ウマ娘短編 少女達の蹄跡   作:篠平才斗

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 ウマ娘アプリ、リリースおめでとうございます! 嬉しい! めでたい!
 早速楽しませて頂いております、難しいけど!

 そしてそれに負けない程嬉しいのが、遂に公式HPにキャラクターとして「ミスターシービー」が登場いたしました。いやぁ嬉しい。一期アニメのキャラデザに一目ぼれしてから待ち望んでおりました。勿論元々のミスターシービーが大好きというのもあるのですが。早くミスターシービー育てたいな……。
 そういう訳で、ミスターシービーのラストランとなった85年春の天皇賞を元にした作品です。本作に登場するミスターシービーはデザインは一期アニメ準拠でそれ以外は妄想の産物ですので、悪しからずご了承ください。
 また、この作品はアリスの『チャンピオン』に強い影響を受けています。あの曲本当に大好きなのですよね。


チャンピオン――クラシック83年世代と“皇帝”

「ねえ、カイチョー」

 一人の少女が、そう問いかける。静かなその部屋の中にいるのは、今はその少女と、もう一人。威厳を纏った、茶髪の女性。

「なんだ、テイオー」

「カイチョーが、さ。今まで出会ってきたウマ娘の中で……一番、凄いなって思ったのって、誰なの?」

「どうして、そんな事を?」

 その問いに、テイオーと呼ばれた少女は応える。

「ボクは、カイチョーに憧れてここに来た。ならカイチョ-にだって、そういう人がいるんじゃないかなって」

「それは、難しい質問だな。……一人、どうしても敵わないな、と思わされた相手なら、いたよ。ただ憧れ、とは少し違うな」

「誰なの?」

「お前も良く知っている名前だ」

 そう言って、彼女がテイオーに告げた名前は、彼女にとっては意外なものだった。

「え?」

 思わず、テイオーはそう訊き返していた。

「意外か?」

「うん。だって、カイチョーはあの人には負けてないでしょ? ボク、カイチョーの大レースは全部見てるから知ってるもん」

「確かに、私は彼女にレースで負けた事は無い。その意味では、お前の疑問は最もだろう。ただ、な……」

「ただ?」

「……私は、レースで勝つ事、強さを示す事が最も大切だと、思ってきた。金科玉条の如く」

 そう言って、彼女は立ち上がる。そして窓の外をみやりながら、呟いた。

「だが、それではあの人には、及ばなかった。……私には、どうやっても行けないところにあの人はいた」

「……?」

 テイオーは不思議そうな顔をして、それを聞いている。

「王者とはどうあるべきか。……私はずっと、それを考えているよ」

 そう、静かに彼女は――“皇帝”シンボリルドルフは言った。その脳裏に、長髪を靡かせた一人のウマ娘の姿を浮かべながら。

 

 彼女は、静かに脚に包帯を巻きつけていた。もうボロボロで、言う事を聞かなくなっている脚だ。本来なら、もう走るべきではないのかもしれない。それでも、走りたかった。それが、最後の義務だと思っていた。

「……入るよ」

 不意に、そう声をかけられた。何度も聞いてきた、彼女にとっては馴染みの声だ。

「良いよ。……来てくれたんだ、嬉しいね」

「ああ。あんたの、死に水を取りに来たよ」

 黒髪の女性はそう言って、どっかと彼女の横に座り込む。控室の長椅子に、二人。今までありそうで、なかった事だった。

「入れたんだ。もう、部外者なのに」

「無理言ってね。まぁ、皆分かってるからさ。入れてくれたんだよ、きっと」

 そう言って、彼女はふうと息を吐く。

「あんた、もうボロボロじゃないか。何でそうまでして、走る」

「……アタシを、見たいって言ってくれる人がいる。だから、かな」

「……晒し者になってもか」

「失礼な。晒し者なんてつもりはないよ。今日だってしっかり勝ってくるさ。アタシはトリプルクラウンだよ」

「……ッ!」

 不意に、入ってきた女が立ち上がった。拳を握り、目を怒らせて。

「だから、だからこそ言ってるの! あんた、あんたは、そんな姿を見せちゃいけないんだ! ボロボロになって、無惨にやられて、KOされて這いつくばる様なんて、見せちゃ……!」

