私は本日お仕事がお昼からなので朝一で買いに行きます。
「で?相変わらずしのぶさんの方も進展がないんですね?」
「それは……はい」
楓子の問いにしのぶは一瞬言いよどみ観念したように頷く。
今日、楓子は最近軌道に乗ってきている「ペニシリン」製造の確認と先日のお館様への報告によって許可の下りた「サルファ剤」製造の打ち合わせをしに蝶屋敷を訪ねていた。
「サルファ剤」の作り方について楓子は前世で読んでいた某人類みんなが石化して石器時代並みの環境で人間の文化を復興していく漫画から着想を得ている。
「サルファ剤」の用途は「ペニシリン」に似ているところはあるが生物由来ではないので抗生物質とは定義されない。ただ、「サルファ剤」には「サルファ剤」の、「ペニシリン」には「ペニシリン」の強みがあるので今回精製に着手したわけだ。
そんなわけでそれらの打ち合わせが終わったところで楓子はしのぶの最近の義勇との関係についての話題を出したのだが……
「しかも?聞けば相変わらず『そんなんだから嫌われる』って言ってるらしいじゃないですか?」
「な、なんでそのことを!?」
「私の親友は冨岡様の継子ですよ?」
「ッ!」
驚くしのぶだったがジト目で言う楓子の言葉にがっくりと項垂れる。
「まったく、なんでわざわざそんな憎まれ口叩くんですか?嫌われたいんですか?」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「ならもうちょっと素直になってください。冨岡様は十中八九しのぶさんに嫌われてると思ってますよ」
「そ、それは分かってるけど……」
「前に素直になれるように特訓したのにねぇ~」
「あれで素直になれるわけないじゃない!むしろあれのせいでいまだに冨岡さん見ると恥ずかしいセリフが頭に浮かんでうっかりそれを口にしないようにするのに必死なのよ!」
「なるほど、そのせいでついキツイ言い方になってしまうわけですか……」
やれやれと肩をすくめるカナエにしのぶは叫ぶ。その言葉に楓子は納得したように頷く。
「というか私のことよりも伊黒さんと蜜璃さんの二人は!?この間のお見合い騒動でなんだか余計にこじれてる気がするんだけど!?」
「あぁあの二人はちょっと放っておくことにしてます。なんかお互いにこれまで以上に意識しまくっててちょっと頭を冷やす時間が必要だと思うんですよねぇ」
しのぶの問いに楓子が答える。
「あと単純にこの間の伊黒様のヘタレ具合が個人的にまだダメージ引き摺ってます。あんなヘタレ、意識しまくって困ってりゃいいと思ってます」
楓子の真顔での言葉にしのぶだけでなくカナエも苦笑いを浮かべる。
「というわけで今はしのぶさんの方です」
「ねぇ楓子ちゃん、どうすればいいと思う?」
「そうですねぇ~……」
カナエに訊かれて楓子は少し考え
「ここはもう少し気さくに友達みたいに話せるようにやってみます?」
「どういうこと?」
楓子の言葉にしのぶは訊く。カナエも首を傾げている。
「今しのぶさんは冨岡様に対して気持ちもあって少し気後れしている部分があるのではないかと思うんですよ。もう少し肩の力を抜いて、冨岡様にも友達くらいの距離感になってもらえれば今よりももう少し進展が見込めるのではないかと思うんですよ」
「なるほど……」
「確かにその方がいいのかもしれないわね」
楓子の説明にしのぶとカナエは納得したように頷く。
「でも、どうすれば気さくに話せるようになるのかしら?」
「そうですね~……挨拶の仕方変えてみるとか?」
「「挨拶?」」
楓子の言葉に二人は揃って首を傾げる。
「今だったら普通に挨拶してると思うんですけど、ここはひとつ外国語とか使って気軽な感じにするんですよ」
「外国語って例えば?」
「そうですねぇ~……あ!これどうですか?」
しのぶの問いに少し考えた楓子はポンと手をつき、
「Ich liebe dich~!」
ニコニコと笑顔を浮かべ挨拶するように右手をそっと振りながら言った。
「なるほど、確かに普通に挨拶するよりなんだか雰囲気変わるわね」
楓子のそんな動作にカナエは感心したように言う。
「ほら、しのぶさんも試しに行ってみてください。Ich liebe dich~」
「い、いっひりーべでぃひ~……」
