月星花伝 gessyo-kaden   作:渡邉 実一

39 / 44
#12:心らしきものが消えて(後)(4/5)

 道なりに歩いていったところ、かなり開けた場所に出た。円状に樹木が伐採されていて、向こう側にまた道が見える。

 四隅に提灯が点いていた。夕暮れ時のほの暗い空間に互いの姿を確かめる。

 ……制服がボロボロだ。汚れや痛みどころか、パックリと穴が開いて下の布地が見えている箇所もある。

 

「ねえ、渉。今更なんだけど」

「どうした」

「あんたの目的が叶ったとして、あたしは無事に帰してもらえるのかしら?」

「……わからない」

 

 ドン、と俺の背中を叩く。

 

「ほんっと、考えなしね」

「ありがとう」

「なにが?」

「ここまでついてきてくれて。俺だけじゃ途中で死んでた」

 

 ……由香里が髪を掻き上げる。俺は空を見た。天気が怪しい。小雨が降ってきそうだ。

 さあ、前に進もう。

 

「渉。決定権をもってる人と話さなきゃ、なんにも始まらないよ」

「おう!」

 

 小走り気味に飛び出そうとして、止まる。

 道の奥から誰か歩いてくる。

 

「お前達か。十数年ぶりの侵入者というのは」

 

 長い髪をした男だった。ワックスの臭いが漂ってきそうなくらい棘々しい髪型をしている。

 ワイシャツの下には黒のTシャツ、下はジーンズ。鋭く光る眼が、しっかとこちらを見据えている。

 俺たちは、ゆっくりと動き出した。男の方に距離を詰めようとする。俺は左から、由香里は右から。じわり、じわりと、にじり寄りを続ける。

 

「わかってるみたいだな。オレの強さが……覚えとけ、吉利(きちり)だ」

 

 ここで、俺は深呼吸をして――駆け出すッ!

 あと、十五メートル……一〇メートル……5メートル……。

 

「……今だ」

 

 相手の視力を封じた。この技はけっこう時間が要る。使いどころが難しい。

 

「おお! これか。例の珍しい概念力(ノーション)ってのは」

 

 手を伸ばせば届く距離にいる。大外刈りを仕掛けるべく、敵の襟と袖口とを――

 

「そら、来てみやがれっ!」

「……!」

 

 寒気がした。いったん退くことにする。

 頭の上で何かが斬られた感触がある。

 

「……髪?」

 

 髪の毛だった。後ろの方で樹が倒れる音がする。

 

「そら、もう一発……うっ! なんだこりゃ」

 

 敵は動けないでいる。

 由香里が援護していた。風圧で敵の体を抑えている。

 頬に、小雨の粒が当たるのを感じた。一気に距離を詰める。

 敵人の背後に回り込むことに成功した――俺は今、真後ろから攻撃を仕掛けようとしている。チャンスは、一瞬ッ!

 シャツの襟ぐりに右手を差し入れたなら、左手でその斜め下を掴み取る。両の手で九十度を描くようにしながら――

 

「落ちろっ!」

 

 送り襟締めッ! 入った。これなら……!

 

「ごぷっ」

 

 ――違和感。一点だけじゃない。無数のそれが体中を襲っている。力が抜けてしまい、地面に落ちる。

 

「……あ?」

 

 穴だらけになっている? 全身が――

 頬も、胸も、肩も、腹も、膝も、あらゆる箇所が抉られて血が噴き出ている。

 

「あ、あ、あああああぁ……!」

「渉っ!」

 

 吉利という男は、襟元を直しながら、

 

「どうしてくれんだ。気に入ってたんだぞ、この服」

 

 直後、穴だらけになった胴体を――踏んづける。

 

「アアアアアッ!」

 

 我ながら情けない叫び声だ。死が迫っている? 信じたくない。でも迫っている。

 

「ウィンドランスッ!」

「ん? なにそれ」

 