「……どうして、そう思うの?」

「あんたは! ……私、達の。皆の、誇りなんだ……見たくないんだよ。あんなに強かったあんたが、誰もが目を奪われざるを得なかったあんたが、ガクガクの脚でよたよた走る所なんて、見たくないんだ!」

「アタシはさ。……三冠ウマ娘、なのよ。エース」

 そう言って、彼女は立ち上がる。

「日本史上初の、三冠ウマ娘同士の対決。二年連続で、三冠ウマ娘が生まれた、奇跡みたいなこの期間……ファンの人達が、どれだけワクワクしているか、貴方だって分かるでしょう」

「それは、分かるわよ。でも、もう十分でしょう! ジャパンカップと、有馬と。……十分よ。あんたは、もう十分夢を見せた。もう、休んでも」

「そうはいかない、わね。春の天皇賞、最高の舞台の一つ。ここでのレースを見せない訳にはいかないでしょ」

 そう言って、彼女は部屋を出ていく。ただ一人、その場に残された“エース”カツラギエースは、静かに立ち尽くす事しかできなかった。

 レース場は、熱気に包まれていた。春の天皇賞は、トゥインクルシリーズの中でも最高級のレースの一つ。それに加え、これまでG1の舞台で、二度戦ってきた二人の三冠ウマ娘、その三度目の対決。多くのファンが、詰めかけていた。

