午前七時。国府第三中学校の東門が見える位置にいる。
門を入ったところから校舎にいたるまで、延々と石畳が敷き詰めてある。
が、それはメインロードだけの話。ちょっと目線をはずすと、舗装のされていない地面が目に入る。
俺は、そんな雑草という名の芝生で覆われた地点のひとつに立っている。すぐ隣にある技術教室が目に入った。窓ガラスに体操服を着た自分の姿を認める。
『いや、無理だろ』
『道ノ上くんなら、できる!』
つい先日のことだ。
和田先生から言い渡された罰は、花壇の設置だった。
設置場所は、技術教室の窓に面したスペース。剥き出しの地面があるだけの。
たったこれだけのことを命じるまでに一週間もかかったのか。
「こんなところに花壇だって?」
あまりの絶望感。おっさん並みに心の呟きを漏らしてしまう。
周りを見渡す。当然、誰もいない。
「ま、罰を受けるのが俺だけでよかった……おっ」
東門から軽トラックが入ってくる。早朝であるためか控えめな運転に見える。
ブイイィ、というエンジン音をともなって、こちらの近くに停まる。
石畳と地面とのキワキワに着けていた。もう少しで、その間に埋め込まれた円柱状のレンガにタイヤをぶつけてしまうほどの。
静かな音を立ててドアが開いた。出てきたのは……作業服の男。若い? 年、いくつだろうか。
「……おはようさん」
その人が挨拶をしてくる。
作業用と思しき帽子から前髪がわずかに覗いている。これがあの、学校のテレビの中でしか見たことのない……土木作業員、というやつだろうか。
作業服のところどころが痛んでいる感じが、なんだかリアルだ。
「おはようございます」
「……」
あ、なんか会話が止まってしまった。ええっと、
「俺、道ノ上渉といいます。和田先生からは、お手伝いいただけるって……聞いてるんですが」
「ああ、そのとおりだ。
「五日間!?」
「そうだ。といっても、工期は実質三日しかない。初日である今日は、とにかく準備に追われるし、最終日には完了検査があるからな。しくじるなよ」
「え、いや、一時間くらいやったら終わりかと。レンガ積むだけじゃないんですか」
「おい、花壇作るんだろ? レンガを積む前には、接着させるためのモルタルを用意する必要があるし……でも、それ以前に基礎となる土間コンクリートを打たないと。まさか、地面に直接レンガを置こうと思ってた……なんてことはないだろう? そんなことないよな? いや、それ以前に『設計』なり『仕様』なりがないと。プロが行き当たりばったりで工事をしてると思ったら大間違いだ」
「いや、俺、アマチュア……」
「いいや。プロだ」
「プロ……」
そう言って、この三良坂という男は軽やかな調子でこちらに歩いてくる。
「今回あんたに与えられた仕事はな。早朝と放課後の時間を使って、まともな品質の花壇を造成することだ。いいか、これは俺の仕事じゃない。あんたの仕事だ。あんたが動かなきゃ、俺は動くつもりはない」
「……そんな言い方」
「おい。確かに和田先生から依頼を受けたけれども」
「……」
「俺、学校の先生じゃねーからな。そこは忘れるなよ。いいか、これは因果応報。あんたに科せられた仕事なんだ」
「……」
クソッ、やめてやろうか。ああ、でも、今やめたら由香里はなんて言うだろうか……。
「……五日間、宜しくお願いします」
「よし! じゃ、買い物に行くか」
「買い物? その車の荷台に積んであるのは」
「これらは違う。工具類だ。さ、行くぞ。なんたって、これは……道ノ上くんの仕事だろう?」
「俺、なにからなにまでわからないんですけど。どうしたらいいんですか」
「どうしたらいいと思う?」
「……!」
思わず、顔をゆがめてしまう。見られてたろうな。
「まーまー、落ち着け。キレたら負けだ。いいか、不可能なことをさせようとしてるんじゃない。それはわかるな?」
瞳を閉じる。
……五,六秒は経っただろうか。
「手順、ひとつずつ教えてください。俺が思ってるより、だいぶ複雑なのは分かりました。でも、まずは準備物を集めないといけないのはわかります」
「わかるやつだな。よし、乗れよ。ホームセンターに行こう」
* * *
それから数分。今は国道を走っている。国道といっても、片側二車線しかない道路だけど。
