響け!ユーフォニアム一年目でゴールド金賞RTA   作:ブロx

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第十九回 その3

 

 

その眼が嫌いだ。

 

「ずっと、私の特別だったんだ」 

 

 この歳になっても、こんな事を恥ずかしげもなく言えるこの顔が。何故この大人は今も変わらずそんな眼ができる。

 

 ずっと、ずっとだ。初めてこいつと会った時から変わらない。憧れとも理想とも違う不可思議で息苦しい何かを宿した眼。隣りで寝ているガキと同じ眼。

 

あの日、楽器を抱えた娘と同じ眼が心底嫌いだ。

 

 

『――あすか?どうしたのそれ』

 

『…宅配便で今日きた』

 

『見せてみなさい』

 

『…はい』

 

 娘が楽器を手に持ちながら瞳を輝かせて、でも断られるだろうなという目付きで私を見ていたのは、娘が小学1年生になった頃だった。

 

『これって楽器、しかもユーフォニアムじゃないの』

 

 誰から?とは訊かなかった。こんなものを送ってよこす人間は一人しかいないからだ。

 一緒に暮らしていなくても腐っても父親とは親でありたいらしい。元夫はあろうことか、今更こんな物を送ってよこしていた。

 

『お母さん。私、これ吹きたい』

 

『え?駄目よ邪魔でしょう?こんな大きいだけの粗大ゴミ。捨てるからよこしなさい』

 

 習い事は多い方が良いが、これだけは別だ。そう思った私は手を伸ばして楽器に触ろうとした。

 

『―――お願い。お母さん』

 

だが娘は予想外の言葉を放ってきた。

 

『私どうしても。この楽器吹きたい』

 

『………』

 

 それは小学1年生の子供の眼ではなかった。

心の琴線に触れたとしか言いようがない、人生の指針のようなものを得た人間の眼だった。なので私は懇々と言って聞かせた。

 

『聞きなさいあすか。今の貴女は楽器という未知を知って心が弾んでいるだけなの。

解かる?ただ単にワクワクしているだけなの。そしてそれは今だけ。本当に今だけなの。

 近々貴女はこれを要らないと、捨ててとお母さんに言う日が来る。だったら最初から持たなければ面倒が無い。諦めきれるものなんて、人間の人生には要らないの。解かる?あすか。コレは貴女に幸運も幸福も与えてはくれないの』

 

『………』

 

娘は眼をパチパチさせて、けれど私から逸らす事なく言った。

 

『吹きたいの。お母さん。私、吹き続けたいの』

 

 ………愕然とした。その表情には、雰囲気には見覚えがあったからだ。

何かを信じて疑わないその姿。幼馴染と同じその瞳。クラリネットを吹き続けると決め、音大に進むと親に宣言したあの時の自分と。

 元夫と出逢った、大嫌いなあの頃の。

 

『そう。じゃああすか?お母さんと約束できるのなら、吹いてもいいわよ?』

 

『…本当?』

 

『ええ勿論。お母さんは冗談が苦手よ。ただ貴女はその代わり勉強を頑張らなければならないわ。これから一つでも、テストで点数80点以下を一つでも取ったらそのゴミは即刻捨てる。いいかしら?』

 

『分かった。いいよ』

 

 矢のような言葉が返ってきて、私は確信した。

顔も憶えてないだろう父親の面影を、きっとこの子は追い求め続けると。強くなると。何があっても私に反発してでもやり続けると。

 

同時に、きっと高校生あたりで腐ってくると。

 

『やってみせるよ。お母さんみたいに』

 

反吐が出そうな表情だった。昔の自分を見るようで。昔の自分になるようで。

 

 

 

 

 

 

「帆高?」

 

「………」

 

 気持ちの悪い回想を打ち切ってくれたのは、またしてもガキだった。ベンチから起き上がり、立ち上がり、空ろな眼で見渡してはクラリネットを手に取る。そして、

 

「安静にしていろ、帆高」

 

「………」

 

息を吹き込む。音色が夜の闇と木々と、私達の間を木霊する。

 

「………」

 

 理解する。やはりこの子供は絶対に自分からは止まらない。これは勝負なのだ。私と貴女と、私と私の。今ここでもそれをやらなければきっと後悔する。迷う。自分が自分で無くなる。

 

「………やめなさい」

 

・・・・・。音色は止まない。

 

「もういいから。………やめなさい」

 

 あの日。娘に条件付きで許可を出したあの日の夕暮れ時、私は独り川辺に来ていた。

 ちょっと出てくるから戸締りしっかり留守番していてねと娘に言うと、娘は勉強をしながら返事をした。

 

「もう…いいから」

 