「今度も、ルドルフが勝つかね」

「盤石に強いからなぁ、ルドルフは……」

「いや、でも……」

 そんな声を聴きながら、腕を組んで静かにターフを睨むウマ娘が一人。

「えらく仏頂面じゃない、ピロウイナー」

「……リード。あんたどう思う? このレース、勝てると思う?」

「難しい、とは思うよ。ルドルフは強い。体調が万全でも、勝ち負けできるかって所だろうに」

「……そうね」

「でも、信じたい。でしょ? ……私も、あなたも」

「……そう、ね。私は結局、彼女の影を追っている。……私が惨敗して、遥か彼方に見えなくなった、あの影を」

「皆、そうなんじゃない?」

 そう言って、リード――“最後の八大競争覇者”リードホーユーは微笑む。

「私達、結局はあの子のファンなのよね。私達にとって、あの子は最大の壁で、そして一番のアイドルだった」

「その光の眩しさに……私は、耐えられなかったのかもね。だから、落ちた」

「でも、今は貴方も太陽よ、立派な」

「そう、なら嬉しい、がな……」

 そう言って、彼女は――“マイルの皇帝”ニホンピロウイナーは、静かに目を閉じた。

 ターフの上では、出走を待つウマ娘達が静かにウォーミングアップを行っている。そこに、あのウマ娘が現れた。歓声が、一際大きくなる。

「頑張れー!」

「一矢報いてやれ!」

「俺は信じてるぞ!」

 男の声。女の声。老いた声。若い声。その場にいる誰よりも、彼女は歓声を浴びている。観客だけではない。

「あ、あの! 私、サクラガイセンって言います」

「ああ、今四連勝中の! いやー、調子良いね」

「いえ、そんな。私、ずっと、一緒に走りたくて……」

「そっか、確か大レースは初めてだっけ? 同い年同士、よろしくね」

「おい、最近お前どうしたんや! らしくない走りしおって」

「いやぁ、相手が強いだけだって。そういうコバンだって、最近さっぱりじゃん。前は揃ってジャガーにやられたし」

「ぬかせェ! 今日こそはお前押さえて一着や!」

 そんな風に、彼女の周りには人が集まる。それが、理解できない者がいた。

「……何故。何故、これ程までに人を惹きつける」

 思わず、口に出して言っていた。彼女が、気が付いた。

「お、ルナちゃん! 今日もよろしくね!」

「……その呼び方は、やめて下さいと申し上げた筈です。会長」

「会長も無しだって。ルナちゃんが三冠取ってくれて、アタシは晴れて会長クビになったんだから」

「貴方が自分から出ていかれたのでしょう。本来なら、貴方が選手として引退なさるまでは私は副会長です」

「そんな固い事言いっこ無しだって。今日だって、一番人気はルナちゃんだもん。一番強いのが誰か、皆分かってるって事」

 そう、自分は誰にも負けない。誰よりも厳しく、自分を律し、鍛え続けてきた。そうして、結果がついてきた。無敗三冠。有馬記念制覇。そして、目の前にいるこのウマ娘とは、二回同じレースを走り、二度先着。格付けは済んだ、と言う人は多い。しかし。それでも。

「じゃ、頑張ろうね、お互い」

「……ええ」

 声援が送られるのは、彼女だ。人の輪の中心にいるのは、彼女だ。それが、不思議だった。悔しい、腹立たしいと言う感情ではない。ただ、不思議だった。強い者が、最も優れているのがこの世界の常識ではないのか。何故敗れた彼女に、人は声援を送る。若き“皇帝”シンボリルドルフは、まだその理由を理解できていなかった。

 

 二年前の、皐月賞。ニホンピロウイナーは、現実に打ちのめされた。脚の速さには自信があった。前回は六着に敗れてしまったが、本番で勝てばいいと思えた。しかし、現実は非情だった。全く前に動こうとしない脚。酸素不足で暗くなる視界。フラフラになりながら、完走するのが精一杯だった。その遥か彼方で、彼女は輝いていた。ゴール板を通り過ぎ、崩れる様に大地に倒れる。係員が、トレーナーが慌てて駆け寄ってきた。

「大丈夫か、ピロウイナー」

「……へい、き。で、も……わ、たし」

「無理して喋らなくていい。……俺の責任だ。お前のスピードとスタイルは、短距離向きだってのは思っていたのに」

「……わ、たし、は……」

 トレーナーに支えられながら、視界の隅に彼女の姿が映った。手を上げて、長髪を靡かせた彼女は、あまりにも眩しかった。涙が零れた。

「あんな風に……なれないんだ」

 それ以上、言葉にはならなかった。ただ声を上げて、泣く事しかできなかった。 

 日本ダービー。カツラギエースにとっては、格好の雪辱の舞台だと言えた。皐月賞では一気呵成に逃げを狙うも、不良バ場に脚を取られ十一着と不本意過ぎる結果に終わる。しかし、この日は違う。曇り空ではあるが、バ場は良。今度こそ、勝ち切ってみせる。そう誓ったダービー本番、カツラギエースは中団やや後方に控える形でレースを進める事になってしまう。この頃、ダービーには「十番手以内で第一コーナーを曲がらねば勝てない」というジンクスがあった。二十人を超える出走が当たり前だったこの時代、前に行けねばレース後半身動きが取れなくなる。カツラギエースは、そのポジションを取り切れなかった。思ったほど前に行けず、苦しい展開になってしまう。しかし彼女程ではない。彼女は最後方にいた。

「あいつ、下手打ったな。これであいつは消えた」

 そう、思った。しかし、彼女は上がってきた。ゆっくりと前に前に押し進み、そして最後の直線で一気に先団を差し切り、優勝。六着でゴールしたカツラギエースは、その光景をまざまざと見せつけられた。

「あ、あんた。なんで、あんなんで勝てる」

「余り、勝った気はしないけどね……ちょっと、最後のコーナーで危なかったから。失格でも文句言えないよ」

 彼女はそう言うと、観客に向かって手を上げる。大観衆の視線が、彼女一人に注がれていた。カツラギエースは、それを黙って見つめる事しかできなかった。

 リードホーユーは、デビュー以後苦戦が続いた。骨折などで、春のクラシックには参加さえできず。それでも鍛錬を重ね菊花賞に間に合わせる。二冠の彼女を止めるかもしれない、秘密兵器。カツラギエースと共にそう見込まれた彼女は、先行策を敢行しレースを進める。カツラギエースと二、三番手を進みながら、第三コーナーの坂にかかろうかという時だった。レース場が、どよめきに包まれるのを感じた。訝しむ間もなく、視界の端に彼女の姿が見えた。