 援護射撃も、敵に当たる前に掻き消えてしまう。

 

「残念だったな。オレの身体にはな、生まれつき風が宿ってるんだ。どんな時でも守ってくれる」

「これならっ!」

 

 由香里が……弓を構えるような動き……をしたような気がする。敵人は余裕ぶって構えている。

 意識が危うい。視界が半分暗闇に覆われる中、状況を知ろうとして腹ばいになる。

 

「グロリアス……ウィンドッ!」

 

 概念力(ノーション)同士がぶつかる音――風の矢が、風の障壁を打ち破ろうとしていた。

 なにもできない身体。ごうごうとした気流が吹きつける。

 

「なかなかだ。でも、効かないんだよ」

「タービュランスッ!!」

 

 今度は拳同士がぶつかる音。

 ……視界が消えそうだ。それでも顔を上げる。

 

「おら、これでどうだ?」

 

 ゆ、か、り……首が絞められている。

 二本の腕で、由香里の体が持ち上げられていた。嗚咽の音が漏れている。

 負けじと蹴たぐりを繰り返すも、男には通用しない。

 

「あ……あ……由香里」

 

 見ている。眼下に横たわる俺を。穏やかな目で見ている――笑った。

 

「……」

 

 俺は、グッと眼を見開く。

 呟いた。

 

 ――《幻想変換(デモンズトレード)》――

 

「手に入れるのは……雨!」

「……なんだこりゃあっ!」

 

 血。血の雨が降っている。

 純粋な雨の代わりに、真っ赤な液体が次から次へと天から降り注いでいる。

 最初の方こそ真っ赤だったが――すぐに通常の雨に戻った。

 

「由香里、これで……あいつのタネがわかったか?」

「ゲ、ゲホッ……十分よ」

 

 敵の胸元を蹴り飛ばした。危機を脱することに成功する。

 血の雨が降ったことで、明らかになっていた――敵がまとう風の正体が。

 数え切れないほどの、円盤の形を成した空気が集まって高速回転している――それが大気の壁の正体だった。

 

「よく見たら、隙間があるじゃない……ウィンドランスッ! 一点突破ッ!」

 

 一点に集められた槍状の空気が、敵を貫く――かに見えた。

 

「へー。やるじゃん」

 

 手のひらで魔法を受け止めた。

 

「……地力が違うんだよ」

「きゃあっ!」

 

 風圧。抜かるんだ地面に、由香里が叩き伏せられてしまう。

 

「あぁっ!」

 

 仰向けに倒れた由香里へと馬乗りになった。両手はその首へと。これ以上は見えない。

 

「ゆ……かり……」

 

 心臓が軋む。幻想変換(デモンズ・トレード)の代償だった。

 朦朧とする意識の中、

 

「あれ? どうして、雨なんて降らせたんだっけ……?」

 

 なんで記憶が? え? てゆうか、どうして俺、こんなところにいるんだ? え? あれ……?

 思いに耽る――目前にあるのは、女の上に乗った男の姿。

 思いに耽る――由香里は、電磁系統(エレクトリカ)重力系統(グラビタス)を得手としている。天候や引斥力といった、星辰の力を操るもの。

 思いに耽る――曇天の空。雨が降っている。雨が降っている時は……そうか、そうだったんだ。

 

「あーあ。なんか痛みも引いてきた。いや、痛みが引いたとかいう次元じゃない……むしろ楽になった。まさか俺、死ぬんじゃないだろうな?」

 

 思いに――耽っていた。

 

「由香里」

 

 飛び起きることができた。なぜだ? 痛みは完全に引いている。

 そのまま勢いで走り込んだなら、敵の背中に飛びついた。

 

「があぁッ!」

 

 風の刃が肉体を切り刻んだ。

 ああ、まただ。俺の体、傷だらけになってやがる。

 でも、必死の飛びつきの結果として、女の真っ白い首筋を掴んでいた手が離れた。

 ……取っ組み合いが続いている。

 