「ん~、もうちょい発音意識してみてください。Ich liebe dich~」
「い、イッヒリーベディヒ~……」
「ん~、まあそんな感じですね」
まだ少し発音が気になるものの楓子は頷く。
「今度冨岡様に会ったときにはそれで挨拶してみたらどうですか?」
「なら早速今日がいいんじゃない?この後真菰ちゃんにお料理教えがてら冨岡君のお屋敷に行くんでしょ?」
「そ、それはまぁそうなんだけど……」
楓子とカナエに言われてもしのぶは渋っている。
「そうやって渋るからダメなんです。スパッと行ってみましょうよ」
「……わかったわ!やってみる!」
楓子の言葉に考えぬいたしのぶは最後に大きく頷いた。
こうしてしのぶは義勇の家へ料理をふるまいに出かけ、楓子とカナエはそれを見送った。
その後楓子は
「ほら~!待て待てぇ~!」
「「「きゃ~!!!」」」
「…………」
「わ、わぁ~……!」
すみ、きよ、なほとカナヲ、アオイの計六人の鬼ごっこをしていた。
これは半分は遊びだが、もう半分で機能回復訓練のための練習だったりする。
時々胡蝶姉妹の頼みで負傷者の機能回復訓練を行う楓子は同じくその手伝いをすることのあるアオイたちとともに練習という体で遊んでいた。
「ほらほらほら~!カナヲちゃん捕まえちゃうぞぉ~!」
「ッ!」
鬼役だった楓子は近くにいたカナヲを捕まえようと追いかける。カナヲも楓子から逃げるために全力で走る。
「ほらほらほら~!捕まえちゃうぞ~!」
楽しそうに笑いながら追いかける楓子に対して特に表情を変えず、しかし、真剣な様子で駆けるカナヲ。
そこは現役の鬼殺隊士にして恋柱の継子である楓子は余裕を持ってカナヲを追い詰め
「つ~かま~えたッ!」
「ッ!」
捕まえようと手を伸ばした楓子。それを感じ取ったカナヲは
「シッ!」
「ッ!?」
短い呼吸とともに楓子の視界からカナヲの姿が消える。
慌てて視線を巡らせればどうやら素早く横に飛びのいたのようで、楓子を交わしてそのまま逃げていた。
「フフフフッ!この私からよくぞ逃げた!これは私ももう少し本気出しちゃうぞぉ~!」
逃げるカナヲの背中を見つめながら楓子はニヤリと笑みを浮かべ再び追いかけ始めた。
そして、鬼ごっこすること30分。
「そろそろ休憩しよっか」
まだまだ余裕のありそうな楓子だったが薄く額に汗の浮かぶ五人の様子に提案する。
楓子の提案に頷いた五人は縁側に座り、用意していたやかんからお茶を湯飲みに注ぐ。
楓子もそれを受け取り喉を潤しながら
「ところでカナヲちゃん」
「……?」
隣にいたカナヲに声をかけると、口元に笑みを浮かべてカナヲが首を傾げる。
そんなカナヲに楓子は
「君、全集中の呼吸使ったでしょ?」
「ッ!?」
「「「「えッ!?」」」」
楓子の指摘にカナヲは息をのみ、他の四人は揃って驚きの声を上げる。
「何度か私がカナヲちゃんを捕まえようと追い詰めたとき、君の動きが急激に良くなった時があったけど、その時カナヲちゃんの呼吸がかすかに変化してた。まだ完璧に習得してないけど全集中の呼吸、たぶん花の呼吸かな?に似てた気がするんだよね」
「…………」
楓子の指摘にカナヲはポカンと口を開けて驚いている。
「その顔は当たりかな?」
「……どうして……?」
ニヤリと笑う楓子にカナヲは呟くように問う。
「私、これでも情報戦略部の責任者だよ?自分の使ってる炎の呼吸以外の呼吸も調べて特徴は押さえてるんだよ」
「すごい……!」
「あんな一瞬の呼吸からわかるなんて……!」
「しかも種類まで……!」
「ただの恋愛マニアじゃなかったんですね……!」
「うん、アオイちゃん?しょうがないとは言えそう言う事は思っても口にしないでね」
すみ、きよ、なほの感心した言葉に続いて言われたアオイの言葉に楓子は苦笑いを浮かべる。
「それで、カナヲちゃんはこれからどするの?ちゃんと呼吸を学んで鬼殺隊に入るの?」
「え……?」
「誰かから教えてもらったわけでもなく、見稽古だけでそこまで覚えたんだもん。伊達や酔狂で覚えたわけじゃないでしょ?」
「…………」
「カナヲ……?」
楓子の指摘に言い淀む様子のカナヲにアオイが心配そうに呟く。
「まあ渋る理由はなんとなくわかるよ。カナエさんやしのぶさんから反対されること心配してるんでしょ?」