「……え!?」

 後方待機からの追い込み型である彼女が出てくるには、あまりにも早い。それだけではない。第三コーナーの上り坂で一気にまくるのは、絶対的なタブーだと言われていた。まだ、先は長い。ここからスパートをかければ、普通ならば潰れる。しかし、彼女は止まらなかった。それどころか第四コーナーの下り坂を、一気に加速しながら駆け下りていく。京都の坂は、ゆっくりと下る。それが常識だった。あんな走り方をして、勝てる筈がない。そう思いつつ、彼女の走りに圧倒されている事に気が付く。彼女は、私達の物差しで測る事ができる様な、そんな才能ではない。そう、思ってしまった。大地が弾み、観客がその天衣無縫の走りに酔いしれる中、彼女は十九年ぶりの三冠を達成する。リードホーユーは四着。それまでのタブーとされた戦法をやってのけた彼女に、全く届かなかった。

「何なんだ……あんなの、滅茶苦茶じゃない……」

「滅茶苦茶なんだよ、あいつは。それで勝っちゃうんだから、嫌になる」

 横にいたカツラギエースが、そう言った。

「まあ、そんなあいつだから、三冠にもなれるし。……それに」

 そう言って、カツラギエースは観客席を見渡す。レース場が、震えていた。大スターの誕生に、酔いしれていた。

「人の心を、掴める」

「……凄い、んだね。やっぱり」

「ああ。……だからこそ、私は勝ちたいよ。あいつにね」

「勝った、じゃない」

 彼女が、こちらに近づきながらそう言った。

「この前の京都、勝ったのはエースで、二着がリード。私四着よ?」

「……言わなくても分かってんでしょう。トライアルで勝っても、ここで負けてちゃ何にもならない」

「どうして」

 リードホーユーは、呟くように言っていた。

「どうして、あんな走りが、できるの? 私と、私達と同じ、ウマ娘なのに。私には、あんなのできない。どうして、貴方には」

「……できない、んじゃなくて。しなかった、んじゃないの?」

 彼女は静かにそう言った。リードホーユーが、ハッと顔を上げて彼女を見る。

「誰もしなかった。勝てると思えなかったから。私はした。それのおかげかは分からないけど、勝てた。それだけよ。タブーなんて言うけどね。タブーを犯さなければ、大負けはしないけど大勝ちもできないわ。私は、犯してでも大きなものを手に入れたかった」

「……博打だったっての?」

「そうよ、エース。結局はそうでしょ。百パーセント、確実に、堅実に。そんなのつまらないし、退屈だし。それに、それじゃ大きなものは生涯得られない」

「大きな、もの」

「確実に百の結果が得られる選択肢を取るか。それとも、五十か二百か、どっちかになる選択肢をとるか。私は、二百を取りたい。五十を掴む事になっても」

 彼女はそう言って、にこりと笑った。

「何より、勝ちたかったもの、私」

「え……?」

「こうでもしないと、勝てない……かもってね」

 そう言って、彼女はくるりと背を向けた。リードホーユーは、彼女の言葉を反芻する事しかできなかった。

 

 その後、彼女は脚の不安からジャパンカップ、有馬記念を回避。その消極的な姿勢を批判する声もあった。そして、同時にそんな「ひ弱」な三冠ウマ娘が生まれる様な世代の、その実力を疑う声もあった。しかし、一年最後の大レース、有馬記念。その舞台で、そんな声を吹き飛ばしたウマ娘がいた。

《メジロティターン、メジロティターン来ている、外の方からアンバーも来た、アンバーもやってきた、先頭はリードホーユー、リードホーユー一着、二着にデュデナムキング!! リードホーユーです、クラシック級リードホーユーが見事並み居る強豪を退けました!》