……車が前に進まない。通勤ラッシュに巻き込まれている。
信号は、未だに赤色のままだ。ああ、なんでだよ。もっと青の時間増やしてくれよ。こっちの道の方がずっと広いだろ。なんなら、永遠に青信号でもいいんだぞ。
「なあ、道ノ上くん。なんで罰なんて与えられたんだ?」
「聞いてないんですか」
痺れを切らしたのだろうか。三良坂さんが話しかけてくる。
「うん、そこまでは聞いてない。気になる。ぜひ教えてほしいね」
「……教えないと、仕事に支障あります?」
「冗談だ。興味なんてないよ」
車体がユルリと進み始める。信号は青になっていた。それから五分ほど走ったなら、ホームセンターに到着する。
「はい、これ」
ホームセンター。材料市場。
三良坂さんに必要物品リストを渡される。
レンガの数から、砂袋、砕石袋、セメントなどの数量がきっちりと書いてある。
「それじゃ、資材コーナーを巡って集めような」
「びっくりさせないでくださいよ。てっきり、俺が数量を決めるのかと」
「予算の都合がある。さ、材料を集めるんだ。場所がわからなかったら、遠慮なく店員にきけよ」
「……はいよ」
貸出用のカートを使って材料を集める。
数量は、セメント一袋、砂三袋、砕石を五袋。すべて25キロ入り。三良坂さんが後ろからついて来て、カートへの積み込みを手伝ってくれる。適当な単位になったら軽トラックの荷台に積み込む。
「あれ、会計は?」
「ああ、後でまとめて数量を言ったらいいんだ」
「そういうもんなの?」
「そういうことだ」
着々と積み込みが進んでいく。最後に載せたのは塗装コンパネ二枚だった。意外と早く終わった。所要時間は二〇分ほど。
帰り道の通勤ラッシュは、それほどでもない。三良坂さんが言うには、午前八時を過ぎたあたりから車が少なくなるらしい。
そして、中学校の東門へと入る間際だった、
「お?」
栞だ。栞が自転車に乗っている。
麦わら帽子に、真白の花が彩られた温かそうなワンピース。これだけ見ると、どこぞのシュクジョ? みたいに見える。
実際には、家のすぐ近くにある寂れた食料品店でアルバイトをしている。何年か前に、「家計が苦しいなら、もっと給料が高い仕事にしたら」と無責任なことを言った時、笑って濁された思い出がある。
栞の指先が、いつも赤く剥けたようになっているのを思い出す。昔から、ずっとそうだった。
* * *
「おし、準備物の搬入は間に合った。道ノ上くん、朝礼は間に合いそうな感じ?」
「なんとか」
「午後の部は、三時半からやるからな」
「はいよ」
午前八時十五分。いつもなら登校しているはずの時間だ。
大急ぎで着替えを済ませ(トイレに隠しておいた)、下駄箱へと走り込んで、三段飛ばしで階段を昇り、渡り廊下を疾走する。
俺はいま、教室の前にいる。この中は、いつもざわついている。こんなに狭い空間に四十人以上が在籍しているというのもあるけど、本質は、おそらくそこにはない。
授業だろうと休憩だろうと関係ない。とにかくうるさいのだ。どこの学校でもこんなものなんだろうか? 教室の敷居を跨いだなら、そそくさと自分の席へと。
「みんな、おはよう」
「おはよっ!」
「渉、おはよう」
「……はよ」
篤を見る。傷が少し残っている。
あれから、特に何かを言ってくることはなかった。でも、それは篤の性格を考えれば当然である。いちいち何かを伝える必要はないと思ってるだろうし、俺にしてもそうだ。
と、ここで由香里が、いつものように、
「あっれ~、渉? 教室に入る時、『おはよう』って挨拶した?」
きやがった。にんまりとしている。これだから嫌なんだ、由香里よりも遅い時間に登校するのが。
「してないけど」
「しようよ」
「……あのさ、由香里。正味な話、ツラくないか? 毎日さ、挨拶してさ、それでもさ。今の状況だろう」
「あたしは大丈夫よ。気になんないし」
『大丈夫』ってなんだよ。わけわかんねーよ。いちいち強すぎるんだよ。
「ほら、渉。やりなおして。3年3組に入るところから」
しぶしぶと教室の入口に戻った。ご丁寧にカバンまで持って。
――再び、わが3年3組に足を踏み入れる。
すぐ近くに四人のグループがいた。男ふたりに女ふたり。このクラスの中心人物たち……だと俺は思っている。