「ッ!」
楓子の指摘にカナヲは息をのむ。
「まああの二人はどっちも現柱と元柱、人間と鬼との闘いの苛烈さは痛いほど分かってるだろうし、カナエさんに至ってはその戦いの負傷で事実上の引退までした人だもん。そんな人たちが本当の妹みたいに可愛がってるカナヲちゃんにそんな世界に入ることを認めてくれるか心配だよね」
「…………」
楓子の言葉にカナヲは俯く。
「でもね、あの人たちはカナヲちゃんがやりたいことはきっと全力で応援してくれると思うよ。そりゃ最初は反対されるかもしれないけどね」
そんなカナヲに楓子は優しく微笑みながら言う。
「カナヲちゃんは昔のこともあって自分をあまり出さない。そんな君がやりたいって言う自分の気持ちを、自分を出してくれたら、きっと泣いて喜ぶんじゃないかなぁ」
「…………」
楓子の言葉にカナヲはまだ決心がつかない様子だ。
「あと、これは客観的な話なんだけどね」
楓子はそこでニッコリと微笑み
「カナヲちゃんの技能は埋もれさせるのはもったいないと思うんだ。普通柱のすぐそばで育ったからって見ただけで全集中の呼吸の基礎ができるようになるなんて無理だから。これは君自身の才能と生まれ持った目がいいんだろうね」
「…………」
「だからさ、やってみない?君はちゃんとした修行を積めばすごく強くなる才能を秘めてると思うんだよね」
「…………」
楓子の言葉に、しかし、カナヲはまだ踏ん切りがつかない様子で迷っている。
そんなカナヲを見ながら楓子は少し考え
「……よし、じゃあこうしよう!」
ポンと手を打った楓子はニコニコと笑いながら右手を差し出し
「カナヲちゃん、君がいつも使ってる銅貨をちょっと貸してくれる?」
「……?」
カナヲは呆けながら恐る恐る銅貨を差し出す。それはそれぞれの面に「表」と「裏」の文字が刻まれた銅貨だった。自身の感情を表に出さず指示されたことしかしないカナヲへ、カナエが自分で判断を下す手助けとして与えたものだ。
「ありがとう!」
それを受け取った楓子は縁側から立ち上がり五人の前に立つと
「今から私はこの銅貨を投げる」
言いながら五人に向けて銅貨を見せる。そこには「表」の文字が五人の方を向いている。
「五回連続で『表』を出せたらその足でカナエさんに相談に行こう。『裏』が出たら君の好きにするといいよ、カナヲちゃん」
「え……?」
「「「「五回連続!?」」」」
楓子の提案の内容にカナヲは茫然と口を開け、すみ、きよ、なほ、アオイの四人が驚愕の声を上げる。
「んじゃ、行くよ~!」
そんな五人へ笑みを浮かべて右手の上に銅貨を乗せた楓子は親指で弾く。
キンッと甲高い音を立てて空中を回転した銅貨はそのまま楓子の手の中に納まり――
「ッ!カナヲ!楓子さん!」
「「「ど、どうでした!?」」」
廊下を歩いて戻ってきた楓子とカナヲにアオイたちが心配そうに駆け寄る。
「…………」
いつもの感情の見えない笑みのカナヲの横で楓子はそっと何かを堪えるような表情で俯く。
「そんな……」
「「「…………」」」
その表情に四人が息をのみ
「へぶしッ!」
「「「「ッ!!?」」」」
大声でくしゃみをした楓子の声に驚く四人。
「いやぁ~、ごめんごめん!さっきからくしゃみ堪えててさ~!」
アハハハハ~ッと朗らかに笑う楓子に四人がホッと息をつき
「あ、修行の件は許可出たよ~」
「軽いッ!?」
サラッと入った楓子の言葉にアオイがツッコむ。
「ほ、本当ですか!?」
「本当に許可が!?」
「カナヲさんも鬼殺隊に!?」
「(コクリ)」
すみ達三人の問いにカナヲが頷いたのを見て三人の表情がパッと華やぎ
「「「やったぁ~!!!」」」
飛び跳ねて喜ぶ。
「カナヲ、よかったわね!」
アオイも嬉しそうに微笑みかける。
「最初は反対されたけどカナヲちゃんの意思が固いってわかったら今度は『あのカナヲが自分のしたいことを言ってくれるなんてぇ』って涙ながらに感激してねぇ~」
「蜜璃様だけでなくカナエさんの声帯模写までできたんですね……」
説明した楓子に、しかし、その内容よりも楓子のモノマネのクオリティにアオイが呆れたような表情で言う。
「できるよ~。他にも……『こんな声真似もできるんですよ~』」
「ッ! 今度はしのぶさんの!」