「おい、おっさん! 離せよ。由香里を離しやがれっ!」

「あぁ!? おっさんじゃねえよ、吉利だ! この女はな、オレがぶっ殺すんだよ!」

 

 女の上に跨っての激しい取っ組み合い。次第に劣勢になっていく。

 

「……由香里、いいから由香里ッ! やれっ、俺ごとでい……がっ!」

 

 肘鉄や拳骨を食らいながらでも、伝えるべきことは伝えてみせる。

 

「おいガキ、離しやがれ! こういう女はな、ここで殺っとかないと将来に響くんだよ」

「由香里、俺の命……無駄にするなよ」

「……ねえ」

 

 訴えを続ける俺と、由香里の声がぶつかる。 

 

「ねえ、あなた。吉利さん。風を操る時って、どんなことをイメージしてます?」

 

 冷静な口調だ。男二人が体の上で暴れているというのに。泥だらけになったセーラー服が視界に映る。

 

「あぁ!? なに言ってんだ、敵をぶっ殺す、敵をぶっ殺す、敵をぶっ殺す、とにかくスパァーンと、ぶった切るイメージよッ!」

「それじゃあ、様々な条件下で素粒子たちが押し合いへし合い、空気中を行ったり来たりしている様子はイメージしないんですね?」

「知るかっ! 大事なのは科学の知識じゃねえ、想像力だッ!」

「じゃあ、例えば、今このあたりに陽イオンが集まっていて、あの雲の中にある陰イオンと繋がりたがってるって、想像できます?」

「……何が言いたい?」

「ここに雷が落ちるって言ったら、どう思います?」

「はっはっはっはっ!」

 

 高笑いが聞こえる。

 

「雷を落とすだと? そんな神に等しい芸当ができる者など、この国府(こうふ)の森でも見たことがない。上空に雷雲を発生させることはできても、落とすことはできないときてやがる。だいたい、人間に認識不可能な速度のものをどうやって操るというんだ? 雷が落ちる~~? 嘘八百よッ、賭けてもいい」

 

 由香里は、にこりと笑う。

 

「正解です。だって、雷は上から落ちるんじゃなくて、地面から雲の上に昇っていくんですから」

「……マジで?」

 

 ――《紫電竜(しでんりゅう)》――

 

 由香里の手が俺の頬に触れた。覚悟を決めて目を閉じる。

 それは、光。ただ眩しかった。眩しいと感じた瞬間に、体中を熱が這い回って――素肌が、血管が、内臓が、焦げていく感触――!

 

「ぎあ嗚呼アアアァッ……!」

 

 絶叫がこだまする。

 

「……どれくらい経った?」

 

 俺は生きてるのか? 手のひらを見る。痺れてろくに動かない。

 不思議と痛みはなかった。痛みがないどころか、戦闘前より肉体が癒えている気さえする。

 由香里に目をやろうとすると、

 

「だいじょうぶっ!?」

 

 抱きついてくる。暖かい感触が胸筋を包み込んだ。ああ、けっこう胸、大きいんだな。

 

「なんとか無事だ……加減、してくれたのか」

「加減じゃない! 絶縁よ。絶縁体にしたの! じゃなかったら、あんた今頃死んでるわ」

「ははは……あーあ、もう。黒こげだ。学ランが」

「もう……制服の心配?」

「!」

 

 いま物音がした。草の葉ずれのような。

 

「あ~~、いい塩梅だった」

 

 血が凍りつく。そんな感覚だった。

 今倒したはずの男がすっくと立ち上がる。

 

「なるほど。雷は落ちるのではなく、下から昇っていくんだな。三〇年も生きてきて、それは知らなかった。雷を落とせる能力者がいないのもわかる。自然現象に反するものをイメージしていては、できるはずもない。少なくとも、俺達のような半人前には」

 