 彼女が勝ったのは、私達が弱いからではない。それを示す為の、激走だった。初めての重賞レース勝利を有馬で飾り、そしてその代償として、彼女は選手生命を失った。それでも、後悔はない。翌年から「グレード制」が導入され、クラシック三冠レースや有馬記念の様な大レースは“G1レース”と呼ばれる事になる。“八大競争”としての有馬記念、その最後の覇者になれた。勝負に行って、二百を掴んだ。それで、十分だった。

 翌年のジャパンカップ。日本のウマ娘のレベルを上げるべく、世界の強豪と戦うとして整備されたG1レースだが、日本勢は毎年敗北。世界のレベルの高さの前に打ちのめされ続けてきた。しかし、その年は違う。何しろ二人の三冠ウマ娘が揃い踏みするのだ。今年こそは、日本勢が勝つ。ファンの誰もがそう思った中、激走を見せたのがカツラギエースだった。普段なら先行策で行くところを、ハナを切って逃げる戦法を取る。多くの者が、その逃げを暴走か、一か八かのやけくそかと見た。そして、最後の直線で彼女の脚は鈍る。一年後輩の三冠ウマ娘、シンボリルドルフが迫る。誰もが、ルドルフの差し切り勝ちを想像した。しかし。

《ルドルフ来た、ルドルフ頑張れ! カツラギエースは頑張った、カツラギエースが粘る、カツラギエースを追ってルドルフ! ベッドタイム、カツラギ来る!》

 シンボリルドルフが、躱せない。体力が尽きたと思われたカツラギエースとの距離が、縮まらない。

《外からマジェスティーズ! カツラギエースが勝ちました!!》

 勝ったのは、カツラギエースだった。日本ウマ娘初の快挙。しかし、その意外過ぎる結末を観客は歓声ではなく、驚きの騒めきで迎えた。勝利のインタビューで、カツラギエースは高らかに言った。してやったり、と。そして、彼女は十着に終わる。彼女の走りが冴えなかった理由を、薄々だがカツラギエースは感付いていた。

「ねえ……あんた、もう脚が」

「うーん……もうちょっと、頑張れると思うんだけどな。それに、体のどこかが悪いなんて、皆そうだし。今回は、冴えなかったねえ……ま、負けは負け。遂に大レースで、エースに負けたか」

「……私、次の有馬をラストにしようと思う。あんたも、そうしない?」

「ううん。アタシは、もうちょっとだけ走るよ」

 それまでの戦法を変えた。乾坤一擲の勝負だった。それに、カツラギエースは勝った。やれないのではなく、しなかった。それで後悔したくはなかった。

 

 静かに、彼女はゲートの中に入る。脚の具合は、良くはない。それでも、走る。自分が走る姿を、見たいという人達がいる限り。

「あんた、あんたは、そんな姿を見せちゃいけないんだ!」

 カツラギエースの言葉が脳裏に蘇る。確かに、そうなのかもしれない。自分のこんな姿を見たくない、という人も、いるのだろう。どちらかを取るか、となると、難しいなと思う。

 しかし、と思う。最初から、最後まで、ずっと強い。それは理想かもしれない。でも、私はそうはなれなかった。幸か不幸か、あまりにも強い後輩に恵まれた。それならば。

「こういうのも、良いんじゃないかな。後輩君相手に、足掻いて、足掻いて、そして」

 ゲートが、開いた。全員が、飛び出していく。ルドルフは先行集団の後ろに着けた。そして、彼女は後ろから二番目。十五人はバラバラと別れ直線を疾走する。ルドルフは次第に先行集団へと近づいていく。