授業中、景気のいい冗談をどんどんと先生にぶつけて、クラス中の笑いを誘いまくっている。運動会でも合唱コンクールでも絵画展示会でも、こいつらがクラスを引っ張ってきた。
「おはよーございますっ!」
あぁ、馬鹿みたいだ。でも、やり遂げた。
「……」
わかっている。俺達に挨拶を返す者は、このクラスにはひとりも――
「おはよう、道ノ上くん」
「……お、おはよう……ええと、安田……くん?」
こんなことは初めてだ。いまだかつて経験したことがない。しかも、今のは安田といって、この集団内でリーダーシップを取りまくっている人物である。
凄まじい視線を感じる。由香里のものであるのは間違いない。この後、いったいどのように反応すればよいのだろう。
おずおずと自分の席に帰るのだった。多くの視線を感じながら。
「なあ、由香里」
「……」
由香里は、ただ俯いて、じっとしている。なんだ、もっとその、大喜びすると思っていた。
……いつもと変わった面差しだった。照れているようで、しかしながら、落ち着きのあるというか。
零れ落ちそうな笑顔が眩しい――途端、ハッと我に返ったようになり、こちらを振り向いた。
「ねえねえ、渉。そういえばさあ。さっき、外でなにやってたの? 面白いこと?」
「これから面白くなるかも」
しばしの沈黙。
「面白くないのに、どうしてやってるの?」
砂羽。撫でつけるような、落ち着いた声の小柄な女子。
「砂羽。わかって言ってるな、お前」
「……ねえ、渉。花壇づくり楽しい?」
「たのしーよっ! もうすでに筋肉痛だし。ひとつ何十キロの袋、どんだけ運ばせるんだよ」
「楽しそうだね」
にっこりとした微笑み。砂羽にしては珍しい。
「……」
篤は無言を貫いている。参考書を読んでいた。聞いているらしい感じはわかる。
「ねえ、渉。あたしも手伝っていい?」
由香里がいたずらっぽい笑みとともに聞いてくる。
「だめ」
「なんで?」
「なんでも」
「なんでよ、いいじゃん」
「どうしてもだめ」
「ねえねえねえ、な・ん・で~~?」
「俺のこと嫌いになったんじゃないの」
「そんなことないよ。渉、篤のために頑張ったんだよね」
「こないだと言ってること違うじゃねーか」
「女の心は、千切れ雲なんだよ。千切れたり集まったりして、そんな心のカケラを――」
ああ、くそ。ほんとにつえーな、お前は。
「悪いな由香里。これは、ええと……あれだよ。『仕事』なんだ。おっ、和田先生」
すりガラスの向こうに影が見えた。それだけでもわかる。なんとなく影が揺れている感じというか、そんなので。
やはり、和田先生だった。粛々とした歩みで教室に入ってくる。HRが始まろうとしている。
「みんな。朝礼を始める前に、連絡事項があります」
教室は、騒がしいまま。
「みんな、聞いて。大事な話です」
教室は、騒がしいまま。が、少しばかり静かになった。ような気がする。
「……」
やっぱり、うるさいままだ。しかしながら、和田先生はただずっと教壇の前に立って様子を伺うのみ。「静かにしなさい」とは言わない。
「……」
そろそろだろうか。あ、そうだ、今だ――ざわつきが止んだ。一瞬だった。
そう。「静かに」なんて言わなくても、話は勝手に止むのだ。どうやら、そういうタイミングがあるらしい。
「はい、それでは連絡です……一週間前にケガをした箱田くんですが、もう少しの養生が必要ということです。仲間の復帰を願ってもう少し待ちましょう」
箱田の話だった。
不良たちの方をチラリと眺める。居たたまれない様子かと思いきや、そうでもない。普通にお喋りをしている。
ふと、そのひとりと目が合いそうになった。凄まじい勢いで視線を逸らされてしまう。
「……じゃね?」
誰かが、呟いた。「戻ってこなくていいんじゃね?」と。
「いま、なんて言ったの!?」
天を突くような声。教室内の空気がピシャリと締まり、声を上げる者はいなくなる。
「ねえ、みんな。想像してみて。大きなケガをして学校に来ることができない時、そんなことを言われたらどう思う?」
うって変わって、山肌を撫でるような温かみのある声になる。教壇に両手をついて、クラス全員に訴えかける。
「箱田くんは帰ってきます。その時は、みんな……ううん、先生言わない。みんなわかってるよね、どうしたらいいのか。信じてる」