楓子の口からしのぶの声が出たことに四人は驚きの表情を浮かべ、カナヲですらその顔に驚きをにじませる。
「『冨岡さん、私は冨岡さんのことを愛してます!』」
「いや、あのしのぶさんがそんなこと言えるわけありませんから」
「アオイちゃんにすらしのぶさんはその認識なんだなぁ……」
楓子のモノマネに、しかし、ジト目で言うアオイの言葉に楓子はため息をつく。
「しのぶさんも意外と言えてるかもしれないよ?今日とか」
「なんでそんなに具体的なんですか?」
「さぁてねぇ~フッフッフ」
アオイの問いに楓子は不敵に笑みを浮かべるばかりだ。
「声真似は他にももう何人かレパートリーはあるけど……まあその披露は追々で」
首を傾げる面々の顔を見ながら微笑む楓子。
「ま、とにかくこれでめでたくカナヲちゃんも鬼殺隊入隊に向けて本格的に修行するわけだけど、カナヲちゃんの修業は呼吸の使えなくなってるカナエさんだけでは難しいこともあるってことで、今日しのぶさんが帰ってきたら相談するそうだよ」
「しのぶさんにも……」
「認めてくれるのでしょうか……?」
楓子の言葉に四人は心配そうな表情を浮かべる。
「まあ十中八九最初は反対するだろうけど、カナエさんの言葉添えもあるし、何よりあの人は根本的にカナヲちゃんのことを心配してるから。彼女がやりたいって言う意思を見せれば、カナエさん同様に認めてくれるでしょう」
「なるほど」
楓子の言葉にアオイたちは一応は納得した様子を見せる。
「それに、カナエさんだけでなく楓子さんも一緒にお言葉添えしていただけますもんね!」
「あぁ~……」
すみが目を輝かせて言い、きよとなほも同じ考えなのかうんうんと頷いている。しかし、そんな三人の視線に楓子は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ
「私今日はしのぶさんに会わない方がいいんだよねぇ~……」
「え?どうしてですか?」
楓子の言葉に三人に加えてアオイも首を傾げる。
「ん~……たぶん私しのぶさんに――」
言いかけたところで楓子は
「ッ!!」
何かを感じ取ったように顔を上げ
「おっと!急用を思い出したぁッ!」
そう言って
「そんなわけで失礼しまぁすッ!!!」
と、突如言い放って「それじゃッ!!!」と手を振って走り去ろうとしたところで
「あ、あの……!」
カナヲが呼び止める。
「あの!なんで五回連続で『表』を出せたのッ?」
「…………」
カナヲの問いに楓子は踏み出した足を戻し
「私、実は魔法使いなんだよ」
「ッ!?」
「なんてウソウソ!」
驚くカナヲたちに楓子は朗らかに笑い、自身の胸ポケットに手を入れ
「はい、これあげる」
と、カナヲへ何かを渡す。
訳も分からず受け取ったカナヲは自身の掌の中のそれを見る。
気になったアオイたち四人ものぞき込む。
そこにはカナヲの持っているものとそっくり同じ銅貨があった。しかし、決定的に違うのは――
「これ……」
「両方『表』じゃないですか!?」
アオイたちは驚き、楓子の顔を見るが
「カナヲちゃんのを受け取って投げるまでに前もって用意してたそれとこっそり入れ替えたんだよ」
「これイカサマじゃ――」
「違いますゥ~!頭脳派なだけですゥ~!」
アオイの言葉を遮って楓子が笑いながら言う。と、屋敷の廊下の先からドスドスと力強い足音が聞こえてきて――
「おっと本格的に急がねばッ!!それではみんなバイバ~イ!!また鬼ごっこしようねぇ~!!」
その音に慌てて楓子が今度こそ手を振りながら駆け出す。
と、そのすぐ後に
「あなたたち!!ここに楓子いなかった!!?」
顔を真っ赤にしたしのぶがドシドシと廊下を踏み鳴らしてやってきた。
「えっと楓子さんなら……」
「今しがた……」
「急用を思い出したって……」
「チッ!勘付かれたかッ!」
すみ達の答えにしのぶは憎々しげに舌打ちする。
「あの…何かあったんですか?」
そんなしのぶにアオイが恐る恐る問いかけると
「あの子!私に外国語で挨拶しろって助言したくせにとんでもない嘘の外国語教えたんですよ!!」
「「「「嘘の外国語?」」」」
アオイたち四人が口をそろえて首を傾げ、カナヲも言葉にしないものの同じように首を傾げる。
「あの子、私に『イッヒリーベディヒ』って言えって教えたのにこれ挨拶でも何でもなかったの!!」