「ルドルフは、前に上げていく形か」

 カツラギエースがそう呟いて、横にいるウマ娘に目をやる。

「……しっかり見てなよ、ギャロップ。あいつの、走りを」

「うん……」

 そこに立っていたのは、何処か気の弱そうなウマ娘だった。静かに手を組み、必死でレースを見つめている。

「勝てる、かな」

「まともじゃ勝てない。今のルドルフは、紛れもなく日本史上に残る最強ウマ娘……でも」

 リードホーユーがそう言い、食い入るように見つめる先で、彼女は動いた。

《あっとここで行った! 菊花賞と同じように、坂の手前で行きました、白い帽子がぐんぐんぐんぐん行きます!》

 場内が、沸いた。観客の誰もが知っている、あの光景。京都の坂の上り、そこで一気に先頭に出る。タブーと呼ばれた戦法で、しかし彼女は見事に勝った。あの日、大地が弾んだあの日。十九年もの間生まれなかった三冠ウマ娘が生まれた日。ダークブラウンの艶やかな髪を靡かせて。タブーを破り、ライバルを蹴散らし、そしてその場にいた全ての者に夢を見せた、あの走り。

「掴みに行く。あの子は、そういう人」

 リードホーユーが言う。観客達の大声援が、大地を揺らす。あの日の様に。彼女がルドルフを躱し、先頭に並ぶ。その瞬間、確かに京都レース場は揺れた。

「こ、これが……あの人の」

 サクラガイセンが呟く。

「嫌ンなるなァ、人気者!」

 先頭を走るスズカコバンが叫んだ。

「いつもそうや! いつも、ウチはお前やエースの引き立て役や!」

「……」

 彼女は、応えない。おや、とスズカコバンは思った。こういう時、必ず言い返してくるのだ。気さくな、飄々とした口調で。

「なんや、そんな必死なんかィ!」

「……ああ、そうさ」

「……え?」

 思わず、横を見た。彼女の顔は、真っ青だった。

「お、お前」

「……コバン、ありがとうね。楽しかった」

「お、おい!!」

《スズカコバン先頭だ、スズカコバン先頭だ、さあスズカコバン先頭だ、内からニシノライデン! そして外からシンボリが来た!》

 シンボリルドルフが、上がって来た。最後の直線に入ろうかという所で、彼女は一気に加速する。外を回って、彼女を追い抜く。その瞬間だった。

「ねえ、ルドルフ」

 不意に、声をかけられた。

「何ですか?」

「……後の事、お願いね。不甲斐ない先輩で……ごめんなさい」

「貴方は」

 青い顔をした彼女は、それでもルドルフににこりと笑いかけた。ルドルフはそれをちらりと見て、前に向き直る。分からない。何故、レース中にあんな事が言える。

「私達の使命は、一心不乱に勝利を求める事。一意専心に、勝ち方を極める事。そうじゃないのか」

 分からない。考えても、分かりそうには無かった。だから、今はひたすら走る事にした。スズカコバンを躱し、先頭に立つ。その外側から、サクラガイセンが突っ込んでくる。その様子を見ながら、彼女は呟いた。

「……皆、凄いなあ。アタシ、ちょっと、天狗になってたかな」

 ファンの期待に応えたかった。応援してくれる人達の為に、走った。あの時。菊花賞後、体を休めたいとジャパンカップと有馬記念を回避した時。がっかりした人達の顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。アタシは、こんな事で休んではいけない立場になったのだと思った。何故なら、アタシは、チャンピオンだから。しかし、それは思い上がりだったのかもしれないと思った。

「ファンを喜ばせられるのはアタシだけ、そう思ってたのかもしれないな。酷い話だ。皆、皆ファンを惹き付けてるじゃない。アタシだけがスターみたいに、何調子に乗ってたんだろう」

 自分を置いて、先頭に立った一年後輩の三冠ウマ娘の背を見つめる。

「ルドルフ。貴方は、強さで皆を引っ張れる。博打で、ギリギリをやって、それで何とか勝てるアタシとは違う。……チャンピオンは、貴方にこそ相応しい。だから」

 勝つにはこれしかないと思った。あの菊花賞の時の様に、賭けた。あの時は勝った。そして、今度は。

「おめでとう。シンボリルドルフ」

《シンボリルドルフ先頭だ! シンザン以来の五冠ウマ娘! そして僅かに外サクラか、サクラガイセンが外! そして内にいたのがスズカコバン! シンザン以来の五冠ウマ娘です、シンボリルドルフです!!》