 ピンピンしている。

 痺れが取れない状況の中、なんとか由香里の手を取った。ふたりして立ち上がり、サッと後退した。戦いの構えをとる。

 

「由香里、まだいけるか」

「もちろん」

 

 今のは虚勢だ。手が震えている――止まらない。わかってる、もうダメだ。俺たちは負ける。

 でも、できることを全部やってからだ。ブツブツと呟きを始める。

 風の刃がきたら、とにかくかわす。かわしながら由香里の援護を得る。援護を得ながら、掴みかかって寝技にもっていく。そして、腕がらみ(アームロック)を極めたなら、最後にダメ押しの幻想変換(デモンズ・トレード)ッ! これしか勝つ手はない。

 

「オレをここまで追い詰めたこと、後悔させてやる……男ッ! お前はジワジワと嬲り殺し。女ッ! お前は、その後で辱めてやる」

「……そこの三人。いったん止まれ」

 

 空気が変わった。誰か……誰かいる!

 

「吉利。ずいぶんと遊んでるな」

 

 現われた。山道の向こうから。長身だった、学ランを着ている。あのタイプは高校生だろうか。

 

「そうとも。ここじゃあ、肉体が傷ついても勝手に回復するからな。もてあそびにはもってこいだ。あの甘えん坊の思いつきそうな、甘っちょろい趣向だ。まさか拷問に使われるなんて思いもしなかったろうよ……まあ、それはそれとして……朔太朗。オレはな、四天王のひとりとして、きっちりと許しを得てここにいる。エリートの朔太朗君は帰りなよ」

 

 間違いない。昨日の、あの時の男だ。廃屋が立ち並んでいる山林で声をかけてきた、あの男。

 あの時と変わらぬ様子で学ランを着ている。国府高校の制服だ。

 今は展開を見守ろう。

 

「町議会の許可を持ち出すなら……俺だってそうだ。さっき、議会で決をもらってきた」

 

 吉利という男は、面倒くさそうに頭を掻いて、

 

「お前が守るのは北だろう。南が欠ければ、そちらに行くこともあるだろうが。いずれにしても、お前が出張るべき場面じゃねえ」

「侵入者が二人とあっては、こちらも二人でなければ非礼にあたる」

 

 笑いながら答えている。

 

「四天王が? ふたりも? ……チッ。屁理屈こねやがって」

 

 俺は、どうすべきか決められずにいる。逃げる? いやだめだ、逃げられない。ならば戦うか? ……生き残れる気がしない。

 

「由香里。質料(ヒュレー)はどれぐらい残ってる? 俺はあと五回分くらい」

「……ほとんどゼロね」

 

 ああ、いったいどうすりゃいいんだ? いや、ちょっと待て。ああ、そうか。そうだった。これでいいんだ。

 今ちょうど、『それじゃあやるか』とばかり、こちらを向いた敵が二人。

 

「由香里! 俺……」

 

 袖が引かれる。

 

「ねえ、渉」

 

 耳元で囁いた。俺の手を握って。

 

「バイバイ」

 

 ――風。風だった。

 

「飛んでけーっ!」

 

 抗えぬ風が真下から吹き上げてくる。紙束のように、軽々と空中に投げ出されてしまう。

 風に乗せられ、景色は目まぐるしく変わっていく。行き先は、目と鼻の先にある国府(こうふ)の森の村落のようだ。

 

「朔太朗ッ! お前いけっ!」

「……了解。まったく無駄なことをする」

 

 風が肉体を舞い上げている。高度は、およそ五〇メートルといったところ。

 備後国府町を見下ろすと、街の灯りがポツポツと蛍のように輝いている。

 

「ん?」

 

 麓の方で、何かがパッと光った気がする。でも、そんなの、もうどうでもいい。

 

「はは……」

 

 涙が溢れてくる。

 

「由香里、ごめんな」

 

 俺の身体を優しい風が運んでいく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。