 川の流れは緩やかで、しかし留まってなどいなかった。

右手に持つハードケースを握る力を緩めて、私は中身を取り出した。年季の入ったクラリネットが、いつもそこにはあった。

 

「明美?」

 

「吹くのをやめろ」

 

 押入れの奥底に隠していた、今や娘にも誰にも言っていない聴かせない私の楽器と音色。それは今までどうしても捨てられなかった過去という名のメロディーだった。

 

 川辺でこうやってひとしきり吹いて、私は小学生から大学まで。いや、今の今までの人生を振り返りながらクラリネットを吹き続けた。通行人なんて気にしなかった。こんな風に。

 

こんな風に。

 

「やめろ」

 

 良い想い出だった。悪い想い出もあった。自分はしっかり生きていたのだと、はっきりと解かった。音色がそう言っていた。

 あの子が産まれた時、私はこの世のどんな人間よりも幸運だと知った。今まで生きてきて良かったと、自分で自分を褒めた事すらあった。そんな事は私の人生で初めての事で、

 

「やめろ」

 

 ―――だからこそ。私の音色はもう腐っていた。傷んでいた。

腐るんだ。ガキのお前も大人の私も誰もかも。私は最後に、もうずっと会っていない大切な幼馴染の顔を想い出した。

 

想い出の中のその顔はずっと。ずっと変わらないままだった。

 

「やめろ」

 

『………美知恵。私はもう、特別になんてならなくていい』

 

・・・・・。

 

『娘が特別幸せになれるのなら』

 

 そう最期に言って、私はクラリネットを川へと投げた。

もう過去は要らない。神にも悪魔にも化け物にだってなる為に。親になる為にあの子の為に。

 

こんな風に、想い出さない為に。

 

「だから楽器を――――、吹くのを止めろ!!!!」

 

 音色を忘れる為に、前に進む為に。

取り上げる。美知恵の手を振り切ってかなぐるように。すると手と音色が空中に留まり、一人の奏者の眼が私を捉えた。

 

かつての自分がそこにいた。

 

「クラを返して下さい」

 

「必要ないわ」

 

もう二度と。

 

「私は吹き続けるんです。追いつく為に」

 

「もう追いついているわ。貴女のその音色は」

 

「まだです」

 

「とっくの昔に」

 

 察する。この子はまだ正気じゃない。夢うつつだ。そんな眼をしている。何かが見える。瞳の奥に。

 

「この先、貴女は自分の音色を聴いて後悔するわ。傷むのよ、腐るのよ。それが解かるの。だってそうやって私も誰もかも自分の楽器を、音楽を諦めたのよ」

 

「まだです」

 

「吹奏楽部の部員なんて全国に何十何百何千といる。でも楽器を吹き続けられるのは、吹き続けているのは一体何人? 皆諦めていく辞めていく。それが何故か分かるか」

 

「まだです」

 

「理解するからよ。もう自分の音色は傷んだと。あんなにも綺麗だった信じた音色が今はこんなにも腐っていると。差とはそういう事なのだと。世の年月とは決して前向きに未来だけを見るような子供じみた理屈ではなく、横たわり取り戻せない過去しか無いのだと」

 

発露した想い出がそっと、私に対して口を開く。

 

「―――まだです」

 

「人は綺麗なうちなら想い出にはならないの。傷み腐るから想い出になるの引きずるの。そんなもの要らないでしょう?………貴女の人生には、」

 

「まだなんです。私は、」

 

「そう思えた時点で貴女は特別なの。だからもう―――もういいでしょう!!!!」

 

―――それでも。

 

「………まだ終わってないんです」

 

―――まだ証明してないんだと、眼前の奏者は我慢せずに言った。

 

「全てが終わった時、もう何もかもが真っ白になって燃え尽きて、それでもこの楽器を手にしていられたならきっと。吹き続けていられたならきっと。他人事じゃない人生で初めて、」

 

「………――」

 

 言葉が聴こえる。何かが見える。見覚えがダブって想い出に、想い出が過去に。そして、過去が。

 

「私はその辺の石ころじゃないって事を証明できるんだ」

 

 だから返してと、子供は言った。決意と虹色の炎とで滲んだ瞳で。それは熱かった。…綺麗だった。

 

『ずっと応援しているよ。明美』

 

『…ありがとう』

 

あの頃はずっと、ずっとこの中に。

 

 

『だからきっと証明してみせて。アンタが、その辺の石ころじゃないって事を。いつか』

 

 

「………」

 

 手渡す。受け取り吹いて、また倒れこむ。今度は倒れる前に両手で支えた。

だって何度も味わったし経験したから。地面は痛い。これしか知らなかったし、信じていたから。こんなガキがいつも、

 

「バカよね。ホント子供って」

 

「お互い様よ。明美」

 

こんなガキが。いつもここに。

 

 

 

 

 

 

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