人は二度生まれる。一度目は0歳の誕生日に。そして、二度目は。
『――部長』
『ん?なに?』
『なんで私たち、負けたんでしょうか』
『負けてなんてないじゃない? …銀賞だよ?れっきとした賞じゃん。一応』
『府大会ですよ?』
『………』
・・・・・。
『私達、全国に行くんじゃなかったんですか』
『……そうだねぇ』
二年前、私は南中吹奏楽部部長を辞めた。
―――だから、これ夢だ。
夢の中でそう気付けたなら、それはきっと明晰夢。
ぱちりと起きれば全部忘れるのが夢だけど、怖がらず己を律してこのままぐっすり眠りこければ、ずっと夢の中にいられるらしい。
…夢は第二の人生と申します。
なのでホッと一息、その続きを見る。そこには南中学校吹奏楽部の面々が、ポニーテールに髪を結った女の子・傘木希美と話し合っていた。
『…何が駄目だったんでしょうか』
『今まで私達を引っ張ってくれた部長と。一緒に全国の舞台へ行きたかった…っ』
『もっと楽器を奏でていたかった。……先輩と、一緒に』
『本当にこれで終わりなんですか。…部長っ』
・・・・・。
『終わりだよ。勿論』
・・・・・。
『私ら3年は、これでお終い。次は君たちがこの部を引っ張っていく番。全国までね』
そう言って笑って、手のひらに食い込む爪の痛みを握り潰していく中。彼女は空を見上げる。
…眼と眼が合う。涙が零れないように、なんとも頼りない表情を後輩に決して見せないようにして引退宣言を行う二年前の自分は、弱々しいにも程があった。
――高校では金を取る。こんな悔しさは今日で最期にする。
あの日の彼女はそんな決意の灯火を胸に宿していた。ちっぽけで下らない、でも今もずっと消えない火を。
『……終わってない』
『え?』
『まだ…。終わって、ない…』
重なる声。
『高校で、今度こそ金。―――でしょ?希美』
そんなちっぽけな灯火を上書きして余りある大火。
まるで世界が始まったかのように。あの日、鎧塚みぞれの眼には火が宿っていた。
私だけを見つめて。
◆
――ぱちりと眼が覚める。
夢の内容を忘れる前にむくりと起き上がり、脱力した左手の親指と人差し指で右の耳たぶをつまむ。すると自然に顔が左を向いた。
いつもの日課。
「今日は何をしようかな」
昨日もそう言ってたなあと、冗談混じりに私は薄く笑うのだった。
◇
高校2年生。今の私は帰宅部に所属している。
部の規律は特に無い。連絡網も活動目標も無いし、何かしらの大会があるわけでも勿論無い。
でもただ一つ。帰宅部部員、いや総軍には絶対の任務が有る。
それはその名の通り、学校が終わったら即座に帰宅する事だ。
「フルート吹こっと」
一年前まで部活動は吹部一本だった。けど去年辞めた。今はどこにも所属せず独学でフルートを嗜んでいる。今も忘れられない音があるからだ。
―――人は二度生まれる。一度目は0歳の誕生日に。そして二度目は今日この日。
『おはよー!鎧塚さん! オーボエ、そろそろ好きになった?』
『…ぼちぼち』
当時の、南中学時代の彼女のオーボエ。奏でる音は万感と言って差し支えなく。
中学1年からずっと一緒に朝練をしてきた私には、どうしても真似が出来なかった。
…凄いと思った。輝いていた。どうやったらこんな演奏が出来るのかが、私は不思議でしょうがなかった。今も今までも。
『…………』
『…? どうしたの、傘木さん』
『え?あ、いやー上手いね!鎧塚さん! やっぱりオーボエ好きでしょ?』
『ぼち…ぼち』
『そっかー』
楽器が違う?こっちはフルートであっちはオーボエでしょ?
そんなの関係ない。ずっと聴いていたいと思えればそれは相手が凄いって事。なら負けたくないと思うのは演奏家の性(さが)でしょう?
