぁッ!」
風の刃が肉体を切り刻んだ。
ああ、まただ。俺の体、傷だらけになってやがる。
でも、必死の飛びつきの結果として、女の真っ白い首筋を掴んでいた手が離れた。
……取っ組み合いが続いている。
「おい、おっさん! 離せよ。由香里を離しやがれっ!」
「あぁ!? おっさんじゃねえよ、吉利だ! この女はな、オレがぶっ殺すんだよ!」
女の上に跨っての激しい取っ組み合い。次第に劣勢になっていく。
「……由香里、いいから由香里ッ! やれっ、俺ごとでい……がっ!」
肘鉄や拳骨を食らいながらでも、伝えるべきことは伝えてみせる。
「おいガキ、離しやがれ! こういう女はな、ここで殺っとかないと将来に響くんだよ」
「由香里、俺の命……無駄にするなよ」
「……ねえ」
訴えを続ける俺と、由香里の声がぶつかる。
「ねえ、あなた。吉利さん。風を操る時って、どんなことをイメージしてます?」
冷静な口調だ。男二人が体の上で暴れているというのに。泥だらけになったセーラー服が視界に映る。
「あぁ!? なに言ってんだ、敵をぶっ殺す、敵をぶっ殺す、敵をぶっ殺す、とにかくスパァーンと、ぶった切るイメージよッ!」
「それじゃあ、様々な条件下で素粒子たちが押し合いへし合い、空気中を行ったり来たりしている様子はイメージしないんですね?」
「知るかっ! 大事なのは科学の知識じゃねえ、想像力だッ!」
「じゃあ、例えば、今このあたりに陽イオンが集まっていて、あの雲の中にある陰イオンと繋がりたがってるって、想像できます?」
「……何が言いたい?」
「ここに雷が落ちるって言ったら、どう思います?」
「はっはっはっはっ!」
高笑いが聞こえる。
「雷を落とすだと? そんな神に等しい芸当ができる者など、この
由香里は、にこりと笑う。
「正解です。だって、雷は上から落ちるんじゃなくて、地面から雲の上に昇っていくんですから」
「……マジで?」
――《
由香里の手が俺の頬に触れた。覚悟を決めて目を閉じる。
それは、光。ただ眩しかった。眩しいと感じた瞬間に、体中を熱が這い回って――素肌が、血管が、内臓が、焦げていく感触――!
「ぎあ嗚呼アアアァッ……!」
絶叫がこだまする。
「……どれくらい経った?」
俺は生きてるのか? 手のひらを見る。痺れてろくに動かない。
不思議と痛みはなかった。痛みがないどころか、戦闘前より肉体が癒えている気さえする。
由香里に目をやろうとすると、
「だいじょうぶっ!?」
抱きついてくる。暖かい感触が胸筋を包み込んだ。ああ、けっこう胸、大きいんだな。
「なんとか無事だ……加減、してくれたのか」
「加減じゃない! 絶縁よ。絶縁体にしたの! じゃなかったら、あんた今頃死んでるわ」
「ははは……あーあ、もう。黒こげだ。学ランが」
「もう……制服の心配?」
「!」
いま物音がした。草の葉ずれのような。
「あ~~、いい塩梅だった」
血が凍りつく。そんな感覚だった。
今倒したはずの男がすっくと立ち上がる。
「なるほど。雷は落ちるのではなく、下から昇っていくんだな。三〇年も生きてきて、それは知らなかった。雷を落とせる能力者がいないのもわかる。自然現象に反するものをイメージしていては、できるはずもない。少なくとも、俺達のような半人前には」
ピンピンしている。
痺れが取れない状況の中、なんとか由香里の手を取った。ふたりして立ち上がり、サッと後退した。戦いの構えをとる。
「由香里、まだいけるか」
「もちろん」
今のは虚勢だ。手が震えている――止まらない。わかってる、もうダメだ。俺たちは負ける。
でも、できることを全部やってからだ。ブツブツと呟きを始める。
風の刃がきたら、とにかくかわす。かわしながら由香里の援護を得る。援護を得ながら、掴みかかって寝技にもっていく。そして、
「オレをここまで追い詰めたこと、後悔させてやる……男ッ! お前はジワジワと嬲り殺し。女ッ! お前は、その後で辱めてやる」
「……そこの三人。いったん止まれ」
空気が変わった。誰か……誰かいる!
「吉利。ずいぶんと遊んでるな」
現われた。山道の向こうから。長身だった、学ランを着ている。あのタイプは高校生だろうか。
「そうとも。ここじゃあ、肉体が傷ついても勝手に回復するからな。もてあそびにはもってこいだ。あの甘えん坊の思いつきそうな、甘っちょろい趣向だ。まさか拷問に使われるなんて思いもしなかったろうよ……まあ、それはそれとして……朔太朗。オレはな、四天王のひとりとして、きっちりと許しを得てここにいる。エリートの朔太朗君は帰りなよ」
間違いない。昨日の、あの時の男だ。廃屋が立ち並んでいる山林で声をかけてきた、あの男。
あの時と変わらぬ様子で学ランを着ている。国府高校の制服だ。
今は展開を見守ろう。
「町議会の許可を持ち出すなら……俺だってそうだ。さっき、議会で決をもらってきた」
吉利という男は、面倒くさそうに頭を掻いて、
「お前が守るのは北だろう。南が欠ければ、そちらに行くこともあるだろうが。いずれにしても、お前が出張るべき場面じゃねえ」
「侵入者が二人とあっては、こちらも二人でなければ非礼にあたる」
笑いながら答えている。
「四天王が? ふたりも? ……チッ。屁理屈こねやがって」
俺は、どうすべきか決められずにいる。逃げる? いやだめだ、逃げられない。ならば戦うか? ……生き残れる気がしない。
「由香里。
「……ほとんどゼロね」
ああ、いったいどうすりゃいいんだ? いや、ちょっと待て。ああ、そうか。そうだった。これでいいんだ。
今ちょうど、『それじゃあやるか』とばかり、こちらを向いた敵が二人。
「由香里! 俺……」
袖が引かれる。
「ねえ、渉」
耳元で囁いた。俺の手を握って。
「バイバイ」
――風。風だった。
「飛んでけーっ!」
抗えぬ風が真下から吹き上げてくる。紙束のように、軽々と空中に投げ出されてしまう。
風に乗せられ、景色は目まぐるしく変わっていく。行き先は、目と鼻の先にある
「朔太朗ッ! お前いけっ!」
「……了解。まったく無駄なことをする」
風が肉体を舞い上げている。高度は、およそ五〇メートルといったところ。
備後国府町を見下ろすと、街の灯りがポツポツと蛍のように輝いている。
「ん?」
麓の方で、何かがパッと光った気がする。でも、そんなの、もうどうでもいい。
「はは……」
涙が溢れてくる。
「由香里、ごめんな」
俺の身体を優しい風が運んでいく。