誰かが目の前で話している。
しかし、その内容は頭に全く入ってこない。
まるで蠅の羽音をぼんやりと聞くように私の耳を通り抜けていくのだった。
「・・・女王?」
目の前の赤毛の女が怪訝そうに顔を近づけて問う。
私はその時はじめてはっと気づいた。
ここは玉座の間。
え~と、さっきまで参謀が話していたのは・・・。
「女王、大丈夫なのですか?もう演説は明日の予定なのですよ?」
彼女は小さく腕を組みながらそう言った。
小声で「民衆にもそのように御触れを出してしまいましたし。」とぶつくさ言っている。
私は一瞬頭を振ると、思い直すように口を開いた。
「・・・なんでもない。演説も先の内容で問題ないな?」
「ええ、問題な・・・素晴らしいという話をしていたのですが・・・やっぱり聞いていませんでしたね?」
彼女はおどけるようにそんなセリフを吐く。
私も笑って、作り笑いをする。
「・・・そんなことないさ。」
「・・・そうですか。」
二人の笑い声が部屋に響く。
そんな女王の異常は参謀もまた実は気づいていた。
参謀は、部屋の去り際迷ったように一拍置いてから振り向いた。
「・・・・・・私の忠誠はいつまでもあなたに捧げます。」
ああ、違うのだ。そういう話ではないのだ。
私は心配ではないんだ。ただ辛いのだ。
廊下を歩きながら参謀は、体全体で怒りを表現するように荒々しく歩く。
彼女は珍しく本気で怒っていた。
「ドゥーチェの奴・・・。本当にあいつは!女王に秘密を言ったな!!」
この国のある歴史。駆逐された汚点。
それは唯一、ある貴族の地下室に眠っていた。
そしてその地下室は、ナターシャが幼少の折に焼き払った。
私は墓場までこの秘密を持っていくつもりだったが・・・。
荒れた心をそのままぶつけるように、石壁を思い切り蹴飛ばす。
彼女の力では傷つきはしないが、しかし心は少し静まったようであった。
階段を上り、普段は人のいない屋上に出る。
みずみずしい風が頬を撫でた。
(いやしかし、クソ!良い手だな。現に女王は参ってしまっている。我々は争っている場合ではないというのに。)
別に私の地下室に眠っていた話というのは、面白い話でもない。
父と母の遺品を整理しているときに私が見つけてしまった、眠らせておくべきだった話なのだ。
その昔、約百年ほど前の話。
王族の間では珍しい話ではないが王位の継承権争いがあった。
これまたありふれた話ではあるが、片方が敗れ、片方は勝利した。
この国の王族の名前。
もう捨てた名ではあるが、私の家はその姓を名乗っていた。
そんな歴史の「真実」を書いたとされる石碑が我が家の地下から見つかってしまったのだ。
そこには憎悪とも取れる怒りの文字が刻まれていた。
元々第一位の王位継承権を持っていたとされる我らが祖先は暗殺され、
強引に王位を剥奪されたというものだった。
そんなもの、実際どうかなど現代を生きる我々に分かるはずもない。
・・・しかし、両親は信じた。
現女王、リリィの祖父が当時の王の不審死の後、異様に若く王座に就いていたというだけで。
そして両親は密かに反乱を起こそうとして、鎮圧された。
一介の貴族が集めた私兵など、鍛えられた騎士団に及ぶべくもなかった。
そして民衆も王を信じた。
先王とは違い、名君として君臨していたリリィの祖父を疑うものはほとんどいなかった。
二人は王の慈悲から極刑は免れたが、数日後父が、その数か月後に母が自殺しているのが発見された。
まだ幼かった私とドゥーチェは、王に引き取られ不自由なく暮らさせてくれた。
私は、王を憎んでもいないし、両親を憎めもしなかった。
ただ悲しかった。
地下室を見ても、どうとも思わなかった。
しかし、弟は違ったのだ。
少しも両親を覚えていないあいつは、地下室の幻想に憑りつかれてしまった。
王族を憎しむという、両親のいない寂しさを埋めるまっとうな理由を見つけてしまったのだ。
・・・私は結局、ドゥーチェも憎めていない。
一筋の風が流れて、コートがはためいた。
やはりこの場所はいい。
ため息もどこかに吹き飛ばしてくれる。
私はもしかしたら敵がわからなくなっているのかもしれない。
自分を戒めるように、一回ピシャリと自身の頬を叩く。
冷たい手が当たり、小気味よい音共に頬がじんわりと熱くなる。
(・・・そうだ。私はナターシャではない。参謀だ。ただ、この国を守るための者。)
彼女は地平線の先にいるはずの敵を睨む。
・・・まずはあいつら。
そしてそのために女王も捨て置かない。
騎士も、妖精も、市民も、弟もだ。
私は、覚悟をもってあえてこの重いセリフを口にする。
「・・・私は、この国の何もかもを守って見せるさ。」
ひときわ大きい風が吹く。
やはりこの場所はいい。
恥ずかしいセリフもどこか遠くに運んでくれる。
・・・しかし。
嘘にはしないからな。
ここから見渡せる美しい街と湖。
守り切って見せるさ。
ドゥーチェって名前には両親の歪んだ愛情が籠ってるのかもしれないっすね。