…私にそんな音は出せない。だから止めないでほしい。私は今も今までもそう思っている。
どうしたら並び立てるだろう。どうしたら優れるだろう。好きだからだけでそんな音色は決して出せない。だから私達は銀賞だった。
中学3年の吹奏楽コンクールで、唯一特別だったのはこの子だけ。…部長の私が特別になって皆を引っ張っていかなくちゃならなかったのに。
だから負けた。
だから、見つけなくちゃいけない。探さなくちゃいけない。高校生になった今も。あのオーボエよりも特別になって、前に進む為に。……そう思っていた。
吹部を辞める前は。
◇
「? あれ?あの女の子」
先程まで吹いていたフルートをケースにしまい、中学3年の時から日課になった平均台の上を歩こうと春の夕方、いつもの公園に来るとそこには先客がいた。
眉間にしわを寄せた必死の形相で、眼を瞑ってよろよろとおぼつかない足取りで歩いている。細い平均台の上は正に地獄の綱渡り。懐かしい。
私と同じ北宇治高校制服のリボンは1年生のもので、その姿はまるで始めたばかりの自分のよう。
頑張れ、後輩。あ、でももしかしたら吹部の子かもしれない。
「まさかね」
◇
「そういえば今年から吹部に新しい顧問の先生が来るんだっけ。あの部、360度変わったりして。 あ、180度だった」
次の日のこれまた日課の早朝ランニング。こんな感じのご愛嬌(独り言)が風に乗るなか、見慣れた景色が雲と一緒に流れていく。
「お?」
慣れていないのだろう、息を切らし必死の形相で一心不乱に走っている女の子がふと見えた。これまた見覚えのある、昨日見た1年生。その後輩がただひたすら走っていた。
「………」
笑みが浮かぶ。凄いという敬意の感情が私をそうさせる。
何がそこまで彼女をそうさせるのだろう。何がそこまで、彼女を奮い立たせているのだろう。観察すると、どうやらただ走ってるだけではないらしい。
「なるほど、腹筋に力を入れて走ってるんだ……。確かにあれなら体勢安定に繋がるかもね。演奏に使えるなぁ。よし、やってみよっと」
毎朝走り続けてるその子が吹部だと分かったのは、府大会で北宇治の演奏を聴きに行った時だった。
◇
「………」
溜め息をぐっと飲み込んで、全身を支える力にする。
その合奏は何もかもが煌いていた。そのように感じて、気付けば私は万雷の拍手をただひたすら送っている。
一年前とは全くと言っていいほど異なる音色。それはありとあらゆる練習、経験、錬磨、心気、執念を束ねた結果で。私は、
「………。悔しいなあ」
やっとの事で出た言葉はずるいでもなく羨ましいでもなく。自分ひとりではあんな音色は出せないという事実だった。
今まで独りで色んなものを実践して飲み込んで、自分なりのフルートにしてきた。ただひたすらに吹いてきた。
如何に吹こうか、如何に吹くべきか。今もそう突き詰めてるけど、でもそれは合奏では決して無くて。皆で奏でる音楽が、こんなにも美しいとは思わなかった。
「良い部に入れたね…。クラの後輩ちゃん」
――そしてあの楽器の音色がひどく弱いことに、私は嫌でも気が付いた。…1年前。いやもっと前から聴いてきたあの音が。当時の私を粉々に砕いたあのオーボエが。
夢にまで出てくるあの子が。
「…………みぞれ」
変わったのは意識だろうか。それとも練習をサボったか。
違う。後者は絶対にありえない。現に放課後、あの子の音色はそれなりに聴こえてた。
「今も昔も優子は傍にいる。喜多村先輩と岡先輩は凄い人たち。あの子を邪険には扱わない。夏紀もいる。となると………、1年の子達かな?なら訊いてみないといけないね」
部外者がいきなり?それはありえない。でも居ても立ってもいられない。
「よし、やってみよう。明日もあのクラの子走ってるかなー?」
笑みを浮かべる。瞬間、頭の中の自分が私を罵る。
ホント自分勝手で気持ち悪い。鏡見た事ないの?あるなら一年前部活を辞めた理由を教えてよ。全部自分の為でしょう?
そんな自分を心の中でフルートを吹いて黙らせ、私は私を貫く決意の炎を心に灯す。それはあの日からずっと変わらずこの胸に。そして今度こそ。
『鎧塚さん! オーボエ、そろそろ好きになった?』
今度こそ、あの日から前に進んだ事を証明する為に。
◆
「―――ねえ。貴女」
「? はい、?」
「北宇治の吹部の人だよね?」
続く。