「なんて意味だったんですか?」
怒りで頭を掻きながら叫ぶしのぶアオイが問う。と、しのぶは少し恥ずかしそうに顔を背け
「その……あ『愛してる』って意味らしいの!!」
『…………』
半ば自棄になったように叫ぶしのぶの言葉に五人は納得する。先程楓子はしのぶが今日冨岡に「愛してる」という言葉を言うと言っていた。これはおそらくこのことだろう。そして、今慌てて急用と称して去って行ったのも、それがバレてしのぶが怒り心頭で帰ってきたことを察知したのだろう。
「で、でも、よくその言葉の本当の意味が分かりましたね」
「冨岡さんの継子の真菰ちゃんが教えてくれたのよ」
なほの言葉にしのぶがため息をつきながら言う。
「なんにも知らなかった私は楓子に助言されたとおりににこやかに冨岡さんにさっきの言葉を言ったら、あのいつも無表情の冨岡さんがあんぐり口を開けて呆けて、手に持ってた木刀取り落とすもんだから私もわけわからずに首を傾げてたら、苦笑い浮かべながら真菰ちゃんが……」
「それでどうしたんですか?」
「どうもしないわよ!慌てて間違いだったって言って帰ってきたのよ!楓子に文句言うためにね!」
しのぶの言葉にきよが訊く。しのぶはそんなきよの問いに答える。
「あぁ…ではもう楓子さんはここを出た後かもしれませんね。しのぶさんに怒られるってことわかってらっしゃる様子でしたし」
「くッ!やはりそうだったのね!!このまま泣き寝入りなんてしてやるもんですか!!絶対一言文句言ってやる!!」
ぐぬぬッとこぶしを握り締めワナワナと震えるしのぶは再びズンズンと歩き出す。
「あの、どこへ?」
「直接蜜璃さんのお屋敷に行くわ!流石に最後には戻るでしょうから先回りして待ち伏せするわ!」
アオイの問いに答えたしのぶはそのままズンズンと床を踏み鳴らして去って行った。
しのぶの剣幕に五人は茫然とそれを見送ったのだった。
こうして、五人からの「実はすごい人かもしれない」という楓子への評価は「すごいけどものすごく変人」という評価に上書きされたのだが、楓子はそのことを知らないのだった。
その後、夕食前に戻ったしのぶにカナエとともに鬼殺隊に入りたいことを相談したカナヲは楓子の予想通り最初は反対されたものの最終的には認められ、カナエとしのぶからの修業を受けることになったのだった。
一方その頃の水柱邸では――
「…………」
「冨岡さん?」
「…………」
食卓に着く義勇と真菰だったが、先程から義勇は心ここにあらずと言った様子で箸と茶碗を手に持ったまま虚空を見つめていた。
「冨岡さん?」
「…………」
「冨岡さ~ん?」
「…………」
呼びかけても呼びかけても反応のない冨岡に真菰は首を傾げる。
「…………」
「…………」
「…………イッヒリーベディヒ」
「ッ!?」
カラーンッ
真菰がぼそりと小声で呟いた言葉に反応し義勇がビクリと体を震わせる。その衝撃で持っていた箸が机に転がる。
「冨岡さん」
「……なんだ?」
「その……」
いつもの無表情とは違い何かを隠すような取り繕った無表情な義勇の顔に真菰は言いかけ
「……鮭大根のお替りいかがですか?」
言いかけた言葉を飲み込んで笑顔で訊く。しかし――
「いや、いい」
「………へ?」
「今日はもういい。俺はもう休む」
「あ、はい」
「ご馳走様」
「お、お粗末様です」
そのまま立ち上がり去って行く義勇を見送った真菰は
「冨岡さんが……鮭大根をお替りしなかった!!?」
一人驚愕していたのだった。
~大正コソコソ噂話~
義勇が「Ich liebe dich」の意味を知っていたのは真菰から教えられていたからです。その真菰は楓子から教えられていました。真菰が楓子に教えられた時には「これ冨岡様にも教えてあげて。絶対面白いことが起きるから」と言われていました。そして実際楓子的に大変面白いことになりましたね。
~大正コソコソ噂話②~
楓子がカナヲのとそっくりの両面「表」の銅貨を持っていたのはいつかカナヲの背中を押すような出来事に出会ったとき用に用意していました。今回それを使ったことで、目のいいカナヲにそう何度も同じ手は通用しないとわかっているのであっさり種明かしをしました。ちなみに両面「裏」の銅貨も用意してありました。