 一着、シンボリルドルフ。二着サクラガイセン。三着スズカコバン。彼女は、五着。

「……終わった、んだね」

「うん。きっと、これで終わり」

 彼女は、これがラストランだと宣言している訳では無い。それでも、カツラギエースとリードホーユーには何となく分かった。彼女はやり切った。人々が待ち望んだ王者として現れ、結果を出し、そして新たなる王者に敗れ、表舞台を去る。チャンピオンとして逃げず、そして沈んだ。

「……凄い。本当に。私、何やってたんだろ。同い年で、一緒に走れたかもしれないのに」

 ギャロップダイナが呟く。

「私、私も……あんな風に、走りたい。ううん、走るんだ……絶対に……!」

「……やっぱり、ああいう風には、なれないな。でも……そうだな。グチグチ言うのは、もう止めだ」

 ニホンピロウイナーが、噛み締める様に言った。

「あんたみたいに、私もなってみせる。私も……希望に、なってみせる……!」

「お前、さっき……いや、ええわ。よう、分かったし。知っとるしな。やから……もう、休み」

 スズカコバンが彼女に近づき、そう言って労った。

「一緒に走れて、光栄でした。私、忘れませんから」

 サクラガイセンが、涙ぐみながら頭を下げた。そして。

「……私は、今やっと、貴方の凄さが分かりました」

「え? そりゃー無いでしょ、ルナちゃん。アタシ三冠なのに」

「力ではない。実績でもない。私は貴方を、ずっと行雲流水の人だと思っていました。しかし、違った。貴方は、精励恪勤の人だった」

「相変わらず、言う事が難しいなぁ、ルナちゃんは。……三人のウイニングライブ、楽しみにしてるね。じゃ、アタシは戻るわ。もうくったくた」

 そう言って、彼女はふらふらとした足取りで帰っていく。レース場にいた全ての目が、その瞬間彼女に注がれた。ルドルフが、その背に呼び掛けた。

「私は、忘れません。あの時。貴方が私を追い抜いた瞬間の、歓声を。私がゴールした瞬間より、大きく聞こえましたよ」

 おかしな話だ。ゴールの瞬間でなく、レースの途中に一番の歓声が沸く。しかし、レースを終えた今のシンボリルドルフには理解できた。レースの結果だけを見ていては分からない。着順やタイムを眺めるだけでは決して理解できない、彼女の力。人は数字に感動するのではない。それが、今分かった。

 控室に戻った彼女を、二人のウマ娘が出迎えた。彼女の目が、驚きに見開かれる。

「……母さん。先生」

「よく、頑張ったわ」

 茶髪のウマ娘が、そう言って彼女を抱きしめる。そして、静かにベッドに寝かせた。

「い、いえ。そんな、寝たままお話なんて」

「良いの。貴方は、もう充分頑張った。ありがとう」

「……不肖の、弟子です。負けっぱなしで。とても先生の……“天マ”トウショウボーイの弟子だなんて」

「そんな事は無いわ。貴方は、これだけ愛されたのだもの。それに、貴方はこうして帰って来てくれた。それだけで、充分」

「ねぇ、何か、して欲しい事、ない? 何でもしてあげる。久しぶりに、母親らしい事をさせて」

 そう言ったのは、彼女と同じ髪の色をした、おっとりした顔のウマ娘だった。

「母さん……そんな、子供じゃないんだし……でも、そうだね。……久しぶりに、母さんの料理が食べたいな。トレセン学園の食堂のご飯も、美味しいんだけどさ。久しぶり、に」

 そう言って、彼女は目を閉じた。涙が一筋、頬を伝って落ちた。

「帰り、たいな。……家に。ちょっと、疲れちゃったよ。お母さん」

「もう、帰って来て良いのよ」

 そう言って、母親シービークインが静かに彼女の頭を撫でる。

「お帰りなさい。貴方は、お母さんの自慢の子供よ。ミスター……シービー」

 

 それから、八年後。ミスターシービーが三冠を達成してから、十年後。一人のウマ娘が、奇跡を見せるべく戦っていた。

「彼女、凄いわね。普通なら、もう諦めちゃうでしょうに」

「諦めないですよ。それが、一番の武器だと思っています」

 シービーとルドルフが、レース場の観覧席でその様子を見ながら静かに語らっていた。

「以前、聞かれたのですよ。私が今までで、一番凄いと思った相手は誰か、と。私は貴方だと言いました」

「え? 光栄だけど、それエースやダイナが聞いたら怒らない?」

「そうはならないと思いますよ。……レースで勝った、負けたは時の運もあります。色々な要因が重なるのが、勝負の世界です。私が貴方に敵わないと思ったのは、何というか……その、人を惹きつける力ですよ」

「でも、それならルナちゃんだって十分あると思うけど」

「私は、少し怖がられてしまいますから」

「それは、まあ……ちょっと、近寄りがたいオーラ出し過ぎなのよ」

 二人は穏やかに、そんな話をしている。レースは既に中盤に差し掛かりつつあった。

「……私は、貴方と私を超えるなら、あの子だと思ったんです。才能があり、そして人を惹きつける魅力がある。貴方にトウショウボーイさんがいたように、あの子には私がついてやれる。言うなれば、貴方の魅力と、私の実力と。その二つを兼ね備えた存在になれると」

「成程ね。貴方、自分が取り損ねたみたいに悔しがってたものね。あの子の菊花賞断念を」

「ええ。私はどうしても、三冠というものを絶対視してしまいますから」

 レースが、終盤に差し掛かっていた。青と白の勝負服の彼女が、最後の直線に入ってくる。

「あの子は、私に憧れていると言ってくれた。でもあの子には、貴方の魅力も身に着けて欲しかった」

「その辺は、天性のものがあるわよ、あの子。だって、ほら」

 そう言った瞬間、彼女は紫の勝負服を着た葦毛のウマ娘を躱し、先頭に躍り出た。

「あんな事が、できるんだもの」

「ええ」

 

《トウカイテイオーだ、トウカイテイオーだ、トウカイテイオー、奇跡の復活!!》




 本作は後輩に敗れ去り退場するヒーロー、という体で書きました。ミスターシービーというヒーローホースを破るにふさわしい実力を持った、日本史上最強馬の一角、シンボリルドルフ。しかし、レースでは一度もシービーに負けなかったルドルフが、しかし一番「勝てない」と思った相手もシービーなんじゃないか、という妄想が下敷きにあります。人気という点では、ルドルフは不利でした。圧倒的に強いし、といってナリタブライアンの様な派手な勝ち方をするのではなく。しかも戦う相手がトウショウボーイ産駒で19年ぶりの三冠を見せてくれたミスターシービーだったり、三冠馬シンザンの息子で二冠馬のミホシンザンだったりする訳ですからね。ロマンを求める人間からすれば、どうしてもルドルフは「ヒール」の立ち位置にはなってしまうのかなあと。ウマ娘に置き換えるにあたって、シービーとルドルフがお互いに「彼女にはかなわない」と思っていたら素敵だなぁという発想が根底にありました。
 そしてそれらを考えた時に、トウカイテイオーはシービーとルドルフの良い所を集めた様な存在になりえたのかもしれない、と思ったのです。テイオーが登場するのはそれ故です。アニメ二期も佳境ですしね。
 そして最後に、無念だったのはダイナカールを出せなかった事です。出したかったのですが、エアグルーヴが彼女の実の娘であることが確定した感があるので、そうなると年齢設定やら何やらが滅茶苦茶になってしまいそうなので断念しました。ウマ娘は二年で中学生くらいの見た目になるとか設定すれば行けるかもですが、それはやりすぎですしね……。アプリでは陽気なお母さんとしてちらっと登場してくれたので、嬉しかったです。
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